第9話 ゴブリン…なのか?

 俺は確認の為もう一度泉に立ち戻ってみたが、やはりあの《泉の精》は現れなかった。泉に触れる事も出来なかったので、完全に嫌われてしまったようだ。

 俺は諦めて泉から離れた。


 その時、 足元で光る物に気付いた。

 拾い上げてみると金属のような物で出来た筒だった。 大きさは直径は10cm程、長さも10cm程で、厚みは2〜3mm程だった。


 汚れを落としてみると、くすんだ金色をしていた。内側はツルツルして滑らかだったが、表側は複雑な模様が刻印されていた。

 それは明らかに人工物だ。

 一見金属に見えるが、随分と軽くて木片を持っているような感じだった。しかし、強度はかなりあって、両手で圧力をかけてもびくともしない。


 もう少し細ければ腕輪になって防御にも使えるかなと思い、何の気無しに左腕に通してみた。スカスカなので、やはり太すぎると思っていると、それは勝手に細くなって腕にフィットした。


 なっ!


 びっくりして、慌てて外そうとしたが外れなかった。

 幸い、腕を締め付けられる事もなく、誂えたようにピッタリだ。

 しかし、筒が勝手に細くなって腕に嵌るなんてありえないだろう。しかも、形が定まると複雑だった模様の中央部分が、龍のような生き物が3つ絡み合っているような文様に変化した。


 一体全体どうなっているんだ?

 金属が変化して形を変え、文様まで浮き上がるなんてマジックを見ているようだ。


 これは魔法なのか?


 嫌な想像が頭をよぎった。

 これは《泉の精》が仕掛けた罰で、俺は呪われたのではないか?


 そんな不合理な事がある訳無いと思いつつも、魔法のようにありえない動きをした腕輪を見ると、それはあり得るような気がした。

 日本でならそんな馬鹿な事と一笑に付すところだが、この世界では何が起こるか分からないので不気味だ。


 腕輪をいろいろと弄ってみたが、どうやっても外れはしなかった。

 しだいに恐怖心が増してきて、ヤケになって樹に叩きつけてみたが、腕輪は全くダメージがなく、逆に樹の表面が豪快に抉れた。

 確かに防御には優れているようだ…


 俺は諦めて歩き出した。

 心の中で必死に《泉の精》に謝り、呪いがありませんようにと祈った。



 しばらく歩き続けたが、これといった変化はなかった。

 相変わらず獣や虫が襲ってきたり寄って来たりするが、撃退したり躱したりした。性欲も戦いの後には滾って仕方なかったので、何度か木陰で抜いた。


 腕輪は謎ではあるが、今のところは呪の類いでは無さそうな感じだ。

 ただ、これを腕に嵌めて自慰をすると《泉の精》に見られているような気がして落ち着かなかった。無駄なストレスを抱える羽目になってしまった。


 歩いても歩いても森は延々と続いており、まだまだ抜けられそうもない。

 今は谷から尾根へ向かって登っているので、そこまで行ったら向こう側に何かがあるかもしれないと淡い期待を抱いていた。


 尾根にかなり近付いた時、湧き水があったので水を補給して喉を潤した。

 泉の水のように気力体力が完全に回復するような事は無かったが、 一息つけてホッとした。この時になって、あの泉の水を水筒に補給しておけば良かったと後悔した。


 俺は途中で採った木の実を水で洗って食べてみた。

 小さなリンゴみたいな木の実で、リスに似た動物が食べていたので、大丈夫かなと思って幾つか採ってきていた。


 齧ると酸っぱさが口の中に溢れたが、それほど不味くは無かった。まだ熟してないようで、口の中がシブシブになったが、肉以外のものを食べられて嬉しかった。

 後で腹を壊さないように祈っておいた。

 これが大丈夫なら、至る所に生っているので、今後は食事の手間も大分省けるだろう。


 俺は休憩しながら耳を澄ませて辺りの様子を伺った。

 聴覚に集中すると様々な森のざわめきが聞こえてきたが、微かに遠くで戦うような声と音が聞こえた。


 なんとなくだが、1匹の獣と複数のものが戦っているような感じだ。複数のものが声を掛け合っているように思えた。

 俺は様子を見に向かった。


 戦いの音が徐々に大きくなり、木々の隙間から遠目に様子が見えるようになった。戦っているのはあの研究所のような所で死んでいたのと同じ緑の肌の小人だった。五人ほどで獣を囲うように対峙しているが、何人かはすでに殺されている。


 相手の獣は犬に似ているが、下半身に縞模様があり、オーストラリアで絶滅したタスマニアタイガーによく似ていた。以前にテレビで見て、トラと犬の間の子みたいだったので覚えていた。

 しかし、こいつは2mを超える体長をしていて、実際のタスマニアタイガーの倍はありそうだ。


 俺が近づく間にも小人の一人が噛み殺された。小人は身長が1m程しかないので、体格差で完全に劣っていた。


 小人たちはボロい毛皮を下半身に纏い、棍棒や石器の槍などの粗末な武器で戦っていた。この事から、小人たちは原始人レベルで、科学文明とは縁の無い者たちだと解かった。

 まあ、今の俺とそう変わりはないのだが…


 小人たちがどんな存在なのか分からないが、とりあえず助ける事にした。もしかしたら有益な情報を得られるかもしれない。

 万が一にも小人たちに当たったら不味いので、投石はせずに槍を構えて戦いの中に入っていった。


 小人たちは驚きを見せたが、タスマニアタイガーもどきは咄嗟に飛んで俺から距離を取った。

 俺は距離を詰めながら槍を繰り出すが、タスマニアタイガーもどきは木々の間を巧みにジャンプしてジグザグに飛びながら回避する。

 スピードが早くて重さのある槍では追いきれない。


 タスマニアタイガーもどきは俺の後ろの木に飛び移ってから襲いかかってきた。

 背後からの攻撃に、俺は咄嗟に身を伏せて躱し鞭を振る。鞭の先端がタスマニアタイガーもどきの腰に当たり、そいつは悲鳴とともにバランスを崩して頭を樹に打ちつけた。


「ギャン!」


 俺は直ぐに立ち上がって、よろけるタスマニアタイガーもどきの腹に槍を突き刺した。槍は深々とそいつの体を貫いて行動不能にした。

 止めを刺そうとタスマニアタイガーもどきに近づこうとした時、俺は背後から攻撃を受けた。


「うっ!」


 振り返ると棍棒を持った小人が追い打ちをかけようとしていた。

 咄嗟に横っ飛びで攻撃を躱すが、打撃の痛みでバランスを崩して転んでしまった。そこへ残っていた小人が一斉に襲いかかってきた。


 まさか助けに入った俺を小人たちが攻撃してくるとは思っていなかったので、俺は焦った。完全に油断していた。


 俺は鞭を振るって一人を排除し、もう一人の石器の槍をギリギリで避けた。

 棍棒で殴りかかってきたのを腕を前に出して受けたが、運良く腕輪に当たってダメージは無かった。腕輪は呪いどころかラッキーアイテムだ。


 俺はそいつの腕を掴んで棍棒を取り上げ、体を振り回して他の小人どもに投げつけた。小人の体は軽くて30kgもないと思う。投げた小人に当たった奴らはボーリングのピンのように弾け飛んだ。


 その三人は気を失ったようだが、腕や足がありえない方に曲がっていた。

 鞭を食らった奴は、喚きながら肉の抉れた胸から血を流して藻掻いていたので、棍棒で殴って気絶させた。


 しかし、こいつらの臭さは異常だ。まるで浮浪者の群れの中に入ったような臭いとドブ川の臭いが混ざったような不快さがあった。

 小人を掴んだ手に臭いが染み付いていて、俺は葉っぱで手を擦り、水筒の水で洗い流した。

 この手で自慰はしたくない。


 攻撃をしてくる者がいなくなり、戦いが終わったので、俺は軽く息を吐きだし一息ついた。


 タスマニアタイガーもどきはまだ生きていたが、動く事が出来ずに槍が突き刺さったままのた打ち回っていた。放って置いても死ぬだろうが、苦しみ続けるのも哀れなので、槍を引き抜いて頭に突き刺した。

 ぐえっという断末魔の叫びとともにタスマニアタイガーもどきは死んだ。やはり黒いモヤが現れてから消えた。


 気を失っている小人たちをどうしようか迷ったが、さすがに人の形をした者を殺すのは気が引けたので放置した。その怪我では、もう俺を襲ってくるのは無理だろう。


 俺が小人たちを助けに入ったのは明らかに判ったと思うが、それでも俺を攻撃してきたのは、やはり敵と認識したからだろう。まさか獲物を取られると思って攻撃してきた訳でもないと思う。


 もしかしたら、少しは理解し合えるかもしれないと期待しただけに、正直落ち込んだ。この世界に俺を受け入れてくれる者は居ないのだろうか…

 オッサンは哀しい。



 気を取り直して、俺は小人を観察してみた。

 人の形をしているが、よく見るとかなり違っている。肌の色は緑色だが、はっきりとした緑というより褐色の肌に緑っぽい色が混じっている感じだ。流れ出ている血は俺と同じ様に赤い。


 顔はかなり醜悪で、でかくて突き出た鼻に大きくて裂けたような口をしている。動物と同じ様に白目が無く、全体的に黒っぽい色をしている。

 体全体は痩せているが、腹が膨らんでいる為に、なんとなく仏教画に出てくる餓鬼に似ている。


 腰に巻いている毛皮も粗末で、何年も使い込んでいるのかボロボロで擦り切れている。毛皮を木の枝で捲ってみると、人間と同じような男性器が現れた。

 臭いが更にきつくなり吐きそうだ。


 体に対して随分と大きな男性器で、他の小人も同様に大きかった。生殖器だけが異常に発達しているように見える。

 女性体は居なかったが、もしかしたらそれも生殖器は大きいのだろうか?


 それはともかく、もしここがファンタジーの世界なら、これはゴブリンと呼ばれる魔物じゃないのか?


 ふとそんな考えが過った。

 確か、元々は人間に悪さや悪戯をする小悪魔みたいな感じで、民間伝承に登場する架空の生き物のはずだ。

 それがゲームやアニメでは男性体のみの場合が多くて、人間の女や他の動物の雌を襲って繁殖する、という設定が多かったように思う。


 どっちにしろ架空の存在だが、それに近い物が実際に居るのはどうなんだ?

 単なる偶然か、それとも俺は本当にファンタジーの世界に来てしまったのか?

 段々とそんな気がしてきているのだが…


 本当にファンタジーの世界だとしたら、俺はどうしたら良いんだ?

 オッサンには分からない。


 さっきの戦いを見る限りは、ゴブリンたちは《念動力》や《空間移動》を使っていなかったが、超能力ではなく、もし魔法なんか使ったりする獣でも居たら大変だぞ。炎でも浴びせられたり、凍らされでもしたら堪ったもんじゃないぞ。


 まあ、あれこれ想像して恐れていてもしょうがないので、そういった世界でない事を願うしかない。今の所、まだそんな非常識な生き物は見てないしな。

 俺はこの場を後にして尾根を目指した。



 暫く歩いてようやく尾根付近にまで来たが、森はまだまだ終わりそうになかった。がっかりしたが、予想できた事なので、それほど気落ちはしなかった。

 俺はこの辺りで一番高い樹に登ってみた。


 相も変わらず森が果てしなく続いていたが、遠くに湖が見えていて、その付近から煙が立ち昇っていた。山火事というほどの規模ではない煙なので、 生活のために出ている煙のような気がした。

 それは火を使う者がいる事を示していた。


 もしかして、ついに人間の居る場所を見つけたのか?

 湖畔でキャンプでもしているのだろうか?

 今まで俺がさ迷っていたのは手付かずの自然公園だったのか?

 それなら、誰もいなくて自然しかないのが納得できるが。


 しかし、同時にあの煙はゴブリンたちのものだと考えた方が妥当だと思えた。

 現にここでゴブリンたちは獣を狩っていた。

 粗末ながらも衣服を身に着けて道具を使用していた。

 ゴブリンたちは火を扱う文明を持ち、ここらをテリトリーとして生活していると考えた方が良さそうだ。


 さっきのゴブリンたちの仲間がいる可能性が高いが、俺はそこを目指す事にした。



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