第10話 幸せのカタチ
深大寺を後にした僕らはバス停とは違う方向に向かって路地を進んでいた。
相変わらず夢咲の右手と僕の左手は繋がれたままだ。
「先輩この後まだ時間ありますか?」
夢咲が少し遠慮がちに尋ねてくる。
「時間? 全然大丈夫だけど」
「ほんとですか? そしたら先輩……」
「ん、どうした?」
「これからお風呂入りませんか?」
「お風呂!?」
夢咲とお風呂…………
『せんぱーい、お背中流しますよ』
「夢咲、ち、近いって……」
『だって、近づかないと洗えないじゃないですかー?』
「それにしても近すぎるって……色々当たってるし……」
『色々ってなんですかー?』
「そりゃ……その、やわらかいのが……」
『先輩はこういうの嫌ですか?』
「嫌……じゃないけど、めちゃくちゃ恥ずかしい」
『先輩、恥ずかしがるのは早いですよ? だって次は前を洗わなきゃですから』
「先輩? センパーイ?」
「!?」
「……もしかして今、変な想像してました?」
「いや、まったくもって全然これっぽっちも」
いわゆるジト目でこちらを見てくる夢咲に対して、僕は誤魔化せるほどのスキルをまだ持ち合わせてはいなかった。
「……先輩ってたまにえっちです」
「えっ……ちって、その言い方がえっちだわ」
「もーっ! 変態です!!」
「だって夢咲が一緒にお風呂入ろうって言うから」
「一緒にとは言ってないです! それはまだ……早いです」
……まだ?
いや、もうこれ以上この話題にとどまるのはやめよう。
「じゃあお風呂に入るってのはどういうこと?」
「それはですね……こちらですっ!」
まるで旅番組のレポーターよろしく夢咲が手のひらを向けたその先にあったのは……
「……温泉?」
「はいっ、温泉です!」
最近はスーパー銭湯の乱立で都内に温泉があることもさほど珍しくはない。
しかしここはそれらのような派手さはなく、温泉地にある立ち寄り湯のような雰囲気だった。
「どうですか? 結構いい雰囲気じゃないですか?」
「うん、確かにいいね。周りも静かだし落ち着いてる」
「はい。じゃあ早速中に入りましょう!」
*
「へぇ、中は結構こぢんまりとしてるんだね」
「ちょっと旅館みたいな感じですよね!」
「だね。そういえば夢咲はどうしてここを知ってたの?」
「実は私、昔家族で来たことがあるんですよ」
「なるほど、それでこのあたりのこと知ってたんだ」
「まぁ、だいぶ前なので先輩とデートするって決めてから改めて調べましたけど……」
夢咲、実はめちゃくちゃいい女だった?
「先輩? 私かなりいい女じゃないですか?」
前言撤回。
「自分でそれを言わなきゃいい女だった」
「えー、そこはもっと褒めてくださいよ」
「はいはい、えらいえらい」
「もー!」
そんな風にじゃれあいながら廊下を進むと突き当りに男湯・女湯と書かれた暖簾が吊るされている。
「先輩って結構長風呂するタイプですか?」
「うーん、サウナとかあれば1時間くらいはいけるかも」
「では18時半にここで集合しましょう!」
「りょーかい」
そう約束して僕らはそれぞれ脱衣所へと続く暖簾をくぐった。
*
「はぁぁぁぁぁ」
やっぱり大きな風呂はいい。思わず安堵の吐息も漏れてしまう。
昔はオッサン臭いなんて思っていた仕草も今ではその気持ちが少しわかってきてしまった。風呂は心の洗濯なんて誰かが言った上手い言葉にも思わず賞賛を送りたくなる。
(それにしても良い風呂だなぁ)
その外観同様、風呂場の方も流行りの大型温浴施設とは異なる趣だった。
一番わかりやすい違いでいえば、浴槽にもサウナにもテレビが付いていない。
親に連れて来られる子どもからすれば少し退屈だろうが、僕みたいな心身ともに疲れ切ったサラリーマンにはこういう静かにゆっくり過ごせる時間というのはかなり貴重だった。それを今こうして自らをもって実感している。
その証拠に、岩風呂を満たす漆黒のお湯にはいつもより気持ち数ミリ程度目尻が垂れた男の顔が反射していた。
(それにしても夢咲はなんで僕にこんな優しくしてくれるんだろう)
しばらくお湯に浸かり身体の力が抜けきると、自然と脳が考え事を始めてしまう。
夢咲とだいぶ打ち解けてきたとはいえ、以前はぐらかされて以来この謎は依然として付き纏っている。彼女の言動からは、僕を貶めようとかそういった類の負のモチベーションは今のところ感じ取れない。むしろ彼女のどこまでも包み込んでくれるようなその優しさのおかげで僕は今でも生かされているといえるくらいだ。
でもやはりいくら考えても彼女が僕を助ける動機が見えない。
(そろそろ上がるか)
露天風呂やサウナを一通り堪能した僕は最後に身体を流してから浴室を後にした。
*
「あ、先輩っ! どうでした、お風呂?」
脱衣所から出るとそこには館内着に着替えた夢咲が待っていた。
風呂上がりの少し濡れた髪とほんのり紅潮した頬、そしていつもよりも薄いそのメイクに思わずちょっと見惚れてしまう。
「うん、想像以上に良かったよ。 それにしてもあんなに黒いお湯なんて初めて浸かったかも」
「ここのお湯凄いですよね! 東京の温泉って黒とか褐色系が多いんですけど、ここはその中でもかなり黒い方だと思います」
「それに雰囲気も落ち着いててだいぶリラックスできたよ」
「そうですか、それはよかったです! 先輩、あそこで少しゆっくりしませんか?」
夢咲が指差す方を見ると、休憩所らしきものがあった。
「ここ、確か外に足湯があるんですよ」
「へぇー。お、ビールも売ってるんだ」
「1杯飲んできます?」
「せっかくだし、飲みますか」
「はいっ」
僕はカウンターで生ビールを二人分注文し、夢咲とともに庭に出て足湯に浸かった。
「それじゃ先輩?」
「うん」
「「乾杯!」」
くぅ。やっぱりこういう雰囲気で飲むビールは何故だかとても美味い。
風呂上がりに館内着で一杯なんてまるで旅館にでも泊まりに来たみたいだ。
「なんかちょっとした旅行みたいだ」
「そうですね! まるで先輩とお泊りに来た気分です!」
そういってこちらを窺う夢咲の顔は変わらず赤みを帯びたままだ。
「そんな勘違いさせるようなことを言うんでない」
「私は先輩と旅行してみたいですよ?」
箱根、草津、有馬、別府……まるで温泉の素のバラエティパックのように、夢咲は次々と候補を挙げては想像に浸っている。
「でも先輩と一緒ならどこでも楽しそうです!」
夢咲は屈託のない笑顔でそう言い放った。
そしてそれを見た僕はやっぱりどこか引っ掛かりを覚えてしまう。
「夢咲はさ……」
「はい?」
「なんで、僕なんかとこうして一緒にいてくれるの?」
それはあの夜、屋上で出会ってからずっと抱いていた疑問。
そしてそれは夢咲との接点が増えるにつれてどんどんと大きくなっていった。
「やっぱり夢咲がそこまでして僕に付き合ってくれる理由がわからないよ」
「……先輩と一緒にいたいから。ってだけじゃ理由になりませんか?」
夢咲の目は僕を一直線に捉えて動かない。
「それは……」
夢咲の表情に僕はうっかりやられそうになる。
こんな可愛い子に見つめられて一緒にいたいなんて言われたら大抵の男は落ちるだろう。
しかし僕らの出会いはあまりにも普通じゃない。
僕がビルの屋上から飛び降りようとしたときに現れた彼女は、初対面にもかかわらず何故か僕に積極的に関わってくる。
僕にとってならともかく、彼女にとってそれを『運命の出会い』と表現するにはやはり無理がある。
「その一緒にいたいって理由がわからないんだよ。別に僕のことを好きだってわけでもないでしょ?」
「それはまだナイショです。でも、デート中に好きでもないでしょなんて聞くのはマナー違反ですよ?」
デート経験の乏しい僕にそんなことを言わないでくれ。会社の研修のマナー講師もそんなこと言ってなかったぞ。
「でも一つ言えるのは、今してることは全て私がそうしたいからしてるってことです。だから……先輩さえ嫌じゃなければ、これからも私と一緒にいてください」
その言葉を果たして僕はどう捉えたらいいのだろうか。
まさか告白?
でも仮に今の夢咲の言葉が恋慕の情を告げるものだったとしても、これから死のうとしている僕にそれを受け入れる資格はない。
だから僕は――
「わかったよ。今日のところはそれでヨシとします」
「あっ、先輩それまさか私の真似ですかっ!? 乙女の純情を弄ばないでくださいー!」
「はいはい、とりあえずもっかい乾杯する?」
「そうやって話を逸らさないでくださ――」
「はい、乾杯!」
「もーっ! 先輩いじわるです!!」
今はこれでいいんだ。
この先どうなるかはまだわからない。
夢咲の事を考えるなら、真面目に返すべきだっただろう。
でもそれは死ぬ覚悟も生きる覚悟も中途半端な僕ができるような返事ではない。
この関係に名前を付けてしまうことは今の僕にはどうしても出来なかった。
それが恋であろうと
やっぱり何かを変えることができない僕は、この中途半端な関係にもう少し甘えることを選んだ。
*
「先輩、今日は突然のお誘いに付き合ってくれてありがとうございました!」
温泉から送迎バスで調布駅へと戻り、僕は夢咲を改札の前で見送る。
「こっちこそ連れ出してくれてありがとう。たまにはこういうのも悪くないな」
「そう言ってもらえると誘った甲斐がありました!」
「それじゃ気を付けて」
「はい、先輩こそ」
そういって夢咲は改札を抜け、階段を下りていった。
最後まで手を振り続けるところは夢咲らしく無邪気で可愛かった。
(……さて、帰りますか)
心の中で小さくつぶやいて僕も家路を辿る。
普段は家で飲まないのに今日に限っては何故だか飲みたい気分になり、途中コンビニで缶チューハイを買ってひとり二次会に興じることにした。
〈今日はありがとう。デート楽しかった〉
〈これからもよろしく〉
心地の良い酔いとともに、気付けば僕は夢咲にメッセージを送っていた。
《先輩、120点のメッセージです!》
《私もすっごく楽しかったです》
《またデートしてくださいね! 絶対ですよ??》
彼女からそう返信が来た頃には僕は既に微睡の中にいた。
内容は覚えてないけれど、最近は見ることのなかった夢だったような気がする。
あたたかくて幸せな、そんな夢を見たような気がする。
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