第18話 豪華な食事

「やはり何度見ても神秘的で美しいな。」


 俺は夜明け前の夜空に広がる発光星雲を見ていた。

 様々な色で複雑な模様を描き、夜空にあって淡く輝く宇宙の景色。見れば見るほどその美しさに惹きつけられ心が洗われていくように感じる。この超自然的な景色を見ていると、俺の悩みなど些細な事に感じられてしまう。


 まあ、そうは言っても、この一時が終わればまた過酷なサバイバル生活が待っているのだが。

 昨日、サーベルタイガーの皮剥ぎを終えた俺は、寝床となる大樹の木の根の隙間を見つけ、たらふく食って早い時間に寝た。そのお陰で早い時間に目が覚めて、今こうして発光星雲を見ている。

 怪我もほとんど治り、沈んでいた気分も落ち着いている。


 明るくなったら、壊れた盾を直して出発しようと思う。

 サーベルタイガーの毛皮は鞣しきれていないのでゴワゴワで重いが、この先必要になると思うので背負って持って行く。


 この毛皮を使ってサーベルタイガーの姿を装い、《プレッシャー》を放てばある程度の魔物との戦いは避けられるのではないかと考えている。

 上手くいけばラッキーというところだ。




 ☆   ☆   ☆




 今日はかなり森を進んでいる。幾つかの尾根と谷を越えて山の中腹にまで来ている。サーベルタイガーの毛皮の効果なのか、あまり獣が襲って来ない。


 黒豹もどきやリカオンもどきといった獣が何度か襲って来たが、サーベルタイガーの毛皮を広げると驚き、《プレッシャー》を放つと萎縮してしまう。簡単に倒す事が出来て、無駄な時間を過ごさずに済んでいる。

 やはり、このサーベルタイガーはこの一帯の王者だったのだろう。予想以上の効果に俺はほくそ笑んだ。


 それと、思っていたよりも高地まで来ていたようで、広葉樹が濃密だった森の木々が針葉樹林へと変わりつつあり、多少肌寒いと感じるようになっていた。

 日本の本州中部に当てはめるなら、標高1700〜2000mくらいまで来たのだろうか。


 しかし、頂上はまだ遠い。

 雲に阻まれて見え隠れしているが、頂上付近は草木が無くなって岩肌が露出している。やはり3000m以上はありそうだ。

 今の体感気温から察するに、頂上付近は10℃を下回るだろう。夜はもっと下がるはずだ。


 傾斜もかなりきつくなってきたので、頂上に向けて真っ直ぐ歩くのが困難になってきた。俺は歩きやすい場所を探しながら、一歩一歩慎重にジグザグに歩みを進めて行く。傾斜がきついと足元が滑りやすくなるので注意が必要だ。


 登るにしたがって、樹々の隙間が開いてきて草類の密度が高くなっていく。

 日本の植物に似ているものもあれば、全く似ていないものもある。日本での山登りと全く違う雰囲気なので新鮮な気分だ。


 それだけに、解らない事が多いのでより注意が必要だ。触れると肌がただれたり切れたりする植物があるかもしれない。下手をすると、襲ってくる植物も無いとは言い切れない。


 木々の密度が落ちたので空の見える範囲が広がり、今まで気にならなかった鳥たちがチラホラと見えるようになってきた。

 ウグイスやヒバリのような鳥ならいいが、見えているのは鷲や鷹に似た猛禽類だ。かなり上空を飛んでいるので大きさは分からないが、多分地球のものよりも大きいのだろう。なんせ翼竜がいるくらいだからな。

 人間サイズが捕食対象になるとは思わないが、注意するに越した事はない。


 俺は《場》による気配察知の範囲を広げた。

 森を歩きながら、ヒルや蜂といった厄介な物を避けている内に、《場》による気配が判る事に気付いた。なんとなくだけど、ある程度遠くの物の動きが判るようになっていた。

 多分、これも元々この体に備わっていた能力なのだろう。



 大した敵に出会う事なく山登りを続けていると、岩の塊が露出した草木の無い場所に出た。

 視界が大きく開けて、空だけでなく、今まで登ってきた山の姿とこの登山の出発点となったゴブリンの住処だった洞窟のある湖が見えていた。


 それはまさに絶景と言える風景だ。

 眼下には密集した森の樹々が緑の絨毯となって尾根や谷の形を覆い尽くしていて、その先に湖が幾つも折り重なるように見えていた。

 湖が複雑な形をしているのか、それとも小さな湖が幾つも並んでいるのかはここからでは判らないが、森と湖が交互に並んで複雑な地形を作り出している。


 そういえば、福井県の三方五湖がこんな感じだった。

 海と5つの湖に囲まれた山々が複雑な地形を作り出していて、そこの山にある山頂公園から見る景色は素晴らしいの一言に尽きた。


 こっちの湖には海は見えないが、その先には大きな森が広がり地平線まで続いている。緻密さは無いが、ダイナミックさでいえばこちらの景色が数段上だ。

 こうして高いところから湖を眺めて、先日まで自分がいた場所を見るのは何ともいえない気分だ。

 あそこに俺は居たんだよなと思い、リュジニィと過ごした湖畔も見えている。


 しかし、こうして全体を見渡しても人間の生活する場所は見当たらない。

 日本なら山に登ればどこかしらに人間の街や生活の痕跡が見えるが、ここは只々深い山奥の自然が広がっているだけだ。


 この世界では人間の生存圏はごく限られているのかもしれない。

 中世の日本やヨーロッパの文明レベルなら、人の踏み込んだ事のない自然地域がいくらでもあるはずだ。


 そんな考えに耽って周囲への警戒を怠っていたのはまずかった。俺は大きな羽音が聞こえるまで鷲の接近に気づかなかった。

 咄嗟に伏せて岩の陰に隠れたので事無きを得たが、凶悪な鉤爪がわずか数cmの距離を掠めていった。


 飛び去る鷲を見ると翼開長が5m近くあり、地球でも大きいとされる大鷲の倍近くある。鉤爪の大きさは20cm以上はある。アレに捉われたら内蔵まで食い込むだろう、堪ったものではない。


 俺は反射的に石を投げたが、後ろに目が付いているかのようにあっさりと躱された。鷲は俺から離れながらグングン加速して大空高く舞い上がった。

 俺を獲物として認識したのか、急降下しながら再度突っ込んで来た。俺はそのスピードに目を見張った。


 地球の犬鷲は時速320kmを記録したというが、この鷲はそれを遥かに凌駕しているように感じる。

 急降下の落下速度に加えて《念動力》を使っているのだろう、目で追いきれないほどのスピードで迫ってくる。しかも羽を畳んでいるので弾丸が飛んでくるように見える。

 俺は石を投げて迎え撃ったが、やはり軌道を逸らされる。次の石を投げる時間の余裕はない。


 俺は鷲が通り過ぎる瞬間を狙い、咄嗟に自分の後ろにある岩の陰に隠れながら指弾を放った。

 鷲は獲物である俺を捕まえる時には羽を広げてブレーキをかけて速度を落とす。目前に迫った小石に気付いて躱そうとするが間に合わず、体勢を崩しながら羽ばたきを強くして、更にスピードを落とす。


 勢いが殆ど無くなった瞬間に、俺は鷲に対して下方向へ《念動力》をかけた。

 急降下の態勢から上昇へと転じようとしていた鷲の飛行軌道が変わり、そのまま岩に突っ込んだ。


 岩に頭をぶつけた鷲は藻掻きながら羽をバタつかせた。が、飛ぶ事が出来ずに岩の上で暴れ回る。大量の羽が抜けて、桜吹雪のように舞い散った。

 俺はハルバードで鷲の頭を叩き潰して殺した。


 サーベルタイガーにやられた、身体ごと《念動力》で包んで《空間移動》させる技を咄嗟に試してみたが、上手くいったようだ。

 翼を広げた大きさが5mを超えるといっても、体の部分は小さく、体重は20kg程度だろう。これ位なら、俺でも《念動力》を使って動かせる範囲内にある。


 しかし、自分が本当に襲われるとは思わなかった。

 日本や外国でも実際に大鷲などに子供が攫われた事例はあるが、俺を捕まえて飛べるのだろうか?

 飛べると思ったから襲ったんだろうが、少なくとも俺の体重はこの鷲の4倍はあると思うのだが…異世界恐るべしだ。


 鷲の首を裂いて念動石を取り出してみたが、小指程度の小さな物で色は明るいレッドだ。実際に感じた《場》の強さはそれ程でもなかったので、赤みのある念動石は大した力が無いのだろう。

 元々が空を飛ぶ動物なので、加速に使う程度で《念動力》をあまり必要としないのかもしれない。


 辺り一面に広がった鷲の羽を見て、枕に出来ないか考えたが、それには量が少なすぎるので諦めた。

 野営するのはいいが、枕がないと朝目覚めた時に首が凝っている事が多くて辛い時がある。キャンプなどをすると分かるが、枕が有ると無いとでは眠りの質が違い、疲れの癒え方もかなり変わってくる。贅沢な悩みかもしれないが、結構重要な問題だ。

 仕方ないので、当分は毛皮を丸めて代用するしかない。



 俺はもう一度森と湖が織りなすパノラマを見てから出発した。

 これから先、高度が高くなるに従って木々も疎らになっていくだろうし、こういった視界の開けた場所も増えていくだろう。視線の高さが変わるので、今見えている景色がどんな風に変化していくのか楽しみだ。

 これは山登りの醍醐味の一つだが、警戒を疎かにしないように気を付けないとな。


 暫く歩いたが、獣の襲撃を殆ど受けなくなってきた。

 兎やイタチのような小動物が目立つようになり、木の上にはリスや小さな猿のような動物も見受けられる。それらの小動物は近づくと逃げて行った。


 やはりサーベルタイガーの姿が恐ろしいのか、それとも俺の放つ《プレッシャー》が恐ろしいのか、何にせよ厄介がなくて何よりだ。

 この世界の獣は戦い始めると死ぬまで戦いを続けるが、最初から敵わないと思っている相手には、流石に無理に戦いを挑まないようだ。


 猿に似た動物が食べていた木の実を採って食べてみた。赤くブツブツした小さな実がブドウのような房になっている。

 最初苦味を感じたが、口の中で実が弾けると甘味が広がった。結構美味しい。俺は幾つか採って集めた。碌なものを食っていなかったために口が寂しいと思っていたのでちょうど良かった。


 日本に居た時に山登りは何度もしたが、実際に木の実や草花を食べた事はない。あくまで鑑賞するにとどめておいた。

 なので、料理に興味が無かった事もあり、どんな植物が食べられるのかさっぱり分からない。こんな事ならもっと植物も勉強しておくべきだったと思うが、後の祭りだ。今後のためにも、小動物が食べている物には注視していこうと思う。



 高度がさらに上がり、木々がまばらになって草の生い茂る景色に変化した。気温もかなり低くなってきたので、地肌を晒している腕や脚が寒いと感じるようになってきた。


 身を隠す場所が無くなってきたせいか、鷲や鷹といった猛禽類の攻撃を受ける事が増えた。

 猛禽類はサーベルタイガーの毛皮を気にしないようだ。鷲や鷹は目がいいと言われているので、擬態を簡単に見破るのだろう。


 何度か戦っているうちに、攻撃に幾つかのパターンがあるのが解ってきた。

 基本的には急降下しながら鉤爪を使って捉えようとするが、時には地面すれすれに飛んで来て嘴で突き刺す場合もあるようだ。


 急降下の際には石を投げると、その石を右方向にずらしながら自身は下へ潜り込むように高度を若干下げる。このを展開するので、追加で念を込めた石を投げてやると《場》が乱れてかなりの確率で撃ち落とせるようになった。


 地面すれすれに飛んでくる時はスピードが遅いが、その分強い《場》を形成して獲物の動きを抑え込もうとする。

 もっとも、強い《場》といっても小動物に通用する程度なので、こちらがより強い《場》を展開してやると逆に飛行経路を固定できるので、容易に投石で狙い撃ちできる。


 10羽ほど撃ち落としたが、その後は攻撃が止んだ。鷲や鷹の間で俺をより強い者と学習したのか、上空から姿を消した。

 それは良いが、俺の姿が上からは丸見えなので、湖に飛来した翼竜が来ないように願った。さすがにあれに勝てるとは思わない。鷲の鉤爪なんて比べ物にならないほどデカくて太かったので、あれに掴まれたら体ごと握りつぶされるだろう。


 それと、やはり戦いの後は性欲が沸き起こるが、見通しの良い場所で発散するのはかなり、というかメッチャ恥ずかしい。

 我慢できれば良いのだが、一度淫欲の虜となると発散するまで頭の中が女体で埋め尽くされるので、他の事が考えられなくなってしまう。

 実際、平常時でも思考が淫欲の虜になりつつあり、どうしたものかと悩み始めていた。



 そんな悩みに苦しみながら歩いていると、比較的なだらかな土地に出た。

 白詰草や赤詰草に似た花、菜の花に似た花が咲き乱れていて、三つ葉や四つ葉が辺り一帯を覆い尽くしている。


 そこへ踏み入って行くと、所々にキノコが輪を描くようにして生えているのがちらほらとあちこちに見受けられるようになってきた。


 なんだ?


 確か『妖精の輪』と呼ばれるもので、ヨーロッパの伝承に登場するものだと思ったが。

 妖精が輪になって踊った跡とか、そんな感じだったかな?そこに人が入り込むと永遠に帰って来れないとかだったかな?


 そういえばテレビか何かで見たんだったかな、『妖精の輪』は菌輪によって出来ると。ようはキノコが放射状に生えて広がっていくのだが、古くなった中心部分から死滅していくので輪の形になって残るという訳だ。


 これは条件さえ整えば物凄く大きくなるらしい。

 一般的に見られるのはせいぜい直径が数m程度だが、フランスでは直径が600mに及ぶものが発見され、年齢も700歳に達したとか。まさに自然は驚異的だ。


 ここの『妖精の輪』は2〜3m程のものがかなりの数あるようだが、一際目を引くのがその中心にあるもので、直径が20mはあると思われる。

 普通は一種類のキノコで構成されるが、この大きな『妖精の輪』は様々なキノコからなっていて、不思議な模様を描いているようにも見える。


 こんなのは見た事がないので興味を持った。

 近づいていくと、突然子供の笑い声が響いた。


 なんだ⁉


 咄嗟に身構えたが、数人分の無邪気な笑い声が大きくなり、三人の妖精が姿を現した。妖精たちは俺の周りを飛んで楽しそうに笑いかける。

 やはり、この妖精たちも人間に似ているが人形のようで小さくて愛らしい。


 キノコを模したような帽子を被っており、白詰草と赤詰草を思わせる赤と白の衣装や菜の花を思わせる黄色い衣装に身を包んでいる。

 これは《泉の精》に出遭った時と似通った状況だ。ここにも精霊か何かがいるのか?

 妖精たちは俺を大きな『妖精の輪』に誘おうとする。


 俺は《泉の精》という前例があるので、誘われるままに行ってみようかと思った。

 が、民間伝承の『永遠に戻って来れない』というのが脳裏をよぎった。もし、何処かに飛ばされて本当に戻って来れないとしたら…


 不安が押し寄せてきた。

 本来なら一笑に付すところだが、あの研究所での魔法サークルのようなものによる瞬間移動の事もあるので、ありえなくはない。


 立ち止まる俺を、妖精たちは訝しげに見つめ、早くおいでよとばかりに手招きをする。が、どうにも怪しく思えて仕方がない。

 知らないおじさんに着いていくのは危ない事だが、知らない妖精に着いていくのはもっと危ないのではないだろうか?


 しかし、ものは考えようだ。

 もし何処かに飛ばされたとしても、今より状況が悪くなる事があるのだろうか?

 何かに取って食われたなら、それはそれでしょうがないのかもしれない。今の状況が続くよりもマシなようにも思えた。

 それに、《泉の精》と同じなら疲れと怪我を癒して貰えるかもしれない。


 俺は覚悟を決めて妖精たちと共に大きな『妖精の輪』の中に入っていった。

 その瞬間、何かの膜のようなものを擦り抜けたような感覚がした。それは《場》が干渉しあったような感じにも似ている。何かの結界のようなものなのだろうか?

《泉の精》に拒絶されて、泉に近づけなくなった時の感覚に似ているようにも感じた。


『妖精の輪』の中は暖かく、春の陽だまりのようだ。

 外からは見えなかったが、足元には様々な花が咲き乱れている。不思議な事に、足を踏み出すとその部分の花が消えて、足を退けると花が咲いていく。

 紛う事なくファンタジーの世界だ。


 花々に目を奪われていると、中央に咲く一際大きな花の中から巨大なクリスタルのような柱が現れた。それが回転し、光を反射させて周りを照らした。

 周りの花々が活き活きとして艶やかさを増し、花粉のような粒子を放出させた。光の粒が俺の体の周りを包み込んで行く。

 やばいと思ったが逃げられずに吸い込んでしまう。


 すると、《泉の精》がいた泉の水を飲んだ時のように、体中に力が満ち溢れて小さな怪我や傷がみるみる癒えていった。

 不思議な事に、力は漲っているのに性欲は治まって、賢者タイムのように心穏やかになった。久しぶりに訪れた爽やかな気分に、忘れかけていた心の安らぎを覚えてホッとした。


 自分の状態に満足していると、いつの間にか目の前には精霊と思しき女性が立っていた。

 いや、微妙に宙に浮いているので、そこに在るといった方が良いのかもしれない。


《花の精》とでもいうのだろうか…


 女性は優しく微笑みながら俺を見つめている。

 鶯色のセミロングの髪が内側にカールして広がり、やはりキノコを思わせるような雰囲気を纏っている。その髪の毛が揺れる度に様々なパステルカラーに変化していく。


 淡い紫色の衣を纏って微かに輝きを放っている。風がある訳でもないのに衣がゆったりと揺れていて、それは微風にそよぐ花弁を思わせる。

 なんとも形容し難い神秘的な佇まいだ。


 確かなのは、《泉の精》と同じく人間を超越したような美しさと存在感があるという事だ。自然と崇めたくなるような超然的な雰囲気を纏っている。

 俺は思わず片膝をついて礼を述べた。


「怪我と体力の回復を賜りまして、ありがとうございます。」

「〜♪♫♬♪♫♬♪♫♬〜」


 何かを答えてくれたようだが、やはり何を言っているのか解らない。

 ただ、穏やかに微笑む様子から敵意は感じられず、危害を与えるつもりは無いだろうと思える。


 リュジニィならこの言葉の意味が解ったのだろうか?

 イントネーションは大分違うようにも感じるが、何となくリュジニィが話していた言語に似ていなくもないように感じる。


「フェウゥ、ビャーンディ、ジェボォウ。フェウゥ、ビャーンディ、ジェボォウ。」


 俺はリュジニィから習った言葉を並べてみた。

 直訳すると、「火、肉、美味しい。火、肉、美味しい。」だ。


 取り敢えず、この女性を《花の精》としよう。

《花の精》はほんの一瞬だけ『なにそれ?』というような表情を浮かべた。本当に一瞬だけで、コンマ1秒にも満たないと思うが、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたのを俺は見逃さなかった。とてもレアなものを見たような気がする。

 その一瞬の後、何事も無かったかのように穏やかな微笑みを浮かべた。


「〜♪♪♫&♪♪♫♫♫♬%♬≦:♫♬#♬※♬♬▶♪♪♫♫♪♪♫〜」


《花の精》が言葉を発すると、俺のいた場所を中心に半径2mほどの範囲で花が消えて地面が現れた。さらに、小さな魔法陣のような模様が浮かび上がり、そこに石で作った『かまど』までもが現れた。


 どう見ても魔法としか思えなくて、これには驚いた。

 そして、俺の言葉がちゃんと通じたようだ。《花の精》は俺が肉を焼いて食べると理解したのだろう。もう、魔法がどうこうというよりも、言葉が通じた事実の方が嬉しかった。


 リュジニィたち人間は言語を介して、こういった超常的な存在とコミュニケーションが取れるのだろう。

 神と思わしき存在と人間が共存する世界。それがこの惑星での知的生命体の在り方なのか?

 だとしたら、それはどんな文明や文化を育んでいるのか?


 全く想像がつかないが、少なくともリュジニィとはコミュニケーションが取れたし、男女のやり取りのような体験も出来た。多分だが、人としての在り方にそんなに違いはないと思える。

 何か、ワクワクするような心が沸き立って来る。


 俺が感動していると、妖精たちが俺の周りを飛び交い、俺が背負っていたサーベルタイガーの毛皮を引っ張り始めた。見た感じ、妖精たちは毛皮に触れているだけにしか見えないのに、かなり強い力で毛皮が引っ張られる。


「何をする、止めろ!」


 俺は妖精を払い除けるように手で退かそうとしたが、俺の手は妖精の体を擦り抜けてしまう。にも関わらず、毛皮は引っ張られる。

 一体どうなってるんだ?


 呆気に取られているうちに、毛皮は奪い取られてしまった。

 妖精たちは飛びながら毛皮を運ぶと、《花の精》の前に差し出した。


「♪♫%&’ ♬♪♫&’ )0( &%$♬♪♫♬」


《花の精》は何かを口ずさむと毛皮の上に手をかざす。

 すると、サーベルタイガーの毛皮は掻き消すように無くなった。


「♪♫#フェウゥ%&♬♪$”&ビャーンディ♫%&♬♪♫♬」


《花の精》はニッコリと微笑み、瞳をキラリと輝かせた。

 今確かに《花の精》は言葉の中でフェウゥ(火)ビャーンディ(肉)と告げた。


 すると、『かまど』に火が起こり、串に刺した肉が5本とサラダと思われる植物が木で出来たボールに盛られて現れた。


「うおぅっ、なんじゃこりゃー!!!魔法か!魔法なのか!!!」


 びっくりといえばびっくりだが、一気に神秘性が遥か彼方へ飛んで行ってしまったような気がする。

《花の精》はニコニコと微笑んでいるだけだ。


 この《花の精》はお茶目な悪戯好きなのか?

 それとも単に俺の言った言葉を実現してくれただけなのか?

 何となく後者のような気がするが、その代価がサーベルタイガーの毛皮なのだろうか?

 神や精霊に対する供物という事なのか?


「〜♫&♫♬♬▶!♫♬〜」

「あっ、待…」


 俺が呆然と佇んでいると、《花の精》は何かを告げてクリスタルへと変化していく。

 俺は咄嗟に呼び止めようと思ったが、思いとどまった。

《泉の精》の時のように追い出されて二度と入れなくなっては堪らない。


 ふーっ………


 クリスタルが消えると、しばらくして妖精たちも笑いながら消えていった。

 俺は大きく息を吐きだして自分を落ち着かせる。あまりにも突拍子もない事が起こって頭がパンクしそうだ。


 目の前には『かまど』で燃える火と、串肉とサラダがある。

 俺の要求というか口にしたのは「火、肉、美味しい。」だ。

 まさか、「美味しい」はサラダの事じゃないよな…


 一口食べてみる。

 確かに美味い。マヨネーズやドレッシングとも違う不思議な味付けがしてある。

 俺は考えるのは後にして、肉を焼いてみる。ご丁寧に『かまど』の石には串を刺す穴が空いている。


 肉が焼けて辺りに香ばしい匂いが立ち込める。

 豚肉のように寄生虫や細菌が怖いので、火はしっかりと通した。一口齧ってみると、肉汁が溢れて旨味が口の中に広がった。その美味さは今まで体験した事のない極上の味わいだ。


「は、ははは…何だこれは…こんな美味い肉、今まで食った事がないぞ。」


 最高級の牛や豚とも明らかに違う肉の味で確かに「美味しい。」だ。俺はしっかりと味わいながら全ての肉を平らげた。もちろんサラダもだ。


 サーベルタイガーの毛皮に相当する肉という事なのだろう。あの毛皮が幾らくらいするのかは分からないが、それなりの価値はあると思うので、肉もかなり値の張る物なのだろう。


 色々と思う事、考える事はあるが、この世界に来て初めて美味しい物を食べた。それも多分極上の物だ。満ち足りた気分になって、しばらくこのまま余韻に浸っていたかった。

 体力は漲っていたが、幸せな気持ちは眠気を誘った。


 暖かい春を思わせる微風を受けて、俺は眠りについた。



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