第3話 恐ろしい世界
一か所に留まる事に不安を覚えた俺は、川岸を下流に向けて歩いた。
岩場でゴツゴツしているが歩けなくは無い。即席で作った靴が意外に良い仕事をしている。
脇を流れる川は岩の形によって幅を変えるが、平均すると幅は10m位はありそうだ。流れが速くなって小滝になったり、緩やかになって淵になったりして目を楽しませてくれる。
水の色も驚くほどキレイなエメラルドグリーンをしていて、陽の光を弾いてキラキラしている。
そういえば、ここよりも小規模ではあるが、山梨県の西沢渓谷もこんな感じだったなと思い出した。あそこの変化に富んだ水の流れと色彩は強烈に記憶に残っている。
あの時のように、GPSの位置機能を使える地図アプリがあれば自分の居場所が特定出来るのだろうが、そんな物はなく、今歩いている場所は全く見覚えが無かった。
しかし、この美しい場所も、脇の森に入ると雰囲気が一変する。
日差しが遮られて薄暗くなり、落葉や枯れ枝などが堆積して歩き難い事この上ない。しかも、日本では見られない大きな虫がわんさかいる。
試しに一旦森に入ってみたが、途端に握り拳ほどもある蜂もどきがウヨウヨ飛んでいて、怖くなって直ぐに出た。
で、こうして岩場を歩いているのだが、さっきから森の中で俺を追跡している獣がいる。一瞬だけ姿が見えたが、黒豹というか巨大な黒猫というか、そんな感じの獣だ。しかも大きさは馬程もあるような気がする。
あんなのと戦いたくは無いが、向こうは見逃してはくれなさそうだ。
川岸の岩場が終わりを迎えた。
脇を流れていた川が数段に渡る滝によって20m程俺のいる位置から下がってしまい、川の両サイドが切り立った崖になって渓谷を形成していた。
同時に岩場も終わりを告げ、崖のギリギリの所まで木々が生い茂るようになっていた。ここから先は川岸を歩く事が出来なくなり、いやが上にも森の中へ入って行かざるを得ない。
しかし、森に入れば黒豹もどきが待ち受けている。森の中は奴のフィールドだ。どう考えても分が悪い。
俺は今いる岩場で戦う決意をした。
どういう訳か黒豹もどきは森から出ようとしない。そうでなければ、とっくに俺を襲っていたはずだ。何か訳があるのか、もしかしてさっきのワニもどきを恐れているのだろうか?
何にせよ俺にとっては都合が良い。この場所ならワニもどきが飛んだりしない限り、背後から襲ってくる心配は無い。
俺は黒豹もどきを警戒しつつ、地面に転がっている大小様々な大きさの石を集めた。
流木が溜まっている場所があったので、そこから長めの木片を何本か拾った。槍を作っている暇は無いが、これを使って間合いを取れば爪や牙の攻撃をある程度は防げるはずだ。
が、正直怖い。
自分よりも大きな獣との戦いなんて冗談じゃない。銃でもあれば別だが、集めた粗末な武器で勝てるとは思えない。
しかし、
殺す!殺す!殺す!
殺すんだ!殺すんだ!殺すんだ!
殺せ!殺せ!殺せ!
必死に自分に言い聞かせて戦う決意を固める。
なまじ、戦うまでに時間があると厄介だ。
決意が固まると、俺は先制攻撃を仕掛ける事にした。
森を睨みつけ、神経を研ぎ澄まして奴の居場所を探す。暫く探っていると、何か禍々しい気の様な気配を感じた。これはあの熊からも感じたものと同じだ。
眼と耳を凝らしてその場所を伺うと、茂みの中からこっちを見つめる瞳の輝きと静かな息遣いを探り当てた。
やはりこの体は凄い、あらゆる能力が非常に高いレベルにあるように思える。
俺はゴルフボールほどの大きさの石をそこへ向かって投げた。
それが牽制となって森を出てこっちに向かって来ればいいが、逃げたとしてもそれはそれで良いだろう。
この体の凄い身体能力のお陰で、石は猛スピードで真直ぐに黒豹もどきに向かって飛んでいった。
黒豹もどきは驚いた様子を見せて脇に飛び、石を避けた。多分今まで物を投げつけられた事など無いのだろう、あまりにも驚いてバランスを崩していた。
俺は間髪を入れずに次の石を投げた。
これで当たればラッキーなので、ひたすら《当たれ!》と念じて投じた。
バランスを崩していた黒豹もどきは石を避けられそうも無かったが、目がキラリと光ると体を横にスライドさせた。
なんだ!?
黒豹もどきは四脚とも伸びきった状態だったのに、何の反動も付けずに横に移動した。
あの熊と同じように空中で体を移動させたのか?
これも驚きだったが、俺の投げた石が黒豹もどきを追いかける様にスライドしたのも驚きだった。
石は黒豹もどきの後ろ足に当たり、弾かれて後方へ飛んでいった。
「ぎゃんっ!」
色々と驚く事が重なったが、黒豹もどきは手負いになり、怒り狂ってこっちへ向かって来た。
今度はソフトボールほどの石を投げた。さっきと同じように《当たれ!》と念じて。
黒豹もどきはジャンプし、樹の幹を蹴って走る方向を変えたが、今度も石は奴に向かって曲がっていく。どうやら、石が曲がったのは偶然では無いようだ。
しかし、黒豹もどきに当たると思った瞬間に奴の目が光り、石は在らぬ方向に曲がって飛んで行ってしまった。
「なんだーっ!?こいつは《念動力》でも使うのか!」
いや、それは俺も同じかもしれないが…
考えてる暇は無い。黒豹もどきは物凄いスピードで俺との距離を縮めて来ている。
それでも、森と岩場の境目に差し掛かった時に少し動きが鈍った。
俺はその隙をついて、ゴルフボールほどの石を両手で出来るだけ沢山持って一斉に投げた。
《当たれ!》
そう念じると、ほとんどの石は曲がらずに飛んだが、幾つかの石は黒豹もどきの動きを追いかけるように曲がっていった。
曲がらない石は牽制となり、曲がった石は2つを逸らされたが、1つは顔を捉えて目に当たった。
「ぎゃふっ!」
石に勢いは無かったのでダメージとしては少ないが、目に当たったのはラッキーだ。
これで逃げるかと思ったが、黒豹もどきは更なる怒りに燃えて、森を出る事に躊躇いも見せずに突っ込んできた。どうにも俺を殺さないと気が済まないようだ。
心なしか、物凄い心理的プレッシャーを受ける。それはまるで物理的な力が加わっているかのようだ。いや、実際に受けていた。
俺は金縛り状態に成りかけたが、この体はそれを払い除けた。
殺られてたまるか!
その思いがプレッシャーを霧散させた。
飛び掛かってくる黒豹もどきに、俺は渾身の力を込めて大きめの石の塊を持ち上げて振り回した。これなら100kg以上あるはずだ。
黒豹もどきは石を躱そうと目を光らせた。
石は横へずれようとしたが、俺は手を放さずに力任せに動きに逆らって岩を黒豹もどきの頭に向けて押し出した。
黒豹もどきは前足を伸ばして爪で攻撃を仕掛けてきたが、一瞬早く石が奴の頭を捉えた。
「ぐぎゃっ!」
骨の砕けるような音がして衝撃が俺に伝わった。
さすがに100kg以上もある石に突っ込む形になった黒豹モドキはただでは済まず、頭が割れて中身が見えていた。
強引な動きと衝撃のせいで俺は吹っ飛び、バランスを崩して倒れてしまった。
黒豹もどきは頭が割れながらも倒れずに、ヨロヨロしながら襲い掛かってきた。
爪を立てながら振りかぶってくるのを、俺は咄嗟に倒れたままの状態でさっき手に入れた鞭で振り払った。
ヒュンと呻りをあげてしなった鞭が黒豹もどきの前足を捉えた。あっさりと奴の前足は肉が裂けて、爪と共に指が吹き飛んだ。
「ぴぎゃーーーーっっっ!!」
絶叫と共にバランスを崩して倒れた黒豹もどきは岩場でのた打ち回る。
ビックリするような鞭の威力だ。
俺はすぐさま立ち上がると、石の塊を持ち上げて黒豹もどきの頭の上に落とした。奴の頭はグシャリと潰れて血飛沫と共に脳ミソを撒き散らした。
これで黒豹もどきは完全に死んだはずだが、この時、黒豹もどきの体から黒いモヤのようなものが出てきた。
なんだ?
黒いモヤのようなものは数瞬だけ空中を漂うと、霧散するように消えていった。
なんだ今のは?魂とか幽体とかいうものなのか?
さっきのワニもどきが死んだ時にも黒いモヤが現れたが、見間違いではなかったようだ。
俺は暫くそのままでいたが、その後は何も変化が起きなかった。
今のが何かは解らないが、黒豹もどきは完全に死んだ。
気が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。何だかよく分からないが、不思議な出来事とラッキーのお陰で勝てた気がする。
死んだ黒豹もどきの体を見ると本当にでかくて、マジで馬並みにあった。死体を目の前にしても、あまり勝ったという実感は無かった。
マジかよ、マジで俺勝っちゃったの?そんな感じだ。
もう襲われる心配はない。その思いだけが俺の中でグルグルと駆け巡っていた。
黒豹もどきからの出血が酷くて、みるみる辺りは血の海になっていった。
これはよろしくない。血の匂いは、敵となる生き物を呼びそうな気がした。
俺は気力を振り絞って立ち上がると、黒豹もどきの足を掴んで川に向かって引き摺っていった。
馬並みの体から察するに500kgはあると思うが、ここまで来るとこの体の身体能力を以ってしてもただ重いとしか思えない。
それでも、この若い身体は苦労しながらも岩場の上を引き摺っていく。本当に超人的な身体能力だ。この体が無ければ俺はとっくに死んでいただろう。
どうにか黒豹もどきの死体を引き摺って川に落とすと、流れに乗って渓谷の底へと落ちていった。
死体が水の上に浮かび上がると、どこに潜んでいたのか、さっきのワニもどきが大量に現れて群がっていった。
岩岸からその様子を見ていると、ものの数分で黒豹もどきは骨だけになって沈んでいった。
その光景にゾクゾクと体が震えた。
恐ろしい所だ。
黒豹もどきが森から出るのを躊躇ったのが解ったような気がする。
俺の時ははぐれのワニもどきだったのだろうか、よく1匹だけの相手で済んだものだ。
ワニもどきたちは食事が済むと、何事も無かったかの様にその身を水に沈めていなくなった。どうやら満足したようだ。
俺はもう一度その場にへたり込んで大きく息を吐き出した。
しかし、本当にここは何処なんだ?マジで俺の知っている地球とは思えないんだが。
それとも、俺が知らないだけで、アマゾンやアフリカにはこんな生き物がいるのか?
黒豹にしても、俺の知る限りネコ科の動物としては中型で、虎やライオンに比べるとかなり小さいはずだ。
しかし、黒豹モドキは虎やライオンに比べてもそれ以上に大きかった。
そして、あれだ。
眼が光った時に使って見せた、空中移動と物の動きを思念で変えたと思われる特殊な能力。
熊の時は目が光ったのか分からなかったが、やはり同じような能力を使って見せた。
更に驚いたのは、俺も同じように投げた石の軌道を曲げた事だ。
どうなっているんだ本当に?
俺も含めて、この世界の生き物は超能力の一つ《念動力》が使えるのか?
超能力が当たり前の世界なのだろうか?
解らない…
とにかく解らない事だらけだ。
俺は起き上がる気力が湧かず、暫くその場所に座り込んだままだった。
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