『とある記者の取材先で』短編集
そうじ職人
とある葬儀の邸苑で
わたしが記者として、駆け出しだった頃のことだ。
地方を取材で飛び回っていた時に、携帯電話にコールが有った。
当時はまだスマホが一般的に出回っていなかったのだ。
取材先で電話を受けることは度々あるのだが、今回は取り敢えず留守電に切り替えておいた。
都内の会社に戻ると、本日の留守電のチェックをした。
何故なら、たまに特ダネの一報が入っているかも知れなかったからだ。
留守電には一本だけ電話番号の無いメッセージが有ったが、非通知でもなかった為にそのままにしておいた。
翌朝、自宅で携帯電話の着信音が鳴った。
そのディスプレイに表示されたのは、この仕事を斡旋して頂いた恩師の名前と電話番号だった。
慌てて通話に切り替え、丁重に電話に出ると恩師の奥様からであった。
涙声からか、途切れ途切れお話しされる内容は、纏めると昨日恩師が亡くなったとの事であった。
謹んでお悔やみ申し上げると、お通夜は身内と高名な先生方で済ませるため、お葬式には是非出席して欲しいとの事であった。
お葬式は休日の日曜日に、恩師の邸宅で執り行われた。
恩師のお宅は豪邸と言える広さがあり、庭も相当の広さがあった。
その日呼ばれた僧侶は当時、霊能力が強いとの噂でテレビ局でも露出度の多い僧侶であった。
普段は有名スポーツカーを乗り回すことで有名で、局の駐車場で車を見掛けることも度々あった。
但し、葬儀の折りは当然のことながら、普通車で訪れる。
この日はお供の僧侶三名が同伴していた。
葬儀の折りに初めて生の読経を聞いたが、他の僧侶と一線を画す迫力を備えていた。
(霊能力の話も、あながち嘘ではないかも知れないな)
葬儀がひと段落すると、親族に対して法話を語る。
わたしは恩師の奥様から、親族と一緒に法話を聞いて欲しいと頼まれていた。
どうやら御祓いの様な事も一緒に頼んだそうだった。
一階に在る広間に僧侶を招くと、親族とわたしの前で除霊の儀式の準備を始めた。
僧侶は大きな水晶玉をテーブルに据えると、葬式の時とは異なる経文を大声量で読み上げた。
その最中、わたしは邸苑を囲うように配された植木の傍らに佇む、とある一点から目が離せなくなってしまった。
やがて経文を読み終わると、二本指で部屋の四方を祓う様な所作を行いながら、大きな声で言い放った。
「喝ぁーつ!」
一連の御祓いが終わった後に一同をテーブルに呼び付けて、大きな水晶玉を覗き込むようにして、御祓いの結果を告げた。
「この邸宅には多くの狐が取り憑いております。先程、大方は除霊しましたので大丈夫でしょう」
喪主である恩師の奥様は、お礼として葬儀とは別途で包み紙を渡していた。
僧侶たちが帰宅した後、恩師の奥様はわたしに尋ねられた。
「何か見えておられましたね。庭のあの辺りを一心に見詰めておられましたから」
本日は恩師からわたしの事を聞いていたから、呼ばれたに違いない。
わたしはずっと庭の一点に佇む、恐ろしい形相をした落ち武者が、邸内を恨めしそうに見ていた事を伝えた。
落ち武者は、髷を解いてザンバラ長髪で、着流し姿の年若い侍であった。
恩師の奥様は大きく溜息を吐くと、わたしにだけ付いて来るように言った。
連れて来られたのは、一階の納戸だった。
そこは誰が入っても良いように、綺麗に片付けられていた。
「もしあの僧侶が、あなたと同じ様なことを仰ったのなら、ここにお通しする予定でした」
すると納戸の一番奥には物入れがあり、その扉の取っ手には針金でシッカリと固定されていた。
「この針金は主人が取り付けたものですわ。あまりに危険だと言うので。しかし庭に見たというのなら、こんな針金は意味ありませんでしたね」
そう言うときつく巻かれた針金を解こうとした。
わたしは奥様が怪我されない様にと思い、変わって解いた。
「この中を覗くなら、あなたか?信頼できる除霊師と共に開けるようにと、主人から言付かってました」
その扉を開くと、奥の板には血の様に真っ赤に浮き上がった落ち武者の姿をしたシミが、目に飛び込んできた。
恩師の奥様もワナワナと震えだして、掠れるような声で呟いた。
「シミが以前よりもハッキリと浮き上がっていますわ」
床には未だ乾いた土が付着した、小振りの岩が置かれていた。
わたしはこの岩について聞いてみた。
「三年ほど前でしょうか?庭の改装で掘り返した時に出てきた岩で、この岩を退かした職人数名が、病に倒れたそうです。職人はこの手の迷信を固く信じる者も多くて、直ぐに別の業者が庭の改装を終えましたが、この岩だけは引き取れないと言われ、それ以降この納戸に仕舞い込んだのですわ」
わたしは先程の僧侶から感じた圧力よりも遥かに大きななにかに恐れ、直ぐさま護身用の読経を唱えた。
少しだけ納戸の空気が変わったのを感じたので、奥様に岩を拝見してよいか尋ねた。
「はい。今まで重いやら恐ろしいやらで、よく見たことはございませんでしたので、よろしくお願いいたします」
奥様は静かに頭を下げられた。
私は弔辞用のハンカチで岩の汚れを丹念に落としていった…すると、なにやら文字のような物が彫り込まれていた。
そこには永禄または文禄との年号と、佐〇何某の戒名のような文字だけが微かに読み取れた。
「永禄または文禄と云えば、天正年間の前後です。戦国時代で名だたる武将が戦乱で命を落としました。元々あそこに在ったお墓かも知れませんし、土砂に紛れて埋まったものかも分かりません。しかし先生をお弔いする意味でも、この岩も専門家に任せてお祀りなさった方が良いと思います」
改めて納戸の扉の奥に浮き出たシミを見詰めた。
人間は三つの点が人の顔に見えたり、人型ほどの大きなシミが人の姿に置き換えて見えてしまう、所謂シミュラクラ現象というものが有る。
これは人間の本能が脳に間違った情報を贈ることによって起きる。
しかし大抵は○○に見えるなど、あやふやなものが多い。
但し、わたしの直感が訴えた。
(これは本物だ)
わたしはこの板のシミに対しても法事に持ってた数珠を手にして合わせて、同じ様に弔いのお経を上げた。
数日後、恩師の奥様から連絡が入った。
納戸は改装で取り壊し、墓石は元あった場所に祠を立てて、専門家の手によって懇ろに弔ったとの事であった。
何かホッと肩の荷が下りた気がした。
すると携帯電話の着信音が鳴った。
直ぐに手に取ったが、着信は切れてしまった。
念のため着信履歴を調べたが、今鳴った着信履歴は何処にも無かった。
そこでフッと、恩師が亡くなった日に残された留守電を、未だ確認してない事に気が付いた。
早速履歴を辿って、電話番号の無い録音を聞いてみた。
「サァーッ…ありが…た…プツ・プーッ、プーッ、プーッ」
昔の携帯電話は録音時間が短かったこともあるが、音質は今と然程変わらないほど良質だった。
それでも聞こえたのは、掠れた男性の声だった。
あの声の主が、無き恩師が残してくれたものか?
それとも時間的には前後するが、落ち武者の霊からのものだったのか?
今となっては分からない。
何しろ再生後何度探しても、あの留守電の音声記録は何処にも無くなってしまったのだから。
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あとがき
本作はフィクションです。
但し、実話に基づいて再構成した作品です。
世に恐ろしいのは、異界の魑魅魍魎の類などでは無く、人間の欲や見栄の類であると考えます。
因みに信教の自由や特定の宗教法人を非難するものではありません。
今回は偶々実話に基づいたため、特定の宗教が語られているだけに過ぎません。
宗教に限らず、他人に優しく在れる『徳』が再評価されるような世の中を、切に願います。
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