第7話 伝説のロックバンド Quadruple V

 僕が十五の頃だ。


 宿に戻ってから、もらった紙片(ちょっと懐かしい気もした)、チケットを見た。〝彝之イタル追悼 クアドラプル・ヴイQuadruple V復活〟、会場:『ブラウン・シュガー』、演奏開始時刻:午後八時、とある。


 彝之(いの)イタル。


 クアドラプル(四倍の)V。


 聞いたこともない個人名とバンド名。ネットで調べた。いくつかヒットしたが、そのほとんどは眞神郡の人々のアップしたものだ。


 地域で伝説となっていた。


 小学生の頃(十一歳の頃であったという)、彝之イタルのハーモニカと天平普蕭のバイオリンとのユニットが起源だ。普蕭はもっと幼い頃から師に就いて音楽教育を受けていたので、演奏ができたが、イタルのハーモニカは全くのデタラメだった。その不協和な騒音活動は数ヶ月、もしかしたら数週間程度で、人前で演奏することはなく、その後、高校生になるまで途絶えていた。


 高二の時、普蕭は公園で、音の合っていないアコースティック・ギターを滅茶苦茶に掻き鳴らすイタルと偶然、再会し、バンドを創ろうと提案する。イタルは否定的であったが、自己破滅的狂気から同意する。イタルがギター兼ボーカル、普蕭がドラムスとなった。ベース・ギター奏者を探し、パンク・バンド『非』を馘になっていた叭羅蜜斗をベーシストとして加える。


 バンド名をVVW(Very Very Well-donが由来。King Crimsonのロバート・フィリップが彼らのアルバム『RED』を評した言葉。WはVが二重・重複であるため、VVWとはVが四つあることになる。四倍のV、クアドラプル・ヴイ)とした。


 練習を始めるも、まっとうな演奏がほぼできないイタルと、いつまでも粗く、荒削りなままの叭羅蜜斗とは諍いばかり。


 その頃、薙久蓑町にあるライブ・ハウス『ブラウン・シュガー』は定期的にコンペを開催し、ステージに出演する者を決めていたが、普蕭がこれに参加することを提案。イタルは不賛成だった。


「ステージはオーディエンスへの迎合だ。俺は妥協しない。純粋でありたい。俺は誰にも聴かせない。書いた小説も誰にも読ませない」


 だが、自己破滅、自己異叛自己違逆的な狂気から、結局は参加する。イタルのギターが酷過ぎるため、助っ人として、彝之〆裂(い の い れつ)がギタリストとして加わり、その後も準メンバーとなる。ちなみに、〆裂という変わった名は、本来、イ裂としたかったところ(それでも変わっているが)を届出の際に、悪筆だった父がイを〆とよめるかたちに書いて確認もせずにそのまま戸籍に載せてしまったことによるらしい。本当かどうか定かではないが。


 イタルはステージでは狂絶なるプレイをし、最後にライブ・ハウスにあった数千万相当の機材を破壊し、親に負債を負わせた。


 学校を停学になっていたイタルは復活後、顔面の左半分に鯱のように逆立つ青龍の刺青を入れて登校する。そして、復活早々、悪びれもせず、

「大衆に媚びない無観客のゲリラ・ライブをする」

 そう言った。メンバーを促し、誰もいない深夜の公園でライブを行う。


 狂気に満ちた破壊的な演奏をするが、警察が出動し、最後に『豪奢なる修羅の戯』(たわむれ )という曲(後にイタルが書いた同名の小説が発見される)を歌ったときに、人類を呪う意味不明な言葉を叫んで、三つの盤が重なる噴水の頂点に立ち、ガソリンを撒いて火を点けた。業火に包まれる。


 イタル以外は皆、補導された。イタル丈が忽焉と姿を消す。摩訶不思議のうちの一つだ。それは逃げたということではなかった。同じ夜のうちに聖域である眞神山の頂上にある、神聖な垂直の磐代の頂上に登る(どのようにして登ったのか、未だにわからない。登れるはずがないのだ。摩訶不思議その二だ)。


 頂上に立った彼の姿がいかであったか、その表情は。今となっては、誰にもわからない。ガソリンを被って絶叫とともに飛翔し、燃え裂け死んだ。飛び降り自殺ではない。死という、最究竟最窮極の最狂裂パフォーマンスだった。


 溜息が出た。独白する。

「伝説か。

 悲劇と言うべきか、手厳しくは喜劇とも言うべきか。何と多くに迷惑を掛けた行為か、身勝手な思い込みの愚行であることか。

 なるほど、褒められる要素は皆無だが、今の時代、こういう恐竜のような人がいなくなったなと、しみじみ思ほゆ。 

今様は、あまりにも理が過ぎ、お悧巧になり、小賢しくも儚し」


 なお、普蕭くんが書いたイタルの伝記的な小説『Ekstase−脱自態−』はネットに公開されている。https://ss1.xrea.com/sylveeyh.g2.xrea.com/ekstase.pdf


 検索してみてほしい。それは扨おき。


 薙久蓑町は主要幹線から見れば、支線の支線に在る町で、まさに眞神郡の入口に相当し、郡を構成する一町四村のなかでは一番(都会と言っては語弊があるが)都会的だ。前回、こちら方面に来たときは、眞神鐵道への乗り換えをするのみだったから、薙久蓑駅で降りることは初めてであった。残暑厳しい折である。アスファルトに陽炎が立つ。


 駅の近く、神中洲は寂れた小さな繁華街だ。侘しさが懐かしい。こころが緩む。

 そこにライブ・ハウス『ブラウン・シュガー』があった。一階が書肆で、地下がライブ・ハウスだ。一階も地下も、オーナーが天平普蕭であった。むろん、高校生だった彼らがコンペに参加した時代は別のオーナーだったが、その後、彼が一階の古本屋とともに買い取った。


 ちなみに、真兮くんには『人間存在の実存的分析による存在論考–「空』–』という著作があるらしいが、一階にある普蕭くんの書肆で出版したらしい。ただし、上梓されたとは言え、薙久蓑の本屋で見られるのみで、眞神では〝聖典〟扱いのその著作も、他地域の書店には置かれていないとのことであった。(なお、それもHPにアップされていて、全く商売にする気はないらしい)


 ライブ・ハウスは百人が立ち見をすれば、いっぱいになるような狭いスペースだった。壁際に、背の高い小さな丸テーブルを挟んで向かい合った二つのスツール、それが四セットくらい。


 それと、小さな簡易バー・カウンター。そこにもスツールが二つ。

 壁はコンクリート打ちっぱなしだが、おしゃれでもアーティスティックでもない。配管は剥き出し。


 僕はカウンター席に真兮くんを見つけ、声を掛けた。

「来ました」

「やあ、土埃師」

 冗談でからかわれた丈なのに、僕はじぶんの勝手な、一方的な忸怩たる想いから赤面し、 

「師ではありません。それに……」

 最後まで言わせず、真兮くんはスツールを指差し、

「まあ、坐りたまえ、もしくは喫茶去。いや、茶はない。ここに桃がある」


 何を言っているのかわからなかったが、在るは夭々たる桃であった。バーテンダーからナイフを借りて剥く。生命、家庭、幸せの象徴を真兮くんが剥く、そういうふうに見てしまうじぶんを、こころのどこかで、せせら嗤っていた。そんな幻影、臆断、ドクサ、思い込み、空想など、水面に落ちた雫の波紋のようなものだ。山の早朝の霧のように何処からともなく起こったかと思えば、一瞬も止まらず、霧散する。


 ステージはすぐに始まった。前座などない。今さらだが、喫茶去(茶房などで茶でも飲んでから出直して来なさい)とは禅語だ。状況的には意味不明。どうでもいいよ、っていうことか?


 扨。


 演奏は荒削りで凄まじかった。叭羅蜜斗くんのベース・ギターはアンサンブル性の欠片もなく、即物的で、ラフだった。


 天平普蕭という人を初めて見た。欧州の十七、八世紀の貴族のような、いや、それともサイケデリックというものなのか、そんな聯想させる服装だ。コートやウエストコートには金糸や銀糸など多色の絹糸による織り柄が施され、コートについた大きなカフスや襟には派手な刺繍がある。ボルドー色の絹のシャツ、暗い緋色や緑や紺のペイズリー柄が主体のクラヴァット(ネクタイの祖型)。こうなるとコスプレなら下半身はブリーチズと膝丈の絹の靴下だが、細身のズボンとモロッコ革のような柔らかいブーツだった。


 髪型はボブに近い長めのマッシュルーム・カット。振り乱してプレイは機械仕掛けのように正確なドラミング。


 永遠の助っ人、彝之〆裂はシンプルで、ロックン・ロールなプレイ。狼の鬣のような髪型(何となく、一般に云う『真神』という言葉が狼の古名であることを連想した)に、紺絣、袴という姿。まるで、脱藩浪士ふうだ。革のブーツを履き、顎の尖った細い顔で鼻梁が高く、痩けた頬、無精鬚。スカした顔で、クールに演奏する。


 いい。しかし。


 全体として、期待していた炸裂を感じなかった。やはり、イタルがいなければ、ただのアマチュア・バンドか。そんな印象だった。僕は何を期待していたのか。究極? 究竟の真実? それは、なぜ。答は知っている。権力への意志だ。真理が権威を与え、王になる。神から天啓のように、王権神授のように。その光を浴びて燦然と輝き、世界の前に崇高に立つ。自己肯定の絶頂だ。その快楽を求めているに過ぎない。人間の全ての生き甲斐は。


 演奏が終わり、ステージ裾で、真兮がバンドのメンバーに紹介してくれた。

 その夏はそれで終わった。全ては虚しく消耗されて逝く。


 ただ、記憶のなかで、叭羅蜜斗くんが〆裂くんを指差して笑う映像丈が残っていた。何で笑っていたか、知らない、又は憶えていない。ただ、映像丈が無声映画のように記憶にあった。

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