とある被災地の瓦礫跡で
わたしは2011年3月11日午後2時46分の出来事を、生涯忘れることはないだろう。
今年11月1日に、防災庁設置準備室が発足した。
日本が世界に例がないほどの“災害大国”であることを、改めて周知された事であろう。
将来の防災対策は、過去の資料を精査することによっても、有効的な対策をすることが出来る。
東日本大震災では“想定外の津波”と報じられてきたが、果たしてそうだったのだろうか?
例えば岩手県三陸沿岸の各所には、明治や昭和初期に起きた地震の被害が石碑に刻まれ、当時の地震・津波被害を克明に知ることが出来る。
古い物では貞観11年(869年)の石碑が有名であり、標高10メートルの高台に設置された石碑には、当時も多数の被害者を出した無念さと、将来に向けて語り継ぐべき内容が記されていたと伝えられる。
「此処より下に家を建てる勿れ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしは当時、東日本大震災の被災地の取材に赴いた。
発災から一週間を於いての取材であったが、当時の被害は筆舌に尽くしがたい。
何故なら本来取材すべき対象自体が、何も無い状態であったからだ。
全ては瓦礫の下に埋っており、人々は仮設の避難所に身を寄せ合っていた。
取材スタッフは他社と協力して、ボランティア活動に従事するのみであった。
取材も二・三日と限られた期間のみ行われて、後ろ髪を引かれる想いで帰社を余儀なくされた。
そして次に取材に訪れることが出来たのは、発災から半年が過ぎた頃になってからである。
理由の一つは、仮設住宅の建設の遅滞にあった。
発災後三ヶ月の仮設住宅は五千戸にも満たず、六か月後に五万戸の整備が整ったからである。
更に支援物資の配給が、計画的に行えてなかった事もあり、とにかく支援物資を山積みにして被災地に向かった。
被災された方の声を汲み取る取材は、正直に心を痛めた。
語られた体験談は、どれも身に詰まされる話ばかりであったからだ。
取材というよりは、被災者の声を耳にして、ただ寄り添う事しか出来なかった。
それでも被災地の生の声は聞くことが出来た。
しかし取材の内容は次第に不思議な方向に進むケースが、多発するようになっていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
とある漁師の方に、水産被害の現実を伺った。
多くの漁師さんは持ち船が流されて、物流も途絶している状況では漁の再開は難しいとの悲痛な想いを語ってくれた。
また原発関連の風評被害も、大変深刻な問題であった。
最後に付け加えるように、こんな話を語ってくれた。
漁師さんたち自身もボランティアとして、海中のご遺体を引き上げる作業に加わったのだと言う。
陸前のリアス式海岸には、急に深くなる様な箇所がいくつもある。
日頃からこの辺りの海底の地形を把握している地元の漁師さんですら、発災後は瓦礫で海底の地形も想像と、大分異なっており作業自体が難航を極めた。
或る時、海底に流れ出た瓦礫の下から、ご遺体を発見したのだと言う。
そこで早速引き上げの為、新しい酸素ボンベを背負い、再び発見現場に潜った。
海中は普段よりも視界が悪く、日中でも懐中電灯頼りの捜索であった。
やがて発見現場に戻ると、目印を付けた個所のご遺体を引き出そうとしたそうだ。
そして慎重に引き上げようとした瞬間に、暗い海中の瓦礫の中から、無数の手が伸びてきたのだと言う。
余りの事に、ご遺体を引き上げられずに船に戻り、ご遺体の場所を警察に連絡した。
後日、漁師さんの見つけたご遺体は、自衛隊の手により引き上げることが出来たことを知ったそうだ。
「私はあの場を離れてしまったことが恥ずかしい。あの手の中には見知った人の手が有ったに違いないのだから」
そう言うと、私の背後を見詰めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
タクシー運転手の方の話を取材した時には、やはり燃料や道路事情のため十分な業務が行えない事を嘆いていた。
集落によっては高齢化が進み、どうしても日常の足が必要なのだ。
そのタクシー運転手さんは、半ばボランティアの積もりで仕事をしているのだと語ってくれた。
最後にこんな話を付け足した。
「いつも決まった場所で、全身ずぶ濡れの女の子を
やはり背後を指さして、こう言った。
「その子と同じ様に…」
わたしは背後を振り返ると、全身ずぶ濡れの少年がそこに立ち尽くしていた。
しかしタクシー運転手の方が言う様に、恐怖心は余り無かった。
いつも身に付ける様にしていた念珠を手に取ると、厳かにお弔いの経文を上げた。
しかし、少年は静かに首を振ると、遠く瓦礫が堆く積まれた土地を指さした。
わたしは荒れ果てた瓦礫の街を見遣り、視線を戻すといつの間にか少年の姿は無くなっていた。
わたしはこの時語られた、タクシー運転手の方の言葉が忘れられない。
「この街には、未だ成仏できずに一生懸命に自宅を探している幽霊さんが大勢います。しかし今の男の子は、やっと自分の自宅を見つけたようです」
タクシー運転手の方は、改めて帽子を被り直して、タクシーに戻って行った。
わたしは立ち去るタクシーに向かって深々とお辞儀すると、改めてお経を読み弔った。
やっと帰宅出来た事へのお弔い、お祝いの意味も込めて。
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