第5話 海辺の寂れた美術館

 盛夏となり、僕は療養のため、海辺に暮らしていた。しばらく、眞神のことは忘れていた。海はとても碧い海で、白い岩とのコントラストが素晴らしかった。ギリシャの海、エーゲ海を想わせた。


 サーフボードのチューニングをする小さくて開放的な店、剥げたパステル・カラーが素朴なテラスのカフェ、椰子の木を一本植えた古いカクテル・バー、懐かしい雑貨屋などなどがならぶ、侘しい〝メインストリート〟。


 どれもこれも乾燥し切っていて、素朴に粗く、寂れていることが開放と解放とを感じさせてくれた。


 そんななかに、うら寂れた美術館がある。


 古典期ギリシャの大理石彫刻やエトルリアの壺が展示されているが、むろん、レプリカだった。青いペンキを塗った板に白い文字で、アフロディーテ美術館とある。中学校か高等学校の美術教室にあるような貧相な模刻であった。夏の正午の白茶けた寂寥とともに、懐かしい哀しみを覚える。


 とは言え、太陽神アポロンの彫像には深いプレゼンス(存在=肯定)を覚えた。レプリカの原型を写真等で知っているからであろう。まあ、それもローマ時代にギリシャ彫刻を模したものであったはずだが。僕はイヴ・クラインの青を無意識に想起した。地中海の海や空と重なったせいであろう。青には肯定の意味があるやのように想われた。晴れ渡った蒼穹は聖なる肯定そのものだ。理窟抜きで。


 イオニア(Іоніяそれはイオナともイーオーニャとも聞こえた)と出会ったのは、その美術館であった。なぜ、立ち寄ったか、もう憶えていない。


 真夏の陽射しに焼かれた足の指をサンダルから覗かせた少女の姿。それが外から垣間見えたからかもしれない。彼女は受付に坐り、入場券のもぎりをしていた。金髪碧眼、元は白皙であった皮膚は日焼けのため、黄金を帯びた小麦色をしている。


 入ると、館内は静かであった。僕の他に入館者はいない。


 彼女を顧みる。館長の娘だが、ギリシャ人ではなく、ウクライナ人であった。父アレクサンドルはギリシャ系で、母親ジョニアはスペイン系とクレオール系の血を引く。 


 館内は廃れたペンションを改造したもので、明るいペパーミントグリーンの壁色が剥落し始めていた。古代を空想するうちに、そんなささやかな時の窶れにさえも、蒼古の翳りを観ずる。


 さまざまに想いを楽しみながら、廻った。


 僕は偉大なるアテナ女神像やイズミールのゼウス雷霆神像、レオカレスのアポロン神像やデルフィのアポロン像に崇高なプレゼンスを感じつつも、『蜥蜴を殺すアポロン』像の艶かしさにも、優しい美を想い、美の本質とは何かを問う。問いながらイオニアを顧みた。


 美しい女の子だ。哀しみを感じさせた。小学生や中学生の頃の恋を思い出したからである。太陽のような生の輝きを放つのに、そういう切なさを観ぜしむ何かを湛えている。若さ、柔らかさ、儚さ、初々しさ、切なさとは真逆なそれらがなぜか観ぜしめるのだ。生命にみちあふれ、溌剌と、生き生きとしているのに、青空のような哀しみを覚えさせる。僕の虚しさの琴線をも奏でた。


 まだ十四、五であろう。出家の身であった僕が想うのは、不謹慎なことだったかもしれないが、異性として惹かれた。だが、もっと惹きつけられたのは、その眼だった。双眸の燦めき、瞳の虹彩がなぜか古代ギリシャの文字の羅列の円環ように、古代の神聖なスペル(呪文)のように見えた。あるいは、燦めく瞳のアテナ女神のように。古代の大らかな蒼穹に聳える智慧と戦闘の女神。


 妄想でしかないが、言葉ではない、自由な、絶妙の真理を、直截の実体として存在させているかのように想えた。三鈷杵や聖剣や聖杯のように。金の瓔珞やフラボアイヤン(炎のような)様式の狭間飾(トレーサリー)やステンドグラスの薔薇窓のように。ルクソール神殿のヒエログリフのように。ウジャトのまなざしのように。諸仏が八葉のかたちのなかに配された中台八葉院のように。曼荼羅のように。黒漆の地に螺鈿を象嵌し、金粉の蒔絵を施したかのように。


 全くどうかしている。そう想うと、逆に「まあ、それでもいいや」という〝闊達〟調のきぶんも湧き上がらなくはなかった。求道に取り憑かれて、少々の躁状態、少しおかしくなっている丈だ、ただ、それだけのことだ。Only this, and nothing more.


 僕は振り返ったが、勝利の女神ニケの像が沈黙している丈で、Nevermoreと言う者はいなかった。


 その夜、潮風に当たって、きめ細かな白砂の浜で坐禅した。月が皓々としている。寄せては返す潮騒が聞こえるのみであった。剥き出しの宇宙の吸い込まれそうな、広大なる奥行きに、鏤められた、夥しい、怖しい数の星々。沈黙が轟音を立てるかのようであった。 


 想う。

「あゝ、彼女は彼女じしんが真に究竟なる真実義それじたいであるとは、夢にも考えないだろうな。この世は何と甚深微妙なのだろう。理など何者でもない。合理など足枷でしかない。甚深微妙の美よ、実に稀有なことだ。神の秘蹟だ」


 明月の静夜。あらゆる神秘な思想が舞い降りる。しかし、その刹那だった。

 裂破するかのごとき爆音が起こる。バイクの排気音であった。V型8気筒エンジンの重い低音。


「ふむ」

 僕はやむなく砂を払って立ち上がる。帰ろうとし、舗装された公道に戻った。


 街燈のない道路、パンク・ロッカーがいた。バイクから降りて、海を眺めているようだった。バイクの補助灯に照らされ、その奇妙な姿がわかった。


 金髪が、じぶんでカットしたような不揃いな、よく言えば自然にくしゃくしゃな、短めのスパイキー・ヘア、一九七七年のジョニー・ロットンを想起させる。髪型のみならず、ファッションもしかり。Tシャツの袖は継ぎ足しして手腕よりも長く延長しているため、拳を隠してだらりと垂れ、シャツの正面には逆さ十字架の磔刑像とハーケンクロイツのプリント、太い業務用の鎖を首飾りにし、南京錠をぶら下げていた。黒革のパンツに、鎖と革のストラップが何本もついたブーツ。僕とは真逆なキャラクターだ。縁なき衆生。


 特に避ける訳でも関わろうとする訳でもなく、ただ、ぼんやりと、過ぎ去ろうとしていた。

「あ」


 アメリカのバイク・メーカー、カノン・モーター・サイクル社による排気量8200㏄の『ビッグ・カノン』だ。オートバイとは思えぬ巨大エンジンを持つ。出家する前の僕は巨大なもの、強烈なもの、精緻なもの、最高のものが好きだった。アイテムというものは自己の延長として愛されていると思う。人が良きアイテムを欲しがるのは、所有の欲を満たし、狩猟・征服の欲を満たし、拡張された自己の尊大を楽しみ、自己が崇敬され、生きるに値すると賞讃されることを感じ、自己肯定の陶酔を感じるからであろう。僕はその起源が生存欲にあると見ている。生き残って子孫へと生を繋ぎ、種を残したいとする欲望だ。


 僕の嗜好もまた、この例に漏れず、自己肯定への渇望であり、生存への意志を源の動機とする、と自己分析していた。


 それは扨おき、じぶんでは気がつかなかったが、きっと『ビッグ・カノン』という名称を口走ってしまったのであろう。金髪スパイキーがそこへ突っ込んできた。

「へえ、お前、坊主なのに、こいつに興味あるんだ。ま、俺ん家も寺だがよ」


 無視して逝き過ぎることとしたが、彼はさらに、

「おい、こんなに良い月夜にシカトかよ。風情がねえな。なあ、シカトって花札が由来の言葉なんだぜ。くっ、くっ。バカバカしいぜ。くっだらねえ、あはっ、あはっ。……って無視かよ。縁なき衆生って訳かい。へっ」


 風情がない? ま、いいさ。


 名月のときに不粋な排気音をぶん流す方が、よほど風情がない、と思ったが、言っても、意味がないであろうし、そもそも、感性は人それぞれだ。そう思って、なおさら、過ぎ去ろうと急ぐ。


 金髪スパイキーは呵々大笑した。

「そうか、あはは、わかったよ。じゃ、またな」

 またな? また会う訳がない。宿に帰る。疲れてすぐに眠れた。珍しい。


 朝が来る。夏の真っ青な空、まぶしいくらいに輝く白い入道雲。それがなぜかもの悲しい。青春時代に感じたような気がするそんな甘い感傷に浸りつつ、僕は感慨に耽って海を眺めていた。


 僕はまた漠とした動揺を抱きつつ、アフロディーテ美術館へ赴く。

「こんにちは」

 イオニアともすっかり顔馴染みだ。僕はうなずいた丈で返事をしなかった。

 館内に目線を移し、驚く。

「天易さん」

 あの奇妙奇天烈なふうていの彼が狭い館内の(邪魔でしかない)古いソファに坐っていた。

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