第25話 恩師

 両翼を羽ばたかせ、タイクウは空に浮かぶ都市を目指す。天空都市を覆うバリアは、通り抜けてもシャボン玉のように割れることはない。詳しい仕組みは分からないが、昔はここを航空機が行き来していたのだ。タイクウたちも、何の抵抗もなくその膜をくぐり中へと入った。

 航空機の元滑走路は外界と同じ空が見えるが、都市内部へと入っていくと、独自のタイムスケジュールで空が変化する。今は恐らく、午前三時か四時くらいだろう。まだ、都市の中は薄暗い闇の中だ。


 地面に両足をつけ、タイクウは膝を曲げゆっくりと翼を畳む。背中からヒダカが下りるのを待って、変身を解いた。

 身体が軋むような痛みを覚え、タイクウは誤魔化すように明るくヒダカに声をかける。


「今日も、夜明けまでに帰ってこられて良かったね」

「立ち入り禁止区域だからって、安心はできねぇからな」

 ヒダカは息を吐くと、調子を確かめるように肩をぐるぐると回した。彩雲の「夜明け前」は電灯もなく暗いので、余程のことがなければ出歩く者はいない。見られる危険性はゼロに近くなるだろう。

 タイクウは大きく伸びをすると、高く伸びた階段へ視線を向けた。


「早く帰って休みたいけど、この階段がまた辛いんだよねぇ」

「昔は自動で上り下りしてた距離だからな。文句言ってる内に、さっさと上るぞ」

 ヒダカの声かけに、タイクウは間延びした返事をした。

 本物の空は夜明けを迎える準備を始めている。うっすらと光を帯びた空をバックに、二人は長い階段へと慎重に足をかけた。


 ひたすらに足を動かし、いい加減うんざりしてきたところで大きな南京錠のかかった扉が現れる。南京錠には侵入防止用の鎖が何重にも巻かれ、物々しい雰囲気を醸し出していた。ヒダカは扉の横にある警報機を停止させてから、鍵を取り出し南京錠を開ける。

 ここ一年ほどで、セキュリティが更に厳重になったことを知る者はいないだろう。

 興味本位で侵入した住人の落下防止対策と、タイクウの秘密を守るための措置である。


 扉を開いて再び鍵をかけ、二人はかつての搭乗口や手荷物受取所、ロビーなど、空港のターミナルを通っていく。そして最後に、分厚いシャッターの下りた空港の出入口へと到着した。

 二人はロックを解除し、シャッターを持ち上げて外へ出る。夜明け前の闇色の町が視界を覆い、タイクウの持つ僅かな明かりが二人の影を長く伸ばしていった。


「タイクウ。照らせ」

「はい、はーい」

 タイクウが手元を照らし、ヒダカがシャッターを下ろして鍵をかける。


「お前たち!? そこで何をしてるんだ!?」

「ひ――」

「うぉっ!?」

 思わず悲鳴を漏らして、タイクウとヒダカは弾かれたように振り返る。真っ白なライトに目がくらみ、腕で顔を覆った。

 逆光で相手の顔は見えなかったが、シルエットや声からして男性のようである。

「ここは危険だから立ち入り禁止のはずだろう!? しかも、こんな時間に……」

 言葉をかけながら男性がこちらへ近づいてくる。

 どうしよう。まさか、誰かに見られるなんて。

 様々な言い訳がタイクウの頭をぐるぐると回る。ところが、不意に男性の声色が変わった。 


「お、おお! お前らもしかして……天野と松風じゃないか!?」

「へ?」

 運び屋を始めてからは、「タイクウ」と「ヒダカ」で通しているため、タイクウたちを名字で呼ぶ者は少ない。腕を避け瞬きを繰り返す内に、徐々にタイクウの目が慣れてくる。ぼんやりと浮かび上がってきたのは、黒髪をスポーツ刈りにした男性だ。

 気さくに笑う見覚えのある表情に、タイクウは驚きと喜びで歓声を上げる。


「もしかして……信原しのはら先生ですか? うわー! えー、お久しぶりです! 何年ぶりだろう!」

「お前たちが高等部を卒業して以来だから、四、五年くらいか? 彩雲は狭いと思っていたが、意外と会わないもんだなぁ」

 元気にしてたか、と信原は目を細めた。


 現れたのは、タイクウたちが中高一貫校でお世話になった教師の信原煌しのはらこうである。かつては二人の担任だったこともある彼は、彩雲が封鎖されて帰れなくなってしまったタイクウたちのことを何かと気にかけてくれていた。当時まだ二十代の若い教師だったこともあって、よき相談相手になってくれたものである。


「僕たちは元気です!」

「そうか、良かった。いや、お前たちが『一斉降下作戦』に参加してたって噂を聞いてたから、心配してたんだよ。やっぱりあの噂は間違いだったんだな」

「へ!? あ、ははははっ! そうなんですよ、やっぱり直前になったら怖くなっちゃいまして」

 の言い訳を口にしながら、タイクウは思わずヒダカを一瞥する。少し眉を動かしたような気もしたが、ヒダカは平然とした態度で信原に軽く頭を下げた。


「久しぶり。それより先生、どうしてここに……」

 タイクウは話題を変えるのは今だとばかり、ヒダカの言葉に強く同意した。

「そうですよ! こんな時間に、先生どうしたんですか?」

 彼の口からも「立ち入り禁止」だと言う言葉が出ていたはずだ。立ち入り禁止区域に、こんな時間に一体何をしに来たのだろう。


 すると、信原は少し困ったような表情で後頭部をかいた。

「いや、なに。朝早く起きるくせになっていてな。そのついでに、ここに面白半分で侵入しようとする学生がいるって言うんで、見回りをしてるんだよ。まぁ、鍵をこじ開けようとしたやつは、たちまち警報が鳴って警察に怒られて未遂になるんだが。ここがよくない奴らの溜まり場になってることもあるからな」

「へぇ……『先生』も大変なんですねぇ」

 感心して声を出すタイクウに、信原は呆れたような眼差しを向けた。


「他人事みたいに言っているが……お前たちこそ、こんな時間にここで何をしていたんだ?」

「えっ!? えっとぉ」

 信原の口調や態度からは、弟を諌める兄のような雰囲気を感じる。犯罪行為を疑われているわけではないようだが、何と答えたものか。

 タイクウが言い訳を思いつくより先に、ヒダカがどこか得意気な色を滲ませて言った。


「分かってんだろ? いわゆる『興味本位』ってやつだよ。空が見えればいいなって思って来てみたけど、やっぱ鍵がかかってて駄目だったな」

「おいおい、まだ若いとは言えお前らも大人になったんだから、ヤンチャは止めてくれよ」

 苦笑する信原に、怪しんでいる様子は見られない。上手く誤魔化せたようだと、タイクウはこっそり安堵のため息を吐いた。


「おっと、そろそろ夜明けも近いし、家に帰って仕事の準備をしないとな。――じゃあな、二人とも! 良かったら、近い内に連絡してくれよ。俺の家は変わってないからな」

「はい! また会いましょう」

 タイクウはにこやかに片手を振って、信原を見守った。

 懐かしい背中が闇色の町に消えていったのを確認して、タイクウはヒダカに問いかける。


「――先生には、僕たちの仕事のこと言わないでおくの?」

「言いふらすようなことでもねぇからな。あれこれこの場で追及されんのも面倒だろ」

 ヒダカの言葉に、タイクウは納得して頷いた。

「そうだねぇ。僕らが危険な仕事をしてるって知ったら、そのままありがたーいお説教が始まったかもしれないし」

「ああ。あの先生の説教は……長すぎだ」

 そう言えば昔、よく二人で正座をして信原の説教を受けていたな。

 懐かしいな、とタイクウはクスクスとおかしそうに笑った。




 ところが数日後。藍銅鉱アズライトの事務所を、思わぬ人物が訪ねてきたのである。


「すみません。地上へ連れていってくれるっていう運び屋の事務所はここ――って、なんで天野と松風がいるんだ!?」

「信原先生!?」

「オイオイ。結局、説明する羽目になんのかよ」

 ぼやくように呟いて、ヒダカが深いため息を吐いた。

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