ハルへの手紙

吉珠江

ハルへの手紙



ハルへ



 君がこの手紙を読み、全てを理解するころ、僕はいなくなっていることでしょう。

 この街は解体されることとなったのです。


 真実を知った君は、怒りに打ち震え、君から長い時間を奪った僕を世界のどこかから見つけ出し、殺してやりたいと願うかもしれません。

 そうなっても仕方が無いことを、人間は精霊に、僕は君に、してしまった。

 ごめんなさい。僕がしたことも、それを直接謝らず、立ち去ることも。

 それから、身勝手だけれど、そばにいてくれてありがとう。


 君がいたから、僕の人生は幸せでした。




 精霊族は本来、人目に触れず生活する神秘の種族でした。水や風の魔力を司り、時に病や災いを退け、時に豊穣をもたらし、そして気まぐれにイタズラもする、僕らよりも一つ上の次元にいる存在で、滅多に姿を現しません。

 古来より、生け贄や、己の魔力を供物として精霊を呼び出す儀式はありましたが、これも精霊と召喚士の合意のもとになされる現象であり、正式な契約によって行使される魔法でした。

 見目麗しい精霊を呼び出す召喚魔法は、魔道士にも、そうでない者にとっても、憧れの的となる花形でしたが、精霊と契約を結ぶには実力と運が必要で、あらゆる魔法の中でも最も難しいとされていました。


 ですが、魔法の研究が進む中で、〈魅了〉という魔法が発明されたのです。


 相手の意識をコントロールし、自分に好意を向けさせる魔法です。

 元はと言えば精神病の治療や、事件が起きたとき、容疑者の自白や事情聴取をスムーズに行うことを目的とした、精神魔法の開発中に見つかった副産物で、対象の精神を乗っ取ってしまう危険性から、人間に対しての使用は早々に厳しい規制が敷かれました。


 問題はこれが、精霊にも有効だと発覚したことでした。


〈魅了〉を精霊に行使することで、精霊の精神を乗っ取り、自由に使役することが可能になったのです。精霊族は魔力の器の割合が大きい分、魔力を受けたときの影響も大きくなるようで、人間よりも顕著に〈魅了〉の影響を受け、次々と姿を現すようになりました。幸か不幸か〈魅了〉で操られる精霊は、精霊の中では影響が微弱で、自然災害をもたらすようなものは滅多にいませんでした。


 やがて、精霊を操りペットにすることが流行になったのです。


 もともと精霊は自然の使いとして敬われるものでしたから、国や州によってはすぐに禁止となりました。この国でも最終的に、許可無く〈魅了〉で精霊を呼ぶのは違反になりましたが、生活の中で精霊達がもたらしていた喜びや癒やしは大きく、その恩恵を完全に無くすのは困難でした。

 精霊の愛玩を全面的に許可することは難しくとも、例えば病人や心を育む段階にある子供たち、寂しい思いをしている老人などに、精霊を寄り添わせることはできないかという意見も多く、一部の医療機関では〈魅了〉をかけた精霊が治療の手段に採用されていました。国も、精霊と人間が共生することを、人道的な範囲で実現できないか検討を重ねていました。


 そして、“精霊と共に暮らす街”が作られたのです。


 精霊と共存する街を実験的に運営し、どんな影響をもたらすか、どうすればトラブルを減らせるかを試すことが目的でした。

 僕と君が暮らした街です。

 五年前、精神病を患っていた僕は、精神病患者のサンプルとしてこの街に移住しました。そして僕の医療用にあてがわれた精霊が、君だったのです。




 出会ったばかりの頃を覚えているでしょうか。それとも〈魅了〉が解けたら、君はその間の記憶を失ってしまうのでしょうか。〈魅了〉の影響は個人差があるので、どちらかわからないですが、初めて出会った頃、君に、とても冷たく当たってしまいました。

 本当にごめんなさい。


 身勝手に塞ぎ込む僕に、君はずっと寄り添ってくれていました。料理をしてくれたこともありました。僕たちの味覚は随分と違うようで、最初は肉が生のまま盛られていたり、木の芽や枝が入っていたこともあったけれど、僕の味覚に合わせようと頑張ってくれた。

 僕も君に料理を教わりました。精霊の食べるものを、上手に調理できていたかわからないけれど、一生懸命作ったものを笑顔で食べてくれる姿に、とても心が和みました。


 人間の言葉も学んでくれた。賢い君は文章をどんどん読めるようになっていたし、僕の話もほとんど理解してくれていました。短い言葉なら発音できるようにもなって、この街に移住して、初めて働きに出るときに言ってくれた「いってらっしゃい」にどれだけ励まされたことか、きっと君には想像もつかないと思います。

 今思うと僕も、精霊の言葉を一つでも学んで、君に聞いてもらえたらよかった。僕は君からもらってばかりでした。


 五年前の僕は、もう死ぬ以外に道は無いと思っていました。どこへ行っても上手くいかず、人に拒絶される前から傷付く妄想をしては、それがもし現実になったらと酷く恐れていて、結局全てから逃げ出して、自ら居場所を失っていました。敵ではない人を敵だと思い込み、愛してくれていた人を、嘘つきだと決めつけていたのです。そして幸せそうに街を歩く人たちを妬み、政治や社会を強く憎んでいました。


 僕は、酷い人間でした。

 君がいてくれたから変われたんです。


 君が毎日、花を摘んできてくれたから。何も言わずに寄り添ってくれたから。今まで僕以外の景色は、僕を置いて変わっていってしまったのに、君だけが変わらずに隣にいてくれた。その時に芽生えた感情を、壊してはならないと思った。壊してしまったら本当に、人として大切なものを失ってしまう気がしたのです。


 それから少しずつ、前を向けるようになりました。外に出るようになって、久しぶりに人の顔をちゃんと見て、話を聞いて、僕も自分のことを、ちょっとずつ話せるようになった。隣にはいつも君がいてくれました。人付き合いが上手くできずに落ち込んだときも一緒でした。その時ひとりぼっちじゃなかったから、何度でも人と関わろうと思う勇気が持てた。おかげで働けるようにもなって、尊敬できる人も、尊敬してくれる人にも出会えて、僕は生まれて初めて、働くことを楽しいと思いました。


 でも全ては、君の自由を奪って得たものです。

 僕らは、君たちを洗脳していました。


 君たちの意思や思考を、愛する人を選ぶ権利を、憎い相手を捨てる自由を奪って、僕らに好意を抱くよう仕向けたのです。どんな酷いことをされようと、君たちは逃げ出すことも反抗することも許されず、愛情を延々と搾り取られる呪いをかけていた。〈魅了〉は心を踏みにじる魔法です。人間への使用がすぐ規制されたように、君たち精霊にも決して使ってはならなかった。




 街が解体されるきっかけになったのは、精霊が人の命を奪ったことでした。


 何かのきっかけで精霊にかけられていた〈魅了〉が解け、我に返った精霊は、一緒に暮らしていた人間を殺害しました。すぐに国の魔道警察がやってきて、件の精霊は消滅されましたが、その精霊は、殺された被害者から日常的に暴力を受けていたといいます。

 後に実施されたアンケートで、一部の家庭では同居する精霊に暴力を振るい、暴言を吐いていたことが明らかになりました。そして悲劇を繰り返さないため、街は解体が決まったのです。


 でも、あの事件は、当然の報いだったと思います。

 被害者がしたことは罪深い。

 それから、僕が君にしたことも。




 僕は、君の心を、五年ものあいだ踏みにじり続けたのです。長い時間を奪い、笑顔も優しさも嫌う権利も搾取し続けた。君にとっては地獄のような五年間だったかもしれない。なのに僕はそれを想像さえせず、君に救われ続け、職と友を手に入れ、人生を再起しようとしている。

 ごめんなさい。

 僕に全てを与えた君は、僕から全てを奪っていい。この手紙を読んだ君が、全てを思い出した君が、僕を殺しに来たって、それは当然のことです。

 ごめんなさい。

 君が僕を殺しに来たとしても、僕はきっと、君を好きでいてしまう。



 ハル。



 もう、願う権利すら無いかもしれないけれど。

 今、目の前で笑っている君が、今度は、本当に大好きなひとといられますように。

 君自身の、君のその心で愛せるひとと、共に生きていけますように。

 今の僕に、それ以上望むものはありません。

 その願いを叶えるためなら、全てを捧げてもいい。



 君がこの先、素直な心で生きていけますように。

 君の心が、これ以上、踏みにじられることがありませんように。



 どうか元気で。






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ハルへの手紙 吉珠江 @yoshitamae

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