第21話 もう手とか繋いだりしてるのかな
「ゆ、百合を……?」
わたしは大きな動揺を抱えながら美景に問うた。
「ええ」
「やるんだな!? 今……! ここで!」
「ですからそう言ってるではないですの」
「そんな急に言われても、こっちにも心の準備ってもんがあるんだよ」
わたしがそう言うと「また始まった……」みたいな表情でこちらを見る美景。いやまあ確かにわたしは渋りすぎなのかもしれない。
「……第一、百合をするって具体的に何をするつもりなの? それ次第だよ」
わたしは問うた。いきなりキスをしろとか言われたらどうしようとか考えてしまい、顔が熱くなるのを感じた。
「そうですわね。まずは『手を繋ぐ』というのはどうでしょう?」
手をぉ!?
「手をぉ!?」
「そんなに驚く事ですの……!? 手繋ぐなんて、なんなら他の方とでも全然した事ありますわよね……?」
「いや、まあ確かに小学生くらいの時は友達と手繋いだりしてたけど……でも小学生の時と今とでは全然話が違うでしょ」
「その理屈を否定はしませんけど、これくらいすっと受け入れて下さいまし」
「いやでも、手を繋ぐんだよ……!?」
食い下がるわたしに対し、美景は辟易したように顔に皺を作った。
「声優さんが結婚したっていうニュースに対して『もう手とか繋いだりしてるのかな』って書き込みがピュアすぎるって事でコピペになってるではありませんの。手を繋ぐなんてのはその程度の事ですわよ。手を繋ぐのが駄目なら逆に何なら出来るんですの?」
こいつ結構インターネットに明るいな。まとめブログとか見てんのかな。
「手を繋ぐ行為なんて百合としては最低賃金みたいなものですわ。それより安い行為を百合なんて言い張ろうものなら事業者は罰則を受けますわよ。手を繋ぐ未満の百合を挙げられるなら挙げてみて下さいまし」
「うーん……お話をするとか……」
「わたくしたちが今してる事は?」
「同じコマに居るとか……」
「何言ってるんですの?」
「野菜炒め、サバのみそ煮……」
「献立を考えないで下さいまし」
ご飯には雑穀を入れようかな。めちゃくちゃ健康的な食事だ。
「はぁ……」
あまりにも大きな溜息を零す美景。
「まさかお姉さまがここまで意気地無しのウジ虫チキンだとは思いませんでしたわ。手を繋ぐ事にすらウジウジするなんて……」
「チキンだと……!?」
わたしの中で怒りが燃え上がった。わたしをチキン呼ばわりするなんて許せない。
「マーティ・マクフライばりに反応するじゃありませんの……あっ」
あっ、と言った美景の頭上に豆電球が見えた気がした。
「……分かりましたわ。お姉さまがそこまで嫌がるのでしたら無理矢理に、というのも良くありませんし、引き下がるとしますわ」
「? う、うん」
なんかやけにあっさり引き下がるな、と怪訝に思った。
「思えばこんな話を持ち掛けたわたくしに落ち度がありましたわ。手を繋ぐ事すら出来ない。それも仕方の無い事ですわ。だって――
お姉さまは底辺絵師ですものね」
底辺絵師。その言葉がわたしを突き刺し、そこから痛みが広がる。そして、痛みは激情へと変化してゆく。
「ハァ……ハァ……底辺絵師……?」
「?」
「取り消せよ……!! ハァ……今の言葉……!!!」
わたしは剣幕を浮かべ、美景へと詰め寄った。しかし美景はその顔に嘲笑を浮かべた。
「断じて取り消すつもりはありませんわ。そりゃあそうでしょう。お姉さまは『ポクシブ』のランキングに入るだけの実力を持ち合わせていませんし……そんな状況を打破する為のチャンスが目の前に差し出されてもそれを掴もうとしない。そんな姿勢の絵師が神絵師になるだなんて笑わせますわ」
美景の言葉は百発百中の矢のようにわたしに突き刺さってゆく。
「結局底辺絵師を底辺絵師たらしめているのは技術や情熱や知見ではなく、生まれ持っての精神性なのですわ。それを後からどうこうしようと思っても不可能……わたくしでしたら手を繋ぐだけで創作者として一段上のステップに登れるのだとしたら、千手観音みたいに手を沢山生やしてでも手繋ぎまくりますけれどね。けれど、お姉さまはそんな簡単な事にすら躊躇している……精神的に向上心が無く、それでいて臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱える哀しきモンスターですものね。その事を見抜けずにわざわざこんな事に付き合わせてしまって申し訳無く思いますわ。お互いに時間を無駄にしてしまいましたわね――」
「出来らぁっ!」
気付けばわたしは大きな声で叫んでいた。
「いまなんていいましたの?」
「あんたと手を繋いで百合をしてやるっていったんだよ!」
「それじゃあ手を繋いでもらいましょう」
そう言って美景はすっとこちらに手を差し出して来た。
「え!! 手を!?」
わたしはいつの間にかそんな流れになっている事に驚愕した。この女の挑発にまんまと乗せられたのだとそこで気付いた。
冗談じゃない。そう思った。けれど、こうも思った。
美景の言っている事は正論だ。
わたしは百合で勝つ為に何でもすると覚悟を固め――美景と百合をする為に今この場に居るのだ。だというのに、ここに来て臆している。安全地帯で大きな戦果を出してやると息巻いていたのに、いざ戦場に来て敵を目の前にしたなら茂みに隠れて震えている兵士と何も変わりはしない。
情けない。百合絵師としてこの上無い醜態だ。
そんな自分を変えなければいけない。でなければわたしは一生底辺絵師の看板を背負ったまま生きてゆく事になる。
そんなのは嫌だ。
わたしは絶対神絵師になるんだ。
わたしはこちらに差し出された美景の手を凝視する。白く細い手。華奢な印象を抱かせる手だ。だが、今のわたしにとってそれは巨大な砲塔を掲げ闊歩する戦車のようにも感じられた。
立ち向かわなくてはならない。わたしは自らの手を彼女の手へと近付けてゆく。
「ぐぐぐっ……」
そこにはネオジム磁石のような強大な斥力が働いているかのようだった。阻むものなど何も無い空間だというのに、わたしの手は中々進まない。
それでも、わたしは力を振り絞った。自らの心を燃やし、手を前へと。
「だあっ!」
そして、わたしは美景と手を繋いだ。
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