石使いランジャ
桜城静夜
その1.不本意な人事について
1-1
目が覚めると、筋肉痛が酷かった。
野生動物並みに行動的な同僚の、ほぼ無理強いに近い勧誘で、最近出来たスポーツクラブの体験コースに付き合ったものの、案の定、三日目にしてなけなしの筋肉が満遍なく炎症を起こしてる。
なーにが「基本動作はツールがやってくれるから大丈夫だよ」だ。日頃から動かしてないんだから結果は見えてるだろうに。生来の事務屋を舐めるなよ。
忌々しくも、件の体験版ツールは未だ補助脳に残ってはいるが、もうデリートするのさえ億劫。残り少ない気力なら、取り敢えず身支度に費やしたいところ。
軋む体を引き摺りつつもどうにか家を出て、停車場前のスタンドカフェで、毎度代わり映えのしない朝食を食ってから、テイクアウトのコーヒーを片手に通勤シャトルに乗り込み、定時三十分前に職場の自分の席に着いて、ローカルサーバに補助脳が接続したことを確認する。
そこまでは良かった。そこまでは昨日と同じ日常だった。メールフォルダの中身を見るまでは。
「重要!」などという大仰なアイコンが付いてるものに碌なものは無し。気にはしつつも、折角のコーヒーが不味くなるから一番最後に読むとして、作業の進捗だの飲み会のお誘いだの会議の報告だのクラブの勧誘だのといった、その他の雑多な二十件ほどにだらだら目を通していると、不意に肩を叩かれた。
鈍い痛みに呻きながらゆるゆる振り返ると、例の野生動物、同僚にして悪友のテューケンが、齧り掛けのホットドッグ片手ににやにやしながら突っ立っていた。
「よう! ランジャ。まさか筋肉痛? 」
「お察しの通り」
睨み付けて肩を竦めると、コーヒーを一口啜って溜息をつく。
「体中の筋肉が悲鳴上げてるよ。帰りに管理局の医療セクション行かなきゃ。公式ツールのアップデートもしたいし」
「あれ? クラブのクレイドル使わなかったのか?」
そういえばパンフレットに載ってたっけ。クラブの内装に合わせたケバケバしいデザインの機械仕掛けの棺桶に、妙な色の液体が満たされていて、それに浸かってる人気俳優似の色男が、親指立てながらわざとらしい薄ら笑いを浮かべる動画だ。
その横には「当社独自開発の何たら酵素で、細胞一つ一つをリフレッシュ!」などと胡散臭い文句が踊ってた。
「あぁ、あれね。溶液に何だか得体の知れない酵素使ってるみたいだし、補助脳に不具合でも出たら仕事にならん」
「おーぉ。デリケートなこって」
にやにやしやがって相変わらず能天気な奴だ。つい先だっても民間の美容クレイドルの店で不具合騒ぎがあったばかりじゃないか。
さっきもホールで立ち話してたウチの女子職員が、肌が荒れた! 訴えてやる! と息巻いてた。宣伝文句ばかりご立派でも、訳の分からない液体に体を浸す気にはなれないね。
「デュオ系はいいよなぁ。その体力と能天気をグラム幾らで分けて欲しいよ」
「体力何ざァ、週三でクラブに通えばすぐ付くさ。射撃のスコアは良かったじゃん。それよりも、お前らソロ系の発現率90%越えの補助脳のほうが羨ましいぜ」
奴は残りのホットドッグを口に押し込むと、丸めた包み紙を大袈裟なフォームで居室の隅のゴミ箱へ投げ込んだ。ナイスイン。
確かに、奴のような典型的なデュオ系人種に50%以上の補助脳が発現するのは稀だ。しかも奴は85%の高率で発現した、謂わば希少種。
おまけに身体頑健でスポーツ万能、能天気ともいえる陽気な性格な上に、今時流行りのダークヘア&ブラウンアイじゃ女どもが放っとかない。
100%の発現率も珍しくはない俺たちソロ系は、各種ツールとの親和性の高さから、事務屋としては重宝されているものの、色素が薄くて細身なお蔭で軟弱そうに見えるのか、そっちのほうはさっぱりだ。
いや、前言撤回。ソロ系でも、お人形さんみたいに綺麗とか言われて、モテてる奴はちゃんとモテてる。俺の場合は今までの経験から言って、不器用で口下手なのと面倒臭がりな性格が原因だ。……多分。
「まぁ、お互い無いものねだりだな」
「そう言うこと。それよりランジャ、面白いもの見つけたぜ。ポート開けろよ」
奴は言うなり後ろから俺の前髪をガシッと掴んで上向かせると、人差し指で眉間をコンコン叩く。
「痛て! 今度は何だよ」
すると今度は耳元に顔を寄せて声を潜めやがった。
「チゼル女史のアレなデータ」
「はぁ?」
俺が呆れて体を起こそうとすると、奴は笑いながら押し戻す。
「お前女史のファンだろ? この間の昼メシのお礼」
「何だよそれ。また変なデータじゃないだろうな。この前みたいなウィルス入りは勘弁してくれよ。早退してクレイドルに飛び込むまで、半日しゃっくりが止まらなかったんだぜ?」
「大丈夫だって。ちゃんと分離したから。やっぱアレ? 彼女、室長にそっくりだから?」
「分離……って、あのなぁ」
「まぁ、チゼルの再来と称されるライブラリきっての美貌の才媛じゃ、一山幾らの平職員にゃ高嶺の花だよな」
俺の女神を呼び捨てとは聞き捨てならん。彼女は「先史時代」の天才科学者にして、全アルコロジー市民の聖母だぞ。
彼女が提唱した理論なくして俺たちの存在は無い。ルシア・チゼル様とお呼びしたっていい位だ。
俺個人にとっても、アーカイヴ所蔵の資料で初めてご尊顔を拝した時に一目惚れして以来、特別な存在なのだから。
「百も承知。言ってくれるなよ」
「もうちょっとボリュームがありゃなぁ」
「あーぁ、受付のメラニ嬢とか?」
「いいねぇ。コレもんで」
奴は言いながらにやりと笑って両手で胸の形を作ると、ゆさゆさと揺すって見せた。やれやれ、これがフロア一番の色男のすることかね。
「まぁ、いいから開けろって」
仕方ない。まぁ例え「アレ」でなくともチゼル女史の御姿を拝めるのなら是非も無いし、渋々ながらもポートを開けることにする。
多分、今俺の眉間には爪ほどの大きさの、管理局の赤いアイコンが浮かび上がった筈だ。
そこに奴の人差し指が触れると、件のデータが補助脳に用意したフォルダに直接入って来る。スキャン済み暗号付き圧縮ファイル。
だが、インデックスを見て飲みかけのコーヒーを吹きそうになった。
「お、お前これアーカイヴの……!」
「心配ないって。不可侵領域超えたりはしねぇよ。俺だって、保安セクションにパクられるのも、ヨルン・システムに補助脳初期化されるのも御免だからね」
「俺はそういう事を言ってるんじゃなくて……」
詰ろうとした時だ。
「テューケン君、ちょっといいかしら」
少しばかり怒気を含んだ美しいアルトが部屋に響き渡る。見れば我等が女神、サリス室長が自席から手招きしていた。気付けばとうに始業時間を過ぎている。
「高嶺の花がお呼びだ」
奴は肩を竦めて見せると、頭を掻きながらそそくさと室長席へ向かって行った。サルベージ担当なのをいい事に、資料の横流しで小遣い稼ぎしてたのがバレたに違いない。まったく呆れた奴だ。こってり絞られて来い。
そりゃ毎日方々から送られて来る、物理資料やらデータやらの処理だけでも残業必至な作業量だってのに、さらに二七〇年前の大停電で壊滅寸前に陥ったきり、放ったらかしだった旧アーカイヴの復旧まで課せられてる状態じゃ、一つや二つチョロまかしたところでバレやしないだろうなんて考えに至るのも判らんでもない。
が、サルベージした時点で管理番号付きなんだから、こうなるのは時間の問題だろうに。サリス室長の言を借りれば、「ライブラリ職員としての自覚が足りなくてよ」だな。
すっかり冷めたコーヒーを諦め、メールチェックの続きに戻ろうと思ったが、やっぱり美女のファイルは気になる。
恐る恐る開けてみると、古い動画だった。「先史時代」のプレゼン資料のようだ。タイトルに「ジオヘヴン社」とある。俺たちの暮らすアルコロジーを作った企業だ。今でも管理局はそこが運営してる。
動画を再生すると、まだ計画段階のアルコロジーの完成予想図が現れた。整然と並ぶビル群。賑わう市街。天井を覆うパネルに投影された晴天の下、美しく整備された公園では花々が色を競い、小鳥が囀る。
百万都市を丸ごと缶詰にして地下大深部に埋めた、人類最後の砦。当時の先端技術の粋を集めた運営システムによる、地上と変わらない環境下での快適な生活というのが売り文句だ。
程なくして、各分野の専門家と目される老若男女が順番に解説を始める。面倒臭いので早送りにすると、女神様は五人目に現れた。
シックなスーツに包まれた魅惑的な曲線。透き通るような白桃の肌。緩やかに波打つ豊かなプラチナブロンドに、何よりも印象的なルビー色の瞳。
ソロ系は彼女を原型にしているそうだが、最近はデュオ系との混血が進んで色素の濃い奴も多い。
俺や室長のように、彼女と同じ特徴を完璧に発現してるのはあまり見かけなくなって来た。管理局の生成プランがここ何十年か縮小傾向にあるせいだろうか。
彼女はまず始めに、科学者の一人として、気候変動に対応できなかったことを詫び、続いて、地下での缶詰生活を選んだ市民の決断力と勇気を称え、環境に適応するための遺伝子操作に、市民から賛同を得られたことに対する感謝を語る。
いやいや、感謝するのは俺らの方です女神様。なんだかんだで五百年近く暢気に暮らせているのは彼女ら先人のお蔭ですからして。
とは言うものの、そろそろここも限界らしいという噂は最近よく聞く。無理も無い。都市の動力源たる発電衛星も五百年落ちのポンコツで、自己修復機能もちゃんと動いてるか怪しい状態だ。
かつては複数機で互いに補完してたらしいけど、二七〇年前の大停電以来、蝕に入るたびに停電する始末。
バックアップ電源でどうにか補ってはいるものの、管理局もすべての活動を縮小する一方で、今じゃ往時の六割がいいとこだ。人口も減った。旧「アーカイヴ」復旧も、地上への帰還事業の一環なのかも知れない。
遥かなる地上……。「いつか帰る日の為に」なんてスローガンを、いくつかの行政文書で見かけたことはある。だけど今、地上がどうなっているのかなんて誰も知らない。
五年に一度のペースで、「連絡員」という名の人身御供を調査に出したりはしてるけど、ここ二百年ほど帰還者はゼロだ。恐ろしい。出来れば一生この天国の缶詰からは出たくないもんだ。
「ランジャ君、ちょっと」
女神の微笑にヤニ下がっていると、唐突に同じ声が俺を呼ぶ。弾かれた様に顔を上げると、現実の女神と目が合った。
「何すか?」
慌ててファイルを閉じ、大急ぎでネクタイと髪の乱れを整えると、そそくさと室長席に駆け寄る。
「あぁ、忙しかった? 御免なさいね。まぁ、辞令の通りなんだけど、業務の引継ぎと後任の人選について、あなたの意見も聞いておきたいの」
見れば見るほど動画のチゼル女史にそっくりだ。綺麗に結い上げられた艶めくプラチナブロンド。ファッショングラスの向こうに輝く真紅の瞳。儚げに微笑む薔薇色の頬。
「あ……え? 引継ぎ?」
「メール、まだ読んでないの? あなた今回の連絡員に任命されたのよ」
「え? えええええ!?」
思わず飛び出た絶叫に居室中が振り返る。室長は慌てて立ち上がると、通路の向こうの会議室を指差し、俺を促した。
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