第6話 再会
「おや、こんなところで会うとは」
「僕の方こそ吃驚です。こんなところ(いや、失敬!)に、なぜ」
「いや、こういう侘び寂びのきいた場所が嫌いではない、寧ろ、好きなのだが、今回の目的はそれではなくて、実は、彼女でね」
鬚で覆われた顎でイオニアのいる方向を示す。
「え、彼女が、ですか」
いかように反応してよいかわからず、僕はそう言った。
「むろん、色恋沙汰じゃない。まあ、話しても頭がおかしい(話さなくてもそう思っているかも知れぬが。ふ)と考えられる丈かも知れぬが。
まあ、外で話そうか」
すぐに出るのも、不自然であるため、少し館内を鑑賞して廻った。廻りながらも、何かを話さずにいられぬ性格らしい。
「古代ギリシャの地中海貿易などによる繁栄が高い芸術や哲学を養った。仏陀の生まれたシャーキヤ族の国はコーサラ国の属国で、コーサラはマガダ国に滅ぼされるが、商業の発展により繁栄していた。
文化の発展は経済的な繁栄・安定と無縁ではない。古代ギリシャ人の民主政治は奴隷制のもとに成立していた。彼らは午前中に働き、午後はスポーツや芸術や哲学を楽しんだ。〝労働は魂を瑕つける〟とは彼らの言葉だと聞く。
これほど偉大な芸術はそういった環境でしか生まれ得ないのだ。人は富によって天国へ近づこうとしているのかもしれない。
無為徒労だが」
それから、外へ出た。
出た途端にむわっとする。相変わらず、夏空だ。全てが白っぽく見える。影は濃く短く、輪郭が明晰だ。
「実は我が天易家は眞神の一族のなかでは、天文占星や風水、陰陽や八卦、太占、四柱推命や奇門遁甲を専らとする姓で、ここに聖なる女神『いゐりや』の系譜に連なる象徴が生じたことが判明した。
象徴はまさしく象徴で、事物のときもあるが、星天の運行のときもあり、又人としてあらわれることもある。今は彼女の双眸だ。
あのロイヤル・ブルーのサファイヤのように、ブリリアント・カットされた青いダイヤモンドのように、あるいは海の深きのように、奥にいくほどに幾つもの層となって重なる青や蒼や碧や藍や紺の立体モザイクである眸の虹彩。生存が絶えるほど純粋に透く瞳孔の水晶体。
言語や考概を超えた、実在の真理だ。
甚深微妙なことなので、全く何を言っているのかわからないと思うが」
「全くわかりませんが、何となく、察しがつくと言うか、わかるような気がしなくもないです」
「そうさ、察しとは不思議なものだ。全てを超越する。人は何で察しがつくのだろう。実験と突合された理論からか、経験による類推からか、いずれにせよ、なぜ、理論や類推が察しになるかは誰も解明できない。
むしろ、人は予め全てを知っているのだ。
いや、人に限るまい。動植物も昆虫も。だから、生きることができるのであろう。真菌もアメーバも。土も火も水も空気も存在できるのは、それゆえであろう。空も雨も空気も太陽も星も月も、無空も。皆同じもの・ことを知り、同じもの・ことを考え、同じもの・ことを真究竟の真実義と捉える。ある意味、萬物齊同、齊物論さ」
全ては齊しく同じ、荘子の説いた説。差異はない。……だったと思う。違うかな。
何のことだかわからなくなった。そこへ唐突に、
「よお、また会ったな」
聞き覚えのある、軽佻浮薄な、世俗主義満載の、何でもかんでも、どうでもいいぜという無頼、即物的な、ドライで現実でしかない声。
僕は驚いた。
「あ、昨日の」
金髪スパイキーだ。突然あらわれた破調。金箔の大和絵の上の唐突な墨痕。真兮くんがやや怪訝な顔、
「何だ、知り合いか、叭羅蜜斗(ぱらみと)くん」
叭羅蜜斗と呼ばれたスパイキーはくしゃくしゃな尖りヘアをさらにくしゃくしゃにするように掻いて、片方の口角を上げる。
「昨日の夜に会った丈さ、名も知らん。真兮、お前の知り合いだったのか、その雲水」
真兮くんが嗅ぎタバコを嗅ぐ。
「そうさ、沙門の土埃慈雨くんだ」
僕は辞儀をした。
「土埃です」
「そうか。俺は同源(どうげん)。名は叭羅蜜斗、ってんだ、よろしくな。変な名前だろ? 般若波羅蜜が由来さ。言ったよな、俺は家が寺だって」
「はい、聞きました。同源さん、昨晩は失礼しました」
真兮くんと絡めて考えると、日本情緒にロンドン・パンクも違和感はない。金箔や大和絵具の顔料や繊細な筆使いで精細に描き上げられた屏風に破墨山水のような墨痕を垂らす、一見粗くも見える勢いの破調による気魄の美に似て、趣深い。
「別に、どうってことないぜ。俺みたいなチンピラ風情に夜、声掛けられりゃあ、当然の反応よ。
ところでさ、もしかしたら、お前の棲家からは遠いかも知んねーがよ、薙久蓑町の『ブラウン・シュガー』ってライブ・ハウスでさ、追悼ライブやるんだ。そら、チケット渡すぜ。気が向いたら来てくれ」
是非なく、受け取った。後で調べてわかったが、薙久蓑町とは眞神郡に属する。ここからも、僕の修行する寺からも、とても遠い。
「追悼? どなたか亡くなられたのですか?」
「八年前、十七の頃な。同級生だ」
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