第6話

 岩場で魔物たちと戦った時に思ったのだ。これ相撲だな、と。

 単純に殺さないために作ったルールだったが、円の外に出たら負けという競技は、すなわち相撲だ。

 ただ、それ以外にルールは決められなかった。

 なにせ、足以外が地面に付いたら負けだとしても、足がどこかわからない形の魔物もいるし、常に宙に浮いている魔物もいる。

 蹴りや肘鉄を禁止しても、やっぱり身体の形状がよくわからないやつらの判定が難しい。武器や魔法攻撃を禁止しても、ゴースト系の物体として存在しないタイプの魔物が戦えなくなる。

 だから、円の外に出たら負け、それ以外は何でもありというのが魔界流の相撲だ。

 ついでに、一番最初のピーパーティンが早々に降参しやがったから、なし崩しに自分から降参するのも有りになった。


 ザランにルールを説明して、俺はさっそく円柱形の結界を張った。これも薄く色がついているだけで特に効果のない結界だ。ザランの図体が大きいから、最初から大きめに作っておく。

「さあ、やるか」

 俺は気合十分、ノリで四股なんか踏んでみる。

 特に開始の合図もない。外に出たら負け以外のルールがないから、結界の内側に審判を置く必要もないのだ。


「ふん、殺さないためのルールだと、殺されないためのルールを定めるべきだったな小僧!!」


 ザランが吠えた途端、結界内が炎に包まれた。


 赤い鬣の見た目の通り、ザランは火魔法が得意らしい。

 俺は咄嗟に防御結界で自分を包んだから、髪も布も焦げることすらなかったが、真っ赤な炎に染められた視界の向こう側から、巨体が物凄い速さで突進してきた。

「ぉわ! 早ぇ~」

 ザランがその巨体に見合わないスピードで距離を詰め、鋭い鍵爪を振り下ろして来た。

 間一髪で横に跳び退いて避けたけれど、鍵爪も特大サイズだから、掠めただけで俺の身体は真っ二つに裂かれるだろう。ただ肉球で踏まれただけでもぺしゃんこになる。


 それよりも、炎とスピードである。

 土俵内を示すだけの結界は炎を防ぐような効果もないから、当然、ザランの炎は土俵の外まで広がったが、草原の草は焦げていない。普通の炎ならあっという間に大火事になる火力だったが、さっきのは完全に制御された魔法の炎だった。

 そしてスピード、何よりも音だ。

 ザランほどの巨体ならば、走るだけで地面が揺れ地響きを立てるだろう。しかし、さっきの突進はまったく音がしなかった。つまりザランは走っているように見せて、その実、魔法で移動していたのだろう。


 二つの魔法を使いこなす技術、それを支える強靭な肉体。いくら魔法で移動したとしても、その移動速度に耐えられる身体がなければ実行は不可能。

「これこれこれぇ!! やっと魔界っぽいの来た!!」

 俺のテンションは爆発した。


 岩場で戦った魔物どもは自己申告通りの雑魚ばかりだったから、風を出す魔法だの、水鉄砲くらいの水を出す魔法だの、石をつるつるに磨く魔法だの、毛皮をツヤツヤにする魔法だの、生活の役には立ちそうな魔法ばかりだった。

 戦い方も、良く言って我流の喧嘩殺法、つまりは工夫も何もないパンチやキックだけだった。

 ようやく出会えた魔物らしい魔物に、俺はいっそ感動すら覚えた。


 だが、試合中なので呑気に感涙している暇はない。気が付けば全方位炎に囲まれていた。

 俺が自分を囲むように丸く展開した防御結界を、更に包むように炎で囲んでいるようだ。赤い炎はところどころ青く揺らめいているから、かなりの高温らしい。防御結界を強めなければ、炎が届かなくても熱で殺される。

 ジワジワ蒸し焼き作戦かと思いきや、炎の向こうからザランの鍵爪が縦横無尽に襲ってくる。

 耐魔法結界と耐物理結界を同時に使用すると、どちらの結界も強度が弱くなるから、ザランの強力な魔法も物理攻撃も防ぎきれない。耐魔法結界を強めて鍵爪攻撃を掻い潜るか、耐物理結界を強めて熱に耐えるか、どちらか一方をとるしかないわけだ。

 魔法攻撃と物理攻撃のコンビネーションが完璧だ。やっぱりボスを名乗るほどのやつは格が違う。


 それにしても、外側から見るとザランは丸い炎の球を引っ掻きまわしていることになる。大きさが規格外だが、猫がボールにじゃれ付いているような絵面になっているのかと思うと、外側から見物できないのが惜しい。

「ムハハハハ!! 我の全方位攻撃に手も足も出まい!!」

 俺が何もしてこないからザランもご機嫌らしい。テンションの高い声は、もうどう聞いても遊びに夢中になっている猫だ。どんな体勢で炎のボールにじゃれ付いているのか見てみたい。

 でも、俺がここから出たらザランはボール遊びをやめてしまうんだよな。


「惜しいけど、仕方ない」


 火魔法を防ぐ方法はなにも耐魔法結界だけではない。

 俺は耐物理結界を強化した。途端に弱くなった耐魔法結界を抜けて高温の炎が襲ってくるが、それを氷の壁で防ぐ。水魔法と氷魔法は岩場の余興で見ていた。

 鉄壁と化した耐物理結界にザランの鍵爪がガキンッと跳ね返される音が響いた。

 その瞬間に、俺は炎の球の中から抜け出してザランから距離をとる。


「ちょこまかと小賢しい!!」

 走って逃げ回る俺を追いかけて、ザランが腕を振り回す。その姿はまさに猫じゃらしに猫パンチを繰り出す猫だ。

 図体がデカいし、身を忍ばせて獲物を狙う気も無くなっているから、地面を叩くたびにドッスンドッスン物凄い衝撃と地響きが起きるが、顔と尻尾を振り回して走り回る姿はネコ科動物特有の動きだ。


 勿論、俺だって猫と遊んでいるだけではない。ザランが夢中になって追いかけてくるうちに、土俵の端っこまでやって来た。猫パンチによって土煙が上がっているから、たぶんザランから結界は見えていないだろう。


 あと一歩で場外、というところで俺は跳び上がり、ザランの巨体を飛び越える。

 そのまま闘牛の要領でザランは外へと飛び出していく、はずだったが、ザランの目の前にあった土俵の端が何故だか遠のいていた。


「あれ?」


 そして、俺は結界の中に着地するつもりだったが、いつの間にか反対側の結界の壁が迫っていたから、空中で身を捻ってギリギリ結界の内側に着地する。


 自分の張った結界を見誤るわけはない。空間転移魔法にかかったか、それとも幻覚魔法だろうか、と考えていたら、背後にあったはずの結界が近付いてきた。

「結界が動いてる?!」

 寸前で気が付いて走って逃げたが、間違いない。俺が張った土俵を示す結界自体が動いている。

 しかも、気付いてみればなんてことはない。土俵の外で観戦していたザランの部下たちが、みんなで結界を引っ張って動かしている。まさかの力業だった。


 物理的に引っ張っているように見えるが、結界を動かしているのは魔法だ。みんなで俺の結界より少し位置をずらしたところに結界のコピーを作り、元の結界を破壊し、更にずらしたところにコピーを作り、先に作ったコピーを破壊し、それを繰り返すことで少しずつ結界がずれているように見えるだけだ。それにしても力業だ。

「ズルい!!」

「ハッハッハッ! 獣の力は群の力!!」

「孤立無援で勝てると思うな!!」

 獣的にはズルではないらしい。ザランの部下たちはむしろ得意げにしている。

「貴様の敗因は一人で来たことだな」

 ザラン的にも卑怯ではないらしい。やっていることはセコいくせに貫録は勝者で王者だ。


 確かに、結界に干渉してはいけないというルールを作らなかったのは俺の落ち度だ。結界のコピーは常にあるので、土俵を失くしてルールを根底から覆すつもりはないらしい。それに外野は俺たちに直接妨害はしていない。

「有りか無しかで言えば……無しよりの有り、か」

 なんでもありの魔界流相撲に土俵移しという新たな技ができてしまった。

 俺は動き回る土俵を避けながら唸った。結界を張ったり壊したりを繰り返しているから、移動速度はあまり早くできないらしい。


「こうなったら仕方ない」

 相手の技を最大限引き出して、俺は手の内を見せずに勝つのが理想だったが、そう舐めたことも言わせてもらえないようだ。

 俺はフラフラ歩いているように見せて、ザランとその部下たちが一直線上に並ぶ位置に立った。


「全員まとめてブッ飛ばす」


 そう言ってから、全力で拳を振り抜いた。

 ただの魔力を込めたパンチだが、生まれて初めて全力を出す。ザランならば全力で殴っても死にはしないだろうし、ザランを盾にすれば部下たちにも死者は出ないだろう。たぶん。

 衝撃波となった俺のパンチは、ドッカーンと派手な音を立ててザランを吹き飛ばし、その後ろにいた部下たちも結界を動かす暇もなく一緒に吹き飛んでいった。

「よっしゃ、俺の勝ち」

 結界の外へ点々と落っこちていく獣を眺めて、俺はブイサインを決めた。

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