第8話 はい、あーん?

 「わぁ、先輩! 見てください、水車ですよ!」


 バスから降りてしばらくすると夢咲はまるで子どものようにはしゃいでいた。


 「おぉ、ちゃんと本物だ。それにしても近くにこんなところあったんだなぁ」

 

 夢咲による僕のデート服コーディネートが終わった後、僕たちは15分ほどバスに揺られて深大寺じんだいじへとやって来た。


 その名の通りここには深大寺というお寺があり、あたり一帯を含めた形でもまとめて深大寺と呼ばれている。お寺の周りには茶屋や土産物屋などが軒を連ね、まるで東京とは思えないちょっとした観光地気分を味わえる。


 ――と道中で調べたネット記事に書いてあった。


 「先輩は始めてですか、ここに来たの?」

 「うん。家とは反対方向だし、週末僕が外に出るような時間帯にはこういうところはもう閉まっちゃってるからね」

 「まぁ今日もけっこうギリギリの時間になっちゃいましたけどね」


 夢咲はそういうと、じゃあ早速と右手を差し出してきた。


 「ん? もしかしてデート代?」

 やっぱり僕の想像は正しかったのだろうか。これはいわゆるレンタル彼女的なやつ?


 「ちがいますー! またしても減点です!」

 「え、違うの!?」

 「ちゃんとデートだって言ったじゃないですか! だから……はい!」


 夢咲は頬を膨らませながら仕切り直しと言わんばかりに右手を差し出してきた。

 そしてそれは先ほどより明らかに僕の左手をめがけて突き出されていた。


 そういうことですか。


 僕は恐る恐る彼女の右手を左手で握った。

 これで間違ってたら本当に恥ずかしすぎる。


 「はい、よくできましたっ! でも恋人繋ぎじゃないので70点ですね」


 そういう夢咲の笑顔は僕にとっては100点満点だった。


 「さすがに恋人繋ぎは勘弁してくれよ」

 「今日のところはそれでヨシとします」

 「そうしてもらえると助かるよ」

 「はい! それじゃ早速行きましょう!」

 夢咲は繋いだばかりの手を引っ張るとどんどん先へと進んでいく。


 「一体急いでどこに向かってるの?」

 「あそこです!」

 そういって指差した先にあったのは……蕎麦屋?


 「よかった、まだ開いてます!」

 

 そういえばさっきのネット記事にも書いてあったな。名物は深大寺そばだって。


 「夢咲はここに来たかったの?」

 「いえ、ここだけではないですけど、まずはお店が閉まっちゃう前にお昼ご飯にしましょう!」


 確かに営業時間を見ると16時までと書いてある。

 僕らは急いで暖簾をくぐり、席へと着いた。


 二人で一つのメニューを覗き込んで、あれもいいな、これもいいなと言いながら選ぶ時間はさながら本当にデートのようで、互いの頬と頬がぶつからないギリギリを保ったその距離に僕は不覚にも胸の高鳴りを覚えてしまった。


 そんな僕の心境などつゆ知らず、夢咲は「私これにします」と声を高らかにあげ、結局僕は天ざる、夢咲は鴨南そばを注文した。


 やってきた蕎麦はコシがあって喉越しもよく、辛口のつゆとよく合っていた。

 天ぷらも軽い口当たりで文字通りサクッといけてしまう。


 「夢咲。よかったら茄子の天ぷら食べる?」

 「え、いいんですか!?」

 夢咲は目を輝かせている。


 『秋茄子は嫁に食わすな』なんてことわざがあるけど、僕は茄子が苦手だからいくらでも食べてほしい。


 まぁそもそも秋でも嫁でも彼女ですらもないんだけど。


 「じゃあ先輩、私のお蕎麦の鴨あげます。これすごく美味しいですよ!」

 「いや、悪いからいいって。僕は茄子が苦手だからむしろ食べてもらえたら感謝するよ」

 「そうだったんですか? でもせっかくなら私からもお返ししたいです」


 すると夢咲は僕の返事を待たずに箸で鴨肉を掴むと、僕の口の前に差し出してきた。


 「はい、あーん?」


 「え、さ……さすがに」


 「早くしてください! お店の人に見られちゃいますよ?」


 夢咲が少し小声で僕をせかす。

 観念した僕は口を大きく開けて顔ごと少し前に突き出す。


 「ん……」

 「どうです? 美味しいでしょ?」

 「あー、確かにこれは美味しい」

 「でしょー!」


 よく漫画や小説ではこういうシチュエーションで食べると味がわからなかったなんて描写があるけど、決してそんなことはなかった。この鴨肉はしっかりと美味しかった。


 「それより夢咲、これ」

 そういって僕はおしぼりを彼女に差し出す。

 僕に鴨肉を食べさせる際に箸の下で受け皿のように添えられていた彼女の手には蕎麦のつゆがこぼれてしまっていた。


 「あ、ありがとうございます。先輩ってこういうところ本当に優しいですよね……とても素敵だと思います……」

 

 ふと互いに恥ずかしくなってしまい、その後は黙々と蕎麦を啜るのだった。

 その時は辛口のつゆの味はあまり感じられず、ただただ、喉越しだけがその美味しさをかろうじて伝えてくれていた。



 「それじゃ遅くなっちゃうといけないので行きましょうか」

 食後のお茶で少しの余韻を挟んだのち、僕らは店を出た。


 そして食後にもかかわらず夢咲は参道の茶屋で団子を買っては早速頬張っていた。


 「先輩も食べます?」

 「いや、僕はもうお腹いっぱいだって」

 「それは残念です!」

 全然残念がってなさそうだった。むしろじゃあ私が全部食べちゃいますって顔に書いてある。


 まぁ夢咲が楽しそうならそれでいいか。

 そうして僕らは深大寺の中心であるそのお寺へと続く階段を上るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る