第4話 こういう時の為の、黒いドレスですから
近づく足音の主たちを迎えてやるべく、さもお嬢様らしい高飛車な顔をして待ち受けていたマリアライゼは、
「・・・はあ」
外灯の元に姿を現した追跡者たちを見るや否や、さも期待外れと言わんばかりの嘆息を零した。何故ならば、
「へ、へへへ・・・」
「す、凄え・・・」
「やべえ・・・」
それら3人の若者の風体とナイフを手で弄ぶ仕草を見るにつけ、どう贔屓目に考えても町のチンピラか、悪ぶったド三下以外には思えなかったからだ。
ニタニタと薄ら笑いを浮かべながら呟く何のインテリジェンスも感じられない言葉に、彼女は困ったように頭を抱える。
だからと言って、ああも大見得を切って出てきたマリアライゼだ。ただのチンピラだったからと言って、今更ベルチーノにバトンタッチを決め込む訳にもいくまい。
「・・・まあ、仕方ありませんわね」
諦めの吐息を漏らすと、不承不承、彼らへと話かけた。
「あの、貴方たち。悪いことは言いませんから、今すぐ回れ右して帰ってくれませんこと?」
これで、食ってかかってこられたら少々痛い目を見て帰って貰おう。
これで、笑うなりなんなりしてきたら背後にいるベルチーノ存在を明かし、脅しつけて帰らそう。
そう、目算を立てていたマリアライゼだったのだが。
「へ、へへへへ・・・」
「ふ、ふふふ・・・」
「へえ、へへへえ・・・」
若者たちはどんな色の感情をも表に出すことなく、初めに呟いていたような言葉を漏らしながらの薄ら笑いを続けている。
明らかに、彼らを小馬鹿にするような言い回しだったにもかかわらず、だ。
「あ、貴方たち・・・」
流石に、マリアライゼも薄気味悪さを感じてじりりと後ずさったが、それを受けて若者たちは丁度彼女が退がった距離と同じだけ、ゆっくりと追い詰めるかのように足を進める。
「な、何者ですの?」
勿論、その問いに答える者、否、答えられる者はそこには誰もおらず。
「あ」
そして、そのままジリジリと後ろに退がり続けた彼女の背中が、ドンと壁に付くまで追い詰める。いつしか陣形も1人が前に、残り2人が少し後ろで脇を固める楔形のそれへと変えていた。
いたって工夫の無い、とは言え目の前で禁治産者のような締まりのない笑みを浮かべる若者がとるには工夫のいる隊形だ。
「お、お待ちになって!あ、貴方たち、いったい・・・」
矢も楯もたまらず、といった表情で、マリアライゼは彼女の真正面にいた若者へと問いかけた。
「ふうう、へへへえ!」
すると、表情を一切変えずにいたのが一転。ニマア、と口角を全開に持ち上げるような醜悪な笑みを浮かべると、まるで、待ってましたとばかりに。
「ヒャウ!」
その若者は両腕を肩幅一杯に広げると、そのまま野獣のような叫び声を上げながら彼女へと飛びかかった。
「ええ!?」
大きく目を見開いたマリアライゼをその双眼に捉えながら、若者は彼女へと抱きつかんと襲い掛かる。そうして抱きついた後のお楽しみだけが、彼の頭脳を支配していた。
「ヒャウ!?」
しかし、その両腕がマリアライゼの柔肌を掴むことは無かった。
「だから、お待ちなさい、と言ったのに」
何故なら、飛びかかった彼の額の下、丁度眉間のど真ん中に1本のダガーが突き刺さったからだ。
「ギャバ!」
そのままグルンと仰向けに地面に倒れる仲間を見て、残りの若者たちも飛びかかろうとした動きをキャンセルして身構えると、
「フウーゥ、フウーゥ」
腰を落とした姿勢のまま目だけを爛々と光らせて、まるで野生動物のような警戒声を上げる。
「・・・ふうん、成程」
そんな、異常にしか思えない行動を見て尚、マリアライゼは冷静だった。冷徹、と言ってもいいかもしれない。
「心神喪失、催眠、暗示・・・いずれにせよ、自白は得られそうにありませんわね」
目は彼らをジッと見据えたまま、両腕をスッとサマードレスの隙間から自身の太腿に這わせると、そこから両腕1本ずつ、丁度先の彼に突き刺さったのと同じダガーを掴み出す。
ギラリ、と灯の灯りを受けて鈍く輝きを上げる仲間の眉間へ突き立つものと同一のそれを見て、若者たちは先のマリアライゼと同じように後ずさる。
「あら?恐怖心を感じるのであれば、心神喪失ではないようですわね」
彼女の言葉の通り、マリアライゼのそれが途中からは『誘い』であったのと違い、彼らのそれは生存本能からくる純然たる『逃避』であった。射すくめるような鋭い祖先の投射がなければ、もうとっくに逃げ出していたことだろう。
「それにしても・・・居丈高はもうお終いですの?」
「ギ」
彼らを睨む鋭い眼光に、耐え切れなくなった若者たちは一様にクルリと体を回して、逃げ去るべく尻を彼女へと向ける。
否、向けようとした。
「ですが・・・私はそれほど甘く無くて、よ!」
当然、
神速、と言うのは正にこのことを言うのだろう。薄闇というのを差し引いたとしても、彼女がそれを投じた動きは若者たちは勿論、ベルチーノだって見極めることは出来なかったと断じれるほどに素早く、鋭い。
彼らが感じ取れたのはただ、シュッシュッという風切り音だけだっただろう。
「ギャ!」
「ガオ!」
しかし、そんな事情を斟酌するほど物理法則は寛大ではない。鋭く投じられたダガーは狙い過たず、それぞれの眉間へと吸い込まれるように突き刺さる。2人の若者は殆ど同じタイミングで、同じような悲鳴と共に倒れ伏した。
最初の1人が飛びかかってから、僅か数分に満たない早業であった。
「・・・ふう」
3人が動かなくなったのを見て、マリアライゼは溜息を吐いて臨戦態勢を解いた。勿論、鋭い視線は倒れ伏す若者たちからは外さずにしたままだ。
「でも、これは・・・」
「終わったか?」
「ッ!ベルチーノ・・・貴方、まだいましたの?」
そんな中、不意にかけられた声に反応し、太腿へと手を伸ばしかけた彼女だったが、その声の主が既知であることに思い至った脳髄がその手を止めさせた。
それに加えて、パチパチと敵ならば絶対に出さない柏手の音が聞こえたことも要因ではあるだろう。
「ああ。手助けが要るかもしれんかったろう?もっとも・・・」
「不要でしたわ」
「だな。しかし、コイツらも可哀そうに。王国イチ腕の立つ殺し屋にかかっちゃ、赤子の手を捻るようなモンだ」
「ちょっと・・・私は殺し屋でも、一番の腕利きでもありませんわよ」
腕を組んで不満げに口を尖らせるマリアライゼに「ご謙遜を」と嘯きながら、ベルチーノはピクリとも動かない若者へと近づいて行く。警戒の色は全くない、ズカズカとした足取りだ。
「ちょっと!」
しかし、それを見たマリアライゼは、血相を変えて叫んだ。
「あん!?」
それを聞いて、ビクリと体を強張らせたことが彼の命を救った。彼の靴先ホンの数十センチ先で倒れ伏していた若者がガバリと起き上がり、手に持っていたナイフで彼へと切りつけたのだ。
「うお!」
だが、その攻撃は彼が立ち止まったことで僅かに彼の手に切創を作るに留まった。寧ろ、その痛みは彼の頭に警邏官魂を漲らせて、ベルチーノは手に握られたナイフを恐れることなく若者を羽交い絞めにする。
こういった身のこなしの見事さは、現場一筋の面目躍如だと言えよう。
「この!大人しくしろ!」
怒鳴りつけるベルチーノだったが、若者はその声にも貸す耳が無いのか。
バタバタとまるで鶏のように暴れ出し、流石のベルチーノも目の前をチラチラと蠢くナイフの刃先に顔を青くする。もっとも、それで手を離すほど、彼も惰弱ではないが。
「失礼」
そんな彼の下にマリアライゼはカツカツと音を立てて近づくと、どこからか取り出した紐を若者の首にシュルリと巻き付けてクッと力を込める。
すると、さっきまでの暴れようが嘘のように、若者はクナクナと力を無くして崩れ落ちる。
「・・・ふう」
そして、緊張の糸が解けたせいか、そんな若者と同じようにベルチーノもその場へとへたり込んだ。ぐっしょりと冷や汗が滴るその相貌は血の気が失せて真っ白だ。
「大丈夫?」
「ああ。少し焦ったがな。しかし・・・仕留めたんじゃなかったのか?」
しかし、そんな状態でも口が減らないのが彼の個性だ。決して美点ではないし、汗を拭いながらでは格好がつかないとしても。
「尋問を行う相手が必要かと思いまして。1本は殺さぬよう、勢いを弱めて投げさせて頂きましたの。迂闊でしてよ」
その証拠・・・では無いのだろうが、その若者の眉間に刺さっていたダガーは先ほどのイザコザの衝撃で抜け落ちてしまっている。拾って見れば、刃先にはホンのちょっぴり血が滲んでいるだけだった。
「器用なことを。・・・ん?でもよ、結局コイツ、死んじまったんじゃ」
「ご心配なく。血の流れを止めて、気を失わせただけですわ」
「・・・ホント、器用なこった」
やれやれと大仰に肩を竦めるベルチーノだったが、生気の戻ってきた顔色から判別するに、同時に吐いた溜息はどうやら安堵に由るものらしい。
「それより、そろそろ立ち上がってはどうかしら?」
「おお。それがな・・・悪い、腰が抜けた」
「格好悪いこと。はい」
差し出された彼女の手を取って、やっとこさ立ち上がれたベルチーノはいかにもバツが悪そうに身を縮こませる。と言っても、彼からすれば危うく命を失う羽目になるところだったのだから、チビらなかっただけ褒めて欲しいくらいだが。
「・・・ん?」
「どうした?」
「いえ、何でも。そう言えば貴方、手を怪我してましたものね。手に血がついていたから、何かと思いましたわ」
「ああ、そういや・・・うっ、痛!」
「大丈夫ですの?」
「ああ。気が抜けたら痛くなってきただけだ。それより悪かったな、手を汚しさせちまって」
「構いませんわよ、これくらいなら」
そう言うと、マリアライゼはドレスの裾でゴシゴシと手を拭う。その不躾な振る舞いを見て、男やもめのベルチーノも顔を顰めて苦言を呈した。
「おい、汚ねえぞ」
「これをずっと着続ける訳ではないのですから、構いませんでしょう?それに、こういう時の為の、黒いドレスですから」
「そういうもんかねえ・・・おっとと」
納得のいってはなさそうな口振りのベルチーノだったが、それはそれとしてやるべきことを忘れる人間ではない。若者が履いていたズボンからベルトを引き抜くと、それで彼の手首から腕をグルグルと縛り付けた。勿論、ナイフを没収するのも忘れずに。
「これで良し、と」
「しかし、捕えるように言っておいてなんですけど・・・事件解決の役には立たないかもしれませんわね」
「そうだな。あの暴れ振りに奇声・・・素面だったとは考えにくいな」
「ですわね。少なくとも、真面に頭が働いてれば、1人目が仕留められた段階で逃げ去るでしょうし」
ダガーを回収しながら念の為、他2体の死骸が本当に死んでいるかを確認していたマリアライゼも、そう同意した。
「まあ、役に立つ立たないだけを考えてちゃあ、警邏官はやってられねえ。役に立ててみせるさ、精々な」
「まあ、頼もしいこと」
「揶揄うなよ、っと、ほれ」
「はい。わざわざありがとうございますわ」
若干の嫌がらせを兼ねて彼がヒョイと放り投げたダガーを、マリアライゼが苦も無く受け取ったのをベルチーノは渋い顔で眺めた。
文字通り、役者が違う。
「ああ、それと、残りの2人はもう死んでますわ。後始末はお願いしますわね?」
「俺がか?」
「ええ、貴方。助けてあげたでしょう?」
ギブアンドテイクと言うには差がある取引に思えるが、彼にとって1つしか無い命を救われた以上は唯々諾々と飲むしかない。それに、元はと言えばベルチーノが勘違いをして彼女をこんな所に誘い込んだのが原因なのだ。
「まあいい、分かったよ。それより・・・」
「却下ですわ」
「まだ何も言ってねえぞ」
「言わなくても分かりますわよ、貴方の考えることくらいは。大方、こうやって巻き込まれたのだから協力しろ、とでも言いたいのでしょうけど・・・」
念を押すように、キッと目を細めてベルチーノを睨めつけて、
「重ねて言いますが、私は旅行中です。身を守ることはしますけれど、そちらに協力して休暇を台無しにすることはいたしませんわ」
郁子無くそう言い切ると、彼女は回収したダガーの刃先を確認して「ホウ」と安堵の息を吐いた。どうやら刃毀れは生じていなかったようで、表情を緩めて太腿のホルダーに仕舞い込む。
「フン・・・どうかな?」
しかし、それこそ射抜かれそうなほど鋭い眼光を受けて尚、ベルチーノはそう言って含み笑いを漏らした。
「・・・どういう意味かしら?」
「いや、意味なんて無い。ただ・・・そう遠くない未来、アンタは嫌でもこの件に関わらざるを得なくなるさ。きっとな」
「あらあら。こともあろうに警邏官の主任様が、大道易者か占い師みたいなことを。それとも、運命論者に宗旨替えかしら?」
「違うな。これは・・・そうだな、それこそ永年務め上げた警邏官の勘、とでも言っておこうか」
そう格好つけて言うベルチーノへマリアライゼは極めて冷たい視線を送りつつ、ヒラヒラと手を振って入ってきた路地の入口の方へと歩き出した。
「はいはい。じゃあ、精々その勘とやらが当たらないことを祈っていますわ」
「ああ、一寸待て。お前、泊ってる宿はどこだ?」
「今回はプライベートだと言ってるでしょう?仕事でもないのに、貴方へ教える義理はありませんことよ!」
そう。今回の旅行は彼女にとってようやくに得た息抜きの小旅行だった。
なので、今みたいに勘違いで呼び出されるなら兎も角、降りかかる火の粉を払う以外の積極的な行動に出る気はサラサラ無かった。
だから、彼女も見逃した。
若者たちが『4人いた』ということを。
「ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・」
その若者は、息せき切りながら裏路地を疾駆していた。
彼がマリアライゼの手から逃れられたのは別に彼の腕が良いとか勘が良いとかでは無く、ただ単に運が良かっただけだ。
運が良かったから狭い路地を通ることになり、運が良かったから最後尾に配置されることになり、そして運が良かったから後ろから状況を眺めることができたのだ。
「ハッハッハッハッ!」
そして、仲間があっという間にやられたことに由る恐怖感に、仇討などとは思い至らずにただ、足が思うがままに踵を返してあの場から逃げ去った。
また、マリアライゼが彼らを仕留め切る心算が無かったことも、彼の運の良さの一環と言えるかもしれない。
「ハッハッハア・・・ハア?」
そして、グネグネと曲がりくねった路地裏を走り回り、流石に息が続かなくなったらしく膝に手をつき肩で息をする彼の目に、1つの人影が入る。
表通りからの灯りを背にして、その影はフラフラとまるで千鳥足のような覚束ない足取りで彼の方へ、つまりは路地の奥へと向かって歩き来きていた。身に纏っているのは粗末な外套だが、シャンと伸ばされた背筋によって協調された胸元の双丘とフラフラと足が左右するたびに魅惑的に揺れ動く臀部の肉感に、若者に施された暗示が芽吹く。
「ハア・・・・・・フフ」
いや。そんな暗示が無くとも、ジュルリと唾を飲み込んでピチャピチャと舌なめずりをするその性根では、自ずと起こした行動に差異は無かったやもしれない。
「ハア!」
結果として、恐怖に歪んでいた相貌を我欲に換えた若者は取り落としかけていたナイフの柄をしっかと握り締めると1歩、明確な我意に従って踏み出した。暗示と我執が複雑に絡み合った脳裏には、ただ『獲物』を前にして滾る『捕食者』の意志に従って体を動かすことしか、若者には残されてはいなかった。
だから。
「・・・・・・・・・・・・フフ」
だから、若者は気が付けなかった。
サラサラと流れる銀髪の中、血のように紅い相眼が、三日月のようにキュウと曲げられていたことに。
どちらが『獲物』で、どちらが『捕食者』かということに。
夜陰仕事人と夜歩く者 駒井 ウヤマ @mitunari40
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