夜陰仕事人と夜歩く者
駒井 ウヤマ
第1話 こんどこそ、みつかりますように
おとうさま、おかあさま
あしたもまた、あたらしいまちへいきます
さがしているものは、まだみつかりません
こんどこそ、みつかりますように
それとも・・・
「ふう・・・」
女性はそこで読むのを止め、パタンと日記帳を閉じた。
「う・・・ん」
強張った背筋を軽く伸ばし、手帳サイズの日記帳を雑嚢へと放り込むとそのまま草原へと倒れ込む。その勢いで胸元の双丘、彼女にとっては唯の肩凝りの元がゆさゆさと揺れる。
「・・・疲れた」
旅の途中、街道を歩く途中に木陰で小一時間ほどの小休止の心算だった。
しかし、その暇つぶしで読み始めた日記帳のはずが、ついつい思い出巡りに興が乗り過ぎたようで。気が付けば太陽は頭頂高く昇っており、燦燦と降り注ぐ日光に目が痛くなる。
それでいて、足は休まった代わりに目を疲れさせたとあれば、笑い話にもなりゃしない。
「どう・・・しよう」
むっくりと起き上がり、「はて」と顎に手を当て考える。
まず、この気温と直射日光の中を歩くのは無し、パス、論外。燦燦と照りつける日光は、彼女が纏うフード付きの外套如きでは耐えられない。
では、日差しが収まるのを待つか。しかし、目的の町まではあと半分以上も残っている。弱ったとは言え日差しの中、ペースは落ちるだろうし、まず日暮れまでには間に合わないだろう。
「んー、野宿?」
それは嫌だ。もう3日も野宿を続けており、食料はとうに尽きている。野生動物で糊口を凌ぐのも悪くは無いが、そろそろマトモな食事がしたい。
「どうしよう・・・・・・あ」
悩む彼女の耳に飛び込んできたのは、正に福音だった。
ガラガラという車輪の音と時折聞こえる馬の嘶きに音のする方に目をやれば、彼方には街道をこちらへ向かって進み来る馬車の姿が見えたのだ。
「乗せて貰える・・・かな?」
最悪、荷運びでも何でもと覚悟した彼女だったが、その馬車の掲げる証票はそんな彼女の覚悟をも粉砕した。禍福は糾える縄の如しとは、よく言ったものだ。
何故なら、その証票は王国公認の乗合馬車のもので、つまりは。
「乗せて、貰える・・・かも?」
勿論、こんな何も無い街道を空の馬車が走ることなんて無いから、誰かしら客を乗せてはいるだろう。当然、断られる可能性もある。
「・・・でも」
街道の1つ先にある町に行くのを断られることはまず、あるまい。期待を込めた予想を豊満な胸に、女性は御者へ見えるよう高く、右手を掲げた。
「乗ってくのかい?」
乗合馬車の御者、ニコラスは怪訝そうにそう訊ねた。いくらフリーストップ・フリーライドが許される乗合馬車とは言っても、こんなところで止められたのは流石に初めてだ。
「は、は、ははははははは、はい!」
加えて、その客の姿がまた、なんとも胡散臭い。所々に擦り切れや鉤裂きの見える外套に、粗い目の脚絆が覗くその装束は、都会の乞食の方がまだ良い服を着ていよう。
キョドキョドと小動物のように左右に揺らす藤色の瞳は、自信なんてものが一欠片でもあれば良い方だ。目鼻立ちも小作りにまとまってはいるものの、逆に言えばこれといって秀でたる点は無い、凡庸な顔である。
トドメに、その顔を包む灰色の髪はまるで『伸びるだけ伸ばした』と言わんばかりの有様で、臀部まで伸びたそれは元の髪質故か手入れの悪さ故か、もしゃもしゃと膨れ上がっていた。蓬髪、とまではいかないのがせめてもの救いだろう。
唯一、体つきだけは出るところが出ているナイスバディなのだが、その数少ない美点すら、自身無さげに背中を丸めた猫背が台無しにしていた。
「ふうん。で、どこまで?」
ジロジロと、値踏みするような視線を一しきり向けた後、ニコラスは胡乱気な目でそう尋ねた。
「そ、そそその・・・あの、この先の町、まで、その・・・」
「金はあるのか?」
「はい?は、はははひ、はい」
ガチャリ、と革袋を彼へ鳴らせてみせた女性の姿に、初めてニコラスの愁眉が少し解れる。あの音なら少なくとも銀貨以上は確実で、それだけあるなら問題はあるまい。
だが、それでもその胡散臭い風体が、彼に二の足を踏ませる。
「分かった、ちょっと待て。・・・聞こえたかい、お客さん?」
「ええ、聞こえましてよ。乗せてあげなさいな」
しかし、後頭部へ投げつけられた乗客からのそっけない返事が、彼から『乗せる』以外の選択肢を奪う。金があり、同乗者も拒否しないなら、雇われ御者に取れる選択肢があろうはずも無し。
「・・・しゃあねえな。で、名前は?」
諦めたニコラスは客員名簿を取り出した。町に入るには、乗員全員の記名のあるこれを門番へ出さなければならないのだ。
「ふぇ?」
「だから、名前だよ、アンタの名前。名無しの権兵衛さんじゃないんだろう?」
「え、は、はい!な、名前・・・名前は・・・さ、サタリャーシャ、です」
「サタリャーシャ・・・ね。よし、乗れよ」
「は、はい!ありがとう・・・ございま、す」
「いいから、さっさと乗りな。出発するぞ」
その言葉に慌てて荷台に乗り込もうと後ろへ回るサタリャーシャを目で追いながら、ニコラスは「はあ・・・」と頭を抱えた。折角、何の問題も無い客1人を運ぶだけの楽な仕事だと思ったのに、とんだお荷物だ。
「まあ、いいか。収入が増えたと思おう」
そう思わないと、やってられない。
「よいしょ・・・と、わっ!はわっ、ぷん!」
荷台によじ登ったサタリャーシャはそこで足に外套を引っかけてしまい、盛大に荷台へとその低い鼻をぶつけた。
「う、ううう・・・」
「おいおい、大丈夫かよ」
流石の大音に、ニコラスも身を捩じらせて荷台を見返した。呆れたような物言いだが、童顔ながらに整った顔には似つかわしくない頭を覆う茸のような髪型から感じるユーモラスさが、それを上手く中和している。
もっとも、こういう仕事をしている人間に人当たりが悪い者は、そうそういないだろうが。
「は、はい。大丈夫、です。なんとか・・・その」
傷みを紛らわすようにさすさすと鼻を撫でるが、幸いなことに骨折も鼻血も無いようだ。
そして、サタリャーシャにとってもう1つ幸いだったことがある。
その乗合馬車にいた乗客は女性客1人のみで、その女性はそんな大騒ぎには目もくれず、黙々と何かパズルのような金細工を弄んでいるばかりだったことだ。
流石の彼女も、大勢の他人に笑い指をさされるのはハートが痛い。
「えと、あの・・・お邪魔し、ます」
「・・・え?ええ、こちらこそ。宜しくお願いしますわね」
そこで初めてサタリャーシャの存在に気付いたようにこちらへ顔を向けたその女性客の容姿に、彼女は思わず「あ・・・」と息を呑んだ。
幌で日陰になっているにもかかわらず、肩の下あたりで切り揃えられた金髪はサラサラと乱れなく照らされた麦穂のように輝いている。そして、それに包まれた卵型の相貌もまた照り輝くように美しく、上がった眦とツンと高い鼻梁がその気高さをアッピールしていた。おまけにその装束も、染み1滴なく黒一色に染め上げられたサマードレス。
どれからどれまで、サタリャーシャのそれとは雲泥の差、月とスッポンである。恐らくは、どこかの貴族や商家のお嬢様か何かだろう。
「どういしましたの?」
その、小首を傾げる様さえ魅力的なのは反則だろう。何のルールに反しているのかは知らないが。
「い、いいいいいいいえ、いえ。それ、では、ええと・・・はい」
そう言って、サタリャーシャはおずおずと荷台の端っこへと腰を降ろす。近くに寄れる身分でも無いし、第一ちょっと近寄りがたい。
「・・・ちょっと」
「は、はい!」
「なにも、そんなに離れて座ることはありませんわ。こちらへいらっしゃいな」
が、そんな彼女の羞恥心なぞどこ吹く風と言わんばかりに、その女性客はそう言って自身の前の席を指さした。
「い、いえいえ!そんな、そんな、そんなのは・・・その・・・」
「あら、そう。しかし・・・ねえ、御者の方。荷物はまとまって在る方が楽ではありませんこと?」
「ん?ああ、まあな」
気の無い返事から恐らくはそうでも無いのだろうが、商売人はいつだって偉い人の味方だ。
「まあ、どうしてもそこが良ければ、敢えて無理強いはいたしませんが・・・」
「い、いえ、行きます!行かせて頂きます!」
そう、サタリャーシャがビクンと立ち上って荷台の前へと歩を進めた瞬間に、
「ハイヨゥ!」
ピシリ、ピシリと鞭の音。
「みひゃう!?」
丁度、馬車が発進して足元を掬われた彼女は再び、その顔を荷台へと打ち付けた。
「ううう・・・」
「ツイていませんことね」
鼻を抑えるサタリャーシャへ、女性は少し呆れたように声をかける。
「い、いえ。いつものこと、ですから」
そう、彼女がどんくさいのはそれこそ、いつものことだ。
「それはそれで・・・まあ、いいですわ。それより、私はマリアライゼと申します。マリィ、で宜しくてよ」
「そ、そそそそそんなお、おおおおおお恐れ多・・・あ!そ、その私は、サタリャーシャ、と、その・・・」
「ご丁寧に。では、サティと」
「ご、ご自由に、どぞ」
「ではサティ、短い旅路ですが、どうぞよしなに」
そう、ニッコリと笑った笑顔はまるで大輪の花が咲いたかのように美しく、品がある。卑屈に口角を歪めることしかできないサタリャーシャとは正しく、格が違う存在と言えよう。
「ところでサティ、貴女、どうしてあんな所に?」
「へ?え、ええと・・・その、歩いて来たんです、けど、疲れて・・・」
「成程。その装いから見るに・・・貴女も旅人ですの?」
その問いに、サタリャーシャは反射的にコクンと小さく頷いた。
「へえ。あんたみたいなのが旅人だなんてな。見かけによらず、随分と良い御身分なんだな」
ピシリ、ピシリと馬に鞭を打ちながら、ニコラスは揶揄するように言い放つ。
「あら、御者の方。客人へそんなことを言って良いのかしら?」
「おっと、こいつは失礼を。しっかしまあ、時代は変わったねえ・・・」
「ですの?」
「ああ。昔・・・つってもひいふう、みいの、それくらい前か。あれくらいの時ゃ、こんな幌付きの馬車に乗るのなんて、一部のお貴族様くらいなもんだったがね」
しみじみと呟くニコラスだったが、事実、世界を巡るあれこれは数年前とはすっかり様変わりしていた。
『魔法石』というものを、諸君は1度くらい見聞きしたことはあるだろう。小さな一欠けらからでも無限に近いエネルギーを作り出す、正しく魔法の石だ。
それを利用した工業技術の発展や庶民の生活水準向上、更には新たな『労働資源』の獲得。それにより、王国における国民の2/3が非労働階級、つまりは高等遊民と化していた。王族や貴族、大規模経営者を除いた一般大衆のみを数えても、1/3は下るまい。
「俺たちみたいな真面目な勤労者が、今じゃそれこそ少数派ってんですから。やんなりますよ、まったく」
「愚痴らない、愚痴らない。それに・・・そのお陰で、貴方がたも繁盛しているのではありませんこと?」
「それを言われちゃ、そうですがね」
仕事の必要が無くなろうと、人はやることが無いままでは生きていけない存在だ。ただ、だからと言って楽を覚えた彼らが農業は勿論、今更あくせくと別のことに尽力出来るはずも無し。
結果、今の王国ではそういった暇を持て余した高等遊民が各地を回る『旅』が一大ムーヴメントとなっていた。見知らぬ場所を巡り、口慣れぬ名物を味わう、こんな楽しいことが他にあるか、ということだ。
ただ、世がどう発展しようとも、悪党の種は尽きないもので。そういった世間知らずを食い物する野盗や山賊は、後を絶たない。
流石にそれを放置しては王国も鼎の軽重を問われるので、考案されたのがこの乗合馬車というわけだ。王国肝いりの馬車を襲撃出来るほど根性のある野盗はいないし、技術の進歩で淘汰されかけた馬車業界の救済にもなった。そして、ついでに旅人には風情があると、もっぱら好評を博している。
「・・・あ。あの、『も』ということは、その・・・」
「ええ。私も旅人ですわ」
サラリ、と前髪を右手で流すマリアライゼ。確かに、よく見ればその脇には大きな革鞄が鎮座していた。
「お、お、お1人で?」
「ええ。使用人と一緒のお仕着せの旅なんて、旅じゃありませんもの。・・・で、貴女はどうなのかしら?」
「わ、私は・・・その。探しているものが、その、ありまして・・・」
「探し物?」
そこで初めて、マリアライゼは怪訝そうに眉を顰めた。
「はい。それで、こ、こうして・・・はい」
「そう。では、ご両親もそれをご存じで?」
「ち、父と母は・・・その・・・いま、した」
「そう」
いました。その過去形が示す意味は、つまりそういうことだ。
「なら、探しているのは者?物?それとも・・・場所?」
どこか、官憲の事情聴取のような問答に、自然とサタリャーシャの顔も強張ってくる。
「それは・・・」
と、言いよどむサタリャーシャが無意識に腰を浮かしかけた、次の瞬間。
「おっと、お二方!揺れるぜ」
ガタンガタンと、恐らく石を踏んだか窪地を通ったか、荷台は大きく揺さぶられた。勿論、それほど大きな揺れでは無い。
「あ!?」
が、折悪しく腰を浮かしていたサタリャーシャは2度あったことの3度目で、バタンと丁度マリアライゼへ跪くようなスタイルで床へと倒れ込んでしまった。
「・・・うう」
倒れた際に支えようと咄嗟に出して強打した掌、そこに出来た擦過傷からはじんわりと血がにじむ。
「・・・まったく。ほら」
蹲ったままの彼女を見かねてか、マリアライゼが手を伸ばし・・・。
「あら?」
その手が、或るものを見て、止まる。
「貴女、それは?」
「は、はい?」
「それ、その喉元の下あたりの、それですわ」
倒れた衝撃で外套がはだけ、覗いた素肌の胸元。その丁度喉の下、鎖骨と鎖骨の間に、何やら光る物体が見えたのだ。
「あ!あ、あの、これは!」
慌てて、サタリャーシャが隠そうと外套を掴んだ手を、マリアライゼは強引に止めた。
「いいではありませんの、ちょっと」
「おいおい、破廉恥沙汰は他所でやってくれよ」
確かに。ニコラスの注意するように、傍目にはマリアライゼがサタリャーシャをひん剥こうとしているようにしか見えない。
「違いますわよ。ええと・・・」
御者の言葉を撥ねつけて、マリアライゼはその物体へと手を伸ばす。それは金色の輪っかで、縫い付けられたか突き刺さっているのか、何れにせよサタリャーシャの青白い肌から直接生えているようだった。
「金・・・ではありませんわね。メッキした金属?それとも・・・」
「あ、あの・・・そろそろ、止めて頂けると・・・その」
「え?ああ、すみませんわね」
その弱弱しい抗議を、意外にもマリアライゼはアッサリと受け入れて手を引いた。もっとも、それは出来る範囲で粗方調べ尽くしたからでもあるのだろうが。
「それにしても・・・貴女」
「な、何です?」
哀れにも、怯えた子犬のように縮こまり外套をキュッとかき寄せて身を守るサタリャーシャ。マリアライゼの声にキョドキョドと縮れた前髪の下で揺れる視線は警戒心に満ち満ちていた。
「いえ、そんなに怯えなくても宜しくてよ」
「いや、誰のせいだよ」
「私のせいですが、何か?」
「何か?じゃないだろうに、まったく・・・っと、お二方」
「今度は何ですの?」
「目的地の町が見えた。俺が門番と話し合って無事に入れて貰えるまでは、どうか大人しくしていてくれよ」
その言葉にサタリャーシャがおずおずと前方へと視線を移すと、幌とニコラスの背中の隙間から、煉瓦造りの防壁が目に入る。
「あれが?」
同じように前方へ目をやりつつ、マリアライゼがニコラスへと尋ねる。
「ああ、そうだ。あれが商業都市フィレツィア、目ざとい商売人が集う街、さ」
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