第28話 ニンニクヤサイアブラカラメ

「きっ、キスぅ!?」


 わたしは声を張り上げ、軽く仰け反った。


「き、きすってアレ? 天ぷらにすると美味しいやつ……」


「なんか似たようなやり取りをつい一昨日にした気がしますわ。いや、あの時とは立場が逆でしたけど……」


 美景はジト目をわたしに向けた。


「ていうかお姉さま、キスに関しては自分から『キスだってしてやる』って言ってましたわよね? わたくし、確かに聞きましたのよ。わたくしが言わせたわけでもなく、自分から言いましたのよ」


「記憶にございません」


 わたしはめちゃくちゃに目を泳がせて言った。それはもうイルカショーのイルカくらいに泳いでいた。


「失礼ですがお姉さま、キスのご経験は」

「逆に、あると思う?」

「いえ……すみません」


 謝るなよ。なんか今謝られるのは凄く嫌だろうが。


「き、キスっていうのは、好きな人とするもんでしょ。それをあんたとなんかっ、嫌に決まってんじゃん……!

 あんたの事好きじゃないし、寧ろ嫌いだし……。

 それに、それにっ……ふぁ、ファーストキスなんだよ!

 その、初めてのキスをあんたなんかにあげられるわけないじゃん……!」


 言ってて凄く恥ずかしくなってきた。熱を帯びた顔をわたしは両手で覆った。カイロかってくらいに熱い。きっと真っ赤になっている事だろう。それが美景に見られていると思うと尚の事羞恥は膨らんで、更に顔が赤くなって、無限ループに陥りそうだった。


「まあ、お姉さまの言う事も一理ありますわね。キスは好きな人とする特別な行為ですものね。でも、いざ好きな人とキスする時に上手く出来ないと恥をかいてしまいますわ。ですので、いざその時になって上手く出来るように、『練習』としてわたくしとキスするというのはどうでしょう?」


「そういう導入よく見るなぁ……」


 何とも言い表せない漠然とした嫌な感じが胸の中に生まれる。


「というか、お姉さまには好きな人が居ますの?」


 美景が小さく首を傾げて問うた。それから妙に瞳を輝かせて矢継ぎ早に質問を放つ。


「教えて下さいまし、お姉さまの好きな人! 年上ですの? 年下ですの? それとも同じクラスの人とかですの? どんな感じの人ですの? 芸能人だと誰に似てますの? 言うの恥ずかしいですの? あ、じゃあわたくしも言いますから! わたくしだけ言ってお姉さまは内緒にするっていうのは駄目ですわよ? あ、そうですわ。いっせーのせで同時に好きな人の名前言いましょう! もし言わなかったら肩パンですわ」


「修学旅行の寝る前かよ」


 途中まで女子中高生のノリなのに最後だけ肩パンって運動部の男子高校生じゃねえか。


 キラキラと目を輝かせる美景。こいつも年相応に恋バナとか好きなのかな。わたしは羞恥と、もやもやした感情を覚えながら彼女から視線を逸らした。そして小さく口を開いて告げる。


「……わたしには好きな人とか、居ないから」


「あら、そうですの?」


 美景の口調は少し落胆したような感じだった。


「今までに好きな人が出来た事も無い。わたしには誰かを好きになるって事が、恋っていうのが良く分からない」


 言葉を選んでいる最中なのか、美景は何も言わなかった。


 彼女に向かって、わたしは自らを打ち明ける。


「百合のせいなんだよ」


「え?」


「わたしが誰かを好きになった事が無いのは百合のせいなんだよね」


「……???」


 わたしが言うと、美景は結構ガチで困惑しているような反応を見せた。


「百合って二郎みたいなものだからさ」


「Huh?」


 猫ミームの猫みたいなリアクションだった。全然伝わってなさそうなので説明をするしかないだろう。


「ほら……朝食にラーメン二郎を食べるとするでしょ? いや、朝食の時間に二郎開いてないっていうのはツッコまないで。たとえ話だから。

 で、二郎食べたその日に急に羽振りが良くなった親に回らない寿司とか、三つ星のイタリアンに連れて行って貰ったとしても、もう駄目なんだよ。朝に二郎を食べちゃったら、その後何を食べたってロクに味を感じられない。何を食べても二郎の強い味に負けちゃう。フカヒレなんて春雨と大して変わんないじゃんってなる。

 それと同じなんだよ。わたしは、他人と関わる時に何も感じないわけじゃない。誰かに対して好意の感情を抱くこともある。でも決して、それで恋に落ちるほど強く感情を動かされはしない。

 だってわたしは、自分の恋よりも先に百合を知ってしまったから。百合がわたしの心を動かした時以上にわたしの心を動かしてくれる人なんて居ないんだよ。人間個人なんて、百合に比べれば誰も彼も味気無い」


 そう言った後、美景の方を見る。多少は納得をしてくれていると思ったのだが、彼女は困惑の表情を浮かべるばかりだった。


「……いや、良く分からないのですけど……何ですの? 二郎を褒めてるのか、貶してるのか、どっちなのか分からない、その比喩の持ち出し方は……」


「二郎を褒めてるのか、貶してるのか……ね。実に面白い疑問だね。

 わたしは二郎のラーメンが食べたくて二郎に行くんだ。行列に並んで、食券機に金を突っ込んで、ようやくカウンター席に座る。それで順番が来たらニンニクヤサイアブラカラメの詠唱をする。

 二郎が食べたい。その感情は確かなもので、そこに間違いは無いんだよ。

 けど、ヤサイマシマシなんて気休めにしかならない、麺の圧倒的炭水化物、グロいクリーチャーのようなアブラの脂質、喉を焼くスープの塩分……それらがどれだけのカロリーで、どれだけの脂肪になるのか、わたしの内臓にどれだけの負担を掛け、寿命を奪っているのか。

 ――考えるだけでおぞましくて仕方が無いよ。胃が引き裂かれそうになるね」


 わたしが丁寧に説明を並べていっても、美景は唖然とした表情のまま固まっていた。


「……で、何の話だっけ?

 ああ、思い出した。わたしに好きな人は居ないし、過去に誰かを好きになった事も無い。

 そして、この先も誰かを好きになる事は無いんだ」


 わたしはそう結論を述べた。


 すると美景は一〇秒弱沈黙を続け、その間体表の色を変えるカメレオンみたいに微妙に表情を変え、最後にこう言った。


「……なるほどですわ」

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