第28話 失ったもの
ヒダカは素早く振るう刃で、敵の腕を、腹を、首を、翼を切りつけていった。しかし、奮闘しているにも関わらず、次第に彼の体は群がる鋼色に覆い隠され見えなくなっていく。
タイクウは目を見開き、鋭く相棒の名を呼んだ。
ヒダカの光線銃のエネルギーは、とっくに尽きている。彼の行動から察するに、今回は予備もないのだろう。自分の
タイクウは悪い考えを打ち消すために、首を激しく横に振る。
駄目だ。彼の頑張りを無駄にしてはいけない。あと数十秒で彼に追いつく。自分がすべきことは、ヒダカに任せてこの危険な領域を一刻も早く脱することだ。けれど――。
タイクウの頭に、どうしても「最悪の考え」がちらつく。何か、この状況を打破できる方法はないだろうか。
何か、僕にできることは。
『そうだ……』
そうだ、変身すればいい。
変身してヒダカの下へ飛んでいって、彼と先生を抱えて守りながらこの領域を抜ければいい。
ここで躊躇ったら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。そんな後悔を抱えて生きるなんて絶対に嫌だ。
『――先生。ヒダカを助けるために、少しだけ無理をしてもいいですか?』
『お、おう。どうなってるかは分からないが、信用してるぞ』
信原の声色は、なんだか懐かしい響きがした。かつてタイクウが「生徒」だった頃、なんども支えて励ましてくれた声である。
それに胸を打たれ、タイクウの声は少し震えた。
『ありがとう。先生には指一本触れさせない。絶対に守りますからね!』
『タイクウ!? テメェ、何』
雑音混じりのヒダカの声を聞きながら、タイクウは目を閉じて右腕に意識を集中させた。「絶対に守る」という決意を形にするように、片方の腕を前に回して信原の体を強く抱き締める。
早く早くと気持ちが急く。身を引き裂かんばかりの激痛すらもどかしい。肌が硬質化して腕や足が肥大化し、背中に両翼が開いた瞬間、タイクウは弾丸のように急降下した。
目の前で蠢く異形の翼を鷲掴み、そのまま力任せに引っ張る。相手の翼の生え際からブチブチと千切れるような音が響くが、構わずそれを後ろへ投げ捨てた。
それでも目の前には、敵がいる。タイクウは信原を抱えていない方の腕を振りかぶり、敵の顔面をわし掴んで強引に道を開けさせた。
ただ目の前の敵を掴んで投げ飛ばし、殴り、蹴り飛ばし、引き裂いて、必死で相棒の姿を探す。
――見つけた。
『っ!? タイクウ、テメェ』
そう思った瞬間、タイクウはヒダカの体を引き寄せ、信原ごと抱き抱えた。
威嚇をするような、とても人とは思えない「鳴き声」が、タイクウの口から発せられる。周囲の天空鬼が一瞬怯んだ瞬間、タイクウは翼を羽ばたかせて更なる急降下を始めた。
敵の腕を爪で切り裂き、蹴り上げた膝で顎を砕く。敵を退けながら、彼は流星のような勢いで加速を続ける。
心臓が激しく鼓動を刻み、全身の血は沸騰したように熱い。
速く。もっと速く。二人を安全なところへ。
絶対に、死なせない。
『おい! タイクウ、タイクウ!』
『え』
ヒダカの声にハッと我に返り、タイクウはゆっくりと瞬きをする。耳元で心臓が激しく鳴っていた。
『あと数秒で、パラシュートを開ける高さになる。周りを見ろ。もう、何もない』
ヒダカの言葉を受けて、タイクウはゆっくりと首を左右に動かした。
わたあめのような雲と、絵の具を溶かしたような青い空、そして眼下には緩く波打つ大海が広がっている。ヘルメットは変身した時の衝撃で脱げてしまったのか、穏やかな風が頬に当たっていた。
良かった、ここまで来られた。
一気に全身を脱力させ、タイクウは息を吐く。緊張が解けたからか、指先が僅かに痙攣していた。
『そうだ! ヒダカも先生も怪我はない!? 大丈夫だった!?』
『ねぇよ。どこも怪我なんか。それより、テメェ――』
『う、うわあああああああああ!?』
突然、耳をつんざくような悲鳴が轟き、タイクウとヒダカはぎょっと目を剥いた。信原の声である。
恐怖におののく彼の瞳は、しっかりとタイクウに向けられていた。
『どうして、どうしてここにコイツがいるんだ……⁉ く、食われ……嫌だ嫌だ嫌だ! た、助け、助けてくれえええ!!』
『先生――っ』
『落ち着け! 大丈夫だ! おい、先生!』
信原は手足をバタつかせ、むちゃくちゃに暴れ始めた。発する言葉は要領を得ず、ただ恐怖で身を戦かせている。自分の体に密着しているのが「何」であるか、気づいてしまったのだ。
強靭な異形の姿とは言え、成人男性が形振り構わず暴れればバランスを崩してしまう。
『違います、先生! 信じられないかもしれないけど、僕です、タイクウです! 今はとにかく落ち着いて』
『馬鹿っ、逆効果だ! ちっ、パニックになってやがる! タイクウ、とりあえず下ろせ!』
隣で彼と密着しているヒダカが声をかけても、信原の反応は変わらない。タイクウはヒダカの指示に従い、とにかく海上にある降下ポイントを目指す。
タイクウは申し訳なく思いながらも、二人の体を落とさないよう抱き抱え、素早く海に浮かぶ元空港へと着地した。
ヒダカが素早く腕の中から飛び降り、暴れる信原の動きに苦戦しながら彼をタイクウの体から引き剥がす。
『先生! もう大丈夫だから、安心して! この姿、怖いですよね。すぐ元に戻りますから』
ヒダカに後ろから
痛みに耐えて目を開けると、信原が呆けた顔でタイクウのことを見つめていた。
良かった、これで落ち着いてくれるだろう。タイクウは安堵した笑みを浮かべ、信原へ一歩ずつ近づいた。
「ね? 僕でしょう? 怖がらせちゃって、ごめんなさい。その、実は僕――」
「近寄るな化け物!!」
ザックリと、言葉がタイクウの胸に突き刺さる。伸ばした右腕が、力なく体の横に落ちた。
信原はその場にへたり込んで、全身をガクガクと震わせている。
「来るなっ! お、おれのことも喰うつもりか!? やめろ、やめてくれ……! 来ないでくれ!! うわぁぁぁぁぁっ!!」
信原は首を激しく横に振って、癇癪を起こした子どものように喚き散らしている。
「落ち着け! 全然化け物なんかじゃねぇ! タイクウだろ!? ちゃんとよく見ろよ! おい!? 先生!」
ヒダカは、必死に彼を落ち着かせようとしている。振り回される信原の手足がヒダカの頬を引っ掻き、腕や腹を何度も蹴りつけていた。
ヒダカの横顔が苦しそうに歪んでいる。
ああ、あれは、僕が人じゃなくなった時にヒダカが見せた顔と同じだ。
またヒダカに、そんな顔をさせちゃった。
「あーあ……」
糸が切れたように、タイクウはふうと息を吐く。眉を下げて、唇に薄く笑みを浮かべた。
「僕、迎えがくるまでその辺を飛び回ってるよ。僕がいたら、先生も落ち着けないもんね」
「タイクウ――」
素早く姿を変えると、タイクウは再び空へと舞い上がる。
あまり都市に近づきすぎないようにしなければ。それこそ、多くの人を驚かせてしまう。
空を見上げると、あの激闘が嘘のように澄みきった水色をしていた。
「綺麗だな……」
後悔しないようにと、できることをやった結果だ。痛みが全くないと言えば嘘になるが、不思議とタイクウの心は穏やかで、この風のように凪いでいた。
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