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 歩きながら、あの重要アイコンの付いた一通を開ける。管理局長様直々の署名付き。これか……。

 会議室に入ると、メールを読み終わるのと、特大の溜息をつくのと、崩れ落ちるように椅子に腰掛けるのが同時だった。嘘だ。誰か嘘だと言ってくれ。

 机に伏して頭を抱えると、ドアを閉めた室長がすぐ隣に腰掛ける気配がした。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。

「大丈夫? ランジャ君。まぁ、驚くのも無理ないけど……。今までソロ系が選ばれた前例がないから、私も驚いてるの」

 そっと肩に置かれた華奢な手が温かい。あぁ、こんな状況でなきゃ最高のシチュエーションなのに。

「……ですよねぇ。頑丈なデュオ系ですら帰還者ゼロなのに」

 ゆるゆると体を起こすと、もう一度メールを開いてみる。間違いなく書かれている市民番号は俺のものだ。

 しかも、管理局長の署名の下には、行政セクションとライブラリと、さらに上位組織であるアーカイヴのそれぞれの長の署名が並んでる。

 単なるミスであればその中のどこかの部署でチェックが入る筈だ。逃げ場無し。何だか全身から血の気が失せて目の前が真っ暗になって来た。

「実は……一人だけ、帰還した例があるの」

「え! 本当っすか?」

「ポート、開けてくれる?」

 前髪を掻き上げると、眉間のアイコンに細い指先が一瞬触れ、かなり重たいファイルが入って来た。古い画像の山とID、アーカイヴ印の厖大なファイルリスト。

 連絡員の名はソーセン。拝命は五十年前だ。記録上はデュオ系だが、顔立ちはソロ系に近い。理知的で穏やかな学者然とした風貌。

 極めつけは二十一年前の管理資料だ。彼は一度帰還した後、再び地上に戻っている。厖大な地上世界の情報と引き換えに、アーカイヴから盗み出した大量のデータを携えて……。

「こんなもの一体どこで使うんだ? 地上は原始時代だろうに」

 今も生きてりゃ七十歳も半ば頃だろうけど、老後の楽しみにしちゃ量が半端ない。それに、研究施設ならアルコロジーのほうが充実してるだろう。

 手前味噌だがライブラリだってあるし、一部だがアーカイヴのデータセクションだって、登録さえすれば一般に開放されてる。わざわざ地上に持ってく必要など無いだろうよ。

「アーカイヴにとっては一大不祥事だから、表向きには無かった事にされてるわ。まぁ、ファイル自体はオリジナルが残ってるから支障はないのだけど、問題は物理資料なの」

「SyR-Dエンブリヨ……? 何すかこれ」

「インデックスしか残ってなくて……今となってはそれが何なのか判らない。危険な物じゃなければいいけど」

「い、嫌だなぁ。縁起でもない」

 無理やり引き攣った笑いを浮かべてみるが、彼女の眼差しは真剣なままだ。

「だから、アーカイヴでは歴代の連絡員に彼の、ソーセンの情報を極秘裏に探ってもらうことになってるの。出来れば資料も取り返してもらいたいところなんだけど……」

「未だに手掛かりは無し?」

 強く頷く彼女。あぁ、お願いですからそんな縋る様な潤んだ瞳で見ないで下さい。

「管理局にとって、地上での情報収集は連絡員だけが頼りなの。もし事前調査に必要なら、アーカイヴの鍵も登録するわ」

「アーカイヴの鍵!」

 「先史時代」の墓標にして、選ばれし者にのみ許される禁断の扉。俺のような平職員じゃ、こいつを拝むのに向こう十年は軽く掛かる。あまりの重責に心なしか眩暈がして来た。

「じゃ、管理局と上に申請出しておくわね。何か、大変そうだけど大丈夫?」

「えーあー……はい」

「明日からのスケジュールも立て込んでるようだし、今日は帰って休んだほうがいいと思うわ。業務引継ぎの件は、メールしておくから時間のあるときにでも目を通しておいてね」

 半ば放心状態の俺をよそに室長は言いながら席を立つと、一度だけ心配そうに俺の顔を覗き込んでから、静かに部屋を出て行った。




 それからどうやって家に帰ったのか覚えていない。

 事情を知った友人たちから何通かメールも来ていたようだが、タイトルだけ斜め読みして放ったらかしだ。

 気にかけてくれるのは有り難いけど、今はそっとしておいて欲しい。

 そんな感じで、ここ数日何をやっても上の空ではあったけど、取り敢えず、管理局から送られて来たスケジュール通りには動いていたらしい。気が付くと、医療セクションのラボに居た。

「すごぉい。ライブラリの職員さんなんですね」

 通り一遍のバイタルチェックを終えて、シャツのカフスを留めながら待合室に戻ると、俺を待っていたらしい白衣の女性スタッフが、開口一番はしゃぐ様に言った。

 緑色の真ん丸い目がくるくる動く、元気いっぱいのデュオ系だ。

「えーあー、まぁ平職員ですけど」

「何か勿体無いですねぇ。人手不足とは言え、連絡員にソロ系だなんて。あ、こちらですぅ」

 案内されたのは、まだ新築の匂いがする部屋だった。真新しい機材が並んだ奥に、新品のクレイドルが据え付けられている。

 ソロ系を地上に出すのは初めてだとかで、それに合わせてわざわざ新調したらしい。

 まったく、今まで通りにデュオ系を選んでおけば、こんな手間を掛けずに済む話だろうに。ご苦労なこった。

「今日の予定はツール二十三件、鍵一件のインストールと、リカバリセル二種の生成と、表面処理だそうです」

「はぁ、そうすか。……表面処理?」

「地上は大気の組成とか、紫外線量とか、環境粒子の濃度とか、こことはちょっと違うみたいですから」

「向こうにもあるんだ。環境粒子」

「元々先史時代に地上で使ってたものらしいですよ。でも今は制御システムが無いから、ほとんど働いてないんじゃないですか? 場所や時間で気温差激しいみたいだし。ソロ系は影響受けやすいから強化するそうです」

「へぇ。肌の色とか変わんの? 髪は黒がいいな俺」

「あはは。色は変わらないですよぉ」

「何だ。残念」

 彼女の操作でクレイドルの蓋が開く。中に満たされている溶液は、どこぞの怪しい代物と違って無色透明でさらさらしていた。

「何だかお疲れみたいですけど、ちゃんと眠れてます? 回復系酵素追加しておきますね」

 そういえばここ数日、いつ寝ていつ起きたのかも覚えてないし、メシも食ってるかどうか判らない。疲労だけはしっかり溜まってるので、回復してもらえるのは有り難い。

 彼女に促されて服を脱ぐと、溶液にゆっくりと体を浸す。あぁ適温が心地いい。

 体中に液体が浸透するような感覚。目の前を細かい泡がせわしなく立ち昇って行くのを眺めていると、次第に瞼が重くなって来た。

「完了まで大体一時間半ぐらいです。ではごゆっくりぃ」

 彼女がひらひらと手を振りながら静かに蓋を閉めると、ほぼ同時に意識が遠退いた。




 さて、大して出世もしないうちにアーカイヴの鍵を手に入れた訳だが……。

 あんな感じで何日もぶっ続けで体中弄くり倒されたところで、漸く開放されて週末が来た。

 不本意ながらも毎日クレイドルに浸かってたお蔭か、体調はすこぶるいいのだが、特段前向きに何かしようと思う様になった訳ではなく、何かしてれば気が紛れる式の考えで職場に向かった。

 週末のライブラリは、一般の利用者で思ったより賑わっていたが、さすがに職員の姿は受付嬢以外見当たらない。

 アーカイヴに行きたい旨を伝えると、専用の一人乗りエレベータに案内された。

 乗り込むとドア脇のパネルに、一般開放フロアだけでなく全館の案内が表示される。鍵って凄ぇ……。

 一瞬、どこへ行ったらいいのか迷ったが、地下最下層に「管理情報」の文字を見つけると、そこに触れた。

 数秒後に到着。ドアが開くと、ピリッと乾燥した空気が流れ込んで来た。

 押さえ気味の照明の中、フロアの手前に並ぶ十数台の閲覧ブースには、所々灯りが点いていて、休日出勤らしい職員の姿を浮かび上がらせている。

 ここには鍵を持つ者以外誰も来ないせいか、一人として顔を上げる者は居なかった。

 適当な席に着き、起動した操作卓に触れると、市民番号と名前が表示される。

 フィルタも無しに不用意に潜り込むと、厖大なインデックスがドカンと入ってきて酔いそうになった。慌ててフィルタを掛け、検索モードに切り替える。

 「不正アクセス、大規模」で検索すると、意外にも二件の資料が引っかかった。一件は室長から聞いたソーセンの事件。もう一件は二七〇年前に遡る。

 何だこれ。大停電とほぼ同時期じゃないか。知らないぞこんな事件。

 おまけに、こいつに関するデータそのものが、断片的な情報を同じインデックスの中に放り込んだだけの代物で、整理もされていない様子から、当時の混乱振りが窺えた。

 目ぼしいファイルを漁って、事のあらましを繋ぎ合わせてみた限りでは、どうやら大停電のドサクサに紛れての犯行らしい事は解った。

 外部から裏口を抉じ開けて不可侵領域に侵入。アーカイヴの一部を破壊して逃走か。

 ……ちょっと待て。「外部から」ってどう言うことだよ。アーカイヴは完全な独立性を保っていて、どことも繋がってない筈。

 データの移動には、シチ面倒くさくも物理的な手続きが必要な上に、ライブラリ職員でさえ、鍵を持ってなきゃここまで入り込めない。

 更には、保安セクションが誇る天才、ケルベロスの異名を持つヨルン三兄弟の手に成る鉄壁、通称「ヨルン・システム」も絶賛稼動中といった徹底振りだ。なのに「外部」って何だよ。一体どこだよ。

 ふと思い立って、犯人と目されている人物のIDを引っ張り出す。名前性別年齢容姿すべて不明。市民番号らしきものはあるが戸籍にも該当者無し。

 番号の前に付いてる「M249」てのは何だ。ここの住民なら「D630」だろう。まさか他のアルコロジーからの侵入か? 余計に有り得ねぇ……。

 ここ以外に十基あると言われてる都市も、交流が途絶えて数百年になる。とうの昔に壊滅したと聞いたぞ。

 他に手掛かりはないかと関連情報を検索すると、更に度肝を抜かれた。小規模ながら、この手の不正アクセスは年に数百件も起きてる。こちらも犯人は正体不明だ。

 度胸試しと称して、システムにちょっかい掛けて来る悪餓鬼どももいるにはいるけど、偽装IDを使って潜り込んだところで、内部からなら簡単に足が付く。

 それに、警告すら無視するようなタチの悪い連中は、補助脳を初期化されて医療ラボに泣き付いてる筈。

 だけど、こいつらは何だ? 9並びのIDなんて、普通ならエラー処理がいいとこなのに、自律的に動いてるのは何故なんだ?

 背中を一筋の冷たい汗が流れて行く。公表されて無いって事は、見ちゃいけないものだったんだろうか。あぁ、余計な脱線なんかしなけりゃよかった。

 好奇心は猫をも殺すというし、今日のところは切り上げだ。補助脳のバッファから溢れそうになってるファイル群をまとめて閉じると、ログオフして部屋を出た。

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