とある民泊の映写室で
わたしは仕事の都合で、G7サミットの取材で広島に居た。
今回のサミットには世界の目が注がれており、様々な関心が集まっていた。
先ず第一には、開催地が原爆の被災地『
更に今回は被紛争国である、ウクライナのゼレンスキー大統領の参加も噂されていた。
この分断の国際社会と、新たな覇権国家に対する国際メッセージがどう出されるのか?
その他にも、平和記念資料館の視察訪問も予定に入っていた。
このG7広島サミットの結果は、近年形骸化しつつあったG7の枠組みに、新たに『国際法と秩序の順守』との文言が加えられて、意義深いサミットであった。
この期間はサミットの特別警護体制や各国のメディアなどの宿泊が優先されていて、この日の宿は民泊することとなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
予約した民泊先は小振りの洋館で、趣きがある宿であった。
(外国からの関係者は、昔ながらの日本家屋の方が受けが良いんだろうな)
わたしはお風呂で当日の汗を拭い、夕食を戴いた。
その後に少しばかり、手隙の時間が出来たので、洋館の探索を始めた。
すると片隅の部屋から、音が漏れ聞こえてきた。
どうやら八畳ほどの本格的なシアタールームが設えており、中からは戦前のモノクロ映像が流されていた。
中には宿の老主人が鑑賞しており、私に気が付くと気軽に一緒に見ていかないか?と招待してくれた。
わたしは有難く、老主人の隣に座り映像に見入っていた。
一編の映像は短く、音声が入っている物や無声映画など様々であったが、作品はどれも新鮮でそれなりに楽しむことが出来た。
ものの30分が過ぎただろうか?映像が全て終了した。
宿の老主人が、何か気に入った者が有れば映像を流すと言って、映像ギャラリーを見せてくれた。
そこには本格的なモノクロ映画から戦前の上方落語など、様々なインデックスが張られたリール缶が整然と並べられていた。
その中にひとつだけ気になる映像リール缶が目に入った。
「…高等学校、高等女学校々歌斉唱ほか…」
妙に気になり、宿の老主人にこの映像も見て良いか?聞いてみた。
老主人は懐かしげに手に取ると、わたしに一言訊いてきた。
「これから映像を映しますが、必ず最後まで見て頂けますかな?」
なにか謎かけの様に聞かれた、その質問に対して、わたしは知らず知らずに深々と頷いていた。
暫らく後に映写室から老主人が戻って来ると、わたしの隣に腰掛けていた。
スクリーンが明滅してやがて映像が流れだすと、学生服に身を包んだ若い男女十数名が港の埠頭に飛び上がって登り、一列に並ぶと誰かの指揮に視線を移して高らかに校歌を斉唱した。
一番を歌い終わると、お互いに目線を配り、校歌の二番を歌い出した。
暫らくすると画像が真っ白になり、歪んだ爆音が鳴り響いたかと思うと、一陣の砂煙が舞い上がった後には、その画面から生徒たち全員が姿を消していた。
わたしは当初、映像の意味が分からなかった。
更に別の映像が流れた。
略式の結婚式であろうか、二十歳そこそこの男女が映し出された。
男性は新品の着慣れていない軍服を着て、隣の女性はお化粧をして、控えめな白いドレスを着て幸せそうに笑顔で、お互いの顔を見詰めてはカメラに顔を向けていた。
次の瞬間、やはり画面はホワイトアウトした。
そして次から次へと街なかの何気ない日常や記念映像とともに、画面がホワイトアウトしていく。
中には独特のノイズが入って途切れる映像も混じっている。
その映像を見ている内に、何を写したものか気が付いた。
そして自分の目頭も熱くなるのを感じた。
隣の老主人も目に涙を浮かべて、その映像に思いを馳せている様であった。
わたしは直ぐに映像に目を戻したが、状況を理解すると次から次と映し出される映像が、どれも当たり前の日常が一瞬に終わりを告げる瞬間だった。
(きっとこの瞬間に、原爆が投下されたのであろう)
わたしも広島原爆資料館で、いくつもの写真や映像を目にしていた。
その映像のほとんどが加害者側や、原爆投下から一定期間経った撮影によるものだと改めて気付かされた。
もちろん原爆投下後の被災のほうが現実として、悲劇的だったかも知れない。
しかし、あの映像の後の人々は何処に消え去ってしまったのだろう?
あの誇らしげに制服を着込んだ生徒たちは、あのあと何処に召されたのだろうか?
わたしの頬には、幾筋もの涙が滴り落ちていた。
やがて映像は脈絡なく終わりを告げた。
「こんな貴重な映像を拝見をさせて頂き、ありがとうございました」
お礼を言いつつ、隣の席を見ると老主人は居なかった。
(映写室かな?)
わたしは後方の映写室を覗き込んだが、誰も居なかった。
部屋を出て辺りを見渡すと、民泊の受付をしていた夫人が訝し気にこちらにやって来た。
「この部屋の明かりを点けられたのは、お客様ですか?」
わたしは素直に答えた。
「わたしは老主人…お父様でしょうか?一緒に映写を見ないかと誘われ、拝見していました。どれも素晴らしい作品でした」
すると夫人が説明した。
「ここの民泊の経営は、私が一人で行って居りますし…父も七年前には亡くなっておりますわ」
そして映写室を見ると感心したようにわたしに尋ねた。
「ここの映写機は古い物で、動かすには専門的な知識がいるのですが、綺麗にリールも巻き戻されているのですね」
「いえ、わたしはあの老主人に招かれて映像を見ただけで、こんな立派な映写機など初めて目にします」
二人の間に暫らく、沈黙の時が過ぎ去っていった。
やがて夫人は奥に下がると、一枚の写真立てを手に戻って来た。
「この人に見覚えは在りませんか?」
手渡された写真を見ると、先程まで隣に座っていた老主人だった。
それを聞くと夫人は、静かに思い出すように呟いた。
「この写真に写っているのは、私の父で…こうして集めた被爆の映像を伝えるのをライフワークにしておりました」
わたしはそんな話にも怖さなどは感じずに、寧ろ感謝で一杯になった。
改めて、夫人に仏壇にお線香を上げても良いか尋ねた。
夫人はどうぞと仏間に上げて頂いた。
お線香を点すと、唯々手を合わせて貴重な映像を見せて頂いたことに、感謝の念を込めてお祈りした。
仏壇の脇には、あの学生服の少年少女の写真が飾られていた。
翌日、出立前に一枚の折り鶴を作ると、部屋に置いて次の仕事場に向かった。
昨日の不思議な体験と共に、こうした被爆体験が語り継がれることに対するささやかなお礼の積もりであった。
そして…いつの日にか、そんな必要すら無くなる日…核兵器が無くなる日が訪れるのを願わずには居られなかった。
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