第23話 君が教えてくれたこと
「
後悔ばかりで、いつもメソメソしている自分がこんなことを言うのは、おこがましいかもしれないけれど。
「まだ諦めるのは早いと思う!」
踵を僅かに浮かせたまま、百花の足が止まる。少しでも触れたら消えてしまいそうな背中に、タイクウは構わず声を張り上げた。
「僕もね、しょっちゅう後悔しちゃうんだ。嫌なことがあったり、行き詰まったりした時、すぐに『あの時ああしていれば良かった』、『あんなことしなきゃ良かった』って、すぐそう思っちゃうんだ。でもね、それは本当に間違った選択だったのかな? もう、取り返しがつかないことなのかな? 先走って勝手に駄目だって結論付けちゃってることも、たくさんあると思う。それってすごく勿体ないし――カッコ悪いよ」
『あーあー! めそめそウジウジしてダセェ!』
『テメェはずっとその調子で一生過ごすのか⁉ そんな毎日、俺ならぜってぇお断りだ‼』
『とにかく立ち上がって足を動かせ! そっちの方がずっとカッコいいぞ』
そう言ってくれた少し幼いヒダカの姿を思い浮かべて、タイクウは大きく息を吸った。
「選択を後悔にしないために、全力で進んでいる人たちはたくさんいるよ! 疲れたら休んだら良いし、弱音も吐いたら良いと思う。でも、諦めて絶望して立ち止まることだけは絶対にしないで! 僕は――百花さんの幸せを全力で祈ってるから」
百花は何も言わなかった。少し冷たい風が彼女とタイクウの髪の毛を揺らしていく。一言も発さずに振り向くこともなく、百花はゆっくりと足を動かして立ち去っていった。
しっかりと地面を踏みしめているように見えたのは、タイクウの願望だろうか。
そうでないと良い。
やがてタイクウは、崩れ落ちるようにベンチに腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。雀らしき鳥が数羽、雲の多い水色の空を飛んでいる。
「上手く伝わったかな……? やっぱり、どの口が言ってるんだって思うかなぁ」
百花につい自分を重ねてしまった。
ヒダカに出会う前の自分だったら、様々な過ちをいつまでも悔やみながら毎日を過ごしていたのだろう。百花にはそうしてほしくないと思って、つい言葉をかけてしまった。
自分への反発心でも怒りでもなんでもいいから、百花が前を向いてくれればいい。そしていつか後悔を断ち切ってくれれば――くれる、のだろうか。
タイクウは背中を丸めて深く項垂れた。
どのくらいそうしていただろう。靴裏が地面を擦る音がして、見慣れた武骨なショートブーツが視界に入った。
「――んなとこで、何やってんだテメェ」
「なんでもないよ」
聞き馴染んだ声に、タイクウは咄嗟に嘘をつく。項垂れたままなので、相変わらず視界に映るのは彼の足元だけだ。
その両足が一向に動く様子がないのを見て、タイクウは観念したようにため息を吐いた。
「ちょっとその百……前の依頼人さんに会っちゃったんだ。その人、あんまり地上で上手くいってなくて、ここに降りてきたことを後悔してるみたいだったから、その……ちょっとね」
上から呆れたようなため息が降ってきて、タイクウの肩が跳ねる。彼の表情を確かめるのが怖くて顔を上げられずにいると、突然、ごつごつした指先がタイクウの頭を思い切りわし掴んだ。
「い、痛ぁ——っ⁉」
「他人のことで
「痛たたたた⁉ 痛い、ヒダカ! だから、握力かけないで体重かけないで! ほんとに潰れる⁉ 痛いって言って――うわっ⁉」
唐突にヒダカの手が離れて、タイクウは驚き顔を上げる。思いの外、真剣な表情をしたヒダカの背後に、透明で澄み切った水色の空が見えた。
あれ、おかしいな。今日の空は、こんなに明るくて綺麗だっただろうか。
呆けたように、タイクウは口を開けその空を眺めてしまう。
「おら、立てんだろ? もうガキじゃねぇんだから」
「あ、うん」
ヒダカに促され、タイクウは両膝に力を入れて立ち上がる。不思議なことに、心が少しすっきりとしていて体も軽い気がした。
「またデカい身体丸めてうじうじしてやがったら、遠慮なく蹴り飛ばすからな」
「はは、暴力は程々にしてね」
これは一応、ヒダカに励ましてもらったと言うことだろうか。ちょっと納得いかない気もするけど。
なんだか照れ臭くなって、タイクウは無意識にパンツの尻ポケットに手を伸ばす。
「あ」
くしゃくしゃになった何かが入っているのに気づき、思わず声を上げた。
「ごめんヒダカ。僕、まだ桜さんのおつかい終わってなかった」
「はぁ⁉ 何してんだよ、
「ごめん! 急いで買ってくるから、先に時雨さんのところに行ってて! あ、そのアイスコーヒー、口つけてないやつだからヒダカが飲んじゃって」
そう言って、タイクウはヒダカにアイスコーヒーを託す。慌ててペットボトルを掴んで、タイクウはヒダカの怒号を背に駆け出した。
力強くコンクリートを蹴って、風を切り前へと進んでいく。願掛けのために長く伸ばした髪が、馬の尾のように揺れている。
本当に、ヒダカには昔から助けてもらってばっかりだ。
タイクウの口元には苦笑が浮かんでいた。
「『へらへら笑って、天井の灯りでも見てろ』みたいなことも、言われたことあったっけ。懐かしいな」
灯りを見上げても眩しいだけじゃないかと思いながら、素直に天井を見上げたことを思い出す。要するに顔を上げろという意味だったのだが、思春期だったからか、なんとも遠回しな言い方をされたものだ。
思い出し笑いをしながら、タイクウは少し歩調を弱めて歩き出す。
百花のことは心配だけど、彼女の強さを信じよう。彩雲であれだけ努力して輝いていた彼女が、ここで頑張れないわけがないのだから、まだいくらでもやり直せるはずだ。
横断歩道の前まで来るとタイミング悪く信号が赤になり、タイクウは足を止める。すると、どこから飛んできたのか、紙のチラシが道路に舞い下り、通行人に踏まれ、車やバイクに轢かれて潰されぐしゃぐしゃになっていくのが目に入った。
ふとタイクウの頭に、暗い考えが下りてきた。
やり直せることだったらいい。けれど、もし取り返しのつかないことをしてしまったら、自分は一体どうなるのだろう。
癒せない傷を負いながら、ぐちゃぐちゃな心でそれでも立ち上がって、前に進むことができるのだろうか。
信号が青に変わっても、タイクウはその場から動けずにいた。グローブとコーチジャケットの袖に隠された右腕が、ちくりと痛む。
例えばあの一斉降下作戦の時のような、ヒダカの命にかかわるような選択を誤ってしまったとしたら――。
心臓が悲鳴を上げて、タイクウは思わず息を呑む。だらりと垂らした両腕が小刻みに震えていた。
「大事な選択は、絶対に間違えないようにしなくちゃ。間違えたくない。絶対に――」
タイクウはその言葉を心に刻みつけるように、強く拳を握りしめた。
第三章 完
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