第27話 絶対に

 風がタイクウの髪の毛をばさばさと揺らしていく。思わず顔を背けて、彼は素早く瞬きをした。

 下を覗き込んでいたヒダカが、雲の流れる様子を見て眉を寄せる。

「少し風が強ぇな。この程度なら飛ぶのに支障はねぇが、妙な場所に流されねぇようにだけ注意だな」

「そうだね」

 着地地点から大きくズレてしまって、太平洋のど真ん中に着水なんてことになったら大変である。二人はいつもよりも念入りに装備や武器の点検を始めた。


「先生は大丈夫? 昨日はよく眠れました?」

「いや、正直緊張で眠れてない。ああ、飛んでる最中に居眠りなんてしたらごめんな」

「そんだけ言えれば上出来だよ」

 ヒダカが犬歯を見せつけるように笑う。虚勢であったとしても、タイクウたちに余裕を見せようとしてくれる気持ちがありがたい。


 タイクウは安心させるように、信原しのはらの肩に手を置いた。今日の空は一段と澄んでいて、彼の門出を祝しているようにも思える。

 いつものようにタイクウは、信原の体と自分の体をベルトでしっかりと固定した。その時に浮き彫りになった身長差で「デカくなったな」と微笑まれ、タイクウは堪らない気持ちになる。


「先生。繰り返しになるけど、この先はアイツらとの戦いになります。恐ろしい見た目の奴らがいっぱい襲ってくるので、どうしても我慢できなかったら目を閉じていてください。ダイブの時間は、実はすごく短くて三、四分くらいなんです。目を開けたらもう、地上に着いてますから」

「そ、そうか。悪いな。情けない話だが、もしそうなったら目を閉じさせてもらおうかな」

『逆に恐怖でパニックになられても困るんだよ。むしろ、そうやって対策してくれた方がありがてぇ』

 ヒダカがヘルメットを着用しながら、視線をこちらに投げてきた。彼の言い分ももっともなので、タイクウは眉を下げて笑う。


「うん。だって、先生と僕は今くっついてますから。万が一先生がパニックになって大暴れしちゃうと、僕もバランスとれなくなっちゃうんです」

「お、おう。そうか、分かった。無理はしないようにするな」

 首を捻って信原がこちらを見上げようとしてくる。雑談で良い具合に緊張が抜けたようだ。

 タイクウは声を出して笑うと、長い髪の毛をまとめヘルメットの中に押し込む。籠手ガントレットをしっかりはめ直してエネルギーが補充されていることを確認したら、準備は万端だ。


『そろそろ飛ぶよ。先生も、いいですね?』

 声をかけると、信原は慌ててヘルメットを着用した。

『ああ、大丈夫だ』

 三人は滑走路のふちに立つ。

 目の前に広がる天色の空は、いつもと変わらずそこにある。タイクウたちを簡単に飲み込んでしまいそうな恐ろしさもあり、どんなものでも受け止めてくれそうな優しさもあった。

『青空って、こんなに綺麗だったんだな……』

『そうですね』

 信原の呆けたような呟きに頷いて、タイクウたちはカウントダウンを始める。

 カウントがゼロになった瞬間、彼らはその身を宙へ躍らせた。


 大の字になって体を安定させると、周囲を青で包まれる。外はマイナス何十度、酸素も薄く人が生きていける環境ではないが、だからこそ、この世のものとは思えない美しさを感じるのだろうか。

 今では決してお目にかかることのできない壮大な景色に、信原は感嘆の息を吐いた。

『すごいな……』

『すごいですよね。僕も初めてみた時は感動しました』

 穏やかな声で話しかけながら、タイクウは信原の様子を探る。自分と密着している安心感もあってか、彼は落ち着いているようだ。

 しかし、あと数十秒でアイツらの領域へ突入する。


『――来たぞ』

『うん』

 それは黒い雲にも見えるだろう。しかし、それが近づいていくにつれて、鋼色をした異形の塊だと気づくのだ。蝙蝠のようだとも、その名の通り悪魔だとも称される両翼を羽ばたかせ、天空鬼スカイデーモンはホオジロザメのような顎を大きく開けて叫んでいる。まるで、これから来る獲物に歓喜しているようにも見えた。

 タイクウは視線を下げて、信原の体を眺める。彼はまた緊張と恐怖で固まってしまっているようだ。


『先生。飛ぶ前も言ったけど、怖かったら目をつぶってていいですからね? トラウマになっちゃったら、せっかくの妹さんの結婚式が台無しですよ』

『あ、ああ、そうだな。どうしても駄目なら、そうさせてもらうよ』

『大丈夫! 遠慮なくそうしてください!』

 表情は伝わらないので、タイクウはなるべく明るい声を上げた。

『さぁ、戦闘開始だ!』


 少し前を降下しているヒダカが、いつものように光線銃を構え引き金を引いた。

 バチッと火花にも似た光が散ったかと思うと、銃口から真っ直ぐな光が真下の空を貫いていく。光に触れた天空鬼が次々に消滅していき、光の軌跡がそのまま道となる。三人はそこ目がけて飛び込んでいった。

 あとは、残った敵を倒しつつ一気にいくだけ。

 そのはずだった。


『——な』

 突如ヒダカたちの目の前に、鋼色の巨体が割り込んできた。咄嗟にヒダカが腰の刀を抜きさって、天空鬼の胴体めがけて薙ぎ払う。滑らかに敵の腹に食い込んだ刃が、青くて濁った液体を宙に撒き散らした。

 続けてヒダカは素早く刀を上段に構えると、相手の首筋目掛けて振り下ろす。急所を切られて痙攣した巨体を、彼は肘で思い切り突き飛ばして下への導線を確保した。

 そこで、再びヒダカが驚愕の声を上げる。


『――嘘だろ』

 タイクウもを見て大きく目を見開く。三人の下には先程と同様、いや、それ以上の天空鬼の群れが蠢いていたのである。

『ど、どうした⁉︎ な、何かあったのか⁉︎』

 信原の困惑した声とヒダカの舌打ちが、続けてタイクウのヘルメットの中に響く。

 驚いている場合ではない。とにかく、この群れを突破しなければ。


『大丈夫。まだ、目を閉じてて大丈夫ですよ』

 タイクウは穏やかな声色を心がけて、信原に話しかける。話さずとも「作戦」が伝わったのか、ヒダカは落下速度を調整してタイクウの後ろに着いた。

 タイミング的には少々早いが仕方がない。

『――行くよ!』

 タイクウは腕を前に突きだし、籠手ガントレットに搭載されたシールドを展開した。籠手がまるで蕾が開くように広がり、タイクウの手のひらの中心から光線銃と同様の光が放出される。タイクウたちを卵殻のように包み込むそれは、敵にとっては触れるだけで体が消滅してしまう恐怖の光だ。


 ヘルメットの内側に表示された現在の高度は、三千五百メートルほど。二千、いやせめて二千五百メートルほどの位置まで下りられれば、天空鬼の数はかなり少なくなるはずだ。

 しかし、今日は敵の群れの層が、なんというか分厚い。シールドに触れた天空鬼はいつも通り消滅しているものの、一向に視界が開けない。次から次へと目の前に立ち塞がる驚異に、思うように距離を稼ぐことができないのだ。

 このままでは先にシールドのエネルギーが尽きるだろう。エネルギー残量を示すバーが、物凄い勢いで下がっていく。シールド機能停止のカウントダウンが、ヘルメットの内部で鳴り響いていた。


『タイクウ! シールドが停止したら! 俺が前に出る! テメェらは――抜けて先に行け!』

『え、ヒダカ!?』

 カウントダウンがゼロを表示した瞬間、タイクウの肩にぐんと重みが加わり、ヒダカが前へ躍り出た。


 抜刀と同時に刀を両手に持ち変えて、深く前へ突き出す。目の前にいた天空鬼の眉間へ、鈍色の刃が深々と突き刺さった。ヒダカは両足を素早く突き出して敵を思い切り蹴りつけると、その勢いで刀をズルリと抜き去る。青くてどろりとした液体を払うように、彼は一度刀を横に払った。

 敵の体を踏み台に大きく跳躍すると、ヒダカは落下速度を上げて、敵の間をぬって下へ移動していく。

    

 それを見た天空鬼は、ヒダカの後を追って続々と急降下を始めていった。

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