第14話 自然の掟

「お前は何をしたか解っているのか?」

「なによ、あなただってわたしの知らないところでやっているんじゃないの?」

「馬鹿な事を言うな!」

「ふん、どうだか!」


 妻は浮気が見つかっても、謝るどころか開き直るだけだった。

 結婚して20年、交際期間を含めると25年近くに渡る付き合いだったが、簡単に破局した。


 原因は妻の浮気だが、元々趣味の違いや考え方の相違により結婚して5年目頃から段々と会話も少なくなり、夜の生活も無くなっていた。擦れ違いが多くなり、離婚するのは時間の問題だと思っていた。


 が、いざ実際に浮気の事実を知ると予想以上にショックが大きかった。


 妻は浮気相手に心を持っていかれたようで、俺が何を言っても聞く耳を持たない状態だった。兎にも角にも浮気相手を庇おうとするので、完全に愛想が尽きてしまった。

 離婚をしようと申し出ても、それを受け入れようとしない。一体何がしたいのかサッパリ解らなかった。


 後から判ったが、浮気相手は元同級生の妻子持ちだった。

 浮気相手は表面上は親身になって妻の話を聞いたり悩みの相談に乗っていたりしていたようだ。


 妻は俺と家庭を持っている形を保ちつつ、浮気相手には夫の役割を求めていたのかもしれない。俺とはもう、まともに会話もしない状態になっていたので、それが嬉しかったのだろう。


 しかし、浮気がバレると相手の男はあっさりと妻との関係を切った。

 そりゃそうだろうな、浮気相手は妻の体だけが目的だったのだ。好きになった訳でも愛した訳でもない。妻とセックスを楽しむためだけに、適当に話を聞いて合わせていただけだ。


 真実を知った妻は俺に復縁を求めてきたが、この時の俺たちは別居状態だった。俺にしてみれば、今更何を言ってるんだという感じだ。

 俺にバレずに浮気相手と付き合っている時は、俺の事を甲斐性がないだの稼ぎが悪いだのと文句ばかり言っていたくせに。

 浮気を知って妻と浮気相手とのメールのやり取りを見た時は、ラブラブなやり取りの中に俺の悪口が散々書いてあったのを見た。


 俺が出世コースから外れたしがないサラリーマンなのに対して、妻の元同級生だった浮気相手は、そこそこの会社の役員だった事も影響していたと思う。

 その時の妻には、俺がしょぼくれたオッサンにしか感じなかったのだろう。あの時の妻の態度は、今思い出しても腹が立つ。


 しかし、いざ自分が捨てられると、あっさりと手の平を返して復縁を迫る厚かましさに、心底うんざりしたものだ。

 それからしばらく妻に付き纏われたが、3年経ってようやく離婚が成立した。ようやく諦めがついたのか、新しい男でも出来たのかは分からないが、妻から離婚承諾の連絡が来た。もう妻に興味もないし、知りたくもなかった。


 離婚届が受理されて、本当の意味で独り身になった時は、心底煩わしさから開放されてホッとしたものだ。

 しかし、それと同時に何ともいえない喪失感があったのも確かだ。


 途中から仲が悪くなったとはいえ、妻とは25年近く付き合ってきたのだ。それは人生の半分近くの時を一緒に過ごした事を意味する。

 それだけの時をかけた関係を否定するのは、やはり辛く寂しいものだ。

 50歳を過ぎて独りでの生活を始めたが、その喪失感は常に自分の中に巣食っている。




 ☆   ☆   ☆




〘 リュジニィ  ゴブリンより開放されし女性ここに永眠ねむる 〙


 俺はリュジニィの墓の前でそんな事を思い出していた。

 妻との離婚は俺に孤独感をもたらしたが、リュジニィとの別れはある意味それ以上の孤独と喪失感をもたらした。


 妻とは離婚しても、俺には友達も居たし会社の同僚及び仕事関係の付き合いもあった。疎遠になってはいるが兄弟もいたし、挨拶をする程度の知り合いもいた。

 絶対的な孤独ではなかった。


 しかし、リュジニィは違う。

 別の惑星だか異世界だか知らないが、死んだ後に何故かこの世界にやって来て、自分以外の人間が居ないと思っていたところでやっと出会えた別の人間だ。

 ようやく絶対的な孤独から救われたと思ったのに、こんな事になるなんて…


 妻と別れてからは山歩きを趣味にして、一人で自然と触れ合う楽しみを覚えた。

 それは普段の仕事や生活での人間関係の煩わしさから離れた喜びがあるから楽しめるのだ。

 山から降りてくれば人の住む街があり、ひょいと商店やコンビニにでも行けば会話くらいは簡単に出来る。


 でも、リュジニィを失った今は、他に誰も居ない。

 他の人間がどこにいるのかも分からない。

 話をする事も、笑い合う事も、喧嘩する事も出来ない。


 あるのは再び訪れた絶対的な孤独だ。


 そして、あんな風に死んでしまったリュジニィが只々哀れで仕方がない。


 リュジニィの妊娠に気付いていたのに、何もしてやれなかった事に悔いが残る。

 分かっていても何も出来なかったのが実際のところだが、お腹の膨らみ具合から出産はまだ先だと思っていた。

 それまでに人間の住む街にでも行けば何とかなるのではと、漠然と考えていたのだが…


 リュジニィを想うと、悲しみと悔しさに涙が止まらない。

 俺と出会えた事が少しでも救いになったのなら幸いだ。


 俺はリュジニィにはこれ以上無いほどの希望を貰った。




 ☆   ☆   ☆




 俺はあの後、生まれたばかりのゴブリンの子供を踏み潰して殺した。


 それだけでは飽き足らず、ゴブリンどもの住処に戻って中に残っているゴブリンを皆殺しにした。逃げようとしたり助けを求めるような仕草をしたのもいたが、容赦なく叩き殺した。


 俺はゴブリンが憎くて憎くてしょうがなく、殺した後にリュジニィが囚われていた小部屋に運んだ。そして、岩で形が分からなくなるほど死体を潰して積み上げた。


 少しして、幾分落ち着いてから自分の残虐性に驚いたが、それでも悪いとは一切思わなかった。それほどの憎しみを覚えたのは生まれて初めてだ。

 その時からゴブリンは俺の天敵となった。


 ゴブリンを一掃した後、住処の中を隈なく見て回ったが、残念ながら他に生きた人間は居なかった。人間と思われる数体の白骨化した死体が転がっていただけだ。その痛み具合から、リュジニィとの関連性は薄いような気がした。


 その傍に人間の遺品となるような物があったが、リュジニィの物と判るような物は無かった。

 一つだけ髪飾りと思われるような装飾品があったので、リュジニィを墓に埋める時に俺がリュジニィに渡した毛皮の貫頭衣と一緒に埋葬した。


 リュジニィの元に戻った俺は最後のお別れをして、遺体を水場に運んで体を清めた。

 最初は湖の水を使おうと思い足を踏み入れたが、その途端にピラニアに似た魚が沢山集まってきて、足を食い千切られそうになった。

 まったく、この世界は何処も彼処も危険しかない。


 リュジニィの体から汚れを落としても、付いた傷や痣は残って痛々しかった。

 髪の毛を洗ってやると、きれいな栗色のくせ毛が現れた。汚れを落とした顔が現れると、まだ少女の面影を残すとても美しい顔立ちをしていた。


 リュジニィの体を清めた後は、湖が見渡せる小高い丘の上に立つ樹の根元に、墓となる穴を掘って埋めた。

 スコップが無いので、先の尖った丸太を作り、それを突き刺して土をほぐしてから手で掻き出した。そうやって根気よく何時間もかけて穴を掘り、半日ほどかかってようやくリュジニィを埋葬した。


 俺はキリスト教徒ではないが、木の枝を十字に組んだ物を墓の上に立てて墓碑銘を刻んだ。

 単に、その方が墓らしく見えると思ったのと、墓石だと文字が刻めなかったのが理由だ。


〘 リュジニィ  ゴブリンより開放されし女性ここに永眠ねむる 〙


 手を合わせて、迷わず成仏するように祈った。

 あんな悲惨な死に方をしたリュジニィが哀れでならず、次に生まれ変わった人生があるなら、絶対に幸せになってくれと願った。

 涙が止めどなく溢れて流れた。



 しかし、この世界は本当に非情だ。

 手を合わせて祈る俺の背後に、黒豹もどきが迫っていた。

 ホブゴブリンの気配が無くなった事で、この地域の勢力図が書き換えられようとしていた。


 正直戦いたくはなかった。

 昨日リュジニィを発見してからほとんど休まる暇もなく動き続けてクタクタだった。折れた肋骨も癒えてない。また、それ以上に精神的に疲弊していた。

 この世界は俺に対して残酷すぎる。


 武器を確認すると、猪もどきの牙と鞭、投石用と指弾用の小石が幾つかあるだけだ。心許ないが、補充している時間は無い。

 俺はリュジニィの墓から離れた。せっかく作ったのに荒らされたくなかった。


 俺は黒豹もどきと睨み合いをしながら《プレッシャー》を放った。

 ホブゴブリンがやっていたように、憎しみと殺意を《念》に込めて周囲に振りまいた。

 黒豹もどきの体が大きく震えて硬直した。


 案外旨くいった事に驚きつつ、俺は一気に距離を詰めた。

 黒豹もどきは目を光らせ、唸り声を上げながら俺の《プレッシャー》を跳ねのけた。

 しかし時既に遅く、その時には俺は黒豹もどきの喉と右目にポシェットから取り出した猪もどきの牙を突き立てていた。


「ギャウンーーーッッッ!!!」


 のたうち回る黒豹もどきの頭に何度も鞭を浴びせかけた。

 黒豹もどきの頭が徐々に削られていき、最後には頭蓋骨が割れて脳みそを撒き散らした。


 本来なら投石に《念動力》を絡めて攻撃するのだが、肋骨を折っているので力を込めて石を投げる事が出来ない。そのため、鞭の威力も低いものになってしまった。威力の低い鞭に何度も打たれて、黒豹もどきはより苦しみを増して死んでいった。


 黒豹もどきが死んだ時に、やはり黒いモヤのようなものが現れて消えたが、今までよりもより鮮明に見えた。

 消える寸前に空間が裂けると言っていいのか、そこに黒いモヤが吸い込まれる。そんな感じの現象が起こったように見えた。


 不思議な感じがしたが、それよりも疲れがどっと押し寄せてきて、脇腹の痛みも辛くなっていた。

 とにかく休みたい。俺にはそれしか考えられなかった。

 俺はリュジニィの墓に戻り、もう一度手を合わせて祈るとその場を離れた。



 俺は森で樹の実を幾つか採ってからゴブリンの住処だった洞窟に向かった。

 入口を岩で塞いでしまえば、獣に襲われずにゆっくり休めると思ったからだ。


 洞窟の前まで行くと、中から獣の気配がした。どうやら中でゴブリンの死骸を漁っているらしい。

 感の良い獣たちは、ホブゴブリン死を既に察知しているのだろう。


 俺は溜息をついた。

 もう一仕事しなければ休息は出来ないようだ。


 俺は洞窟に少し入ったところで気配を探った。

 相変わらず洞窟内は臭くて鼻が曲がりそうだが、何とか神経を研ぎ澄まし、聞き耳を立てながら《場》の乱れを探った。


 二度入ったので、洞窟の構造は大体理解できている。

 その上で、なんとなくだが獣の動きが見えるというか把握できる。

 大きな獣が1体と小さな獣が3体いて、ゴブリンの死骸を漁っているようだ。他に気配は感じられない。


 目が暗闇に順応して洞窟内が見えるようになり、鼻も大分臭いのに慣れたので、俺は洞窟の奥へと足を進めた。

 昼間の強烈な日差しから洞窟内の暗がりに慣れるのにもっと時間がかかるかと思ったが、やはりこの体はあらゆる面で優れている。


 俺は気配を消しながらゆっくりと歩を進めた。

 獣たちはまだこちらに気付かないようだ。そのまま洞窟の奥まで進むと、獣たちがゴブリンの死骸を食っているのが見えた。タスマニアタイガーもどきとその子供たちだ。


 俺が積み上げたゴブリンの死骸の山を崩して食い散らかしている。

 どうやらゴブリンの内臓が好みのようで、何体ものゴブリンの腹を食い破っている。他の部位には一切手を付けずにいた。

 この親子にとってはご馳走の山だったのだろう、暫く見続ける俺に気付く気配はない。


 ゴブリンの死骸の山を崩した事や、ゴブリンを食う事に別段文句はない。逆によくそんな臭いものが食えると感心する。

 しかし、俺がようやく休めると思っていた場所を荒らすのはいただけない。

 俺は近くに落ちているボーリングの玉ほどの石を拾い上げた。この時、脇腹が痛んだがグッと堪えて我慢した。


 俺は怒りを沈めて気配を消し、そっと背後に忍び寄った。

 どこまで気付かれずに近寄れるのか興味も湧いたので、俺は気配を消す事に注意を払って近付いた。

 驚いたことに、タスマニアタイガーもどきの背後1mまで近寄っても気付く事はなかった。


《念》を使って《場》を乱さないようにして、気配を消したのが功を奏したのかもしれない。

 もっとも、タスマニアタイガーもどきが食事に夢中になっていたのと、ゴブリンの臭いのせいで鼻が麻痺していたというのが実際のところかもしれない。

 この気配を隠す方法は、またどこかでチャンスがあれば試してみようと思う。


 俺は親のタスマニアタイガーもどきの頭に勢いをつけて石を落とした。

 落とす瞬間にタスマニアタイガーもどきは気づいたが、そのまま石をまともに食らって崩れ落ちた。

 3匹の子供は驚いて飛び上がり、瞬時に後ずさった。


 俺は鞭を振るったが、脇腹が痛んで狙いを外してしまった。

 そして、地面に転がる石を打ちつけた時、鞭の先端が千切れて飛んでいった。

 鞭が使えなくなって焦ると、その隙きを突くように3匹のタスマニアタイガーもどきの子供が飛びかかってきた。


 子供とはいってもこの世界で育ってきただけあって、獰猛さは親と変わらない。

 俺は瞬時に指弾を放って1匹を退けたが、2匹は俺の喉元を目指して左右から迫ってくる。左から迫って来る奴に左腕を差し出し、あえて腕輪に食い付かせた。右から来る奴にはアッパーカットを食らわせた。


 アッパーカットは喉に決まって、タスマニアタイガーもどきの子供を遠くへ跳ね飛ばした。

 しかし、この時俺の脇腹にも強烈な痛みが走った。もしかしたら、折れた肋骨が内臓のどこかに突き刺さったのかもしれない。


 腕輪に食らい付いた1匹は噛み付いたままの状態で暴れた。

 いくら噛んでもびくともしない腕輪が口に嵌って取れなくなっていた。目一杯口を開いた状態で噛んだので、それ以上口を開く事が出来ず、牙がストッパーになって抜けなくなったのだ。


 前足で引っ掻いてきたので俺の腕が傷だらけになったが、俺はすぐさま地面の石に自分の腕ごとタスマニアタイガーもどきの子供を叩きつけた。

 その瞬間に腕が抜けたので、その子供の頭を踏み潰した。


 その子供は死んだが、他はまだ全部が生きている。しぶとい奴らだ。

 指弾を食らった奴は目が潰れたようだが、再び襲いかかろうとしていた。

 俺は《プレッシャー》をかけて動きを封じようとしたが、脇腹の痛みで集中できず、《プレッシャー》をかけられなかった。


 止むを得ず俺は再度指弾を放ち、《念》で誘導してもう片方の目を潰した。視界を失ったそいつはその場でクルクル回りだした。

 俺は蹴りを入れてそいつを跳ね飛ばした。壁に当たって気を失ったので、そのまま頭を踏み潰した。


 目の前で2匹の子供を殺されたタスマニアタイガーもどきの親は、怒りに燃えてユラリと立ち上がった。物凄い《プレッシャー》を放っている。

 さっきの攻撃で石を落とされて頭が陥没しているが、血だらけになりながらも執念で襲いかかってきた。


 勢いがないのでかろうじて躱せたが、躱した瞬間に体を《空間移動》させて俺の喉元に牙を突き立ててきた。


 やばい!


 そう思ったが、間一髪そいつの牙は俺の喉の皮膚を切り裂いただけで終わった。

 そいつが体を《空間移動》させる瞬間、《場》が歪むのが見えた。

 無意識にその《場》を拒絶するように《念》じた事で、わずかに軌道が逸れて、ギリギリで躱したようだ。


 俺の体もまた、ほんの微かだが《空間移動》したのだ。


 強烈な《プレッシャー》の中で死を覚悟した刹那、頭の中で火花が飛んだ。多分、火事場の馬鹿力的な働きを脳がしたのだろう。


 俺はそのままそいつの陥没している頭に拳を叩き込んだ。砕けた頭蓋骨が脳に突き刺さる感触が拳に感じられた。

 そいつは地面に崩れ落ちて死んだ。


 直後に項の奥に物凄い痛みが走り、強烈な吐き気に見舞われた。我慢しきれずに、その場に蹲って吐いた。

 が、視界の端に最後の生き残りが立ち上がるのが見えた。


 そいつは蹴り飛ばした奴で、さっきまで苦しみでのたうち回っていたが、親の死を見て覚醒したようだ。親ほどではないが、かなりの《プレッシャー》を放っている。

 そいつは勢いをつけて俺に向かって突っ込んで来た。


 まったく、どうしてこの世界の獣は狂信的なまでに戦いたがるのか、いやが上にもこちらも戦闘狂に成らざるを得ない。そうしないと生き残れないのだ。

 俺は吐きながらも、そいつに狙いをつけて指弾を放った。


 小石は加速して最後の生き残りに迫ったが、そいつの目が光ると体が《空間移動》した。だが、俺もそれは想定していた。

 そいつが発した《場》に干渉するように俺も小石に《念》を掛けた。

 小石はそいつを追いかけるように曲がり、狙った眉間は外れたものの、後ろ足を捉えてバランスを崩す事に成功した。


 そいつは着地する際に《空間移動》して空中で体勢を立て直そうとしたが、失敗して地面を滑っていった。多分、いままで《念動力》を使った事が無かったのだろう。慣れていないのが一目で判った。


 そいつが起き上がろうとしている間に、俺は猪もどきの牙を取り出して接近した。最後の力を振り絞り、腕の筋肉に《念》を送って加速しながら、そいつの喉に深々と突き刺した。そして、そのまま強引に引き裂いていった。


「ギョヘ〜ェェ!!プシ〜〜〜…」


 悲鳴が途中で空気が漏れるような音に変わって血を噴き出した。そいつは苦しみながら地面をのた打ち回り、息を引き取った。

 うっすらとした黒いモヤが現れてから消えていった。


 どうにかこうにか、タスマニアタイガーもどきの親子を倒したが、鞭が使えなくなったのは誤算だ。お陰で随分と苦戦する羽目になった。

 元々はワニもどきの尻尾を切り取っただけで何の加工もしていない鞭だ。表面的には鱗に覆われているが、中身は生の肉だ。切り取ってから4日が経っているので、肉の繊維が劣化していたのだろう。腐り始めてもおかしくない頃合いだ。


 鞭を失った事は、今後の戦いにおいてかなり不利になるのは間違いない。

 しかし、無い物はしょうがない。有る物で対処していくしかない。

 兎に角、今はそれよりも休みたい。もうとっくに体力も精神力も限界を迎えていた。


 俺は最後の気力を振り絞ってこの洞窟の入口まで歩いて行った。この入口には蓋をする大きな岩が脇にあり、それを転がせば入口が閉じられるようになっている。それを終えたら、獣の危険を考えずに身体を休められる。


 俺がゴブリンを皆殺しにしようと舞い戻った時に入口は閉ざされていた。

 最初はどうすれば開くのか迷ったが、所詮は知能の低いゴブリンが考えただけあって答えは簡単だった。

 この岩は洞窟の奥に向かって押しても動かないが、隙間から手を入れて横に転がすと動くようになっていた。手のない獣には動かせないので、十分に役立っていたのだろう。


 俺は岩を動かして洞窟の入口を塞ぐと、その場に倒れ込んだ。

 これでようやく休める。その思いが、俺から全ての気力体力を奪い去った。


 意識を失った俺はただひたすら眠った。



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