第29話 滲め

 ふっと意識が浮上すると、真っ白な天井が目に入った。天井がやけに高い。全身が酷く重たかった。さらりとした手触りの良いシーツを撫でていると、これまでの状況が思い出されてくる。

 信原しのはらを地上へ送り届けて、彼がパニックになってしまって、やむ無く自分はその場から離れた。その後、時雨が手配してくれた迎えの船が到着して、タイクウたちは本土へと渡ったのである。


「起きてんのか」

 自動ドアが開いて、ヒダカが部屋に入ってきた。頬や手のひらに絆創膏を貼っており、表情は暗く沈んでいる。タイクウは慌てて上半身を起こした。

 ヒダカは部屋の入り口付近の壁に背中を預け、立ったまま経緯を説明し始めた。


 タイクウは時雨の所有するビルに到着すると、糸が切れたように寝落ちてしまったらしい。現在は日付が変わったばかりで、タイクウが寝てから十数時間が経過しているとのことだ。連続で変身してしまったからか、それだけ眠っても体の倦怠感が拭えていない。

 ヒダカの話が終わると、タイクウは躊躇いながら気になっていたことを尋ねた。


「ヒダカ、先生は……?」

「落ち着いて、今は眠ってる。その前に、多少会話もできた。テメェのことは……何も聞いてこなかったけどな」

「そっか、良かった」

 穏やかな笑みを浮かべてタイクウがそう呟くと、弾かれたようにヒダカが顔を上げた。唇を戦慄かせ、タイクウの呟いた言葉を繰り返している。


「『良かった』、だ? 何が、良かったんだよ」

「良かったよ。だって、ヒダカも先生も死なずにちゃんと地上に来られたし。――ああ、ヒダカの強さを信じてなかったわけじゃないんだよ!? ただあの時は、これが最善だって思ったから……あ、あと、夢中で仕方がなかったとは言え、先生を怖い目に合わせちゃったことが申し訳ないな。ヒダカのその絆創膏も、先生の、でしょ? ごめんね、辛い思いさせちゃって。先生も、トラウマとかにならなきゃいいんだけど」

「そういうことじゃねぇ!!」

 剣幕に、タイクウは目を見開く。ヒダカの顔面は蒼白で、握った拳を戦慄かせている。タイクウのベッドの近くまで来ると、ヒダカは拳を真っ白な壁に強く叩きつけた。


「なんで、なんでテメェはそうなんだよ!? 先生に『化け物』だって怖がられて拒絶されたんだぞ!? なんか他にねぇのかよ!?」

「え?」

 意味が分からない。ゆっくり瞬きをすると、タイクウは怪訝な表情で首をかしげる。

「だってそれは、仕方がないよ。誰だって目の前にあんなのがいたら、怖いし驚くのは当たり前だし」

「違うだろ!? テメェのそれは仕方ないことなんかじゃねぇ! 『良かった』、『仕方ない』……!? なんで、そんな、のんきに笑ってそんな風に言うんだ、テメェは!? テメェのは」


 俺のせいだろうが。


 絞り出すように告げられた言葉が、タイクウの心臓を握りつぶした。

 ヒダカは強く歯を食いしばって顔を歪めている。彼の黒檀色こくたんいろの瞳に宿る激しい怒りは、きっと彼自身に向けられたものだ。ヒダカの震えた唇から放たれた言葉は、もはや絶叫のようだった。


「俺を助けたせいで、テメェは『化け物』になった! そのせいでテメェは親にも会えねぇし、飯もまともに食えねぇし、毎回痛い思いして変身して、しょっちゅう体を検査されて――それで、だ! またテメェは俺のせいで『化け物』になって、先生にも怖がられて拒絶されて――。それを、良かったなんて笑って、どうして言えんだよ!? 言えよ、もっといつもみたいに! 『お前なんか助けなきゃ良かった』って……そう言って後悔しろよ!? どうして、テメェは自分のことだけは、『仕方がなかった』なんて簡単に割り切って笑うんだよ……っ」


 やっぱり、ヒダカはタイクウが天空鬼化け物に姿を変えたことを、ずっとずっと後悔してくれていたのだ。

 タイクウは静かな声で、ハッキリと言い聞かせるように、幼馴染みに言葉をかけた。


「後悔してないよ。するわけない」

 この一言で、いっそヒダカの後悔が断ち切れればいいのに。そう思いながら、タイクウは柔らかく目を細めた。

「だって、ヒダカが生きてること以上に、大事なことなんてないでしょ」


 雷に打たれたような表情で、ヒダカは目を大きく見開いた。眉間に皺が深く寄って、彼の顔が今にも泣きそうなほどぐしゃぐしゃに歪む。

 目を伏せて、ヒダカは先程と打ってかわって、消え入りそうな声で呟いた。

「俺は……俺にそんな価値なんかねぇよ」

「――っ、なんで、そんなこと言うんだよ!?」

 タイクウの目の前がカッと真っ赤に染まった。


「ヒダカは僕に、大切なことをたくさん教えてくれた。後悔した時の前の向き方も、落ち込んだ時の顔の上げ方も! 全部ヒダカが教えてくれたんだよ!? それなのに、自分に価値がない? なんでそんなことを言うんだよ、そんなこと言わないでよ!? 今の僕があるのは、君のおかげなのに……!」

 ここまで声を荒らげたのは初めてだった。タイクウは大きく肩で息を吐きながら、潤んだ視界で必死にヒダカを見上げる。

 長い沈黙の後、ヒダカが片手で顔を覆いながら喘ぐように吐き出した。

「テメェといると……俺は惨めになるばっかだ……」

 深々とヒダカの言葉がタイクウの心臓を抉った。高く不快な耳鳴りが耳の奥で響く。首を絞められたように息が苦しくて、タイクウは肩で大きく息を吐いた。


『――タイクウさん? 起きてます?』

 扉の外に、ノックの音と誰かの声が聞こえてくる。ようやくそこで、タイクウの世界に音と色が戻ってきた。

 ヒダカの方をわざと視界に入れないようにして、タイクウは掠れた声で返事をする。

「良かった、目が覚めたんですね。……あら、ヒダカさんもこちらでしたか」

 入ってきたのは、ココだった。相変わらずブカブカの白衣をはためかせ部屋へと入り、タイクウとヒダカを交互に見つめる。


「――お二人とも、顔色が良くないです。彩雲へ戻るのは、もう少し休んでからにしてください。その後でタイクウさんは、診察をさせてくださいね。二回連続で変身したのでしょう? 何かあっては心配です」

「はい。分かりました」

 ココはおやすみなさいと言って、部屋を出ていった。それに続けて、ヒダカも部屋を出ていってしまう。下を向いていて、どんな表情をしているのか分からなかった。


 部屋の中が静まりかえり、タイクウは上半身をベッドに沈める。両目を閉じると、ヒダカの苦しげな表情と言葉が浮かんでしまう。

 化け物になってしまったって、自分はヒダカの命を救えただけで満足だった。

 けど、ああ見えて優しい幼馴染は、自分のせいでタイクウが人ではなくなったのだと悔やむから、いつかヒダカの後悔を断ち切りたいと願った。


 こうして始めた藍銅鉱アズライトは、怖い思いもしたけどやりがいがあって楽しくて。こうやってたくさんの人の役に立てたなら、体が変わってしまったことなんて大したことじゃない。ヒダカもきっと、同じ気持ちになってくれると思っていたのに。


「けど、間違ってたのかな」

 自分と一緒にいる間、ヒダカは影でずっと苦しんでいたのだろうか。自分が傍にいることで、ヒダカの罪悪感と後悔を助長させていたのだとしたら。

「僕は――僕の選択は、君を苦しめていただけだったのかなぁ」

 タイクウは両腕で、熱くなった目蓋を押さえつけた。

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