第17話 サーベルタイガー

 早朝、俺は寝床にした岩場の洞穴から出て体を解した。

 昨日の双頭狼との戦いの後、怪我をした左腕を庇いながら寝床を探し食事の準備をした。ほぼ片手だけの作業は思った以上に苦労を強いられた。


 日本にいる時なら、山を降りれば病院にだって行けたし、食事をするならレストランでもコンビニでも簡単に済ませられた。寝る場所にしても、ホテルや旅館が至る所にあったし、車中泊でもキャンプでも気軽に体を休められた。

 この世界に来て一週間以上が経ち、ある程度は原始生活に慣れて来たものの、安全で便利だった日本の生活が恋しくてしょうがない。


 味気ない食事や安全を確保する事の難しさに辟易してきた。命を守るためとはいえ、命の奪い合いをする戦いの日々にうんざりする。何でこんな事になったのかと考えずにいられない。


 怪我が癒えて出発したら、また早々に獣と戦って怪我をしてしまった。さすがにナーバスになってしまう。

 怪我をした事で弱気になってしまったので、大きく息を吐きだして気を取り直す。行き先の見えない状況で不安になるのはしょうがないが、頑張れと自分を励ます。


 サラリーマン時代にも中々打開策の見えない困難に陥った事は何度もあった。それでもどうにかなって生きてきた。その経験を踏まえて、何とかなると自分に言い聞かせる。

 とりあえずは腹ごしらえをしよう。お腹がいっぱいになれば少しは気分も上向きになるだろう。


 それと盾を作ろう。

 昨日の戦いを振り返ると、盾の必要性と重要性を思い知った。盾が有ればあんな怪我をしなくて済んだはずだ。



 食事の後、俺は午前の時間を費やして盾を完成させた。材料は竹もどきだ。

 ノコギリがないので木の加工は難しく、手持ちの短剣とナイフで比較的容易に加工できるのは竹もどきだけだ。


 竹もどきを板状に切って交互に貼り合わせ、弦で縛って固定していく。

 不格好だが、30cm辺の四角い盾ができた。内側にフックを付けて腕を通して使用する。腕輪に固定する事で腕への衝撃を小さくした。強度にやや不安はあるが、これで獣の牙や爪に対抗できると思う。

 手首から先が盾から出るので、ハルバードを持ったままでも盾は使える。



 太陽が南中を過ぎたあたりで出発した。

 幸い、傷みは多少あるものの怪我の傷は塞がり、出血も無い。激しく動かさない分には大丈夫だろう。相変わらずの驚異的な治癒速度に驚きつつもありがたく思う。


 ふと考えるが、この世界の人間や動物はこれが当たり前なのだろうか?

 今まで戦った獣たちはかなり深く傷ついたりしても、戦意が失われる事は無かった。それは怪我が早く癒えると解っているからだろうか?

 リュジニィを見ている分にはそういった感じではなかったが、なにぶん一緒に過した時間が短いので判らない。


 俺は大地の裂け目に沿って歩いた。

 凹凸のある岩場だが、森の中を歩くよりは速いし、何より見通しが良いのがありがたい。


 柱状節理で形成する大地の裂け目は暫く続いたが、体感で10km程進んだ所で終わりを告げた。

 山を登るに従って谷底が段々と浅くなっていったのだが、最後には大きな岩の塊がゴロゴロしてる場所になり、その先は森に覆い隠されていた。山歩きをしていると、こういった景観の移り変わりや地形の変化を楽しめるので面白い。


 日本の観光地などに行くと、見応えのある景色だけを見て終わりというのが多いので、面白みに欠けてしまう。しかも、その前後が立入禁止になっていたりするのでがっかりする事が多い。

 そういった意味では、全くの手付かずの自然があるこの世界を歩けるのは貴重な体験かもしれない。

 もっとも、常に危険と隣り合わせなのでお勧めは出来ないけどな。



 森に入って暫くすると、妙な違和感を覚えた。

 俺は最初に気配を探ったが、特に大きな獣の気配は無かった。なので森の奥へと歩みを進めたのだが、妙に静かすぎるように感じる。

 通常、森の中はいろいろな動物や草木の発する声や音に満ちているが、この辺りだけが音の無い静寂な世界と化していた。


 俺は聴覚に神経を集中して様子を窺った。

 すると、かすかに呼吸を繰り返す息遣いがした。何かが息を潜めて隠れている、そんな気配がする。そして、周りはそれに気遣って静かに佇んでいるという感じがした。

 俺はやばいと思い、進む方向を変えた。


 すると、景色の一部と化していた太い樹の枝が動いた。

 ストンと身軽に樹の枝から地面に降り立ったのは1頭の虎だった。虎は圧倒的な存在感を示しながら周りに《プレッシャー》を放った。


 そいつが動き始めると、一斉に周りの世界も動き始めた。景色自体がそいつに畏怖を抱いているようにさえ感じた。

 凄まじい《プレッシャー》に思わず立ち止まってしまい、目が合ってしまった。


 虎との距離は50m程ある。逃げようと思っても《プレッシャー》で動きが鈍くなっていた。奴は確実に俺をロックオンしたようだ。のっそりと歩きながら近付いてくる。


 やばい!奴の放つ《プレッシャー》はホブゴブリン以上だ。


 俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから気合を入れた。

 気持ちを強く持って俺も《プレッシャー》を放ち、虎の《プレッシャー》にぶつける。

 俺と虎の《場》が絡み合って霧散する。体が自由に動くようになり、俺はハルバードを構える。

 虎の巨大な体躯がビクリと反応した。《プレッシャー》を打ち消された事に驚いていた。


 俺は近付いてくる虎を観察した。

 第一印象はとにかくデカい!という事だ。動物園で見るような虎なんて子供にしか思えない。姿はサーベルタイガーに似ていて、50cm近くある大きな牙を持っていた。

 地球では絶滅したとされている虎の亜種だか何かだが、この世界では存在しているんだな。


 もっとも、地球にいたサーベルタイガーよりは遥かにデカいようだが。

 確か、地球のものは体重が250kg位だったらしいが、目の前の奴は優に500kg以上はあるだろう。牙も地球のものは20〜25cm位だったらしいので、その大きさは圧倒的だ。四足で立っていても、奴の顔の位置が俺の身長と変わらない位高いところにある。


 そういえば昔、静岡県にある『ねこの博物館』に行った時に猫科の動物、虎やライオン、豹などの剥製を展示していた。

 そこには絶滅した昔の虎やライオンの剥製や骨格も展示されていて、最も大きな虎は馬ほどもあって、その大きさと迫力に驚いた。

 しかし、今目の前にいる奴は更に輪をかけてデカい。


 俺は冷静になるように自分に言い聞かせた。

 見た目が強そうで、虎=猛獣で恐ろしいというイメージが有るが、こいつは1頭だ。群れではないので昨日の狼の群れよりも戦いやすいはずだ。

 しかも、大きいとはいえゴブリンの住処へ向かう前に戦った猪もどきよりも体は小さい。十分に戦えるはずだ。


 腕の怪我の事もあるので、出来れば接近戦は避けて遠距離からの攻撃で何とかしたい。猪もどきと戦った時のように大きな石をぶつけようと思ったが、残念ながら付近に適度な石が見当たらない。

 あれこれ戦い方を考えている間にも、サーベルタイガーはのっそのっそと近付いてくる。意外と動きが遅い。


 そういえば、サーベルタイガーが滅びたのは獲物だった動きの遅い大型動物が氷河期で少なくなり、動きの早い小型動物に対応出来なかったからでは、というのを何かで読んだ気がする。

 それがこのサーベルタイガーにも当てはまるなら、スピードで勝負するのが良いかもしれない。


 俺はゴルフボール大の石を投じた。勿論、これは様子を見るための牽制だ。真っ直ぐ飛んだ石はサーベルタイガーの直前で右に曲がって後方へと飛んでいった。

 やはりそうだ。俺は今までの戦いの経験から殆どの獣が投石を避けるために右側へ逸らすのを見てきた。


 これは人間にも当てはまるが、生き物の自然な癖かもしれない。

 生き物が動く時は無意識的に左側ヘ傾く傾向がある。トラック競技のスポーツが典型的で、全ての競技が反時計回りになっている。

 何故そうなのか理由はよく解っていないようだが、それが動きとしては自然らしい。


 俺は2つの石を同時に投げた。

 1つは真っ直ぐに、もう1つは曲げられる方向と逆方向にカーブするように《念》を込めた。

 サーベルタイガーは狙い通りに真っ直ぐに飛ぶ石を避けたが、逆方向に曲がる石は奴に当たった。

 しかし、奴の《念動力》は強力で、影響を受けた石は狙った眉間を外れて牙に当たった。


 ガチーンと甲高い音を立てて森に響き渡った。

 牙は折れなかったが、激しい振動がサーベルタイガーの脳に響いたようだ。少しの間、奴は千鳥足になってふらついた。


 俺はチャンスとばかりに渾身の力を込めて石を投げた。

 が、強者としての本能なのか、咄嗟に体を浮かして左側へスライドし投石を躱した。

 俺は自分の詰めの甘さを恥じた。さっきと同じように2つの石を投げなかった事を後悔した。


 目眩から立ち直ったサーベルタイガーは怒りに燃えて俺に向かって突進してきた。《プレッシャー》が凄まじく、それだけで跳ね飛ばされそうだ。

 何とか踏み留まったが、格闘戦は避けられそうに無い。


 出来れば格闘戦は避けたい!

 そう思った俺は賭けに出た。


 突っ込んでくるサーベルタイガーに対して、俺も真正面から突っ込んだ。脚の筋肉を《念動力》で加速して、奴以上のスピードで接近していった。

 俺の猛スピードに奴は一瞬の躊躇いを見せたが、チャンスとばかりに大きく口を開いて巨大な牙をこちらに向けてきた。

 俺は奴のギリギリまで接近してハルバードを突き出した。


 当然のように奴は目を光らせて、ハルバードの突き出す方向を右側へと変化させた。そうなるのは読んでいたので、俺はハルバードを手放して右側へ逸れていくままにした。

 いっぽう、俺自信はハルバードと反対の左側へ飛んで奴の突進を躱そうとした。

 しかし、右側へと引っ張られる《場》の力が強くて奴の口へと引き寄せられていく。


 俺は死にものぐるいで自分の体に《念動力》を掛けて左側へと移動するようにした。若干《空間移動》はしたものの、俺を抑え込もうとする奴の左足の爪が迫ってきて避けられそうもなかった。


 俺は盾を構えて奴の爪を滑らせるように受け流した。

 しかも、その時にそこを支点にして踏ん張り、体を反らしながら奴とギリギリで擦れ違った。

 そして、その擦れ違いざまに奴の脇腹に短剣を根本まで突き刺した。


 俺は地面を転がりながら奴から離れ、直ぐに立ち上がって右側へと飛んでいったハルバードを拾いに行った。

 奴は短剣が突き刺さったままびっこを引くように走っていったが、直ぐに立ち止まってこっちへ振り向いた。

 刃渡りが30cm近くあるとはいえ、あの巨体では心臓に届いたかどうかは微妙なところだ。少なくとも肺の片側は潰したと思う。


 冷や汗ものだったが、思いの外想定通りに攻撃できた。

 昨日の双頭狼との最後の戦いの反省から盾を作ったが、もしあの時盾があったらこうしただろうと考えていて、今回はそれを再現する形になった。

 あの双頭狼だったら短剣は心臓に届いていただろうが、このサーベルタイガーはデカすぎる。


 サーベルタイガーは呻くようにして血を吐いたが、さほど弱ってはおらず、さらに怒りを増したようだ。口から血を流しながらグルルルと唸るさまはホラー映画のようで怖い。


 奴は再びこちらへ向かって来ようとしたが、少し進んだ所でもがき苦しんだ。よく見ると、脇腹から大量の血を流し始めた。

 どうやら歩く度に脇腹に刺さった短剣の柄に左前足がぶつかるようで、体内の刃の部分が内蔵を切り裂いているようだ。

 これは全く予想していなかった嬉しい誤算だ。


 俺は痛みに苦しむサーベルタイガーに向かって石を2つ投げた。当然1つは避けられる事を想定していた。

 が、サーベルタイガーの目が光ると石は2つとも大きく軌道を逸れて右側へと飛んでいった。痛みに耐えながらも、奴は俺の攻撃に備えていた。流石にこの世界で生きてるだけあって、百戦錬磨といったところか。


 残念ながら、奴には遠距離攻撃が通じないようだ。接近戦で頭を叩き割るか心臓を貫くかしないと駄目だな。

 時間を稼いで出血による体力の消耗を狙う手もあると思うが、何かの拍子に短剣が抜ければ奴はまた襲いかかって来る。下手をすると他の獣が参戦してくる可能性もある。

 ここはルールも何もない、弱肉強食の非情な世界だからな。


 俺は気持ちを強く持って気合を入れる。

 サーベルタイガーに向かい、ハルバードを構えて全力で走って突っ込む。勿論《念》を込めて加速する。


 奴は動く事はせず、態勢を低く保って俺を待ち受ける。

 サーベルタイガーと俺が接触する寸前、奴の目が光り強烈な《場》が俺を包み込んだ。

 なんと、奴は俺の体を《空間移動》させてハルバードによる攻撃を避けたのだ。

 てっきり俺はハルバードの穂先を移動させられると思っていたので、ハルバードに《念》を乗せて動かないようにしていた。


 俺の体はサーベルタイガーの強力な《場》に包まれて、奴の脇を飛びながら移動していく。その先には太い樹が生えていて、俺の突っ込む速度を利用したままぶつけるつもりだ。

 なんとか俺も《空間移動》で逃げようと藻掻くが、圧倒的に奴の《念動力》の方が強く体が反応しない。


 止むを得ず、俺は自分の体は飛ぶに任せて、ハルバードに《念》を集中して《場》に干渉した。


 大きな《場》で俺を包み込むサーベルタイガーの《念動力》に対し、ハルバードだけに絞って《場》を形成した俺の《念動力》は、ハルバードの動きを自由にした。

 擦れ違いざまにハルバードを加速して投げつけると、その穂先はサーベルタイガーの項に突き刺さった。


 その瞬間、《場》が爆発するように拡散し、そのまま《場》の力は霧散した。

 俺は体の自由が効くようになり、樹に当たりはしたが盾を使って受け身を取る事が出来た。


 怪我をした左腕に負担がかかり、猛烈な痛みと共に傷口が開いて出血したが、全身打撲は免れた。あのままぶつかっていたら、多分内蔵を破裂させながら脳震盪を起こして倒れ、俺の命は終わっていたかもしれない。


 一方、項にハルバードが突き刺さったサーベルタイガーは発狂したように暴れまわった。

 多分、項の奥にある念動石となる神経束が切断されたのだろう。黒いモヤを漂わせながら、地面を転がるようにして苦しみに喘いでいる。


 ハルバードは抜けたが、脇腹に刺さった短剣はそのままなので転げ回るごとに深く食い込み内蔵をズタズタにしたようだ。

 それは心臓にも及んだようで、傷口だけでなく口や鼻からも大量の血を吹き出した。


 暫くもがき苦しんでいたが、やがて静かになりサーベルタイガーは死んだ。

 ようやく戦いが終わり、俺は大きく息を吐き出した。単体の敵としては今までで一番強い敵だった。

 この先もこんな強い奴がゴロゴロいるのだろう。そう思うと気が滅入った。頭痛も酷くて最悪の気分だ。



 しかし、今回の事で獣が死ぬと黒いモヤが発生するのではなく、神経束が破壊されると黒いモヤが発生するのだと知った。

 多分、神経束が《念動石》に変化する時に発生するのだろう。

 それが何を意味しているのか解らないが、この世界というか惑星が持つ《場》に関係があるように思える。


 もしかしたら、生命が発するエネルギーが《場》に転換されて惑星に帰結するのかもしれない。ふとそんな風に思った。

 でも、これは人が死んで霊が仏様になるという仏教的な考えから思いついた考えで、こじつけに近いかもしれないとも思った。


 取り敢えず危機は去ったので、俺は開いた傷の手当をして止血した。

 今回の戦いで盾も壊れたし、投石用の石も底を突きかけている。ナップザックの中の水筒も1つ壊れてしまったし、無理な動きの連続で靴も壊れてしまった。

 俺は溜息をついた。


 嘆いていても仕方ないので補修をしようと思ったが、強烈な性欲が湧き上がってきた。戦いの後はいつもこれだ。

 戦いが激しくなるに連れて俺の性欲も強烈になっていく。ジュニアが今にも爆発しそうで、俺の頭の中は女体への欲望でいっぱいになる。

 我慢できずに、俺は樹の陰に回って3回ほど欲望を吐き出した。


 ふ〜…


 取り敢えずは落ち着いたが、女が欲しいという欲求は高まるばかりだ。

 俺はもう一度溜息をつく。


 次々と獣が襲いかかって来るので戦いとなり、その後は性処理で時間を取られてしまう。遅々として歩みは進まない。

 その度に怪我を負ったり物が壊れたりして手当や修復に時間をさらに取られる。こんな事で本当に人間のいる場所を見つけられるのだろうかと不安が増す。


 昨日、ふと頭をよぎった『神様の楽しみ』みたいな考えを思い出す。


 ここが本当にファンタジーのような世界で、神様が暇つぶしや娯楽で俺をこの世界に放り込んで見ているとしたら、マジでやってらんねぇと思う。


 神様など実際には存在せず、人間の物事を恐れる心が生み出したものだと俺は思っているが、この世界に来てその信念が揺らぎかけている。

 あまりに理不尽な出来事に心が弱っているのだろう。さすがにウンザリして、もういい加減にしてくれという思いでいっぱいだ。


 誰もいない状況で命がけの戦いを強いられ、碌なものも食えずにその日暮らしで、性欲だけは異常に肥大していく。

 こんなの発狂しないほうがオカシイ!


 長年のサラリーマン生活で上司や仕事の理不尽には何度も悩まされ、挙げ句には妻に浮気をされて離婚までした。

 お陰で人間不信になり独りでいる方が良いと思っていたが、ここまで孤独で辛い状況が続くと、どんな人間でもいいから出会って関わりを持ちたいと思う。


 せっかく出会えたリュジニィは直ぐに死んでしまった。


 何でこんなにも不幸な目に合わないといけないのか!

 只々、気が狂ったように大声で喚き散らして暴れたかった。

 神様がいるのなら、思いっきり罵って殴ってやりたかった。


 いっそ死んでやろうかと思ったが、活力に満ちたこの若い体はそれを望んでおらず、どこまでも生きる事に前向きだ。

 以前の年老いた身体なら、間違いなく自殺していただろう。


 せめて酒でもあれば、いくらかは気を紛らわせる事が出来たかもしれないが、酔っ払ったが最後、明日の朝には自分の死体が転がっているだろう。ここはそういう世界だ。


 俺は暫くの間、樹を殴りつけて八つ当たりした。

 手に痛みが走り、皮膚が裂けて血が吹き出した。

 それでも構うものかと殴り続けた。


 さすがに疲れて虚しさがこみ上げてきた頃、気分転換にサーベルタイガーの皮剥ぎをする事を思いついた。

 せっかく倒した大物だ。その立派な毛皮を持つのも悪くないと思った。


 昔、虎の毛皮を壁に飾っている金持ちの家を訪ねた時があるが、その迫力と美しさに凄いと見とれたものだ。

 俺には飾る家は無いが、これから山頂へ近づくに従って寒くなっていくので防寒着としては良いだろう。


 他の獣に邪魔されたくないので、俺は大きな焚き火を幾つも作ってサーベルタイガーの死体を囲った。

 森が火事になるかもしれないと思ったが、それならそれでいいやと思った。

 この時の俺はかなりオカシクなっていたのだろう。山火事でも起こして森を消失させれば、少しは理不尽な神様に仕返しが出来るかもな、なんて考えていた。


 幸い、山火事にはならず、周りの樹々を少し焦がした程度だ。

 苦労してサーベルタイガーの毛皮を剥ぎ取った俺は、多少の達成感を得ながらその場を後にして、寝床を探しに出発した。


 少しでも正気を保つために、この日の歩みは止めて大いに食って寝ると決めた。

 腹が膨らんで疲れが取れれば、気分も前向きになるはずだ。俺はそうやって40年近くに及ぶ、虚しいサラリーマン生活を乗り切ってきたのだ。


 ちなみに、サーベルタイガーの《念動石》は大きくて黄色味がかったグリーンだったが、2つに割れていた。


 後になって冷静になると、サーベルタイガーと無理に戦わなくても奴の方が動きが遅かったのだから、逃げれば良かったのだと気付いた。

 いつの間にか、俺のこの世界に染まって戦闘狂になっていたようだ。


 くそ!



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