第25話 百合を描かなきゃいけないんだ

 膨大な量の苦痛の上にぷかぷかと浮かぶわたしはさながら水死体だった。しかし、ふと思い至る。


「まだ終わってないじゃないか! わたしは百合を描かなきゃいけないんだ!」


 がばっと上体を起こすわたし。


 そうだ。どうして失念していたのだろう。今までの苦痛は全部百合を描く為にあった事だ。このまま百合を描かなければわたしはただ二日前に会った女と恋人繋ぎをして、それを録画されて見せつけられただけただけの女じゃないか。ふざけんな。


 百合を描かないと。


 わたしはベッドから立ち上がり、すぐに椅子を引いてそこに腰を下ろした。パソコンの電源ボタンを押し、起動の時間の間に絵を描く為の準備を終える。


 手にはペンを握り、白いキャンバスと対峙する。


 絵を描く為にまずする事は構図を考える事だ。わたしは普段ぼんやりと構図を頭の中で考え、それを一旦ラフとして描いてみて、そこから調整をしてゆくという形で構図を決めている。

 だが、今回はいつもとは段取りが少し異なる。


 何故ならば、構図はわたしが美景と恋人繋ぎをした時のものを使用すれば良いからだ。


 スマホの画面を点け、例の動画を再生する。死にてぇ。いや死んでる場合じゃない。百合を描くんだよ。


 シークバーを動かすと、画面の中でわたしたちが動く。一番右端まで動かして、そこから少し戻る。そこで手を放した。


 画面の中でわたしと美景が恋人繋ぎをしたまま固まり付いている。

 この構図が一番良いんじゃないか。二人の顔が良い感じに写っていて見栄えが良い。これを参考に絵を描く事にしよう。一応スクショを撮っておく。


「さて……やるか」


 覚悟を固め、わたしはペンを板タブ本体に触れさせる。カラーパレットから青色を選択。下書きまでは青色を使うのがわたしのやり方だ。


 まず二人の顔を大雑把に描き、それを引きで見てバランスを確認。少し大きく描きすぎたので縮小する。それから首から下を描いてゆく。身体を描く時には関節を意識。肩関節の位置にぐりぐりと円を描く。そして、肘。更には手。


 二人の手と手が絡み合っている。パソコンの画面上では歪な円としてしか描画されていないが、わたしはそこに繋がった二人の手を明瞭に見いだす事が出来た。


 そこまでいったら、今は他人にとっては奇妙な図でしかないこの下描きにディティールを加えてゆく。


 スニットとミアリム。二人の顔のパーツ。そして髪。今更手本の画像を見る必要なんて無い。二人の特徴を描き込んでゆく。

 次いで、二人の服を描く。彼女たちが通う学園の制服だ。胸の辺りを描いて、次は袖。

 そして、二人の繋がった手を描き込んでゆく。


 率直に言って恋人繋ぎは描くのが難しい。絵の上手い人にとっても手というのは描き辛いもので、それが複雑に絡まっているのだから当然難易度は高い。前に描いた時には何度も描き直しても上手く描けず、めちゃくちゃストレスが溜まった。


 けれど、今は前とは勝手が違う。今回は作画資料があるのだからそれを参考にして描けば良い。


 無論、画像検索サイトで『恋人繋ぎ』と調べれば何枚も恋人繋ぎの画像が出て来る事だろう。けれど、その画像を参考にして描いたら「画像検索で出て来た画像の構図をパクってる」とか言われるのではないかと思って、そういった事は避けていたのだ。それに、わたしのプライド的なものもそれを拒絶していた。


 でも今回は自分たちで撮影したものを資料として使うのだから、そういった心配は一切無い。何ならトレースしたって特に問題は無いのだ。


 スマホの画面を見て、それからパソコンの画面に視線を移す。そして繋がった手を描き込んでゆく。


「あれ――?」


 わたしは驚きを覚えた。


 予想よりもずっとスムーズに描ける。


 遮るものが全てどいてしまったみたいに筆が進む。突然自分の技能が向上したみたいだ。今までに体験した事の無い感覚だった。


 もう二人の手の下描きは完成しそうになっている。見積もりよりもかなり速いペースだ。


 美景と百合をした甲斐があったかもしれない。


 やはり手本があるのと無いのとでは大きな違いがある。手本があるに越した事は無い――そんな事は前から分かっていた、けれど、「百合の絵を描きたいからわたしと恋人繋ぎをしてそれを撮影させて」なんて他人にお願い出来るわけが無い。相手がすみれでも無理。


 こんな事が出来るのは美景だけだ。


 あんなやつと百合をするなんて冗談じゃないと思ったが、どうやら苦痛に見合っただけの収穫はあったようだ。


「でもなんか、これだとわたしたちをスニミアに重ねてるみたいで嫌だな……」


 理由を説明し難い不快感に苛まれるわたし。まあ、その事には目を瞑るしかないだろうと自らを納得させ、筆を更に進めてゆく。


 下描きは完成した。一度引きで見て、更には左右反転もしてバランスを確認するが、特に問題は無いように思えた。


 下描きが終われば次は線画だ。ツールを変え、丁寧に輪郭を描いてゆく。普段ここで「何か違うな……」と違和感を覚え、線画を描き直す事も多々あるのだが、今回はすらすらと描いてゆく事が出来た。下描きと同様、見積もりよりも速いペースで線画を完成させた。


 その次はざっくりとした色塗り。その次はそこに陰影を付けてゆく――。


 そうやってわたしはスニミアのイラストを完成へと近付けていった。


   †


「でき……た?」


 わたしは仕上がったイラストを見てそう呟いた。若干疑問形なのは、思ったよりもあっさりと完成してしまった為に本当にこれで完成なのか? という感覚があったからだ。


 念の為、細部を確認してゆくが描き忘れや塗り残しなどは見当たらなかった。


 なのでわたしはレイヤーを統合して画像を書き出す。JPGに変換した画像をいつものフォルダの中に保存。


『フリップスタジオ』を閉じる。そしていつも描いた絵を入れておくフォルダを開く。そこには今までのラインナップに先ほど描いた絵が加わっていた。


 画像のサムネイルをクリックすると、画面に大きくイラストが表示される。スニミアの絵。この前描いたやつを見て、それから今回描いたのを見る。


「前より良くなってる……?」


 わたしは小さく呟いた。もう一度見比べる。やはり今回の方が格段に良い。

 今回は作画資料があったから? いや――。


「あいつと、百合をしたから……」


 馬鹿馬鹿しいと思う気持ちはあった。そんな事で本当に良い百合が描けるようになるものかと半信半疑だった。


 けれど、わたしの描いた百合は確実に以前より良くなっている。確かに成果が出ている。わたしはその事に仄かでいて輪郭のはっきりした高揚を覚えた。


 もしかして。わたしの胸中で期待が膨らむ。


 これでランキング入りを果たせるかもしれない。


 その事を意識すると鼓動が速くなった。マウスを握る手に汗の湿り気を献じる。


 わたしは『ポクシブ』を開いた。そして先ほどのスニミア絵をアップロードし、必要な項目を入力してゆく。


 予約投稿の時刻を設定。

 入力内容に間違いが無いか確認。


 あとは投稿ボタンを押すだけ。


「よろしくお願いしまぁぁぁす!」


 祈るような気持ちでわたしは百合を投稿した。

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