第11話 救出

 食事を終えて戦いの準備を済ませた俺は、再び湖畔の見える位置まで移動した。

 夜の移動は大変だったが、ありがたい事にこの世界にも月があり、上弦の月が空に顔を出してほのかに森を照らしていた。


 今まで夜に行動しなかったので、月の存在を意識していなかった。

 日本というか、地球から見える月とは大きさが幾分違うようで、見えている部分の模様も違う。やはり地球ではないと再認識するが、それは今更だ。


 俺はゴブリンの様子を伺っていた場所に戻って来たが、そこに槍は無かった。

 ゴブリンに持って行かれたのか、それとも途中で落としたのか、記憶が無いので判らないが、見つかりそうにないので諦めるしかない。

 一応代用品として石を括り付けた棍棒を用意したが、正解だった。


 ゴブリンどもは殆どが洞窟に引き上げたのか、数体だけが残って火の番をしている。しかし、たまに洞窟を出入りする者の姿があるし、耳を澄ますと洞窟内からはザワザワと様々な音が聞こえてくるので、まだ起きているようだ。


 俺は仮眠を取って休息をし、ゴブリンどもが寝静まるのを待つ事にした。

 昼間に出遭った事や夕暮れ時に食事をしていた事から、夜行性では無いと思われる。


 それに、ここはゴブリンのテリトリーなので、獣たちが近づいて来る気配は無く、ゴブリンに気付かれない限りは比較的安全のようだ。

 ここへ向かう途中から獣たちの襲撃がぱったりと無くなったので、やはりホブゴブリンを恐れているのだろう。



 あれから数時間が経過した。

 緊張と傷の痛みのため、あまり寝付けなかったが、ウトウトしながらも多少は眠れたようだ。疲れも癒えて身体が軽くなり、頬と耳の傷も塞がっていた。

 完治までにまだ時間が必要だが、取り敢えず支障は無いだろう。体中の小さな傷は殆ど治っている。


 空の真上よりも西側にあった上限の月は、今は地平線近くまで傾いていた。

 もし地球の月と同じような運行をするなら、深夜の0時近いと思われる。発光星雲が東の空に姿が見えない事からも、大体そのくらいだろうと推察した。

 月の高度が下がった事でかなり減光され、暗闇よりは少し明るい程度だ。隠密行動をするにはなかなか良い感じだ。


 湖畔ではまだ3体が火の番をしているが、他にゴブリンの姿は見えず、洞窟からの出入りも無い。

 耳を澄ましてみても、洞窟内からゴブリンどもが活動する音は聞こえてこない。どうやら寝静まったようだ。


 俺は物音を立てずにそっと森の切れ目まで進んでいった。そこまでなら、火を目の前にした奴らには逆光となって俺の姿が見えないはずだ。

 俺は奴らの動きを観察して姿が重なるタイミングを測った。

 そして、狙った瞬間が来たので全力で石を投げた。


《念》で加速された石は1体のゴブリンを吹っ飛ばし、後ろの2体のゴブリンを巻き込んで倒した。

 俺は投石の直後に全力で駆け出し、悲鳴を上げる事も出来ずに倒れたゴブリンどもの頭を棍棒で砕いた。

 ゴブリンを殺す事に躊躇いは無かった。こいつらはもう俺にとって憎しみの対象であり、獣以下の存在だ。


 洞窟の入口まで近づき様子を伺うが、ゴブリンどもに動きが感じられないので気付かれずに済んだようだ。

 ここまでは上手くやれたが、これからが本番だ。俺はバクバクと激しく脈打つ心臓を鎮めるように大きく深呼吸する。


 が、洞窟から漂ってくる臭いが酷過ぎて咽そうになった。

 物の腐った臭いや浮浪者のような異臭など、他にも様々な嫌な臭いが混じり合って淀んだ空気を作り出している。


 これだけでも挫けそうになったが、俺は気が狂いそうになるのを我慢してむき出しの手足に奴らの汚物混じりの泥を塗って汚す。俺の白い肌は夜目にはかなり明るく見えるので、それを防ぐためと臭いを誤魔化すためだ。


 もう深呼吸は出来ないので、俺は握り拳に力を込めて覚悟を決め、小さく息をしながら洞窟の中に入って行く。


 洞窟の入口は狭くて、俺の身長ではかがんで進まなければならない。

 洞窟の中は真っ暗だと思ったが、所々に淡く光る石が転がっている。これが間接照明のような役割を果たしていて、夜目を利かせるとかなりはっきりと中の様子が見て取れる。


 この洞窟は随分と長い間使われているのか、地面が平坦になっていて、壁の岩も磨り減ったように所々が滑らかになっている。歩きやすいのは助かるが、奥へ行くほどに臭いがきつくなってマジで吐きそうだ。


 俺はゴブリンどもに気づかれないように忍び足でゆっくりと進む。

 洞窟は複雑な作りになっているようで、分岐は殆ど無いものの、曲がりくねった通路のために前方の様子が分からない。俺は不安と戦いながら、用心に用心を重ねて進んで行く。


 日本に居た時に、俺は幾つかの洞窟に入った事がある。

 主な所では群馬県の不二洞や東京都の日原鍾乳洞、福島県のあぶくま洞や岩手県の安家洞だ。


 特に安家洞は天井が低い場所が多く、ヘルメットが貸し出されている。俺は何度も頭をぶつけたので、ヘルメットが無いとマジでやばかった。

 この洞窟はその安家洞に似ている。下手に勢いをつけて頭を天井に擦ってしまうと肉が抉られるので、そっと静かに慎重に進んで行く。


 何度か転びそうになりながらも、幾つかのカーブを曲がって先へ進むと、広くなっている場所が見えた。

 そこは大広間のようになっていて平らな部分が多い。そこでゴブリンどもは所々に場所を確保して、地面に毛皮を敷いて寝ている。


 イビキでもかいて豪快に寝ているかと思ったが、意外と大人しく静かに寝ている。やはり人間よりも獣に近いからだろうか。

 まあ、それはどうでもいいが、兎に角匂いが強烈で、目まで痛くなるような気がした。


 俺は気合を入れると、より慎重になって大広間に入り、寝ているゴブリンの間を進んで行く。

 少しの物音でゴブリンが目を覚ますかも知れないので、一歩一歩ゆっくりと歩く。数歩歩くだけで、物凄く時間が長く感じる。


 何体かのゴブリンを通り過ぎた時、うっかり小石を蹴ってしまって、それが1体のゴブリンの体に当たってしまった。

 やばい!

 俺は咄嗟に屈んで動きを止め、ジッと様子を窺う。


 そのゴブリンは寝返りを打ってから、小石の当たった所をボリボリと指先で掻いた。幸運にも目覚めはしなかった。多分、ここは獣に襲撃された事が無いのだろう。安心しきっているようだ。

 俺はホッとして、更にゆっくりと歩みを進める。


 広間の中央付近まで行くと、奥が幾つかに分岐しているのが見えた。

 そのうちの一つは少し明るめなので、そこへ近づいて奥を覗き込んでみた。


 すると、そこは小さな部屋のようになっていて、横たわっている女性を発見した。髪の色や体型から、あの逃げ出した女性だと思われる。どうやら熟睡しているようで、静かに寝息を立てている。


 女性は裸のようだが、床には藁が敷かれてお腹には毛皮がかかっていた。思っていたよりも良い扱いを受けているようだが、足首にはロープ代わりの蔓が巻かれていて逃げられないようになっている。


 他に人間は見当たらない。どこか別の場所にいるのだろうか?

 変な危険を冒すよりも、取り敢えずはその女性の救出を優先する。


 俺はゴブリンどもを起こさないようにして女性に近づいた。

 女性が寝ている側まで行くと、そこは明らかに他と異なる臭いがした。はっきりとは判らないが、多分それは性臭だ。女性の身体から発散する臭いから、どんな事をされたのか明らかだ。

 しかも、女性の身体には至る所に新しい痣と傷があり、生々しい暴行の跡が伺えた。


 俺は哀しみと同時に激しい怒りを感じたが、無理やり抑え込んでなるべく冷静に対処するよう自分に言い聞かせた。

 俺はナイフ代わりの石器を取り出して、女性を縛る蔓の根本を力で押し込むようにして切った。上手い具合にほとんど音はしなかった。


 これで女性を逃がせられるようになったが、このまま担いで運び出したらいいのか、それとも起こしてから連れ出したら良いのか迷ってしまった。

 女性を救出しようと思ってはいたが、その具体的方法まで考えてはいなかった。

 人生の中でこんな経験は無かったので、なんとなく映画やドラマのような行動をしていたが、簡単に行き詰まってしまった。


 いきなり担ぎ上げて騒がれるよりは良いだろうと、俺は女性を起こす事にした。

 ノックするように女性の肩を叩いてみたが、目が覚めない。疲れているのか、深い眠りについているようだ。

 止むを得ず、両肩を掴んで強く揺さぶった。

 ようやく女性に覚醒の兆候が現れた。


 女性は薄っすらと目を開けたが、表情は虚ろだ。まだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりと俺を見ている。

 俺はゴブリンではないと知らせるために、女性の顔に自分の顔を近づけて目を覗き込んだ。しかし、暗いせいで俺を認識できないのか、それとも絶望のためなのか、女性はただジッとしている。

 このままでは埒が明かないので、俺は女性を持ち上げて肩に担ぎ上げた。


「あ…」


 女性が小さく声を漏らした。

 俺は女性がこれ以上声を出すのを恐れて、足早に駆け出した。


「あああっっっ!!!ギャーーーッッッ!!!」


 恐怖に駆られたのか、女性が叫んで暴れだした。

 それを合図に、ゴブリンどもが目を覚まして起き上がった。

 俺の選択は間違いだった。これなら深い眠りについている女性をそっと運び出した方が良かった。

 が、後悔してももう遅い。


 俺は暴れる女性を落とさないように気を使いながら、立ちはだかるゴブリンを蹴り飛ばしたり、棍棒を振り回してブチのめしながら来た時とは逆の方向に走った。

 幸い、ゴブリンどもはまだ寝ぼけて動きが鈍いので、簡単に蹴散らして進む事が出来た。俺の後ろにいたゴブリンどもは少しの間怯んだようだが、1体のゴブリンが叫ぶと、一斉に追いかけて来た。


 女性を担いでいるとはいえ、俺の方が足が速いみたいで追い付かれはしない。が、天井の低い場所が多く、潜り抜けるのに苦労する。

 一箇所、特に天井の低い所でかなりもたついてしまい、お陰で3体のゴブリンに追いつかれてしまった。


 3体のゴブリンは棒切れを振り回したり石を投げたりしたが、俺は攻撃を避けながら天井の高いところまでなんとか逃げた。そこで棍棒を振り回してその3体を撲殺した。もう音をいくら立てても構わないので、遠慮なしに叩きのめした。

 死体となったゴブリンを蹴飛ばして、追ってくるゴブリンどもにぶつけた。


 それで時間が稼げたので、暴れる女性を腰に巻き付けるように固定して、出口へと向かって走った。女性はパニックを起こして足をバタつかせ、喚きながらポカポカと俺を叩いたが、弱っているためか大した負担にはならなかった。

 女性の方は揺さぶられたり、振り回されたりするので大変だと思うが、とにかく今は逃げるのが優先だ。


 どうにか天井の低い出口を潜り抜けて外に出ると、俺は女性を持ち直して背中にんぶした。

 少し遅れてゴブリンどもが出口に殺到したが、俺は石を投げて先頭のゴブリンを殺した。そいつの体が倒れると、後続のゴブリンどもは次々と躓いて転んだ。上手い具合に団子状態になり、出口が塞がる格好になった。


 これで振り切れると思ったが、洞窟の奥から咆哮と共に物凄い《プレッシャー》が襲いかかってきた。ホブゴブリンが目覚めて追跡を始めたらしい。

 俺は金縛りになりかけたが、気を張っていたせいで動きが鈍くなった程度で済んだ。気持ちを強く持って気合を入れると、纏わりついていた《プレッシャー》が霧散した。


 女性は今ので気を失ったみたいだ。失禁したのか、生暖かい感触が俺の背中に流れ落ちていった。暴れなくなったので走りやすくなって助かった。


 俺は湖の岸辺に沿うように走った。

 西の空には沈みかけた月が見えていて、辺りをほんのりと照らし出し、湖に明かりを反射させていた。

 その事から、潜入した時間は僅かだったと知った。緊張のせいで随分と長く感じたが、それは主観的なものでしか無かったらしい。


 後ろを振り向くと、ホブゴブリンが他のゴブリンを蹴散らしながら追いかけて来た。蹴散らされたゴブリンどもは凄い勢いで飛んだり転がったりしたので、多分無事では済まないだろう。それ程、ホブゴブリンは怒り狂っているようだ。

 そのせいだけでもないと思うが、どう見てもホブゴブリンの方が足が速く、追い付かれるのは時間の問題だ。


 さっきのように石斧でも投げられたら適わないと思ったが、ホブゴブリンは剣を持っている。ちらりと見えただけだが、それは鉄製のロングソードのようで、ホブゴブリンの体には随分と大きく見えた。

 多分、人間から奪った物なのだろう。


 ホブゴブリンはグングンと迫って来る。どうやら戦いは避けられないようだ。

 出来れば少しでも有利になる場所で戦いたい。リーチのある槍で戦いたかったが、残念ながら今は無い。


 俺は森の中に入り、木々の密度が濃い場所を探した。相手が剣を持っているならなるべく振り回し難い場所が良いだろう。

 手持ちの武器は棍棒と鞭、投石用と指弾用の小石だ。これで何とかするしかない。


 森を少し奥に行った所に、何本かの樹が倒れかけて寄りかかっている場所があった。枝が複雑に絡み合っていて、剣を振り回すには狭いだろう。理想的といっても良い感じだ。

 ここなら他のゴブリンどもに囲まれる事も無いだろう。


 俺はその場所に飛び込んで、女性を奥の大樹の影に隠した。

 振り向くとホブゴブリンが直ぐそこまで迫っていた。

 いよいよ強敵との戦いが始まる。咆哮と《プレッシャー》が俺の恐怖心を煽っていく。


 俺は棍棒を強く握り締めた。



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