第11話 死の環状線

 〈The train bound for Shibuya and Shinagawa will soon arrive on track number 14〉


 月曜日。朝の新宿駅。


 英語のくせにすっかり耳に馴染んでしまったそのアナウンスは休日と平日で全く聞こえ方が異なる。

 今はまるで憂鬱な一週間の始まりを告げるかのように冷たく僕の耳に突き刺さる。


 『デスループ』


 この緑色の環状線を僕は勝手にそう呼んでいる。

 まるで社会の歯車のように朝から晩まで働き続けるこの電車も、きっと疲れているに違いない。

 それでも僕を会社へと運ぶこの鉄の塊をいつしかそんな恨み言葉で呼ぶようになってしまった。


 ホームに滑り込んできた電車は定位置にピタリと止まり電子音とともにドアが開く。そして中からは想像を超える人の波がぞろぞろと流れ出てくる。

 相変わらず四次元空間かと錯覚するほど驚きの収納力だ。

 

 約300万人。


 これは新宿駅の一日の乗降客数で、ギネス世界記録一位。

 なんと鳥取県の人口の約6倍もの人がこの新宿駅を一日で利用していることになる。

 何気なく毎日使っているこの駅も、世界一だと聞けばこの混雑具合も少しはマシに感じる。

 

 流れに合わせて乗り込んだ僕の身体を今日も電車は無慈悲に運んでいく。

 駅に着くたびに押しては流されを繰り返し、気付けば電車は目黒駅に近づいていた。

 

 (夢咲とファミレスで話したのも三日目前のことか)


 彼女は僕が心置きなく死ねるように手伝ってくれている。

 金曜日にファミレスで一緒に仕事の棚卸しをして、土曜日にはデートだと言って押しかけてきて。


 相変わらずその強引さと行動力とあざとさは目を見張るものがある。

 

 (次に会うのはまた今週の金曜日か)


 僕らは諸々の進捗管理のため、毎週金曜日に目黒のガトスで集まることにした。

 まるでOJTさながらである。


 それでも少しその時間を楽しみに思ってる自分もいた。


 〈ザ・トーキョーリンカイコウソクテツドウリンカイライン〉


 このアナウンスを合図に、僕は次の駅で降りて会社へと向かった。

 

*


 「あ、先輩っ! おはようございます!」


 フロアのドアを開けると明るいその声が耳に飛び込んできた。



 ――田中だった。



 「先輩今日はちょっと早いんっすね」


 田中は僕と同じ東京営業部第三課に所属する今年から二年目になる後輩だ。

 野球部出身の彼はいつも溌溂としていてとにかく元気だ。


 それにしても「先輩っ」と言われるとつい夢咲を思い出してしまうあたり、僕も末期なのかもしれない。


 「今日は始業前に仕事の整理をしようと思って」

 「先輩さすがっす! 俺も見習います!」

 彼は実に素直で、こんな僕のこともバカにせず良いと思ったポイントをリスペクトしてくれる。


 「あ、そういえばこれ。遅くなって悪かった」

 僕が今日最初にした仕事は田中に飲み会の代金を払うことだった。


 「先輩ナイスタイミングっす! 今月飲み多くて給料日までどうしようか悩んでたんすけどこれで一回分は乗り切れそうっす!」

 「ほんとにごめん。そもそも後輩に飲み代を立て替えさせるとかダメな先輩だよな」

 「いやいや、忘れてたんでむしろラッキーっす!」

 こういう前向きなところも本当にいいやつなんだよな。


 無事に飲み代を清算し終わった僕は、To Doリストを開き『田中に飲み代返す』と書かれた部分に棒線を引いた。


 こうしてみると実に簡単な内容だった事に気付く。たった5分もしないうちにTo Doのひとつが「完了済」になった。

 でも事実、僕が死ねない理由の一つとして頭に浮かんできたってことは、それすらも手が回っていなかったということだ。


 こうしてタスクが消えたことを認識して荷が下りた感覚になったのは果たしていつぶりだろうか。


 「先輩? なんか楽しそうっすね」

 「いや、そんなことないって」

 「そうっすか?」


 会社にいて楽しいわけがない。

 しかし田中からすれば、そういう僕の顔はどうやら少し笑顔だったらいい。


 それにしてもちょっと夢咲と似てるところあるよな、田中って。

 きっと彼女に弟がいたらこんな感じなのかもしれない。


 こうしてまた一週間が静かに始まっていくのだった。

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