第26話 お酒の席で

「ここに来たってことは、先生も地上へ?」

「ああ。町で運び屋の噂を聞いて……ただ、まさか運び屋がお前たちのことで、地上に降りるのがこんな方法だったとは思いもしなかったけどな」

 どうして仕事の相談なのに、叱られているような気分になるのだろう。


 藍銅鉱アズライトの事務所のソファーに座り、タイクウとヒダカは恩師、信原煌しのはらこうと向かい合っていた。

 信原は背筋を伸ばして堂々と座り、出されたお茶にも一切口をつけようとしない。彼の分厚い唇からため息が漏れて、思わずタイクウは肩を跳ねさせた。


「お前たち、どうしてこんなことを? 化け物がたくさんいる空を飛び降りる? しかも、その身一つで? ――とても正気の沙汰とは思えないぞ。いや、依頼しに来た俺が言うのもなんだけどな」

「ええっと、その」

「俺の――兄だ。地上にいるアイツが彩雲の人たちを助けるために打ち出した一案に、身内のよしみで乗っかることになったんだよ。命がけで危険な行為であることは分かってる。けど俺らは今まで何度も依頼をこなしてきた。信用、できねぇか?」

 ヒダカは一字一句丁寧に言葉を紡いだ。嘘は言っていないし、真剣な気持ちでやってきたのは事実である。

 タイクウは無意識に丸まってしまった背筋をピンと伸ばした。


「本当です! 遊び半分でやってることじゃなくて、僕たちは彩雲にいる人を本気で助けたいと思ってやってきたんです! 先生からしたら僕たちはまだまだ子どもかもしれないけど、安心して任せてください。先生のことも、無事に地上へ送り届けますから」

 いつかヒダカのを断ち切りたい、という気持ちもあるが、それでもタイクウはこの仕事に誇りを持っている。どの依頼にも全力で向き合ってきたのだ。

 タイクウは視線を逸らさず、真っ直ぐに信原を見つめる。信原は目を見開いて驚いた表情をしていたが、やがて気が抜けたように眉を下げた。


「――ごめんな。そうだよな、もうお前たちの担任でもなんでもないのに、保護者面するのは野暮ってもんだな。失礼なことを言ってしまって悪かった」

「いえ、昔からずっと心配してくれて嬉しいです。先生には本当に、お世話になってきたので」

 タイクウは体の力を抜いて破顔した。隣に座ったヒダカも顔の表情を和らげている。


「詳しい話をしても良いか?」

「ああ、もちろんだ。おお、そうだ。ここからは『先生』じゃなくて、依頼人として話を進めてくれ。敬語も無し、な」

「えー? なんだか緊張しちゃうな」

「へらへらすんな! また依頼人を不安がらせる気か、テメェ」

「ご、ごめん!」

 ヒダカに叱咤され、タイクウは再び背筋を伸ばす。それが面白かったのか、信原は懐かしそうに顔を綻ばせて笑った。


「なんか、変わってないな、お前たち。おっと、駄目だ。俺はお客様お客様……。それで、どんなことに気をつければいい? んですか?」

「はい。ご説明します。あ、あと、僕たち運び屋をやるときは『タイクウ』と『ヒダカ』で名乗ってますから、そちらの呼び方でお願いします――してね!」

「もうお前ら自然体で喋れよ」

 昔の癖が抜けないため、お互い言葉遣いのことは諦めた。

 気を取り直し、タイクウたちは注意事項や依頼料など、詳しいことを順に説明していく。信原煌しのはらこうは現在一人暮らしで、両親や妹は全員地上にいるそうだ。


「この前、都合がついて久しぶりに地上の妹と通話したんだけどな。どうやらアイツ、結婚するらしいんだ。それで、できれば式に参列してやりたくってな。運び屋の噂を思い出して、話を聞いてみようって思ったわけだ」

「それはとっても素敵だと思います」

「『絶対』はねぇ。けど、命を預けてくれるなら俺たちは全力を尽くす。で、どうする?」

 信原はタイクウとヒダカの顔を交互に眺め、やけにスッキリとした表情で頷いた。

「ああ。二人に任せることにするよ。俺を地上に、連れて行ってくれ。いや、ください!」

「ふふ、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」

 深々と頭を下げた信原に、タイクウは微笑んだ。隣の相棒と視線を合わせ、頷き合う。


「じゃあ、ここにサインを。それで契約成立だ」

 ヒダカからボールペンを受け取ると、信原は契約書の一番下に自分の名前を書いた。緊張からか指先は僅かに震えていたが、表情は期待に満ちている。

 彼からボールペンを受け取ると、タイクウは決意も新たに頷いた。

「準備期間は――本当二週間で良いのか? 仕事の引継ぎとかあるんじゃねぇのか?」

「いや、大丈夫だ。すぐに準備をして、また二週間後ここに戻ってくる」

 信原は両膝に手を置いて立ち上がり、書類をまとめて持ってきたトートバッグにまとめ始める。

 見送ろうとタイクウが席を立ったところで、ふいに信原が思いついたように言った。


「そうだ。二人とも、今夜は空いてるか?」

「今夜、ですか? 特に用事はないですけど」

 タイクウが首を傾げると、信原は歯を見せておどけたように笑った。昔、学生時代に見た「先生」の顔をして、彼は手でコップを持つ形を作ってみせる。

「依頼人として、なんて言ったばっかりだけどさ。今夜先生と一杯付き合ってくれよ。久しぶりに桜ちゃんにも会いたいしな」

 タイクウの心が喜びでふわりと浮かび、弾んだ声で頷いた。


「はい、ご一緒させてください! 僕はお酒飲めませんけど!」

「飲めないのかよ⁉」

「代わりに俺がご馳走になりまーす」

「いや、奢るとは言ってないぞ⁉」

 そう言って焦る信原の顔は、何故かとても楽しげに見えた。





 金曜日の夜だからか、桜の店の中は混み合っていた。決してバカ騒ぎをしているわけではないが、店中で楽しげな笑い声とグラスを軽くぶつける音がする。

 桜の好意で角のテーブル席に座ったタイクウたちも、それぞれのグラスをぶつけ合う。ビールジョッキを傾けて泡立つアルコールを喉に流し込み、信原しのはらはしみじみと息を吐いた。


「あー、美味い! やっぱりこの店は変わらないなぁ。雰囲気はいいし、酒の種類は豊富だし飯も美味いし……桜ちゃんは美人だしな」

「あら、私のことまでありがとうございます。どうぞゆっくりして行って下さいね」

 桜が料理をテーブルに運びながら、嬉しそうに微笑む。信原の好みに合わせてか、唐揚げやフライドポテトなどの揚げ物が次々運ばれてくる。


「しかし、飯も食わねぇって……タイクウはダイエットでもしてるのか?」

「あはは。いや、そんなところです」

「痩せる必要ないだろ? 前に会った時よりもたくましくなりやがって! え、待て。お前たち二人ともそんなに筋肉あったか? ちょっと触らせ――めちゃくちゃ引き締まってる⁉ ちくしょう、俺は最近ちょっと腹回りがヤバいって言うのに」

「揚げ物ばっか食べてるからだろ?」

「そのための早朝ランニングでもあったんだよ⁉ くそー、やっぱり歳には勝てねぇのか」


 信原はヒダカの腕をもんで驚いたり、自分の体を見て嘆いたり、忙しそうだ。顔も赤いし早速お酒が効いてきたのかもしれない。

 なんだか楽しいなと、タイクウの胸は温かくなり、とろけたような笑みを浮かべた。久しぶりの食事の席に、話も弾む。

 同級生や先輩の近況を信原に話してもらっているだけで、時間はあっという間に過ぎていく。

 信原は何杯目かのお酒のお代わりを頼むと、片肘をついてポツリと呟いた。


「実はな、半年ほど前とっくに教師は辞めてたんだ」

 タイクウたちは驚いて、疑問の声を上げた。店内のざわめきの中でも、信原の声は不思議とよく聞こえてくる。

「こう言っちゃなんだが、一番気がかりなお前たちが卒業しただろ? なんとなく、もう良いなって気がしてな。今は町の清掃員をやってるんだ」

「うう、ヒダカが問題児でスミマセン」

「言っとくが、付き合ってたテメェも同罪だからな」

「そう言うことじゃないんだけどな」

 信原は弱々しい笑みを浮かべる。一口だけ酒を口にすると、彼は遠い目をして語り始めた。


「こっちに来てすぐ地上に帰れなくなって、俺も心細かったけど、まだ十二かそこらのお前たちが家族と離れ離れになって、そっちの方がずっと不憫でさ。ついあれこれ必要以上に世話を焼いちゃってたもんだから、お前たちが卒業した途端に、気が抜けたんだよな。彩雲の子どもの数は年々少なくなってるし、それで教師を辞めて別の仕事についたんだ。そうしたら、地上の家族と通信する余裕が出てきて……俺も地上に対する心残りていうか、郷愁を感じ始めてな」

 ずっと飲み食いを続けていたヒダカも、手を止めて信原の話に聞き入っていた。タイクウは水の入ったコップから手を離し、両手を膝の腕に置く。


「でも本当はな、運び屋の事務所を訪ねた時、俺はあんまり地上に降りるつもりはなかったんだ。お前たちを含めて、卒業した生徒たちのことが気になって、教師を離れたあともどこかで見守ることができたらなって思ってたんだ」

「え? じゃあ、どうしてあの時『地上へ行く』って即答したんですか?」

 意外に思って、タイクウは目を丸くする。信原は柔らかく笑って、眩しそうな眼差しをこちらに向けた。


「気づいたんだよ。お前たちはもう立派な『大人』になってて、命を懸けてすごい仕事をしてるだろ? そしたら、ああもう俺の役目は終わったんだなって思ったんだ。生徒たちはもう、俺が見守ってなくても勝手に立派に生きていくんだろうって。いい意味でこっちに未練がなくなったんだな。だから地上に帰って妹の門出を祝って、俺も新たな一歩を踏み出してみようかな、と」

 照れくさくも温かい感情が腹の底から湧き上がってくる。タイクウはふわりと微笑む。

 信原は頭をかくと、背筋を伸ばして真っ直ぐこちらを見つめた。


「お前たちになら安心して命を預けられるよ。頼むぜ、二人とも」

「――もちろんです!」

「言われるまでもねぇよ」

 ヒダカも姿勢を正して凛とした声で告げた。それに力強く頷きながら、タイクウは誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 先生の期待に応えなきゃ。

 タイクウは深呼吸をして、高揚した体の熱を逃がす。よしと心の中で呟くと、グローブに包まれた右の拳を強く握った。

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