第19話 帰りたい
三人は都市の中心部を歩き、ビルとビルの間に伸びた裏路地へと入っていく。その路地の奥にある地下へと続く階段を下りると、「カフェ&バー桜」の入り口が顔を出すのだ。
裏路地は大人一人がちょうど通れるくらいの幅しかない。タイクウたちは一列に並んで路地を進む。
ふと、先頭を歩く桜が、後ろを軽く振り返りつつタイクウたちに微笑んだ。
「二人とも店に寄っていく? もうお昼だし、何か食べたら」
今回桜は墓参りのために、ランチタイムの営業を休んでいた。次のカフェタイムまでは時間もあるだろうが、お邪魔して大丈夫なのだろうか。
「え、お店の準備とか大丈夫なの?」
「平気よ。むしろ、今日は、おじいちゃんたちの思い出話に付き合ってほしいくらい」
「そっかぁ。どうするヒダカ? お言葉に甘えてお邪魔する?」
タイクウが後ろを振り返った瞬間、桜の口から驚きの声が漏れた。
「え――」
何事かと、タイクウは桜の背中ごしに階段の下を覗き込む。すると、店の入り口で女性が一人立ち尽くしていた。
ふわりとウェーブを描いた白茶色の髪の毛を肩まで伸ばし、薄手の長袖のブラウスに淡い水色のプリーツスカート、ぱっちりとした薄茶色の瞳が印象的な、可愛らしい雰囲気の女性だ。
「close」の札が下げられたカフェの扉の前で立ち尽くしていた彼女は、桜の姿を見つけるとパッと表情を明るくする。
「桜! 久しぶり」
「百花……一体どうしたの? 開店前なのに」
確か、
桜とは二つか三つほど年上だそうだが、かなり気が合うようでよく楽しげにお喋りをしていた。タイクウたちも何度か会ったことがある。
百花ははしゃいだ様子で桜に駆け寄ると、後ろにタイクウたちがいるのに気づいてさらに表情を輝かせた。
「タイクウくんと、ヒダカくんも⁉ え、嘘、久しぶりね。一年か二年くらい姿を見なかったから、どうしてるのかと思ったわ。元気にしてた?」
「あ、はい。百花さん、お久しぶりです」
タイクウが声をかけると、ヒダカも軽く頭を下げた。ここ一年か、二年の間のことを百花に突っ込んで聞かれてしまうと辛いものがある。
タイクウの体の変化も含め、本当に色々あった時期なのだ。
「百花こそ、最近姿を見せなかったじゃない? 何かあったの?」
「え? ああ、違うの。ちょっと仕事に専念してたって言うか……。それよりも、今日は桜にお願いがあってきたの!」
首をかしげる桜に、百花は顔の前で両手を合わせる。
「私、どうしても地上に帰りたいの! だから紹介してくれない? ここに来れば会えるって聞いたのよ、地上に帰りたがっている人を運んでくれる『運び屋』さんに」
タイクウは、え、と思わず声を上げてしまった。百花の視線がタイクウに向く。大きな瞳が不思議そうにゆっくりと瞬きをしていた。
「タイクウくん、どうしたの?」
「あの、僕たちがその『運び屋』なんだ」
「『仕事』の話なんだろ? 詳しく聞かせろ」
「え、タイクウくんたちが……?」
百花は口を開け、唖然として立ち尽くす。
タイクウたちと百花を交互に眺めて、桜が店の扉を指指し苦笑した。
「とりあえず、入って話さない? お茶でも出すわよ」
桜の言葉に甘えて、三人は「close」の札のかかった扉をくぐった。
タイクウとヒダカ、百花は店のカウンター席に並んで腰かけた。桜が水をタイクウの前に、アイスコーヒーをヒダカと百花の前に置く。営業していないカフェの店内はとても静かで、コップをカウンターに置く音すら大きく聞こえる。
「桜、ありがとう。もしかして、私がいつもアイスコーヒー飲んでたの、覚えててくれた?」
「それはもう、常連さんの好みくらいはね。ヒダカはついでにアイスコーヒーにしちゃったけど、良いわよね」
「ちょっと引っかかる言い方だが、まぁ構わねぇよ」
ヒダカはそう言って、早速アイスコーヒーに口をつけた。百花はクリームと砂糖を一つずつ入れて、ストローでアイスコーヒーをかき回す。一口、コーヒーを口に含むと、幸せそうに表情を綻ばせた。
「それで百花、貴女本当に地上へ行くの? ご両親も彩雲に住んでるのに、どうしてまた」
「そうね、やっぱり不思議に思うわよね。……桜には前に話したことがあったかな? 私、彩雲が封鎖される直前まで地上に住んでいたの。引っ越してすぐに彩雲が封鎖されちゃって、仲の良かった友達ともできたばかりの彼氏とも連絡がとれなくなっちゃったのね。最近になってようやく、友達や彼氏と連絡がとれるようになったんだけど」
彩雲では数ヶ月に一度、希望者は地上の住人とビデオ通話をすることができる。その日だけは、彩雲の電力を通信設備のために回すのだ。だか、その設備が整ったのは、タイクウたちが活動を始めた最近のことである。
タイクウは水をコップの半分くらい飲み干して、隣の百花の顔を軽く覗き込む。
彼女はストローから口を離すと、寂しそうな笑みを浮かべた。
「地上の皆は、すごいのよ。上場企業で働いている子もいれば、インテリアコーディネーターや雑誌の編集者、中には結婚して子どもが生まれた子もいる。皆、仕事に趣味に恋愛に、キラキラしてて眩しかったわ」
「百花だって、頑張ってるじゃない。確か、今、服飾関係の仕事をしてるんでしょ?」
「そんなの、地上の仕事とは全然違うわ! 閉鎖されたこの場所じゃできないこともたくさんある。資源にも限界があるし、『冒険』なんてできないし……このままじゃ絶対に駄目なのよ!」
百花は首を激しく横に振ると、悔しげに唇を震わせる。
「私は、もっとファッションのことも勉強したいし、色々なデザインも試してみたい! もっと自由で素敵な服を作ってみたいの。それにその……彼にも会いたいし」
次第に声は小さくなり、百花は髪の毛を片耳にかける。その耳はほんのりと紅色を帯びていた。
「父さんと母さんはちゃんと説得した。依頼料と地上でしばらく生活していくためのお金だって、必死で働いて貯めた。地上に行く方法もちゃんと噂で聞いたし、覚悟もしてる。だから、お願い。私を地上に連れて行って!」
百花は真剣な眼差しで、こちらを見つめてくる。
タイクウが視線を送ると、ヒダカは無言で頷いた。
「詳しい説明を聞いて、それでも納得できるならこっちが拒む理由はねぇよ」
ただ、とヒダカは言葉を切って、
「これは一方通行だ。一度行ったらもう彩雲には戻れねぇ。だから、後悔だけはすんなよ」
「ありがとう! 大丈夫。後悔なんてしないわ!」
百花は力強く頷いて、嬉しそうに微笑んでいた。
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