第21話 決意と懺悔

 支払いを済ませた百花ももかが店から出ていくと、冷え切ったような静寂が訪れた。

 桜の唇から疲れたようなため息が零れる。タイクウは躊躇しながらも、桜に向かって問いかけた。

「桜さん。おじいちゃんたちとの約束って?」

「ああ。タイクウたちには話したことなかったかしら? おばあちゃんが亡くなってすぐ、おじいちゃんと交わした約束なの」


 桜の祖母が亡くなったのは、タイクウたちが中高一貫校を卒業した直後のことだ。その後、一年も経たない内に祖父も後を追うように亡くなった。

 高校を卒業してこれから恩返しをと思っていた矢先のことだったので、タイクウは非常に落ち込んだことを覚えている。


「おじいちゃん、よく言ってたじゃない? 『彩雲が閉鎖されて、みんな不安な毎日を過ごしている。せめてこの店にいる間だけは癒されてほしい。笑顔でいてほしい。この店が皆の本当の意味での、憩いの場になってほしい』って」

「うん。覚えてるよ」

 タイクウはそっと目を閉じる。目蓋の裏に桜の祖父母の暖かい笑顔が浮かんで、目元がじんわりと熱くなる。

 彩雲が封鎖されたばかりの頃、みんな不安で暗い顔をしていたけれど、この店には今までと変わらない笑顔があった。それに救われた人は、どれほどいたことだろう。


「自分までいなくなってしまったら、このお店がなくなってしまうんじゃないかって、おじいちゃん、とても心配していたわ。だから私が言ったのよ。『このお店もおじいちゃんたちの想いも、私がまとめて引き継ぐから心配しないで』って。私はこのお店と、このお店のお客さんが大好き。だから私は誰になんて言われても、最後までこのお店を守るわ」


 桜の栗色の瞳は、力強い光を湛えていた。店の灯りを映して、琥珀のように輝いている。

 思えば、祖父母が亡くなった直後から、桜はお店を継続しようと奮闘していた。祖父との約束があったからこそ、彼女は頑張れたのかもしれない。


 桜が不意に、タイクウとヒダカにそれぞれ視線を向けた。一瞬、躊躇するような素振りを見せたあと、彼女は何かを決意したように深く頷く。

「タイクウ、ヒダカ。私ね、貴方たちに謝らなければならないことがあるの」

「へ?」

「はぁ?」

 タイクウとヒダカは同時に声を上げ、互いに顔を見合わせる。桜は首を横に振って、自嘲のような笑みを浮かべた。


「二人が三年前、一斉降下作戦に参加するって言った時も、一年前何故か彩雲に戻ってきて『運び屋』をやるって言った時も、私は二人を止めなかったわよね? なら普通『危険だからやめなさい』って止めるべきだって思っていながらね」

「でも、それは――僕たちを信じてくれたからじゃないの?」

「二人を信じてなかったわけじゃない。でも、私はね、貴方たちよりも『お店』と『お客さんの笑顔』を選んだの」


 桜は苦しげにぽつぽつと語り始める。

 祖父が亡くなったばかりの頃、店の常連客は深い悲しみに暮れ、桜自身も祖父母のように皆を笑顔にできない歯がゆさで苦しんでいた。そんな中で発表された降下作戦は、確かに人々の希望となったのである。

 作戦に参加すると告げたタイクウとヒダカが、そんな希望の象徴のように思えて、桜は迷いを断ち切り二人の背中を押した。


「貴方たちが帰ってこないと分かって、私は罪悪感で死んでしまいたいと思った。でもね、ひょっとしたら二人はまだどこかで生きているんじゃないかって、僅かな希望に縋って必死でお店を守ったの。いつか帰ってきた時にここが無くなっていたら、二人が悲しむからって」


 そして、桜の願いが叶って、タイクウたちは彩雲へ帰ってきた。その時の彼女の喜びは計り知れないものだっただろう。

 ところがせっかく帰ってきた二人は桜に、運び屋をやると言い出した。二人がまた命がけで危険なことを始めようとしている。でも桜が、二人を止めることはなかった。


「二人なら大丈夫っていう気持ちもあったけど、それよりもこれはチャンスだと思ってしまったの。二人の力を借りられれば、地上に帰りたいと悲しむお客さんを救うことができる。それに地上から食材が仕入れられれば、お客さんの思い出の味だって作ってあげられるし、美味しい料理や飲み物でもっと皆を笑顔にできる、って。だから私は貴方たちに仕事を斡旋して、『おつかい』を頼んで、貴方たちを積極的に危険な場所へ送るような真似をした。――私はどこまでいっても『お店』と『お客様』が優先なの。そういう人なのよ」


 桜は胸の前で拳を握り、喉の奥から絞り出すような声を上げた。真っ直ぐこちらを見つめて、丁寧な仕草で頭を下げる。

「私は自分の目的のために、二人を利用してるの。本当に、ごめんなさい」

 タイクウは思わずヒダカに顔を向けた。ヒダカは自分と同じく、唖然とした表情をしている。

 やがてタイクウとヒダカは、同時に苦笑いを浮かべた。


「なんだ、そんなこと。全然、謝るようなことじゃないよ」

 目を丸くして顔を上げた桜に、タイクウはゆっくりと近づいた。目線を合わせるために少し身を屈めて、悪戯っぽく小首を傾ける。


「だって、そうしてでも貫きたかったんでしょ? このお店の信念とおじいちゃんたちとの約束を」

「だいたい、顔に書いてあんぞ? 『悪いとは思ってるけど、後悔はしてません』ってな」

 ヒダカが呆れた眼差しで、残りの水をあおった。ぬるくなっていて不味かったのか、彼は不機嫌そうに眉を顰めている。もう桜のことなど眼中にないようだ。

 キョトンとしている桜に、タイクウは照れたように笑いかける。


「それにね、むしろ僕は感謝してるんだよ。桜さんが何も言わず、聞かずにいてくれたこと。――正直、人に言えないことばっかりあったからね。一年前ここに帰ってきた時、桜さんに詳しく追及されたらどうしようって不安だったんだから」

 運び屋をやると決めて彩雲へ戻ってきた時、桜は二人を見てとても驚いた表情を見せたあと、笑顔で「おかえりなさい」と言ってくれたのだ。

 声も震えていて瞳は潤んでいたけれど、彼女の声は温かく、まるで日常の延長のようにタイクウたちを迎えてくれた。

 それがどれだけ有難かったか。


「利用してる? 上等だよ! 俺らも仕事斡旋に飯に、とことん利用させてもらうからな。どうせアンタは俺らの身内みてぇなモンだしな」

 そう言って鼻で笑うヒダカに、桜はおかしそうに吹き出した。くすくすと笑って、彼女は小首を傾げる。

「あらそう? なら、これからも『おつかい』頼んじゃおうかしら?」


「うん。じゃんじゃん頼んで! 桜さんは僕らの『お姉さん』だし、いつも迷惑かけてるし、遠慮なんていらないよ」

「あら? じゃあ、早速またワインでもお願いしようかしら」

「え!? あー、あれ、重いんだよね……」

 苦笑いを浮かべるタイクウを見て、桜は悪戯っぽく微笑んだ。






『じゃあ、百花さん。飛ぶよ』

『ええ』

 前側にいる百花に合図を送り、タイクウは元滑走路の際から思い切り地を蹴った。

 風を切って鮮やかな天色の中へとちっぽけな体が吸い込まれていく。やがて下から押し上げられる感覚を覚えると、タイクウたちは確かに「飛んでいる」と自覚するのだ。


『きれい……』

 百花の感嘆の声がヘルメットの中に響く。飛び降りた直後の、どこまでも広がる青色は文句なしに美しい。しかし、この平和な空は長く続かないのだ。

 少し先を降下するヒダカが、タイクウと言うよりも百花に言い聞かせるように告げる。


『奴らが来たぞ』

 下りた先に渦巻く黒雲のような塊。あれが天空鬼スカイデーモンの群れである。人の二、三倍はある体躯と蝙蝠のような両翼、ホオジロザメを思わせる顎と鋭い爪を持つ、その姿は正に「悪魔デーモン」だ。


 ふとタイクウは、百花の体が震えていることに気づいた。ヘルメットの中にも、緊張した荒い息遣いが響いてくる。

『百花さん、怖い? もし怖いなら目を閉じていても大丈夫だよ?』

『うん、怖い。怖い、けど平気よ。ちゃんと見届けるわ。ここで勇気が出せなきゃ、地上で一人でなんて、やっていけないもの……』

『――分かった。大丈夫! 僕たちは絶対に、百花さんを地上に送り届けるからね』

 勇気を振り絞っている彼女に応えるように、タイクウは彼女の肩を軽く叩く。


『行くぞ! 一発ぶちかます‼』

 ヒダカの叫びと共に、閃光が黒雲を貫く。

 いざとなったら、どんなことをしてでも守る。タイクウは右腕を一瞥し、敵の群れに空いた風穴へと突っ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る