第3話 『金星の魔女』

 二日後の朝。


 わたしはバスを降りてわたしの学校までの道のりを歩いていた。菜乃笛なのふえ高校。それがわたしが通う高校の名前だ。ちなみに私立。辺りを見れば、わたしと同じ制服に身を包んだ少年少女が同じ方向に向かって歩いている。


「ふわぁ……」


 わたしは欠伸を零した。昨日の寝付きが良くなかったせいだ。眠気と戦いながら授業を受けなくてはならないのは憂鬱だった。


「おはよう、春佳」


 不意に声を掛けられる。隣を見ると、そこにはポニーテールと大きな瞳が特徴的な純朴そうな少女が佇んでいた。


「おはよ、すみれ」


 鞠戸まりとすみれ。それが彼女の名前だった。

 彼女はわたしの友達だ。一番仲が良い友達で、親友と呼んでも差し支え無いかもしれない。


「見ましたよ、『サクラ』さん」


 すみれはわたしを本名ではなく、SNS上で用いている名前で読んだ。その表情には笑みが浮かんでいた。


「昨日上げたスニミア絵! いやー、素晴らしい出来だったね! また絵上手くなったんじゃない?」


 竹を割ったような態度でわたしに称賛の言葉を贈るすみれ。


「ありがとう。そう言ってもらえて絵師冥利に尽きるってもんだね」

「投稿したなら言ってくれれば良かったのに。おかげであの尊い絵を拝むのが遅れちゃったよ」

「ネット上ならともかく、リアルでその事アピールするのは恥ずかしいし……」

「何言ってんの! 私と春佳の仲じゃん! 次のスニミアも楽しみにしてますよっと」


 すみれはそう言ってわたしの背中をばんっと叩いた。


「それにしても『金星の魔女』の界隈はまだ盛り上がってるねー。こんだけ盛り上がってるんだし、続編とか映画化とかないかな?」


『金星の魔女』。


 わたしが二次創作を行っている作品のタイトルだ。なお、スニミアというのはこの作品の主人公であるスニット・ヴィーナスとメインヒロインのミアリム・レンブロアのカップリングだ。


『金星の魔女』は長寿ロボットアニメシリーズの最新作だ。テレビアニメ作品としては初の女性主人公という事で放送前から大きな話題を呼んでいた。だが、『金星の魔女』がついに放送されると、更に大きな反響を呼んだ。


『金星の魔女』は百合アニメだったのだ。


 第一話、ロボットによる苛烈な戦いが繰り広げられた後、主人公のスニットはメインヒロインのミアリムから婚約を言い渡される。その展開に視聴者たちは大きな衝撃を受け、SNSのトレンドを『金星の魔女』が席巻する事となった。それからも二人の関係性の進展が描かれ、最終回では二人は遂に結婚をする。


 多くの百合ファンが『金星の魔女』の虜となった。わたしとすみれも例外ではなかった。


「是非やって欲しいね。二次創作も良いけれど、やっぱり公式からの供給が無いのは辛いし」


 わたしはすみれに返事をした。


 わたしとすみれが友達で居るのは、やはり同じ志を持っているから、という事が大きい。お互いに、百合の事を語れる相手が欲しかった。


 百合のオタクというのはまだまだ少数派なんだな、とわたしは実感していた。男性同士の恋愛、即ちBLを好む女子は同じ学年に多く居る(彼女らの事を『腐女子』と呼ぶ事は侮辱にあたるのではないか? いやもう大分ポピュラーな呼称だし全然自分たちで名乗ってるし問題はないのか? と、いつももやもやしている)。けれど、百合を好む女子はわたしの知る限りすみれだけだ。男子の中だったら百合好きも結構居るのだろうか。男子と話せないから分からん。


「うんうん。でも、二次創作の盛り上がりっていうのは作品の人気の一種の指標だからさ。春佳が今後も沢山スニミアを描いてくれたら、公式もああまだまだ人気が続いてるんだなって思って続編とか作ってくれるかもしれないよ」


 すみれは朝日に負けない眩しい笑顔で言った。


「そうだね……頑張るよ」


 そう告げるわたしの胸中には蟠りがあった。


 けれどそれはすみれに打ち明ける事の出来ないものだった。

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