後編

「ひゃあっ」

 マリアベルは悲鳴を上げた。

「やあ、マリアベル」

 街へ行こうと屋敷を出たところで馬車が止まったと思ったら、ウォルフが乗り込んできたのだ。屋敷の出入りを禁じたら、門の前で待ち伏せしていたらしい。暇なのか。マリアベルは恐怖に慄いた。

 ウォルフはにこにこと聞く。

「どこに行くの?」

「あなたに教えるつもりはないわ。帰ってください」

 マリアベルはすかさず握られた手を振り払った。


「いやだな、僕の君の仲じゃないか」

「わたくしとあなたの間にはどんな仲も存在しません」

「またまた。拗ねないで、マリー」

「名前を変な風に呼ばないでください。あなたは他人です。降りて」

 マリアベルは馬車の扉を音を立てて開いた。

「誰か! 護衛を呼んで!」

 まだ叫べば門番に聞こえるだろう距離だった。そもそも外出するのに連れてこないマリアベルがうっかりしていたのだが、少し街へ出かけるだけでまさかこんなことになるとは思っていなかったのだ。

 慌てて家の護衛がやってくる。ウォルフは引きずり出されて行った。マリアベルはため息をついて、屋敷に戻るよう御者に告げた。


「ということが今朝あったのです」

マリアベルは姉二人に告げた。

「わたくしはしばらく、屋敷に籠ろうと思います。あの人はいつ現れるかわからないし、話がまったく通じないのです」

「もー、馬鹿な人ね」

「あのような奴を我が家に関わらせてしまってすまない」

 次姉はぷんぷんと頬を膨らませ、長姉は悄然とうなだれた。

「で、お姉さま方、だいたいは侍女のおつかいや執事の代理で足りるのですが、いくつか領地の取り引き相手との会談など我が家の代表を出す必要があるものがあります。執事を同行させますから、お姉さま方にお願いしてもよろしいでしょうか。わたくしがうまくクライン卿をあしらえないためだけに申し訳ないのですが」

 姉二人は快諾する。

「いいよ〜」

「なんでも言ってちょうだい。でも執事は付けてね」

こうしてマリアベルはしばらく、屋敷から出ることなく家政を取り仕切った。


     ※


「おや、返却期限が過ぎている…」

 珍しくマリアベルがここのところ姿を表していないことに、アルバートは気づいた。

 先日最後に会った時の、男性に怯えていた姿を思い出す。

「ふむ。大丈夫だろうか?」

 ぽつりとひとりごちた。

 勤務が終わった後、先日送って行った屋敷へ行ったてみることにした。

「すまない、マリアベル嬢はご在宅だろうか。私は教会司書のアルバートと言うものだが」

 門番に声をかけると、慌ててマリアベルが姿を現した。

「マキュア卿。来てくださったんですね、ありがとうございます。あ、借りている本! 返却期限が過ぎてしまっていますね。すいません、持って参りますので屋敷の中でお待ちいただいてもよろしいですか?」


 アルバートは応接間に通された。気持ちよく整えられた部屋で、窓際には花が飾られている。

 用意されたお茶をいただきながら、アルバートはくつろいでいた。

(居心地の良い部屋だ。グランデンベルク家の雰囲気をよく現している)


 と、扉がノックされ開かれた。本を持ったマリアベルが入ってくる。扉の手前で息を整えたのか穏やかな様子だったが、急いだのか頬に赤みが増している。満面の笑顔が、歳相応の少女らしく可愛らしかった。

「お待たせいたしました! こちら、お借りしていた本と延滞料です」

テーブルの上に数冊の本と円大量の銀貨を数枚置く。延滞1日につき銀貨一枚。本の価格に合わせて設定されている。払えない者は奉仕労働で返す仕組みだ。

「しかし、グランデンベルク嬢が延滞するとは珍しい。何か、ありましたか」

「実は……」

聞いた内容はとんでもないことだった。

「姉たちが外に出るとひらりと姿を消すらしく。未だに注意することすら出来ていないのです」

「だがグランデンベルク嬢もこのままでは困るだろう。姉上たちも大変なのでは」

「そうなんです。……あの、この家にはグランデンベルク嬢が、三人おります。良ければマリアベルと呼んでいただけませんか」

「わかりましたマリアベル嬢、私のことも名前で呼んでください。……あの変態を、憲兵隊の協力をもらって捕まえませんか。実は兄が憲兵隊に勤めています」

「まあ、卿のお兄様が。ではお願いしてもよろしいでしょうか。わたくしも姉たちも疲労が重なり、少々参っておりますの」


     ※


 それから数日後の事。

 グランデンベルク家から馬車が出発した。マリアベルがいつも使っている教会の図書室への道を行く。マリアベルの服がちらりと窓から見えた。

 人の気配の無い通りに差し掛かった時、馬車の前に馬車が飛び出してきて、馬が止まった。

 フランデンベルク家の馬車にウォルフが乗り込んできた。

「やっと会えたね、マリアベル。待ち遠しかったよ」

 俯き、震える少女に声をかける。

 そっと肩を抱きしめ隣に座った。

「君も僕に会いたくて寂しかっただろう、マリアベル。僕の愛しい人」

 少女が顔を上げる。そこにいたのはマリアベルの服を借りて着たスカーレットだった。

「!?」

 息を呑むウォルフの服をスカーレットががっしり掴む。

「確保ーーーー!」

 スカーレットは叫んだ。

「あなたのせいでわたくしの家は……! いい加減になさい!」


「なんでスカーレット、君なんだ……」

 ウォルフの目がうつろになった。懐から何かを取り出す。

「マリアベルだったら……言うことを聞いてくれなければ、僕と一緒に死のうと思ってたのに」

 きらりと刃物が光った。

「ウォルフ、あなた何考えているの」

「スカーレット、君が邪魔なんだ」

 刃物を構えてスカーレットににじり寄る。

「自分勝手はいい加減になさい!」

スカーレットは馬車の扉を開けた。憲兵隊がなだれ込む。

「婦女への暴行と私物侵入で逮捕!」

 こうして、ウォルフは詰所へ連行されていった。


     ※


「よかった、これで外へ出かけることができますね」

「はい。あの。今度お礼をさせていただいても良いですか。三日後、わたくしの家へ、茶話会にお招きしてもよろしいでしょうか」

「わかりました。では喜んで」




 アルバートが優しく蕩けるように微笑んだ。

「マリアベル嬢。怖い目にあったあなたに言うのもどうかとも思ったのだが、抑えられそうにないので言わせてくれ。好きだ」

「……は?」

「その。交際を、恋愛を視野に入れて友情を結んでもらえないだろうか」

ぱちぱち。マリアベルは目を瞬いた。以前にもこんな場面があった気がする。

(……アルバート様に、嫌な感じはしない。…むしろ、好感と感謝しかない。だけど、まだおつきあいにハイと言えるほど好きかどうかは自信がない。でも『お友達からはじめましょう』だと、このパターンは拗れるやつ)

 数々の恋物語も読んだから知っている。明確な約束のない恋愛を前提とした友情はめんどくさいのだ。大体拗れる。マリアベルは、もだもだと「あの人のことを好きに!でも今更言えない」とか「優しさから付き合ってくれているだけだよな…」とか「わたくしたちってどう言う関係なのかしら。変なところを見られて失望されてしまったかしら」とか言いながら延々友情以上恋人未満が続いていく話は苦手なのだ。

「あの。期限を決めませんか」

「期限?」

「はい。ひと月。ひと月、恋人を前提として相手を見ます。ひと月後の今日の日、答えを出しましょう。それまではお互いを恋人だと思って振る舞うのです。それで不快な部分が有れば関係解消、お互い後腐れなく他の方へ行くことができます」

 ふはっと彼が笑い出した。

「わかった、それでいい。君もいいのか?」

「ええ。……あなたは、その、不快ではないのです。ただわたくしが恋愛というものがよくわかっていないので」

「わかった。急がせてしまってすまない。

じゃあ今日から、マリアベルと呼んでもいいだろうか?」

「はい。……アルバートさま」


それから、彼とマリアベルはたくさん時間を共に過ごした。演劇を鑑賞しに行ったし、スイーツも食べた。郊外へピクニックに行ったし、夜会でエスコートしてもらった。

そうして、一月が過ぎた。



先日ピクニックへ行った時に見つけた見晴らしのいい丘で、マリアベルはアルバートと向かい合っていた。

「ちょうど、ひと月だ」

「そうですね」

「思ったより長かった。……早く本物にしたかった。やっと言える。好きだ、マリアベル。結婚してくほしい」

「結婚なんですか? 気が早いですね」

「いい。君が好きだ。ずっと、一緒にいたい。同じ話ができるところも、同じ痛みを感じることができるところも、優しいところも厳しいところも全て好きだよ。君といると居心地がいいんだ」

マリアベルははにかんで、笑った。

「ありがとうございます。わたくしもあなたが好きなようです」

アルバートは破顔して、マリアベルを抱き上げた。




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グランデンベルク家の三姉妹 姉と婚約破棄した婚約者が私に求婚してきました 森猫この葉 @z54ikia

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