グランデンベルク家の三姉妹 姉と婚約破棄した婚約者が私に求婚してきました
森猫この葉
前編
「マリアベル、君が好きだ。結婚してほしい」
目の前に座った男性が、マリアベルをまっすぐ見つめて言った。マリアベルはきょとんと目を瞬いた。
(どういうことなの。……ウォルフは真剣そうなのだけど。だけど。理解ができないわ。)
ウォルフは、装身具を差し出した。
「これを、君に。僕の気持ちだよ」
マリアベルの瞳の色に合わせた若草色の宝石が輝いている。
(……ということは、わざわざつくったの!?)
マリアベルは少し後退った。貴族のマナーでは動揺を悟られるなどはしたないことだ。だけど。
「ウォルフ様。…いえ、クライン卿。わたくしは、このようなものをいただく理由がございません」
「それはこれから作るんだよ、二人でね」
ウォルフはにっこりと笑った。マリアベルの手をとり、装身具を握らせる。マリアベルはぞっとして、さらに後ろへ下がろうとした。
「何を言っていらっしゃるの。……貴方はお姉さまの婚約者でしたでしょう!」
「昨日まではね。だけどイザベラには振られてしまったからさ」
「その前はスカーレットお姉さまと!」
「昔の話だね」
ウォルフはにっこりとまた笑った。
マリアベルは理解できないままに手を振り払い、その場から逃げ出した。
ばたん。
図書室の扉を閉める。
追いかけてきていたウォルフも、ここまでは来れないだろうか。
(なんて人なの!)
ウォルフ・クライン子爵子息は最初、一番上の姉のスカーレットの恋人として現れた。
両親を事故で亡くし途方に暮れていた三姉妹だったから、姉が連れてきた青年は大層頼もしく見えたものだった。
※
マリアベルは赤茶けた髪に薄緑色の瞳を眼鏡で隠した、冴えない娘だと自分では思っている。読書が好きで、事務作業も得意だ。この教会の図書室にもよく通っていた。家のことや領地のことなども少しずつ父から引き継いでいたところだった。母や二人の姉たちのような華やかさはないが、堅実に生きていこうと決めていた。そんなところに、両親が出かけた先で事故に遭い、亡くなってしまったのだった。
三人は悲しみに暮れた。家のことはとりあえず執事が回してくれた。これから当主を継ぐ者を決めなくてはならない。姉妹の誰かが継ぐのか、配偶者を婿にして継いでもらうのか。両親共に兄弟がおらず遠縁の親戚しかいないのも問題だった。このままでは一家離散の危機だ。三姉妹はため息をついて方策を探した。
長姉のスカーレットは18歳、結婚適齢期に差し掛かっていたが婚約者などはいなかった。スカーレットはすらりと背が高く、動揺を見せない性格もあって男性よりも年下の女性によくもてた。次姉のイザベラは16歳で、小柄で甘え上手で、さまざまな男性と親交があったが、婚約を決めるほどに惹かれる相手が見つからずにふらふらと宴の華になっていた。 三姉妹の両親は仲睦まじく想いあっていたので、三姉妹もお互いを想いあえることが結婚相手の条件だった。両親が健在なときにはゆっくり探したら良いと思っていたのだ。
状況は変わった。だがなかなか、三姉妹の目にかなう相手は見つからなかった。
長 姉が、クライン子爵家子息ウォルフを連れてきた。姉は、はにかんだように彼を恋人と紹介し、イザベラとマリアベルは歓迎した。二人は夜会で出会ったらしく、何度も逢瀬を重ねて恋人になったと聞いた。
彼は絵に描いたような好青年ぶりで、姉たちは彼に頼りきりになった。マリアベルは次姉に続いてちょこんと挨拶をしただけで、その後は自室に下がったのであまりよく知らない。だけど姉二人が彼を溺愛しているらしき様子は聞こえてきていた。
灯りが消えたようになっていたグランデンベルク家に再び賑やかな談笑の声が聞こえるようになった。
そんなある日、マリアベルはスカーレットが泣き叫んでいる場に出くわした。玄関ホールで三人が揉めていた。
「どういうこと!」
「うん、だから、僕の隣は一人しか場所がないからね。今夜の王城の宴はイザベラと行くことになってるんだ」
少しも悪びれることなくウォルフが笑顔を浮かべる。イザベラは着飾り、その腕に両手を絡めていた。
「どうしてイザベラなのよ!」
「僕の婚約者だからさ」
「おねえさま、ごめんなさい」
イザベラがウォルフの腕を取り、スカーレットを上目遣いに見上げた。
「イザベラ、ウォルフ様が好きになってしまったの。ウォルフ様もイザベラが好きって言ってくださいったわ。だから婚約することにしたの」
「ごめんね、スカーレット。君もマリアベルもイザベラの次に好きだよ。君たちのことは僕が守るから心配しないでくれ。僕の両親たちも、イザベラを歓迎しているよ」
女性としては背の高い、ウォルフよりも大柄なスカーレットと違ってイザベラは小柄で女の子らしい可愛さがある。息子の嫁としては歓迎されるだろう。
イザベラとウォルフは手をとりながら出ていき、スカーレットは愕然とした顔をしていたが、やがて二人が出て扉が閉まると取り乱して泣き出した。
マリアベルは玄関ホールへ下りる。
「お姉さま」
「マリアベル! …何でもないのよ、これは、」
「あの、クライン子爵家について調べたの」
慌てて涙を隠そうとする姉に、マリアベルは紙束を差し出した。
「どうやら子爵家は投資に失敗して、お金に困っているようだわ。うちの財産が目当てなのかもしれないと、心配していたの。財産目当てなら相手は三姉妹の誰でもいいでしょう。…まさかそんなことにはならないと思っていたのだけど」
スカーレットは唖然としたようにマリアベルを見下ろした。
「……マリアベル、あなたまだ13歳ではなかったかしら」
「ええ、お姉さま。来月14歳になります」
「わたくしが14の頃には可愛いドレスのことしか頭になかったわよ」
「わたくしはこういうことが好きなんです。だから亡くなった父様もわたくしにこういう教育を与えてくださっていたのだと思いますわ。…社交は苦手なのですが」
マリアベルが苦笑すると、スカーレットも微笑んだ。
「それも問題ね」
「ええ。そのあたりはお姉さまたちにお任せしようと思っています」
「だから、わたくしが、婿を取ってこのグランデンベルク家を守るつもりだったのよ……」
長姉は遠い目をして涙を拭った。
「その資料、少し説明してくれる? 恥ずかしい話だけどわたくしには、見てもよくわからないわ」
「わかりました、お茶の準備をさせてから、少し後にお姉さまのお部屋にうかがいますね。…わたくしの部屋は、その、本や書類でいっぱいなので」
「……マリアベルは部屋を片付けた方がよろしくてよ。貴女の部屋は乙女の部屋と思えないわ。使用人からも相談がありましたよ」
「…善処します。書斎を別に設けるのもいいかもしれませんね。では後ほど」
マリアベルは姉が心を休めることができるようにお茶をゆっくりと準備して、侍女と共に姉の部屋を訪れた。姉の部屋はすっきりと片付いていた。少し殺風景に感じるほど綺麗に整っていた。
「花でも飾った方がよかったかしら。……結局、あの子が選ばれるのね。お父様もお母様も、平等に愛してくださったけど、ことのほか可愛がっていたのはイザベラだったもの」
何も載っていない窓枠を眺めてスカーレットがぽつりとつぶやく。
「イザベラお姉さまはわかりやすいですから」
ちなみに次姉の部屋はレース飾りやぬいぐるみ、装飾品、お花など、可愛らしいもので埋め尽くされている。
「どうぞ。お姉さまの好きなお茶です」
「ありがとう。いただくわ」
スカーレットは暖かいお茶を飲み、ほっと息を吐いた。
「……ウォルフはダメね。このままこの家に入れたらめちゃくちゃになる気がするわ」
「そうですね、わたくしもそれを危惧しています。イザベラお姉さまがウォルフ様を愛してらっしゃるのならば、クライン家へ嫁いでいただくのが良いと思うのですが」
「妹がみすみす不幸になるのを見逃せないわ」
「クライン家の方も、ウォルフ様のお兄様と奥様のトラブルもあって何かと大変なようですね。良い環境とは思えません。ウォルフ様が頼れる方ならばお嫁入りもありかしらと思っていたのですが」
「あの人はだめだと思うわ。わたくしが言うのも何だけど。理解できないの。なぜ恋人だったわたくしではなく妹と婚約したの。
……そんな兆候、なかったのよ? それは、イザベラと仲が良いなとは思っていたのだけれど。わたくしにも以前と同じだけの愛を告げていたのよ。いまでも信じられないのだけれど」
スカーレットの目から涙がひとすじ溢れた。
「わたくしの見る目が無かったのね…」
マリアベルは姉の手をぎゅっと握った。
「お姉さま。大丈夫です、わたくしにお任せください。今はお姉さまはゆっくり休まれてくださいな」
マリアベルは知っている。両親を失った三姉妹を守ろうと、長姉がどれほど無理をして親戚や知り合いを訪ねて頑張っていたのか。長姉として、気の休まることがなかっただろう姉に、少し息抜きをして欲しかった。
「マリアベル。まだ13歳なのに……ありがとう。お父様とお母様が生きてらしたら、貴女にそんな苦労をさせることもないというのに。わたくしが不甲斐ないせいで」
「そんなことありませんわ。お姉さまもまだ18歳でしょう? 幸い我が家には両親の残してくれた優秀な使用人と領地があります。堅実に運営していけば良いのですよ。わたくしにお任せくださいな」
マリアベルは執事と共に策を講じた。
半年ほど、イザベラとウォルフは婚約者としてあちこちの夜会を出歩いていた。
いよいよ婚約式の期日も迫ってきた日、スカーレットが決意を決めたようにイザベラの部屋に入って行った。マリアベルの用意した資料を元にイザベラに話をするのだろう。二人は長い時間話し込んでいた。次姉の泣き声が聞こえた。
それが、一昨夜のことだ。これからなんらかの動きがあるだろうと思っていた。だけど。
マリアベルの予想を超える速さで、ウォルフは装身具を差し出して、頭が沸いたようなことを言い出した。
※
あまりの急展開に頭がついてこず、マリアベルは図書室の扉に身を預けて息を吐き、これまでのことを思い返した。
(やはり、理解できないわ)
ウォルフは、何を考えているのだろうか。図書室のドアを閉めて扉の前にうずくまる。コツコツと足音が近づいてくる。
「マリアベルちゃん。僕と結婚しよう。怖がらなくてもいい、まずは既成事実から作ってしまおうじゃないか」
鼻歌混じりの男の声が怖い。
ガタガタと、扉が揺れた。
マリアベルは息を呑んだ。
「困っているのか」
声がかかる。目の前にいたのはいつも見慣れた、本を貸してくれる司書の青年。
マリアベルは涙目で頷いた。
「こちらへ」
青年はマリアベルをカウンター裏へ隠すと、がんがんと音が鳴る扉を開けた。
「図書室は静かにしてくれないか」
「あ、ここ図書室なんだね。すぐに出て行くから安心してよ。ねえ君、ここに若草色の瞳の可愛い女の子がこなかった?」
「さあな。本に用がないなら出ていってくれないか」
「マリアベルちゃ〜ん。迎えにきたよ、一緒に帰ろう」
コツコツと通路の間を探す音がする。
マリアベルはカウンターの後ろで息を詰めた。
「気が済んだか。いないようだな。帰ってくれ」
「おかしいな、途中の扉は全部開けたんだけどな…見落としたかな…」
ウォルフは、首をかしげた。司書の青年にひらひらと手を振り出て行く。
扉が閉まり、図書室には再び静寂が戻った。
「行ったようだ」
カウンターに青年が戻ってくる。マリアベルはふるふると首を振って、指を立てた。足音がしなかった。まだ扉の向こうにいるのだ。
青年は目を丸くして、それから軽く頷くとまた黙々と作業を始めた。
しばらく静寂が支配した。
ちっ、と舌打ちする音と、コツコツ歩く音が遠ざかっていった。
マリアベルはふうと息を吐いた。
「なんだ、しつこいやつだったな。恋人か何かか」
マリアベルはふるふると首を振る。
「今日、突然愛を告げられたのです。昨日までは姉の婚約者でした」
「どういうことだ」
「わたくしにもわかりません。ただ、昨日の今日にしては用意周到に、わたくしの目の色の宝石を準備していたのが怖いです」
「ふむ。危険な男だな」
「ありがとうございました。帰ります」
「いや危険だ。私で良ければ送っていこう。…グランデンベルク伯爵家だったな」
「あ、いえ…。あなたを巻き込むわけにはまいりません」
「だが君の家は、今男手がないだろう。婿入りを狙う貴族の次男三男の間で話題になっていた」
(そんな!)
マリアベルは息を呑んだ。
「家の前まで送るよ」
「ありがとうございます。あの、お名前を伺っても?」
「ああ、失礼。私はアルバート・マキュア侯爵の三番目の息子です。家業が騎士団なんで、とりあえず用心棒くらいにならなれるかな」
「アルバートさま、ありがとうございます!」
マリアベルは笑顔でお礼を言った。
はたしてグランデンベルク家の前には怪しげな馬車がいて、アルバートの姿を目にすると慌てて立ち去っていった。あのまま一人で帰っていたら連れ去られてたかもしれないと、マリアベルはぞっとした。
「では、これで。また何かあったら遠慮なく、うちか教会の図書室へ連絡をくれ。私か、家の者にでも護衛に行かせる」
「ありがとうございました。アルバートさま、もしよければお茶でも飲んで行かれませんか。せめてお礼をさせてください」
「気にするな。通りがかりだ。ではまたな」
マリアベルが玄関を開けたのを見届けて、アルバートは去っていった。
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