第32話 ふーん、エッチじゃん

 さて。


 夜。家に帰って風呂と夕食を済ませ、今わたしは自室に居る。


 わたしは自らのスマホと対峙していた。『NINE』の美景とのトーク画面。そこに一本の動画がアップロードされている。


 この動画を見なければならない。


 今日、美景と百合をした時の動画だ。


 画面を見据えるわたしの心は逆に落ち着いていた。メーターが振り切れ過ぎて一周してしまったかのようだった。

 どの道、これを見る事は避けては通れない。出来るのは先延ばしにする事だけ。ならば、今覚悟を決めて見てしまえばいい。


「っし」


 不気味なまでの落ち着きを感じながらわたしは再生ボタンを押した。


 動画が流れ始める。


 わたしと美景が映る。美景がスマホから離れてわたしの正面へと動く。そして、美景がわたしへと顔を近付ける。


『ま、待った!』


 わたしのその言葉で美景が止まり、少々の問答が繰り広げられる。でもなんやかんやでキスする事になる。

 だから、わたしも瞳を閉じて美景へと顔を近付けて行く。


 そして、わたしたちの唇が重なった。


「――ぅ、ぁ、ぁぁ、ぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


 はじめこそ子鹿の鳴き声のようだったわたしの細い悲鳴はすぐにちゃんとしたデカい悲鳴になった。


 再生停止。スマホをスリープしてベッドにダイブ。ベッドのスプリングがわたしを強く押し返して一瞬身体が浮いた。


 落ち着いてなんかいられるか!


 キスをしているんだぞ! わたしと美景が! そして、それを録画されて見せ付けられた! なんで!?


 全身が熱かった。このまま灰になってしまいそう。とにかくもの凄い羞恥だった。恥の多い生涯を送って来ました。いや、その恥が局地に集中し過ぎているだろ。ゲリラ豪雨みたいに。


 ただ悶絶を続けるわたしだったが、不意にはっとした。先ほど心の中に浮かんだ疑問の応えが浮かび上がった。


「なんで……? なんでって、百合の為だろ! 百合の為! 忘れんじゃねえ馬鹿!」


 わたしは自らを叱咤し、ベッドから起き上がった。前よりも早く復帰出来たぞ。成長している証だ。


 机に戻り、椅子に腰掛ける。スマホの画面を点けて再生ボタンを押下。

 暗い画面から一点、わたしと美景の姿が映し出される。


 先ほど中断された所から再生されたので、勿論わたしたちはキスをしている。


「あああああああああぁぁああああ〜〜〜〜ッ!!!」


 悲鳴が裏返った。両手で顔を覆う。顔があまりにも熱かった。


 それでも、わたしは自らの手をどかし、画面を見る。逃げるな。勇気を以て立ち向かわなきゃいけないんだ。


 唇と唇が触れている。


 その時の感覚が蘇る。今まさにキスをしているかのような錯覚を覚える。違うのに。わたしはただ思い出しているだけ。でも、こんなに鮮明に思い出すなんておかしい。さっき食べた夕飯の味なんて曖昧なのに、それより前のキスはどうしてこんなにはっきりしているんだ。


 あの時に感じた変な感じが再びわたしに襲い掛かる。何これ。今考えてもやっぱり分からない。


 美景も、わたしが感じたこの感覚を感じていたのかな。


 そんな事がふと気になって、でもその疑問は津波のような羞恥に流されてどこかに行ってしまった。


 画面の中。わたしが美景の腕を掴んで、美景がわたしの胸元を掴んだ。


 強く求め合ってるみたいだ。


 強く求め合ってる……!? そんなわけがないだろ! わたしがあの女を求めるって、なんでだよ! ……まあ、必要としているのだとしたら、それは百合の為だ……!


 でも、画面の中のわたしたちの頬は紅潮していて、それで蕩けたような表情で、何だか……官能的だ。


 ふーん、エッチじゃん。


 頭の中でそんな声がした。エッチ……なんでしょうか。いえ、わたしには分かりかねますが……。

 そうやって頭を悩ませていた時、わたしの耳は小さな声を拾った。拾ってしまった。


『ん……っ、ぁっ、ん……』


 小さな音だったが、確かにそんな声がスマホのスピーカーから流れていた。


 喘ぎ声じゃん。


 言い逃れられないじゃん。そんな声出してたらさ。はい、エッチですね……ええ、誠に遺憾ですがそう認めざるを得ないでしょう……。


 待て――ひとつ、重大な問題がある。


 この声、わたしと美景どっちが出してるやつ?


「――ッ!!!!」


 わたしは即座にミュートボタンを押した。ダメだ。知らないままの方が良い事って世の中には沢山ある。これもその一つ。いいね?


 さっきのでは音量が小さかったので、どちらの声なのか聞き分けられなかった。というわけで事件は迷宮入り。


 今、耳を澄ませても何も聞こえない。

 ミュートにしたんだから当然だ。でも、今は聞こえてないだけでさっきのようなエッチな声を画面の中のわたしたちのどちらかは出している筈なのだ。


 わたしはキスを続ける画面の中のわたしたちをじっと見詰める。さっき少しだけ聞いた喘いでるみたいな声が聞こえてくる気がする。


 じゃあこれはエッチな動画って事か……。それをわたしたちが撮影した、と……。


 こんなんもうハメ撮りだろ……!!


 なんて事をしてしまったんだ。

 動画が終わってもわたしは悶絶のあまりその場から動く事が出来なかった。

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