第17話 夢叶う日まで
「え、え、すごっ!? これ、本当にもらって良いの!? うわー、すごい綺麗だな……本当にこれ、映像じゃないのか? 本物の空って、こんなにいろんな色があって綺麗なんだ……」
「ふふ、すごいよね。喜んでもらえて良かったよ」
彩雲へと帰ってきた翌日。タイクウは翼を呼び出し、地上からの「お土産」を渡したのである。
買ってきたのは、彩雲と地上の往来があった時代に撮られた写真集だ。ページをめくりながら翼はいちいち歓声を上げている。応接スペースのソファーが、動きに合わせてふわふわ跳ねているのがほほえましい。
「おれもいつか、この空を見に行きたいな……」
「うん、きっと見に行けるようになるよ」
タイクウが翼の前にオレンジジュースを置いた。マグカップに水を入れて自分も隣に腰を下ろすと、翼は少し不安そうな顔をして俯いている。
「本当に? 本当に、いつか夢が叶うと思うか?」
「う、うん。どうして?」
翼は言いにくそうに、口をモゴモゴさせている。辛抱強く、タイクウはその姿を見守った。
やがて、翼はゆっくりと口を開く。
「あのあと、父さんと母さんが『あの時は夢を応援してあげられなくてごめん』って謝ってくれたんだ。それで、二人の夢の話をしてくれた。二人とも、やっぱり空が大好きでいつか空を飛びたいって思ってたんだって。彩雲に来たのも、研究者になったのも、そのためだったんだって。夢のために努力してきたけど――あとは、タイクウ兄ちゃんの言った通りだった」
そうか、翼の両親は夢を諦めてしまったのか。タイクウは唇を引き結び、翼の言葉の続きを待った。
「父さんと母さんは、おれの夢を応援するって言ってくれたけど……父さんも母さんも無理だったんだし、おれもダメなんじゃないかなぁ。夢のために頑張ったって、無駄になるんじゃないの?」
「それは――」
一瞬言葉を詰まらせて、タイクウは力を抜くようにして微笑んだ。そっと、翼の肩に手を置く。
「実はね、君のお父さんとお母さんに僕たちはすごく助けられてるんだ」
「え?」
翼が驚きで目を丸くする。彼の両目にかかった前髪をそっと指先でよけて、タイクウは真っ直ぐその黒い瞳を見つめた。
「僕たちのスーツや戦う時に使う武器は、彩雲の研究の成果があったからこそできたものなんだよ。うちの開発部のリーダーさんが言ってたんだから、間違いないよ。翼くんのお父さんたちの研究は、僕たちの命と依頼人の命を何度も救って、僕たちが空を飛ぶ手助けをしてくれてたんだよ。どう? これでも、お父さんとお母さんがしてきたことは、全部無駄だったって言える?」
呆然としていた翼は我に返ると、首をゆっくりと横にふった。
「でしょう? それにいつか、皆が自由に空を飛べる日がくるかもしれない。その為に頑張っている人たちが、地上にはたっくさんいるんだよ」
「そっか、そうなんだ……」
翼の瞳が輝いて、頬が紅色に染まっていく。
この子のように、平和な空を愛して飛びたいと願う人がいる。そしてここには、地上に帰れない人がまだまだたくさんいる。そう言う人たちのために、自分には何ができるだろうか。
タイクウは、膝の上に置いた拳を強く握りしめた。
「おい、もう夕方だぞ。テメェはそろそろ帰れ! あとタイクウ、その大量の本をやるのは良いが、ソイツだけで持って帰れんのか?」
ヒダカが事務所のパーテーションの裏側から顔を出し、呆れたような眼差しで見つめてくる。手には湯気の立つ珈琲が握られていた。
壁掛け時計に目をやって、タイクウはあっと慌てた声を出す。
「あ、ああ、大丈夫! ちゃんと家まで送っていくよ――あれ?」
写真集を入れていたトートバッグを持ち上げたタイクウは、違和感を覚えて声を上げた。
不思議に思いながらバッグを覗くと、見覚えのある青空と純白の羽のイラストが目に飛び込んできた。
タイクウの手元を覗き込んできた翼が、バッグの中身に気づいて歓声を上げる。
「え、『まもると天使』の絵本? うわぁ、ありがとうタイクウ兄ちゃん! おれ、大事にする!」
「え、いや、僕は――」
タイクウは目を泳がせ、思わず相棒の方へ視線を向ける。すると、ヒダカの視線が不自然に逸らされた。
「あー」
彼の仕草で全てを察してしまい、タイクウは口元を手で覆う。こうしていないと、顔がニヤけてしまいそうになるのだ。翼の手の中にある絵本は、ピカピカで日に焼けた跡も汚れもない。
全く、いつの間に。
「ヒダカってば、そういうとこだよねー」
「あぁ!? なんか言ったか!?」
機嫌よく笑いながら、タイクウはマグカップに入っていた水を飲み干す。
そんな運び屋たちのやりとりを、翼は不思議そうな表情で眺めていた。
真っ白な壁に囲まれた室内。壁に設置された三つのモニターの前で、高く一つくくりにした金色の髪の毛が揺れている。軽快にキーボードを叩く音が止み、モニターの前に腰かけていたココは大きく腕を伸ばした。
「やっぱり似てます」
厳しい表情で呟き、モニターを見上げる。右には普段の人型の、左には変身後のタイクウのMRI画像や血液検査結果などがそれぞれ映し出されていた。
「
それに、例え真実がそうだったとしても、今まで襲われた人たち全てにそれが当てはまるとも思えない。だとしたら、何かの法則があるのだろうか。
「駄目。想像だけを膨らませても、仕方のないことです」
ココは首を横に振って、考えを吹き飛ばした。
皮肉なことに、学者として天空鬼の研究を進めれば進めるほど、「ココ」の希望は打ち砕かれていく。それでも研究を止められないのは、学者としての自分が、天空鬼の謎を解き明かしたいと叫ぶからだろうか。
何にせよ、もう少し確証が得られたら、ボスに報告しなければ。
不意に自動ドアが開く音がして、ココは慌ててモニターを消して、PCにロックをかけた。
「よう、ココお疲れ」
ココは首だけで後ろを振り返る。黄土色の髪の毛をかきあげ、イヤミなくらい白い歯を見せつけるようにして、他部署の同僚が笑っていた。彼は特徴的な足音を響かせ、ココに近づいてくる。
「なんだ、レイジャーさんでしたか。お疲れ様です。でも、どうしてここに?」
「俺がスウィートハニーに会いに行くのに、理由なんているか?」
「むう。それ、恥ずかしいから止めてくれません? スウィートハニーなんて、アニメーションのキャラクターみたいで、背中がモゾモゾします」
「おお、ココはこんなに忙しいのに、アニメも観るんだな! 仕事はキッチリこなしつつ娯楽を楽しむ余裕もある。くそ、どこまで君は俺を魅了するんだ……!」
「もういいです……」
呆れたように眉をひそめ、ココはレイジャーにため息を吐く。するとレイジャーは声を上げて笑い、パンツのポケットから小型端末を取り出した。
「悪い悪い。冗談が過ぎたな。本当は、今開発中の装備について、天空鬼の学者としての見解を聞きたくてな」
「そうだったんですね。仕事の話ならいつでもどうぞです」
「そりゃあ良かった。そんな仕事ができる俺と、今晩食事でも一緒にどうだ?」
「わぁ、油断も隙もない。残念ですが、今日中にこのデータをまとめておきたいんです! 今夜は
「あー、そうか。無理はしないようにな」
残念そうな顔をしつつも、レイジャーはココを労る言葉をかけてくれる。こう言うところが憎めなくて、つい邪険にしきれないでいるのだ。
レイジャーから小型端末を受けとり、ココが装備のデータを確認していると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。顔を上げると、レイジャーが湯気の立った紙コップを差し出してくる。
いつの間に、という気持ちと、その中身が自分の好物のココアであると気付き、ココはなんとなく負けたような気持ちになった。
「そう言えばアイツら――ヒダカたちは無事に
「空の観測データに異常がなければ大丈夫でしょう。それにしても、天空鬼の生息域が高度三千メートルから四千メートル付近で留まっているのは幸いですね。あれが地上や天空都市で暴れたら、恐ろしいことになってしまいます」
タイクウの証言によると、彩雲が浮かんでいる成層圏直下の空域は、さすがに『少し息苦しくなって体の動きが鈍くなる』と言っていた。さすがの天空鬼も、極端に空気が薄い場所では活動しづらくなるのだろう。
ココはレイジャーの手からココアを受け取り、ゆっくりと口をつけた。
「失礼する。ブロワ、先日の――」
自動ドアが開き、ひょろ長いスーツ姿の人物が入ってきた。レイジャーは気さくに片手を上げる。
「おう、大将」
「ハーヴェイ、ここはお前の担当ではないだろう? また彼女目当てか」
スーツ姿の男、
「別に良いだろう? 恋愛禁止のルールがあるわけでもあるまいし。で、大将の方の調子はどうだ? よく眠れてるか」
「問題ない。最低限の体調は維持している」
その据わった目つきで言われてもなぁと、レイジャーは苦笑いを浮かべる。
「頑張ってほしいのは山々だが、頼むから倒れないでくれよ、彩雲の希望さん」
「呼ぶな。私は希望などと名乗った覚えはない」
「名乗ってなくても、それが事実なんだよ」
するとレイジャーは肩をすくめ、真剣な眼差しを浮かべた。
「他国ではもう、天空都市や天空鬼への対策は事実上打ち切られている。未だに天空都市の人々を地上に帰して、天空鬼の真実を解明しようとと努力しているのは、この組織だけなんだからな」
ココは思わず紙コップを両手に持ったまま、下を向いてしまう。思いのほか泣きそうな顔をした自分が、茶色い液体の上に写しだされていた。
第二章 完
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