第三章

第18話 墓参り

 灰色のビルの間から、水色の絵の具を溶かしたような青空が見える。誰かの雑談、次々に切り替わる立体広告の色彩と音楽、どこからか漂う甘いスウィーツの香り。普段彩雲で生活しているタイクウにとって、地上は五感が忙しい。


 タイクウはビルのショーウィンドウの前で立ち止まり、桜から渡されたおつかいメモを眺めた。手で顔に風を送りながら、汗ばんだ体を少しでもと冷やす。冬の足音が近づいてくる頃だが、まだ冷たい飲み物の需要は高そうだ。タイクウは涼しげなカフェの店内を見つめ、羨ましそうに息を吐く。


「タイクウ、くん……?」

 不意に声をかけられて、タイクウは弾かれたように振り返った。

「え、百花さん……!?」

 柳木百花やなぎももか。二ヶ月ほど前にタイクウとヒダカが地上へと送り届けた女性だ。彼女は淡海桜おうみさくらの親しい友人でもある。


 彩雲にいた頃とは随分印象が変わった彼女に、タイクウは驚き目を見開く。風が強く吹き、タイクウの一つくくりにした髪を激しく揺らしていった。





 彩雲では今日も、お手本のような青空が広がっている。風は無風に近く、時折ほんの少しだけタイクウの一つにまとめた髪を揺らすばかりだ。タイクウは顎を大きく持ち上げ、目の前の塔を見上げる。

 彩雲の移住区の奥にそびえる白亜の塔。それは彩雲にある終の棲家、納骨塔である。

 塔の外壁は真っ白でつるりとしており、柔らかな印象を受けた。天を突き刺すように伸びた塔を伝っていけば、そのまま天国まで行けそうである。実際、そんなことはできないのだから、天国とはどれだけ遠い場所なのだろうか。


「タイクウ。そろそろ入りましょう」

「あ、うん!」

 桜に促され、タイクウは塔の中へと入っていく。菊やカーネーションで作られた花束を、手にしっかりと抱え直した。隣のヒダカは線香やライターを手にしており、普段よりも背筋が伸びている気がする。

 今日は桜の祖父母の命日。両親を幼い頃に亡くした桜にとって、そしてタイクウたちにとっても、彼らは親代わりのような存在だった。


 納骨塔の中はそれぞれ家ごとに場所を区切られており、ロックされている両開きの扉を開くと淡海家の参拝スペースが現れる。置かれた遺影には、口元が桜にそっくりな桜の祖母と目元が桜によく似た祖父が並んで微笑んでいた。

 三人は以前持ってきた仏花を片付け、新しい花や線香を供えて手を合わせる。


 彩雲が封鎖された時、タイクウたちは中等部の二年生でまだ十三歳であった。天空鬼が現れた八月十日は夏休みの真っ最中で、ただでさえ少ない寮生は二人を除いて全員地上へ帰省していた。

 そんな中、家族に会う気まずさからわざと帰省を遅らせていたヒダカと、彼に付き合っていたタイクウは、そのまま彩雲に閉じ込められてしまったのである。

 混乱の中、二人の保護者を買って出てくれたのが、顔なじみであった桜の祖父母だったのだ。


 未知の生物の襲来で地上との連絡系統も混乱していた中、彼らは必死で伝手を使いタイクウとヒダカの両親に連絡をとってくれた。

『息子さんは僕たちが責任をもって面倒を見るから、どうか安心してください』

 そう言って笑ってくれた彼らの顔を、タイクウはよく覚えている。


「おじいちゃん、おばあちゃん。みんな元気にやってます。お店も大丈夫だから安心してね」

 桜は目を開けて微笑んだ。普段よりも薄く色づいた唇は、穏やかな弧を描いている。

 気を取り直すかのように深く頷くと、桜は後ろを振り返って明るく声を上げた。


「――さて! 二人とも、付き合ってくれてありがとう。帰りましょうか」

「付き合うだなんて……僕たちにとってもおじいちゃんとおばあちゃんは大切な人たちだからね。当然だよ。じゃあね、おじいちゃんおばあちゃん」

「また来る」

 ヒダカがそう言って軽く礼をするのと同時に、三人は参拝スペースの扉を閉めた。


 納骨堂を出て歩いていくと、やがて移住区の中心へと入っていく。落ち着いた色調のマンションが立ち並び、どこか清浄な空気で満たされていた。

 時折、老夫妻が肩を並べて散歩していたり、幼い子どもたちが数人公園で遊んでいる光景が見られる。この区画を抜ければ、幼稚園や保育園、タイクウたちが通っていた中高一貫校などの教育機関が密集したエリアがやってくる。そして更にそこを抜ければ、昔の観光や市政の中心である都市部へと入っていくのだ。


 幼稚園の向かいに滑り台とブランコだけの小さな公園を見つけ、桜が顔を綻ばせる。

「あ、覚えてる? 昔この公園でタイクウたちと出会ったのよね。懐かしいわ」

「あー、僕たちが観光にきた時に『探検だー』って、移住区の方まで入り込んで遊んでた時だね。懐かしいなぁ」

「あんまいい思い出じゃねぇけどな」


 桜と初めて出会ったのは、確か八歳か九歳頃だっただろうか。懐かしい思い出に機嫌よく笑うタイクウに対して、ヒダカの表情は苦い。

 あの後、保護者の下に帰れなくなって桜に世話を焼かれた上、引率であったヒダカの世話係にこっぴどく叱られたからだろう。


「迷子になったこと? 子どもの頃の話だし、別に良いんじゃない? ――あ、もしかして時雨さんに迎えに来てもらったことも気にしてる?」

「ばっ……うるせぇ!」

 ヒダカは僅かに頬を赤く染めると、噛みつくように言ってそっぽを向いた。


 そう言えば、あの時移住区の方までタイクウたちを探しに来てくれたのは、当時中学生だった彼の兄の時雨である。あれは、ヒダカのプライドを傷つけた出来事だったのかもしれない。

 タイクウがつい声を出して笑っていると、桜の微かな呟きが耳に届いた。


「時雨さん……」

 ハッとして、タイクウは思わず桜の顔を見つめる。切なそうに眉を寄せた表情は、見ているタイクウの胸もぎゅっと締め付けられるようだった。

 桜はタイクウの視線に気がつくと、不思議そうに小首を傾げる。今自分が何を言ったのかも分かっていないようだ。


「どうしたの? タイクウ」

「えっと、もしかして桜さんって時雨さんのこ――むぐっ」

 突然、タイクウの口を塞いだのは、ヒダカの片手である。息が苦しくなったタイクウが文句を言うより先に、ヒダカがぐっと顔を寄せて小声で訴えてきた。


「馬鹿か⁉ そんなデリケートな話題聞いてどうすんだ⁉ アイツの方の気持ちを知ってる分、桜の答えがどっちにしても気まずすぎんだろうが」

「あー、うん。そうだね、ごめん」

「二人ともどうしたの。私に言えない事?」

 何でもない、仕事の話。

 そう言って、タイクウはへらへらと笑った。

 確かに、桜の気持ちを確かめたとして、どうするというのだろう。お節介を焼くのもなんだか失礼だし、そっとしておいた方が良い。

 けれど。


「お喋りを止めるためだからって、全力で息を止めてくるのはやめてほしかったなー」

 鼻まで塞ぐことないじゃない。タイクウが口を尖らせヒダカを横目で睨むと、彼は開き直ったように鼻を鳴らして歩き出してしまった。

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