第8話 妖精と精霊

「ギャーーーッ!」


 黒豹もどきが腹から血を吹き出して倒れ、俺はそいつの頭に岩をぶつけて潰した。なんとか危なげなく黒豹もどきを倒せた。

 森は相変わらず危険に満ちている。


 やはり武器があると攻撃のバリエーションが増えて、戦いがかなり楽になる。

 投石を躱された時にも間合いを確保できる槍があると、牙や爪の驚異から距離が取れて牽制できる。


 それに、慣れてくると鞭の有効性が際立つ。

 音速を超える鞭のスピードは猛獣であっても捉えきれないようで、数m先から肉を抉る破壊力は圧倒的だ。



 俺は今日、昼近くになってから移動を開始した。

 どうにかこうにか不格好ながらも、俺は午前中を費やして貫頭衣とナップザックを作り上げた。

 実際に着てみると思った以上にゴワゴワして動き辛いが、体を動かしているうちに馴染んで楽になってきた。


 ナップザックもデイバッグ並の大きさでそこそこ物が入り、水筒や回収した《念動石》、ナイフ代わりの石やロープ代わりの蔓などを運べて便利だ。

 俺は動物の項から取り出した石を《念動石》と名付けた。


 投石する石を入れるポーチも余った毛皮で作ったので、ある程度の装備が整った。腕当てや脛当てのお陰で草むらを歩く時も、葉っぱや枝で擦れたり濡れたりせず、不快感が減って随分と歩きやすくなった。

 オッサンは確実に進化している。


 相変わらず、獣や虫などが襲ってきたり行く手を阻んだりするが、戦いにもある程度慣れて、《念動力》と武器のコンビネーションで対応できる様になってきた。


 で、今は鞭を使いこなせるように練習しながら歩みを進めている。

 大体3m程先にある物なら、自在に当てられる様になった。上下左右どこからでも攻撃を繰り出せるので、軌道を見切られないだろう。今は歩いた場所を示す樹の幹への印付けはもっぱら鞭で行っている。


 こうも短時間で武器の使い方をマスター出来るのは、やはりこの体の身体能力の高さにあるのだろう。並外れた身体能力に加えて、その動きをフォローできる優れた動体視力が備わっている。


 後から自分の戦いを振り返ってみると、常に相手の動きを眼で捉えて対応した動きが出来ている。これは凄い事だが、なんとなく鍛え上げたというより、そういう風に作られたと感じてしまう。


 この若い体でそんな戦いをこなすには、プロボクサー並みの訓練を積まなければならないだろう。カプセル内にあった体が、果たしてそんな事をしてきたのか疑問だ。

 なんにせよ、ありがたい能力なので、それを活用していくだけだ。


 そんな事を考えていると、またジュニアがムクムクと大きくなってきた。

 そんな場面じゃないだろうと思うが、出物腫れ物所構わずで、このジュニアは暴君のように振る舞う。困ったものだ。


 今朝だって目が覚めた時に3度も放出したのに、この身体の性欲は異常だ。

 なんとなくだが、自慰ではこの性欲は解消されないような気がする。女体を求める欲望がドンドン高まっている、そんな危機感が芽生えてきた。

 ヤバイヤバイ…



 悶々としながら森の中を歩く。

 襲ってくる獣を八つ当たりで滅多刺しにしたり、骨が見えるまで鞭打ったりして攻撃してしまう。

 自分でもこれはかなりヤバいと思うが、イライラが抑えきれなくなる時がある。集中力が切れてヒルや蜂を躱せなくなると、それが危険信号だ。


 自慰をしようか悩んでいると、薄暗い森の中で遠くに微かに光るものが見えた。

 何かに太陽光が反射している様にも見えたが、気になるので向かってみた。


 近づくに従い、樹々の隙間から光が舞っているのが見えた。

 更に近づくと、舞っている光は妖精が飛んだ後に続く光跡だった。


 妖精って、マジかよ…


 俺は暫くの間、木陰からその不思議な光景に見入った。

 幅や奥行きが10m程の円に近い小さな泉があって、その上を妖精と思われる羽の生えた小人が三人で舞うように飛び回っていた。

 妖精の大きさは30cm程だと思うが、蝶々に似た羽をヒラヒラさせて飛び、その後を鱗粉が撒かれるように光が現れて拡散していた。


 戯れるといった表現がピッタリな感じで、三人の妖精は泉の上をクルクルと飛び回ったかと思うと、寄り添うように集まっては空に向かって飛んでから別々の方向に離れていった。そういった仕草を繰り返しながら自由に飛び回っていた。

 現実感のない幻想的な光景に目を奪われ、素直に綺麗だと思った。


 妖精をじっくり観察してみると、体が透き通っていて向こう側の景色が見える。

 一見小さな人間だが、細かく見ると人間とはだいぶ違う体の作りになっている。目が大きくて白目が無く、髪の毛も一つの塊になっている感じで触覚のような突起がある。手足の形は普通だが、先端に行くほど植物っぽい模様になっている。体は肌色をしたボディスーツを着たようにツルツルしているが、ウェストが異常に細くて、どこか昆虫を思わせる雰囲気がある。


 いつまでも見ていたい誘惑に駆られたが、ふと我に返り、こんなのが本当に存在するのかと疑問に思った。

 しかし、どう見ても生身の生物には見えないし、生き物が持つ息遣いというか存在感のようなものが感じられない。確かに妖精とか物の怪といった幻想生物という感じがピッタリだ。


 ここは超能力が存在するような世界だが、まさか妖精まで存在するなんて………


 本当にここはどんな世界なんだ?

 まさか、ファンタジーの世界とかじゃないよな…

 そんな世界だったら、オッサンは発狂するぞ。

 ファンタジーの世界は想像の中にあるから良いのであって、現実にそんなものがあったら理不尽すぎて世界が成り立たないと思う。


 例えば、ギリシャ神話に登場するゼウス神がいるとして、彼は牛に変身して乙女を引き寄せて浚ったり、戦に出かけた夫に変身してその妻を寝取ったりしているが、そんな事が現実に起こって自分が被害者だったらどうだろうか?


 物語としては面白いかもしれないが、当事者になってしまったら堪ったものじゃない。それが日常的にいたる所で行われたとしたら、耐えられるのか?

 神の行った事だとして許せるものなのか?

 神ならまだしも、一個人がそんな世界を翻弄するような能力を持ってふるっていたらどうする?


 神様が自分の味方で、便利なチート能力を与えてくれるなんて考える方が、よほどファンタジーでお花畑過ぎるだろう。

 故にファンタジーは想像の世界だけであって欲しい。

 夢が無い?

 それが現実というものだ。そして、夢とは自分の力で叶えるものだ。

 と、オッサンは思うのだよ。



 俺は妖精に見とれていて、すっかり周りへの警戒を怠っていた。

 ガサガサという音がしたので慌てて振り向くと、狐に似た獣が襲いかかって来た。


 俺は咄嗟に横に飛んで躱したが、狐もどきは空中で移動しながら俺を追いかけて来る。狐もどきの爪が俺の脛を捉えて引っ掻いた。

 無理な体勢だったために力が弱く掠った程度だったが、それでも脛当てを通り越し、皮膚を裂いて肉を抉っていった。


 俺は地面に倒れたが、次の攻撃を避けるために横倒しのまま転がった。

 が、勢いが付きすぎて泉のかたわらへと転がり出てしまった。

 泉の周りは木々が生えて無くて、芝生のように整った草むらになっている。

 妖精たちは俺に気づくと、直ぐに近づいて来た。


 まずい!


 俺は咄嗟に逃げようとしたが、狐もどきに引っかかれた部分に激痛が走り、立ち上がれずに転んでしまった。


 られる!


 妖精たちと狐もどきの同時攻撃に為す術なしと思われたが、妖精たちは楽しそうに俺の周りを飛び回るだけで、狐もどきは森と草むらの境界線を越えようとせずに俺を睨みながらウロウロしていた。


 よく分からないが、俺は危害を加えられ無かった。

 妖精たちは少しの間キャッキャと笑いながら俺の周りを飛び回っていたが、やがて俺を誘うように泉へと飛んでいった。


 俺は訳が分からずに妖精たちを見ていたが、妖精たちは泉の中心で輪を描くように回り始めた。

 すると、泉の中から2m程もある大きなクリスタルような塊が現れ、光を反射して煌めきながらゆっくりと回転した。


 反射した光が辺りを照らし、その光が狐もどきに当たると慌てて逃げていった。

 光は俺にも当たったが、特にどうという事は無い。

 いや、変化はあった。直後に狐もどきに傷つけられた部位がみるみる治っていった。


 脛当てを外して見てみると、抉れた肉が盛り上がって傷が塞がり、出血が止まって皮膚が再生していく。わずか数分で傷など無かったかのように綺麗に治っていた。何がどうなっているのか全く解らないが、とてもありがたかった。

 脛当ては直らず、切り裂かれたままになっていた。


 クリスタルの回転が止まると、今度はそれが変化して女性の形を作り、徐々に人間らしく生気のあるものになっていった。

 最終的に絹のように光を弾く羽衣を纏った女性に変化した。


 が、人間というにはあまりにもピュアな雰囲気を纏っていて、汚れとは無縁の存在に思えた。

 なんだろう、早朝のお寺や神社を訪れた時のようなピンと張り詰めた雰囲気を感じさせながらも、穏やかな気持ちにさせられた。


 もし、精霊というものが存在するなら、こういったものだろうと胸にストンと落ちた気分だ。

 不思議と警戒心は起きなかった。


 俺はこの女性を《泉の精》と思う事にした。


《泉の精》は当たり前のように水面の上に立って浮かんでいる。

 妖精たちは傅くように《泉の精》の腰より下でフワフワと飛んでいる。

《泉の精》が半歩ほど前に進み出ると、泉の水が波紋を描いて広がった。

《泉の精》は穏やかに微笑むと、俺を迎え入れるように両手を広げた。

 悪意のようなものは一切感じず、俺は引き込まれるようにフラフラと近づいていった。


「〜♪♫♬♪♫♬♪♫♬〜」


 俺が泉にギリギリまで近づくと《泉の精》は話しかけてきた。

 何を言っているのかは解らないが、まるで音楽を奏でるような話し方だ。

 俺が呆然と立っていると、再び《泉の精》が話しかけてきた。


「〜♪♫♬♪♫♬♪♫♬〜」


 さっきと同じ事を言っているようだが、俺には全く解らない。

《泉の精》は少し困ったような顔になると、両手を合わせて器の形を作り、掬い上げて飲むような仕草をした。

 どうやら泉の水を飲めという事らしい。


《泉の精》の雰囲気がそうさせたのか、俺は疑いもせずに泉の水を掬って飲んだ。

 適度に冷たくて澄みきった水は喉を心地よく潤した。まさに染み渡るとはこういう事だ。


 すると、疲れが吹き飛んで体中に力が漲り、活力が沸き起こってきた。

 なんだこれは、ドーピング薬か⁉

 驚いて《泉の精》を見ると、優しくニッコリと微笑み返してきた。


《泉の精》の慈愛に満ちた笑顔を見ていると、何故かそんな疑いを持った自分が恥ずかしいと感じた。40年近くにも渡る都会のサラリーマン生活で、すっかり心が汚れきったオッサンには眩し過ぎる笑顔だ。

 しかも、さっきまで自慰でもしようかと悩ませていたジュニアは、すっかり大人しくなっていた。そういった思いを抱く事が不遜と思えるような笑顔だ。


 ここは本当にファンタジーの世界なのか?


 ファンタジー風にいうなら、この泉は《回復の泉》で、この水は《魔法の水》、《癒やしの水》とか呼ばれるポーションのような液体なのだろうか?

 だとするなら、この女性は《回復の女神》とか《泉の精》といった存在なのだろうか?


 本当にそんなものが存在するのか?


 にわかには信じられないが、目の前にいる女性はクリスタルのような柱から変化して、極普通に水の上に佇んでいる。人間離れした美しさを持って微笑む様はまさに女神や精霊といった感じだ。


 顔立ちはとにかく美しくて、異国風とか和風とかいった地域的特徴を感じさせない超然とした造形をしている。が、冷たい感じはしない。スタイルも完璧なまでに整っていて作り物のような感じさえする。


 身に着けているパステルブルーの衣は、着ているというより纏っているという感じで、淡いブルーの髪の毛と供に、風もないのにフワリフワリとそよいでいる。

 なんとなく、日本の民間伝承にある天女の衣のようなイメージだ。


 見れば見るほど神秘的な雰囲気を漂わせている。


 日本にいるなら、ホログラフィーとかを疑うところだが、何もない森の中にあるのが不自然で意味不明だ。

 俺は思い切って話しかけてみた。


「怪我を治し、体力を回復してくださってありがとうございます。不躾ではございますが、貴方様は《泉の精》なのでしょうか?」


 女性は一瞬驚いたような表情を浮かべ、それから困惑した様子を見せた。


「!〜♪♪♫&♫♬%♬≦♪♪♫♫:※♬♬▶♪♪♫?!♫♬#♬〜?」


 何かを話しかけてきたが全く解らない。

 女性は困ったようなジェスチャーを示す感じで首を横に振った。

 暫く見つめ合っていたが、《泉の精》の体が透き通り始めた。

 何か言葉を告げると、《泉の精》はクリスタルへと変化しかけた。


「〜♫&♫♬♬▶!♫♬〜」

「あっ、待ってください!」


 思わず俺は呼び止めた。

 例え人間でないとしても、言葉が通じなくても、人間の形をして 意思の疎通を通わせる可能性がある者と別れたくなかった。


 女性は俺の呼びかけに答えようとせず消えかけたが、俺が泉に足を踏み入れると再び姿を現した。

 そして、少し怒った表情で 何かを告げた。

 多分、泉に足を踏み入れた事を指摘したのだろう。

 俺が泉から出ると女性は穏やかな表情に戻った。

 さっきと同じ言葉を発して、女性は再び消えようとした。


「〜♫&♫♬♬▶!♫♬〜」

「待ってくれ、頼む、消えないでくれ!」


 俺がまた泉に足を踏み入れると、女性は再び現れて、今度は更に怒った態度を示した。


「消えないで、なんでもいいから、そのまま居てくれないか…ください…」


 俺は一人取り残される寂しさから、《泉の精》の警告を無視して懇願した。

《泉の精》は更に態度を硬化させ、振り払うような仕草をした。

 すると、泉の水が舞い上がり、俺に水を浴びせかけて強制的に泉から追い出した。

 俺はずぶ濡れになって草むらに転がった。

 その間に、《泉の精》はクリスタルに変化して湖の中へと消えていってしまった。


 俺は再び《泉の精》を呼び出そうとして泉に足を踏み入れかけたが、泉に触れる事は出来なかった。 まるで見えない壁でもあるかのように泉は俺を拒んだ。


 妖精たちは俺に近づいてきてアッカンベ〜に似た嘲るような態度を取ってから姿を消した。

 俺はしばらく草むらに座り込み呆然としていた。

 どうやら、俺は《泉の精》と妖精たちを怒らせてしまったようだ。



 暫くしてから俺は大きく息を吐き、立ち上がった。

 少し冷静になってから考えると、随分と無様な態度を示したと思った。《泉の精》に対する敬意や思いやりを見失った態度では、こうなるのも当然だろう。

 無事に生きていられたのを幸運と思うべきなのかもしれない。今の俺の境遇など向こうには全く関係ないのだから。


「ありがとうございました。」


 俺は泉に向かって感謝の言葉を述べ一礼した。

 体の傷と疲れを癒してくれた事には感謝しかない。

 泉は何事もなかったかの様に水を湛え、果てしない深みを感じさせて静かに佇んでいる。


 俺は泉を後にして出発した。

 草むらを出て森に入ると、途端に虫や鳥などの自然のざわめきが聞こえてきた。

 どうやら、あの泉と草むらを含む領域は神域とか聖域とか呼ばれる空間だったのだろう。俺以外の生き物が入ってくる事は無かった。

 なぜ俺が入れたのかは解らないが、 基本的に《泉の精》は好意的だった。


 しかし、本当にここはファンタジーの世界なのか?


 何度も俺は自分に問いかける。

 あれだけのものを見せられても、にわかには信じ難い思いだ。

 あれは本当に女神や精霊といった類の存在なのだろうか?


 そう思わざるを得ない超常的な能力を示してくれたが、日本の現代社会で生まれ育った俺には、どうにも受け入れ難い。

 特に俺は幽霊とか心霊現象といったオカルト的なものを全く信じない人間で、そういった体験は一切無い。そういう事を言う奴はホラ吹きか詐欺師の類だと思っている。

 ファンタジーはあくまで想像の世界の出来事だ。


 もしあの《泉の精》が本当に霊的とか高次的な存在だとするなら、なぜ俺を受け入れてくれたのに、他の動物は受け入れなかったのだろう?

 俺だけのために泉が存在するとは思えないので、多分人間だけを受け入れるのではないだろうか。


 心の綺麗な人間という条件なら、俺は該当しないと思う。

 全く解らない。

 まるで人間が休憩するために作られたようで、なにか人為的な意図を感じてしまう。と、俺は邪推してしまう。


 地球とは違い超能力が存在する世界なので、超常的な存在が居たとしてもおかしくはないのかもしれない。

 それに、ギミックというにはあまりにも高度な技術すぎるし、あれにそんな予算と手間をかける意味があるのだろうか?しかも辺鄙へんぴな森の中で?

 どうにも納得出来かねる。

 結局は何も解らないのだが、オッサンは基本的に疑り深いのだ 。


 それでも一つの光明が見えた。

 あの《泉の精》は女神なのか精霊なのかは判らないが、重要なのは人と変わらない姿形をしていた事だ。

 俺が神や精霊の類でないなら、人間も同じ姿形をしているのだろう。


 少なくとも、研究所みたいな場所で死んでいた、あの緑の肌をした小人がこの世界の基本的な人類という訳ではなさそうだ 。


 俺と変わらない人間がいる可能性が見えたのは僥倖だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る