第6話 見えるぞ、わたしにもパースが見える
憂鬱だ。
帰り道、バスの車窓から夕日に照らされた街並みが見える。
光が当たっている箇所は朱色に輝き、その裏側には暗い陰がある。
建物は一見乱雑に立ち並んでいるように見えて、しっかりと秩序に則って屹立している。見えるぞ、わたしにもパースが見える。アイレベルは地平線とほぼ一致している。あそことあそこに消失点。そこから放射状にパース線が伸びている。
絵師の職業病だ。わたしはそんな事を思った。パースというのは背景を描く為に重要となる概念だ。
「背景かあ……背景はあんまり得意じゃないんだよな」
わたしは窓の外の景色に向かって小さく呟いた。バスが信号の為に停止して、ゆるやかに動いていた景色が固定される。
夕日に照らされる街並みは美しい。そうかもしれない。けれど、背景を描くのはあまり気が乗らなかった。思えば昔から女の子ばかりを描いてきた。背景は必要に応じて渋々描いてきた。
もしかすると、魅力的な背景を描く事が出来れば『ポクシブ』のランキングに乗る事が出来るのかもしれない。ランキング上位の作品を見ていると、その多くが背景まで綺麗に描き込んでいる。
「でもなんか、それは違うでしょ……」
わたしは百合が描きたいのだ。背景じゃない。百合のイラストにおいて背景は背景でしかない。重要なのは二人の少女だ。勿論描けるに越した事は無いのは承知している。けれど、その前に少女を魅力的に描く事を優先すべきだ。麺もスープも微妙なラーメン屋がサイドメニューに力を入れ始めたら「おいおい」と言いたくなるだろう。
それに、背景を綺麗に描いてランキングに入ったとしたら、それはわたしの百合が認められた事にならないのではないのか。わたしが皆に見て欲しいのは、評価して欲しいのは、百合そのものなのだ。わたしにとって背景なんてのは高菜だ。無料トッピングでしかない。
でも、だったらどうする?
やはり答えは出ない。
考える。考える。わたしはバスに揺られる。
はっとした。
「いけないっ、もう降りるバス停過ぎてた!」
考え事に夢中になり、最寄りのバス停で降りるのを忘れてしまっていた。
わたしは慌てて降車ボタンを押した。ボタンに赤い光が灯る。
次のバス停で降りたわたしはいつもより長い家路を歩く事になってしまった。
†
自室に入り、わたしはすぐにベッドの上に仰向けになった。
すぐ横の壁に貼られているスニミアのポスターが視界に入った。スニットとミアリムは彼女らが通う学園の制服を纏っていて、仲睦まじそうに見詰め合っている。
その隣、『金星の魔女』のTシャツがハンガーに掛かっている。イベントで買ったやつだ。
本棚を見れば沢山の漫画や小説の中に『金星の魔女』のノベライズと外伝漫画が収まっている。
床に放り出されたスクールバッグにはデフォルメされたスニットとミアリムのキーホルダーが付いている。
机の脇に『金星の魔女』に登場するロボットのプラモデルの箱が置かれている(わたしは絶望的にプラモデルを作る才能が無かったので未完成のまま放置している)。
どこからどう見てもオタクの部屋だった。『金星の魔女』のオタク。言い逃れは出来ない。今この部屋に突然警察が乗り込んで来たら物証を押さえられてわたしは逮捕される。は? 何で逮捕されなきゃならないんだ。オタクは別に悪い事じゃないだろ。
オタクグッズの数々を眺めながら、しかしわたしの心は沈んでいた。
わたしの描いたスニミアは伸びない。『ポクシブ』でランキングに入らないだけじゃない。『プイッター』でもわたしのスニミアに対する反応は微妙だ。いいねもリプイートも。例えばおもちいぬさんがスニミアを描けばわたしの何十倍もリプイートされるのに。
「はあ……」
大きな溜息が溢れる。そして、わたしの頭に一つの考えが浮かぶ。
「やめよっかな、スニミア描くの……」
嫌気が差した、というのもある。けれど、それよりも打算の面が大きい。
『金星の魔女』は今でも人気のコンテンツだ――とは言っても一年前に放送終了したアニメ。勢いで今期アニメの上澄みに負けるのは道理だ。一年前のアニメなんかに拘らずに今の覇権アニメのイラストを描いた方が伸びる。
今期のアニメで百合と言うと何があるだろうか。あまり盛り上がってるのが無いな。今期のアニメというわけではないが、『どっち・ざ・ろっく!』はついこの間映画が公開されて盛り上がってる。『どざろ』の百合を描くか? いやでもあれは厳密には百合アニメというわけじゃないんだよな。女の子がキャッキャウフフしてるのを百合に結びつけているだけで。勿論それはそれで良い面はある。公式がガチの百合を供給してくれないからこそ、二次創作でガチの百合を堪能したくなる心理は分かる――のだが、わたしは原作の時点でしっかり百合と名言されている作品の百合を描く方が性に合ってるんだよな。
でも。そんな事よりも。
もっと重要な事がある。
「『金星の魔女』で伸びないからって他のコンテンツを描くのは……『逃げ』じゃないのか?」
そうだ。わたしは逃げたくないのだ。『金星の魔女』から。スニミアから。
そうして逃げた先で勝利を手に入れたとして、自分はその勝利に胸を張れるだろうか?
否。
「わたしは『金星の魔女』で、スニミアで勝ちたいんだ」
第一、おもちいぬさんなんかはスニミアで『ポクシブ』のランキングに入っている。だからわたしだってスニミアでランキング入りする事は不可能じゃない筈だ。
だからまだわたしはこの戦場で戦う。
わたしはそう決心を固めた。
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