第22話 依頼人との邂逅
「どうして……いや、その」
我に返ったタイクウは、
表情は暗く沈んでおり、薄いメイクの施された顔からは疲労感がにじみ出ている。一つにまとめた髪の毛は艶がなく、身にまとったスーツも皺が目立っていた。
道路の真ん中で立ち止まってしまった百花を、通行人が迷惑そうな表情で避けていく。我に返ったタイクウは、謝罪の言葉を口にしながら百花を引き寄せて道の端に寄った。
しかし、言うべき言葉が見つからない。意味もなく口をもごもごさせている内に、沈黙を破ったのは百花の方だった。
「えっと、元気?」
「はい。百花さんは……」
「今、時間ある? 少し話さない?」
タイクウの言葉を遮るようにして、彼女は弱々しく微笑んだ。確かに多くの人が行き交う道端では、ゆっくり話もできない。
「ええ、かまいません」
彼女が笑ってくれたことに少しだけ安堵して、タイクウは頷く。先に歩き出した百花の後を追って、タイクウはゆっくりと歩き出した。
ランチタイムのオフィス街はどこの店も混んでいる。タイクウと百花はコンビニエンスストアで冷たい飲み物を買うと、近くの公園のベンチに並んで腰を下ろした。
タイクウは当然のように水だけだったが、百花も店内ドリップのアイスコーヒーを頼んだだけだった。しかも、いつまで経っても、アイスコーヒーに口をつける様子もない。
しばし、小鳥のさえずりに耳を傾けた後で、百花が口を開いた。
「どう?
「相変わらずですよ。みんな……のんびりしてます」
百花の問いに、タイクウは言葉を選びながら答える。
「そっか。そう、良かった」
百花は小さく呟いて、空を見上げた。薄く、雲の白色を滲ませた空を、目を細めて眺めている。憂いのこもった表情に、タイクウは落ち着かない気持ちになって視線を泳がせた。
二ヶ月前、笑顔で別れたはずの彼女に、何があったのかが想像できてしまう。
「百花さんは、その――」
「私は、まぁ辛うじて生きてるって感じかな」
タイクウの躊躇いを感じ取ったのか、百花は自ら口を開く。彼女の虚勢のように浮かべた笑みが、タイクウの目にはどこか痛々しく見えた。
「こっちに来た後すぐに、支援団体さんから住む場所を紹介してもらって、目的のアパレルメーカーの中途採用に応募して、これから心機一転、頑張るぞ! って思ってた。彼も、ずっと私のことを待っててくれると思ってたしね。けど、うん……。最後に会ってから十年近く経ってたのに、ずっと会えなかったのに、なんで待ってくれるって思い込んでたんだろう。結局、憧れていた会社にも就職できなくて、他の企業への就職活動も上手くいかなくて。私、なにやってんだろう」
百花の声が震えているのが分かって、タイクウは下を向くことで視線を逸らした。タイクウの手の中で、ペットボトルの中の水が薄く日の光を反射して輝いている。さわさわと公園の木々を揺らす風は心地いいのに、空の上では真っ白な雲の塊を動かして太陽を覆い隠してしまった。
薄暗い公園は、それだけで冷え冷えとしてくる。
「散々忠告してくれたヒダカくんがここに居たら、『何言ってんだ』って怒るだろうけど、正直言って私は――地上に下りてきたことを後悔してる。私は地上に勝手な理想を抱いて、ここに来れば絶対に幸せになれると思い込んでた。そんなわけ、ないのにね。本当、地上になんて、来なきゃ良かった」
百花のか細い言葉が、タイクウの胸に深く突き刺さる。なんだか過去の行動を悔やむ言葉が、自分とそっくりだ。
何も言えずにいると、突然百花が勢いよく顔を上げた。
「ねぇ、タイクウくんがこっちにいるってことは、当たり前だけどタイクウくんたちは地上と彩雲と行き来してるのよね? だったら――お願い! 私を彩雲に連れて帰って!」
「え――」
百花の薄茶色の瞳はギラギラと輝いていて、必死さが恐ろしかった。タイクウの背中に冷たいものが走る。怯んでいるタイクウに気づかず、さらに百花がぐっと顔を寄せてきた。
「ねぇ、良いでしょう⁉ 彩雲へ行く方法は『企業秘密』だからって聞いたけど、秘密は絶対に守るわ! 何を見ても、絶対、死んでも誰にも言わない。それに、また二人は彩雲に帰るんでしょう? どうせ行くんだから、荷物代わりにまた私を運んでくれても良いんじゃないかしら⁉」
「百花さん……」
タイクウは眉を顰める。これは明らかな契約違反だ。彩雲への帰り道では、タイクウは必ず変身する必要がある。その秘密を守るためだけでなく、単純に降りる時よりも帰るときの方が戦闘の難易度が増すのだ。互いの安全の為にも、絶対にその依頼を受けるわけにはいかない。
けれどタイクウには、百花が後悔してしまう気持ちも、やり直せる希望に縋ってしまう気持ちも痛いほど解る。
喘ぐように息を吐いたタイクウは、自身の胸元の服を思い切り握りしめた。掠れた声で絞り出すように、謝罪の言葉を絞り出す。
「ごめん、なさい」
百花の表情が凍りつく。目を大きく見開いて、唇を戦慄かせている。やがて、明らかに虚勢だと分かる笑顔を顔に貼り付けた。
「――そうよね。最初の約束だったものね。変なこと言っちゃって……ごめんなさい。あ、タイクウくんたちは悪くないよ⁉ ちゃんと無事に地上に連れてきたことは感謝してる。本当だよ! ただ、私が浅はかだっただけ」
百花は首を横に振って、項垂れる。片手で、アイスコーヒーのストローを指で弄んでいた。飲むわけでもなく、その濃い茶色の液体をただ眺めながら、ポツリと小さく呟いた。
「桜には、私に会ったこと言わないでね。なんだか会わせる顔がなくって……。ふふ、桜が向こうにいて、私がここにいる時点で、会わせる顔も何もないんだけど」
自嘲気味に笑って、百花は膝にかけていたジャケットを身にまとう。
タイクウが何も言えずにいる中、彼女は立ち上がって口の端だけで笑った。
「付き合ってくれてありがとう。良かったら、このコーヒー飲んで、口付けてないから」
じゃあね。百花はタイクウにアイスコーヒーを押しつけると、逃げるように立ち去っていく。
駄目だと思って、タイクウは勢いよく立ち上がった。
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