月くん

 幼い頃、熱を出して寝込むと月くんが迎えに来てくれた。

 月くんは、天文台で働いている父の友人だった。仕事が忙しくて休めなかった父は、代わりに月くんにわたしの看病を頼んでいたらしい。

 月くんはきれいな三日月だった。先端はきりりと尖っていて、カーブも鋭い刃物のようなのに、優しく発光しているから怖くなかった。あんまりしゃべらなかった。けれど、そばにいてくれるだけで不思議と満ち足りた。

 月くんはいつも窓から静かに入って来た。熱でほてったわたしのおでこに、ひんやりした指先が触れる。するとわたしはもう空の上にいた。

 雲のベッドはさらりとしていて軽くてふかふかだった。頭上に広がる空はどこまでも高くて、熱のあいまに目を覚ますと、光り輝く青空だったり、プラネタリウムのような星空だったりした。静かなのに、さみしくない。空の上はとてもきれいな場所だった。

 空が青くても、真っ暗でも、いつも月くんの背中がそばにあった。眠りから覚めたわたしに気づくと、熱を確かめるようにわたしのほほにそっと触れ、「もう少しだよ」と淡いレモン色の光で微笑んだ。

 高熱で全身がきしきしと痛くて辛いのに、空の上にいるあいだ、わたしはとても幸せだった。このまま熱が下がらなくてもいいのにと思った。月くんは、わたしの初恋だった。


 ひとつ年を取るたび、わたしはあまり熱を出さなくなり、大人になるとめったに風邪も引かなくなった。

 わたしはもう、空の上に行けなくなった。

 けれど、一人暮らしのベランダで夜空を見上げるわたしの隣には、ときどき空から降りてきてくれる恋人がいるから、さみしくはない。

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