第13話 救出の果てに

 女性は置いた場所でまだ気を失ったまま眠っていた。

 ホブゴブリンとの惨憺さんたんたる戦いを見なくて済んだのは良かったのかもしれない。

 それとも、俺が倒した場面を見ていたら、復讐を果たせたと少しは思えただろうか。

 俺は女性を抱き上げて歩き出した。


 肋骨の折れた脇腹が痛んだが、それよりも俺以外の人間に出会えた事が嬉しくて、あまり気にならなかった。

 女性の重みと温もりは、確かな存在を俺に感じさせた。絶対的な孤独から抜け出せた事が何よりも心を癒してくれる。


 俺はゴブリンどもの住処から離れた湖畔に来ていた。

 静かに波打つ音が響き、涼しい風がそよそよと吹いている。

 月はもう地平線の下に隠れていた。月明かりが無くなったせいで、さっきまで微かにしか見えていなかった天の川が今ははっきりと見えている。


 今のところ周りに獣の気配は無い。ここなら見通しもいいので、接近してきたら直ぐに見付けられるだろう。

 多分、今の俺なら《場》の乱れを感じ取れるはずだ。


 俺は自分の着ていた毛皮を砂の上に敷いて女性の体を横たえた。

 女性はまだ意識を失ったままだが、時折苦しそうにうめき声を上げて身じろぎしている。


 俺は淡く光る蓄光石を湖の波打ち際から一つ持ってきた。

 これはゴブリンどもの住処の中にあった物と同じ物で、湖の周りに幾つか転がっていた。ゴブリンどもはこれを集めて巣の中の照明代わりにしていたのだろう。ホブゴブリンから逃げている時にその存在に気付いた。


 これが一つあるだけで、夜目を利かせると人間の顔なら10m程離れても識別できる程度には明るい。

 その時に簡単に体の汚れを落としておいた。ゴブリンどもの糞尿まみれの体では女性も嫌がるだろうと思ったからだ。勿論、俺も嫌だ。


 裸の女性を見るのは失礼だとは思ったが、この際なので観察させてもらった。

 同じ人間に見えるといっても地球の人間ではない。どこかに違いがあるかもしれない。

 この先人間社会の中に混じっていった時に、その違いが差別や排除に繋がるかもしれないと思うからだ。


 まあ、今の自分の体を見る限りは違いはないと思うのだが、もしかしたら自分の見えない背中に羽の生えた痕などがあるかもしれない。

 女性の体を一通り見させてもらったが、基本的に地球の女性と変わりはないようだ。皮膚の上から見える骨格の作りも同じ様に感じるし、筋肉の付き方も同じ様に思える。

 やはり同じ人間なんだと知って、喜びが大きくなった。


 しかし、同時に地球とは違う星にいる人間が地球人とまったく同じ見た目をしているのはどうなんだと疑問が湧いた。

 やはり、地球と関連性があるのか?

 それとも、進化の過程で同じような作りになっていったのか?

 疑問は尽きない。


 女性は人種的には白人っぽいが、何となく南米に住む白人女性らしい雰囲気が感じられる。年齢は20歳位だろうか、まだ少し幼さを残しているように感じる。ガリガリに痩せているので余計にそう感じるのかもしれない。


 髪の毛はゴワゴワになっているが、栗色をして伸び放題になっている。この事からも、かなり長い間囚われていたようにも思える。

 兎に角、全身に隈なく切り傷や擦り傷、内出血の痕などがあるので、酷い扱いを受けていたのは間違いない。


 それと、今まで気づかなかったが、女性は妊娠しているようだ。

 お腹が少し膨れていて、時折動いているように見える。どう見ても筋肉などの動きではなく、内部に何かが居るようだ。


 何が居るのかは考えたくないが、同時に異種族間の交配による受胎などありえないだろうと思った。

 常識的に考えるとそうだが、なにせここはファンタジー世界のような所なので、それは有り得るような気がした。ゴブリンが存在しているところからして既にそうだし。

 もっとも、ゴブリンは俺がそう思っているだけで、ちゃんとした生物種なのかもしれないが…


 なんにせよ、ゴブリンによる妊娠だとしたら、女性にとっては悪夢どころが地獄でしかないだろう。女性の身上を思うと只々哀れでしかない。

 女性は苦しみが増したのか目を覚ました。相当苦しいのだろう、お腹に手を当てて呻いている。


「ううっ…うぐぐうぅ…うぅ〜…」

「おい、大丈夫か?」


 俺は問いかける事しか出来ない。

 肩を揺さぶると、女性はビクリと身体を震わせて俺の方を見た。

 最初は恐れるように俺を見ていたが、段々と俺が人間だと認識できたのか、驚きの表情に変わっていった。


「あ…あ…あぁ…ああぁっ!」

「そうだ、俺は人間だ。お前を助けに来たぞ!」


 言葉が通じるとは思わないが、俺は女性の顔を真っ直ぐに見て笑いかけた。


「ああっ!」


 女性の瞳に生気がやどり、涙が溢れ出した。


「$%<>?`{+}&’()#$%&’’()0=!”#$%!!!」


 女性は何かを叫ぶと俺に抱き着いて大声で泣き出した。


「うわあああぁぁぁ---っっっ!!!」


 それは魂の叫びだ。

 悲しみ、辛さ、悔しみ、憎しみ、怒り、不安、妬み、絶望、自棄、虚しさなど、溜まりに溜まったあらゆる負の感情を爆発させた。

 俺は力強く彼女を抱きしめ、ただじっと頭を撫で続けた。


「大丈夫、大丈夫、もう大丈夫だ…」


 俺は何度もそう囁き続ける。

 勿論、彼女に対してそう言い続けたのだが、それは自分に対しての言葉の意味合いも含まれていた。


 本当に信じ難いが、俺はこの女性を助け出す事が出来た。この女性の人間らしい反応を見て、ようやく達成感が湧き上がってきた。


 人間だ!人間だ!!人間だっ!!!


 俺以外の人間が確かな存在として俺の腕の中にいる。じわじわと喜びと感動が実感を伴って広がっていった。



 長く泣き続けて疲れたのか、彼女は大分落ち着きを取り戻した。

 彼女は俺の顔をマジマジと見ながら両手でペタペタと触り始めた。俺という人間が本当に存在しているのか確かめているのだろう。実によく解る行動だ。俺も同じで、彼女の存在が本物だろうかと、今でも少し信じられずにいる。

 それだけ、お互いに自分以外の人間を求めていたのだ。


 彼女の反応を見る限り、ゴブリンどもの住処に他の人間は居ないような気がする。状況が落ち着いたら確認してみるが、最初から一人だったのか一緒にいた人間は死んでしまったのだろう。


「0)&%&#$%!”#>?’%&’$%」

「残念ながら、何を言ってるのかサッパリだ…」


 そうは答えたが、雰囲気から何となく、本当に助けに来てくれた、みたいな事を言っていると思う。

 俺は大きく頷いて笑いかける。

 彼女も薄らと微笑む。


 彼女に水筒を渡して水を飲むように勧めた。

 竹もどきで作った水筒を最初は理解できなかったようだが、栓を抜いて飲む仕草を見せると、頷いて水を飲み始めた。


 よほど喉が渇いていたのか、一気に飲み干してから大きく息を吐いた。人心地ついたようで、お礼の言葉らしきものを言って水筒を返してきた。

 しかし、やはりお腹が痛いようで、少し苦しそうにしている。


 彼女の行動を見ていると、高い知性と豊かな感情を持っているのが理解できる。ちゃんとした言語があり、文明を持った人間の社会があると伺える。

 言葉が通じなくても、似たようなメンタルを持ち、コミュニケーションが取れるのだと解る。

 希望が見えてきた。


 もう少し落ち着いたら、彼女を休ませる場所を探そう。

 俺はシーツ代わりにしていた毛皮の貫頭衣を彼女に渡し、着るように勧めた。

 俺の汗や彼女の漏らした尿などで汚れているので勧めて良いものか迷ったが、裸でいるよりは良いだろうと思った。


 彼女は躊躇いを見せたが、俺が意識させたせいで裸でいるのが恥ずかしくなったのだろう。胸と下腹部を隠しながら貫頭衣を着始めた。

 やはりこの世界の女性も恥ずかしいと思う部分は同じなんだと、変な安心感を覚えた。


 俺はふんどし代わりの毛皮を腰に巻いているだけだが、今の彼女の仕草を見てジュニアが反応してしまった。

 さっきのホブゴブリンとの戦いで、昂りをみせていた性欲が溢れ出してしまった。こんな時になんて不謹慎なんだと思うが、どうにも抑えが効かなくなってきた。

 現実は残酷だ。オッサンは恥ずかしい。


 もしここで彼女を襲ってしまったら、俺は人として終わってしまう。

 出来れば離れた場所で抜いてしまいたいが、彼女は寄り添うように座って俺から視線を外さないので、それも難しい。


 俺が立ち上がると、彼女は足に縋り付いてきた。

 不安なのは解るので、俺は座っているように手で促し、脇に落ちている小枝を拾って火を燃やす仕草をした。

 多少苦労したが何とか伝わったようで、彼女は頷いた。


 俺は彼女から見える範囲を歩きまわって枯れ枝を集めた。

 必死に木を擦り合わせて火を起こす。こうして何か仕事をしていた方が気が紛れる。彼女はそれを珍しそうに見ていて、火がつくと驚きと共に喜びを表した。

 こんな事をしなくても楽に火をつける方法を知っているのだろう。やはりそれなりの文明があると伺える。


 本当なら、もっと彼女のケアをして休ませてやるべきなのだが、森の中をさ迷っていただけの俺には何も無い。少しでも傍に居て、彼女を不安にさせないようにするくらいしかできない。


 でも、それだと性欲がどんどん昂ってしまい、今にでも狼になってしまいそうだ。我ながらその節操の無さに呆れてしまうが、欲求を押さえつけるのが難しくなっている。本当にどうにかならんのかね、この異常な性欲は…



 焚火は俺と彼女と共に辺りを照らした。

 湖畔に二人の長い影が伸びる。蓄光石の淡い光は用を為さなくなっていた。

 さほど寒くはないが炎が二人を暖めてくれて、灯りが心を癒やしてくれる。夜明けまではまだ幾分時間がある。それまでは休むとしよう。ここはまだゴブリンのテリトリー内だと思うので、多分獣も寄り付かないと思う。


 ナップザックの中に一食分の肉があったので食事にする。枝を削って串を作り、肉を幾つかに切り分けて串焼きにする。

 彼女はその様子をじっと見つめている。まだ多少苦しそうだが、今は俺のする事に興味を抱いているようだ。

 そういえば、まだ自己紹介をしてないと思い、俺は自分を指さして「高梨」と告げた。


「タァ・カ・ナ・シィ?」


 彼女はぎこちなく、発音しにくそうに訊いてきた。

 首を縦に大きく振って頷くと、彼女はニコリと微笑んで自分を指さした。


「リュジニィ」

「リュゥジニー?」


 何となくフランス語っぽいような語感なので発音が難しいが、一応通じたようで、彼女が嬉しそうに笑った。

 二人で何度も名前を呼び合って発音も正確になり笑いあう。名前が分かっただけでも随分と彼女を身近に感じる。

 独りじゃないのは、本当に嬉しい事だと心の底から思った。


 肉が焼けたのでリュジニィに一串渡した。

 俺も一串手に取り、指さして「肉」と名前を呼ぶ。

 リュジニィも「ニク」と言いながら、指さして「ビャーンディ」と呼ぶ。俺も同じ様に「ビャーンディ」と呼ぶ。

 そんな感じで、それぞれの国の言葉を紹介しながらコミュニケーションを深めていった。


 熱い肉をハフハフ言いながら一緒に食べて笑い合う。

 本当はお粥とか胃に優しいものがあれば良いのだが、残念ながらそんなものは無い。ただ肉を焼いただけなので味気もなにも無いが、リュウジニィは美味しそうに食べる。


「ジェボォウ、ジェボォウ!」


 ニコニコしながら何度も言うので、多分「美味しい」と言っているのだろう。

 今までどんな待遇を受けてどんな物を食べさせられていたのか、それを考えると不憫でならなかった。


 二串の肉を食べたところで食事は終わりにして水筒の水を渡した。

 彼女はもっと食べたそうにしたが、胃に良くないとゼスチャーで示した。残念そうにしながらも、彼女は頷いて水を飲んだ。


 一応、戦いの後の事を考えて水と食料を用意しておいた。

 リュジニィを運ぶ時に置いておいた場所から回収したが、正解だったようだ。空腹が癒えて水分を補給した事で、リュジニィの顔にも大分生気が戻ってきたように思う。


 俺はリュジニィに横になるように勧めた。

 東の空には発光星雲が顔を出し始めていたが、夜明けまでにはまだ少しある。少しでも寝て体力の回復を図った方が良いだろう。


 素直に横になったリュジニィだが、何を思ったのか移動して胡座をかく俺の太腿の上に頭を乗せてきた。絶対に離れないとでもいうように、俺の腰に両腕を回して強く抱き着いた。不安そうに俺をじっと見つめる。

 折れた肋骨が痛みを訴えるが、俺はリュジニィを引き離しはしなかった。


 リュジニィの気持ちはよく分かる。ゴブリンから開放された事を夢だと思いたくないのだろう。ようやく訪れた希望を手放したくない。そんな気持ちを眼差しと態度から強く感じる。

 俺はリュジニィの頭に手を置くと優しく撫でた。安堵した表情で笑みを浮かべるので、俺も微笑んで頭を撫で続けた。



 俺は膨らんでいる彼女のお腹を盗み見た。

 今考える事では無いかもしれないが、俺はなんとしても彼女を連れて人間の世界へ行く。そこがどんな世界なのかは分からないが、理想郷という事はあるまい。


 ある程度の慈悲や情けはあるだろうが、基本的に人間は残酷な生き物だ。社会生活を営んでいるなら尚更、異端や異物を排除しようとする。この世界でもそれは変わらない生存本能のような気がする。


 ゴブリンによる妊娠だったなら、人間社会は彼女を受け入れてくれるのだろうか?


 理想は彼女の家族が見つかって受け入れてくれる事だが、こればかりは実際にその時になってみないと分からないな。

 なんにせよ、彼女には出来るだけの事をしてあげたい。


 リュジニィは俺の希望だ。


 彼女の存在が俺にどれだけの希望と勇気を与えてくれて、絶望感を拭い去ってくれた事か。いくら感謝してもしきれない。


 彼女の温もりを感じながら頭を撫でていると、寂しさに凍えていた心が暖かくなっていく。俺の腰に巻き付いた彼女の腕の力強さと、女性ならではの柔らかさがなんとも心地良い。


 実際には二人ともゴブリンの汚物や体液で汚れていて、酷く不潔で臭いのだが、そんな事が気にならないほどに、お互いに人の温かみに癒しを感じている。

 俺が彼女の頭を撫でると、リュジニィはその分強く抱き着いてくる。


 俺の太腿に乗った彼女の頭が、より居心地の良さを求めて移動していく。その度に彼女の息遣いと髪の毛が俺の太腿をくすぐり刺激していく。

 やばいと思いながらもどうする事も出来ず、俺はじっと我慢しながら彼女の頭を撫で続ける。

 が、ついに我慢の限界を超えてジュニアが反応してしまう。


 こんな時に何てこった!


 当然だが、俺のお腹に顔を向けているリュジニィは気づいてしまう。彼女は困惑した表情で俺を見つめる。

 ムードぶち壊しというか、現実は厳しくて残酷だ。穴があったら入りたいとはこの事だ。俺は自分の性欲の強さを思い切り呪った。


「ごめんなさい、本当に申し訳ない!」


 隠しようがないので、俺は必死に謝った。思わず日本人の癖が出て、両手を合わせて頭を下げた。

 散々ゴブリンに凌辱を受けてきたリュジニィには、それだけでも嫌な思いをさせてしまったように思う。


 リュジニィは謝る俺をじっと見つめて泣きそうな顔をした。

 が、フッと笑みを浮かべると、俺の手を掴んで自分の頭の上に乗せた。どうやら頭を撫で続けて欲しいのだろう。

 俺から離れもしないので、リュジニィは怒ってはいないようだ。俺はホッとしながらリュジニィの頭を撫で続けた。


 暫く頭を撫でていると、リュジニィの手がソロソロと俺の毛皮のふんどしの中に入ってきた。

 ジュニアに触れるとそのまま握りしめた。


「えっ、うわっ、な、なにを! や、止めるんだ!」


 俺はびっくりしてリュジニィの手を掴み、止めるようにジェスチャーと言葉で示す。

 しかし、リュジニィはジュニアを離さず、もう片方の手で再度俺の手を掴んで自分の頭上に乗せた。頭をそのまま撫で続けて欲しいらしい。リュジニィは真っ赤になりながらも俺を見つめて微笑んでいる。


 助けて貰ったお礼のつもりなのだろうか、握ったジュニアを刺激し始めた。

 こんな事をさせてはいけないとか、こんな事をしてる場合じゃないとか思うが、強烈な快感に抗うのが難しい。

 リュジニィの愛撫はお世辞にも上手いとはいえないが、少年期を終えつつある新たな体はこういった経験に乏しいのか、過敏な反応を示した。


 ジュニアはあっさりと暴発してリュジニィの手を汚してしまった。

 申し訳ないと思うが、リュジニィが何か言いながら優しく笑いかけてくれたので救われた気分だ。多分、これで良かった?とか、スッキリした?とか、そんな感じの事を言ったのだろう。


 まあ、このまま終われば少しはマシだったのかもしれない。

 悪のゴブリンから救い出した女性に、少年がつい若さから欲情してしまい、それを慰めてもらった。

 そんな微笑ましい(?)エピソードで済んだのだが…


 が、しかし、性欲が溢れる若い体は一度の暴発くらいで治まりはしなかった。

 昂り続けるジュニアを握りながら、リュジニィは赤くなったまま困ったような笑顔を向ける。

 恥ずかしさと情けなさで泣きたくなった。


「えっと…その、なんていうか………ごめん………」


 しょうがないわね、という感じでリュジニィは愛撫を再開する。

 俺はもういいからとリュジニィの手を取るが、リュジニィはジュニアから手を離さず、自分の頭を撫で続けるように促す。

 なんだかなぁと思いつつ、俺はリュジニィの頭を撫で続ける。


 異世界の夜空の下、湖畔に波の音だけが静かに響いている。

 焚火の炎が揺らめく中、俺とリュジニィのシュールというか摩訶不思議なコミュニケーションが暫く続いた。


 俺が3回ほど暴発したところで、リュジニィは疲れたのか眠ってしまった。

 ジュニアはまだ昂っているが、大分スッキリしたのは確かで、随分と気持ちと体が楽になった。


 酷い状態なのに、こんな事をさせてしまい申し訳ないと思うが、ありがたかった。やはり自分でするのと女性にしてもらうのでは全然違って、何ともいえない満足感があった。


 リュジニィは頭を撫でてもらうだけで良かったのだろうか?

 寝顔を見る限りは満足そうだ。


 そういえば昔、恋人や妻に口や手で奉仕してもらう時に、やはり頭を撫でると嬉しそうにしていたのを思い出した。女性とはそういったものなのだろう。

 異世界といえど、女性のメンタルは変わらないのだと安心した。



 空を見ると発光星雲が夜空の2割ほどに広がっている。相変わらず色とりどりに複雑な模様を描いていて美しい。

 俺はこれからの行動を考える。


 まずは二人の怪我を癒して、リュジニィの体力を回復させるのが優先だ。

 ゴブリンの住処になっていた洞窟で暫く休養するのが一番安全だと思うが、リュジニィは嫌がるだろう。

 近くに代わりになる洞窟でもあれば良いが、兎に角休める場所を探してみよう。


 それと、《泉の精》の所に行って身体を癒して貰えればありがたいのだが、受け入れてくれるだろうか。

 その後は二人で人々が暮らす街か村でも探そう。リュジニィが行き方を知っていれば良いのだが、知らないとしてもまあ何とかなるだろう。


 そんな事を考えながらぼんやりと発光星雲を見ていたのだが、時折光が夜空を流れるのが見えた。

 最初は流れ星でも見えたのかなと思ったが、発光星雲の中から発生した光が夜空をぐるりと取り巻くように走っていく。

 一点から発生した光が四方八方へと分散し、夜空を囲むように広がっていく。

 それはまるで惑星を覆って囲むように走っているようにも思えた。


 なんだ?


 目を凝らしてじっくり見ると、発光星雲の中というより夜空の一点で光がスパークして、そこから広がりを見せているようだ。

 しかも、光が走った跡を見ていると、背景の星がコンマ数秒の間だけ光を失ってからまた現れた。

 まるで、星の手前に夜空を囲う何かがあるように思えた。


 注意深く観察していると、星が至るところで僅かな時間だけ姿を消してから現れるという現象が起きている。

 それは、この惑星とほぼ同期するように動いている物が空にある事を意味している。しかも夜空の至るところで同時に同じような現象が起こるので、惑星全体を覆っている物があるように思える。


 例えるなら、丸い鳥籠とりかごの中に惑星があるような状態だろうか。

 さすがに惑星を覆い尽くすほど超巨大な物が数日で現れたとは思えないので、ずっと以前からあったのだろう。

 籠を形作るシャフトが細いので、月や発光星雲を見ている分には明るさにかき消されてしまって、今まで気づかなかったのだろう。それは昼間も同じ事だ。


 まさか人工物ではあるまい。

 そんな超巨大な建造物を作れるとは思えないが、発想自体はかなり以前から地球にもある。


 いわゆる《ダイソン球》と云われる物だ。


 物理学者のフリーマン・ダイソンが提唱したもので、本来は恒星を卵の殻のように囲ってそのエネルギーを効率よく使おうとするものだ。

 まあ、想像上の建造物というか空想世界の考えみたいなものだ。


 流石にそれはありえないと思うので、もしかしたら惑星を覆う流星物質や彗星の残骸が濃密な帯状になっているのかもしれない。

 でも、一方で俺が目覚めた研究所のようなものを考えると、想像を遥かに超えた超文明があるのかもしれないと思ってしまう。


 リュジニィを見る限り、そんなものは無さそうにも思えるが、今の状態からは何も判らないのが本当のところだ。

 それは俺にもいえる事で、毛皮のふんどしを身に着けただけの俺を見て、ロケットを飛ばす文明を持った所から来たとは誰も思わないだろう。


 それとも…それともだが、神様が作った物なのだろうか?

 

 ここがファンタジー世界ならそういった事があるのかもしれない。神様にとってこの星は本当に鳥籠の中と同じなのかもしれない。

 それが惑星を守るためなのか、惑星の住人を外(宇宙)に出さないための物なのかは判らないが。


 いや、それ以前に俺が惑星だと思っている大地は、球体ではなく平べったい世界なのかも知れないぞ………

 くそっ!これだからファンタジーは嫌なんだ!


 ハア〜………

 出来るなら、神などという者は存在して欲しくないのだが。そんな超常的絶対者がいる世界など、死んでもゴメンだ。

 とはいっても、《泉の精》はいたしな…


 まあいい、取り敢えず現時点では何も解らない。

 リュジニィと向かった先にはどんな世界が待っているのか、不安はあるものの、俺の想像を絶した世界なのは確かだろう。

 地球人の誰も体験した事のない世界を見てみたい、俺はそんな誘惑に駆られた。




 ☆   ☆   ☆




「ううっ…」


 リュジニィが苦しそうに寝返りを打つ。

 お腹の痛みが強くなってきたのか、顔から血の気が引いて全身を小刻みに震わせ始めた。妊娠の影響だろうか…

 まさかさっき食べた肉のせいではないと思うが。

 鎮痛剤でもあれば良いのだが、俺には頭を撫でてやる事くらいしか出来ない。


「ぐあああっっっ!!!」


 リュジニィが目を見開いて飛び起きた。

 お腹を押さえて地面を転げ回る。まさに七転八倒状態だ。


「リュジニィっ!リュジニィ大丈夫か!」

「あああっっっ!!!ぐううっっ!!!」


 リュジニィは苦しみに喘いで藻掻くだけで、俺の言葉に反応しない。

 リュジニィの物凄い苦しみように、俺はパニックを起こして何も出来なかった。

 リュジニィは咳き込みながら血を吐き出した。

 数瞬の後、俺はリュジニィの体を抑え込むように抱き締めた。


「リュジニィ、しっかりしろ!リュジニィ!」

「があああっっっ!!!」


 獣のような叫び声を上げて大きく体を戦慄かせる。

 一度跳ねるように大きく体が震えると、ガクリと全身から力が抜けた。


「リュジニィ、リュジニィ!」


 苦しみが幾分和らいだのか、リュジニィの瞳に光が宿った。

 リュジニィはしばし俺を見つめる。


「タカナシ…タカナシ…」

「大丈夫だ!良くなる、必ず良くなるから、大丈夫だリュジニィ…」


 リュジニィは弱々しく腕を持ち上げて俺の顔を撫でる。

 リュジニィの表情が一瞬だけ和らいだ。


「………ラウェンジィ………」


 一言つぶやくと、俺の顔を撫でる腕から力が抜けていった。

 ほんの束の間だけ微笑みを見せると、リュジニィの瞳から光が消えた。


「リュジニィ…おい、嘘だろう…嘘だろう、リュジニィ!」


 いくら呼んでもリュジニィは返事をせず、体も動かない。

 脈拍もなく、弛緩した体はより一層の重みを感じさせる。

 チアノーゼを起こしてみるみる唇が紫色になっていく。

 俺は人工呼吸をしながら心臓マッサージを繰り返す。

 正しい蘇生方法など知らないが、俺は必死に何度も何度も繰り返す。


 しかし、リュジニィの心臓は動かない。

 リュジニィの呼吸は止まったままで息を吹き返さない。



 リュジニィは死んだ。



 死んでしまった。

 それは紛れもない事実だ。


 俺の腕の中にいるリュジニィは、もう決して動く事も無く、俺に話しかける事も無い。ただじっとして動かない人形のようになってしまった。

 暖かさを感じさせてくれた体も冷たくなってしまった。



 途轍もない喪失感が俺を襲った。

 溢れる涙のままに、俺はリュジニィの体を抱き締めた。



 ふと、視界の隅で動くものが目に入った。

 リュジニィの下腹部から溢れ出た血溜まりの中で蠢くもの。






 それは5体のゴブリンの赤ん坊だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る