第18話 吐露
駅を出ると随分と賑わっている繁華街が広がっていた。あちこちに何らかの店があり、居酒屋の看板が沢山顔を並べている。
人混みの中をわたしと美景は歩いていた。どこに向かっているのかわたしはまだ知らない。だが、行き着いた先で美景は「百合をする」つもりなのだ。
そうだ。わたしはこれからこの女と百合をする。
その事を意識すると、わたしは緊張に駆られた。わたしの心は不安定に揺れる。今からでも引き返したい気持ちも生じた。
美景は何も話さずにただ目的地へと向かっていた。わたしはそれについて行く。
沈黙が辛かった。そんな精神状態だったからだろうか。わたしは口を開いた。
「……あんたってさあ、百合以外の漫画を読んだり、アニメを見たりはする?」
「まあ人並みには、といった所でしょうか」
美景がわたしの問い掛けを無視せずに返事をしてくれた事には、僅かであったがわたしに安堵を齎した。だが、その安堵を自覚するとその事に苛立ちを覚えた。どうやら今のわたしは情緒不安定らしい。
「だったらさ、例えばサッカー漫画は読んだ事ある?」
「ええ、ありますわ」
「じゃあ伝わると思うよ。サッカーっていうのは一一人対一一人でやるスポーツ。必然的に登場キャラは多くなる。そうなると、どのサッカー漫画にも大抵一人は居るもんなんだよ――本当はサッカーが好きじゃないのにサッカーをしてるやつ」
美景は黙ったままだったが、わたしはそれを「話を続けて」のサインだと解釈した。
「それの百合版がわたしなんだよ。本当は百合が好きじゃないのに百合を描いてる。
でも……サッカー好きじゃないのにサッカーやってるやつっていうのは、昔は純粋にサッカーが好きだったっていうパターンが多々あるんだ」
わたしの足は意図せずに止まってしまった。美景はそんなわたしを置いて行く事はせず、立ち止まって振り向いた。皆が動き続ける往来の中でわたしたち二人だけが立ち止まっていた。
「百合が好きだったんだ。それは確かなんだよ。百合との出会いはわたしにとって特別なものだった。
百合がわたしの全てになった。
それくらい、心の底から百合の事を愛してしまったんだ。もう、百合に狂わされていたって言っても良いくらいだよ」
わたしは俯き、言葉を地面に落とした。
「――その筈なのに、わたしは百合が好きじゃなくなってしまった。
それが具体的にいつからなのかは曖昧だけど……でも、その原因には何となく思い当たる節がある。
……百合に魅了されたわたしは沢山の百合の絵を描いたんだ。はじめに描いたものなんてそりゃ拙いものだったけど、まあ小学生の時だったから仕方無いよね。けれど、そんな拙い絵でも完成させた時には大きな喜びがあったんだ。わたし自身が百合を創り出したっていう達成感があった。それが堪らなくて、わたしは何枚も何枚も百合を描いたんだ。そうしたら、段々とわたしは絵が上手くなっていった。
それで、ある時思った。この百合を他の人にも見て貰いたいって」
わたしの声音には後悔が滲んでいた。それがいけなかったんだ。そう思った。
「大きな不安はあったよ。でも、結局わたしは自分の描いた百合をインターネットで公開した。祈るような気持ちで投稿ボタンを押して、それからの数時間を受験の合格発表前みたいにそわそわしながら過ごしたよ。
それで――誰かがわたしの描いた百合をブックマークしたっていう通知が届いたんだ。わたしはその事が嬉しくて嬉しくて堪らなかった。誕生日プレゼントを貰った時より嬉しかった。誰かがわたしが描いた百合を認めてくれた。それはわたしにとって特大のトロフィーだったんだよ。
ああ、わたしは百合を描く為に生まれて来たんだって思った。
だからわたしは沢山の百合を描いた。自分の使命を全うしなくちゃいけないって思った。そうするとわたしの絵は上達していって、それにしたがって貰える反応の数も増えていった。
――でも、段々とその増加は緩やかになっていったんだ。対数関数のグラフみたいに。初めはXの増加に伴ってYは大きく増えるけど、段々とXが増えてもYは少ししか増加しなくなる。
一生懸命描いた百合が伸びない。わたしは焦った。わたしの努力が足りないんだと思った。だからわたしは一生懸命に練習をしたよ。他の事をする時間を削って百合を描く事に充てた。
それなのに――わたしのその努力は無視されて、わたしの百合は全然伸びなかった」
悔しい。悔しい。悔しい。居眠りをしていたその感情が目を覚まし、わたしを強く苛んだ。
「わたしより後に絵を描き始めたやつが、ぐんぐんと上達して、百合で『ポクシブ』のランキングに入った。わたしは一度も入った事が無いのに。理不尽だと思った。わたしは最大限の努力をした。これ以上の努力なんて出来ない。それなのに追い抜かれた。
嫉妬で頭がどうにかしてしまいそうだった。それでもわたしは百合を描いたよ。追い抜き返してやるって思って、必死に百合を描いた。
わたしの熱意は裏切られ続けた。どれだけ百合を描いても、ランキングには入らなかった。何度描いても、何度描いても……。
ある時、わたしはふと気が付いたんだ。
わたしはもう百合が好きじゃなくなってる事に」
乾いた響きの言葉がわたしの口から漏れた。
「わたしは百合を心から愛していた。それをしっかり行動で示していた。けれど――その愛は一方通行で、愛が返って来る事は無かった。そんな感覚だった。だから、わたしの中の愛も消えてしまったんだ。
でも、百合と決別する事は出来なかった。
わたしは百合を好きじゃなくなった。それなのに、百合はわたしの全てであり続けた。もう、わたしから百合を取ったら何も残らないんだよ。
だから、百合が好きじゃなくても百合を描き続けなくちゃいけない。
百合で負ける事は、わたしの人生が敗北する事と同じだから」
わたしは美景の方を見た。彼女の表情は相変わらずのポーカーフェイス。でもなんだかそこには僅かばかりの憐憫が浮かんでいるような気がした。
「何としても勝ちたいんだ、百合で」
沢山の人で溢れている街路に零された小さな嘆き。
美景だけがそれを聞いてくれた。
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