第15話 飛び立つ
エレベーターから下りると、タイクウは天井に向かってうんと伸びをした。体がギシギシと痛み、悲鳴を上げている。検査のためだけとは言え、変身するのは負担がかかる。やはり用事が済んだら、一度休まなければならないかもしれない。タイクウは息を吐いて、自分の右腕にそっと触れる。すると、自動ドアが開く音と共に、聞き慣れた声が廊下に響いた。
「しかし、なかなか難しいもんだな、刃物の武器は。時速三百キロメートル前後でも振り回せるってところが最も重要だが、重すぎても軽すぎても駄目、そこそこの重量がなけりゃ、思ったような威力が出せねぇってことか。また、刀匠やってた知り合いの親父さんにアドバイスでもしてもらうか」
「おー、頑張ってくれ。開発部のリーダーさんよ」
「お気軽に言ってくれるなぁ、ヒダカ。お前さんたちの装備品は、俺たちの汗と涙の結晶、血のにじむような努力で作り出されたもんだ。なんたって、お前さんたちの命がかかってるんだからな。しかし惜しかったなぁ。彩雲の研究が続いてりゃ、もっとスーツも良いものになってたし、光線銃も強化できたんだぞ。あそこは未知の物質と技術の宝庫で――」
黄土色の髪の屈強な男性と、黒檀色の髪の相棒の姿を見つけ、タイクウは片手を上げて声をかける。
「ヒダカ!」
「ああ? タイクウか」
ヒダカが相棒の名を呟いた瞬間、黄土色の髪の男性レイジャーが眉を吊り上げ声を荒らげた。
「おおおお!? お前、今回もまんまと俺のハニーと二人っきりになりやがったそうじゃねぇか! くそ、ハニーに手を出したら承知しねぇからな!」
「ええー、いやいや手なんか出さないよ」
だってレイジャーさんが怖いし、とは心の中で呟く。ココのことは可愛らしいし頼りになるとは思うが、それだけだ。
第一タイクウに、わざわざ馬に蹴られに行く趣味はない。
「ほんとだろうな……」
「あー、もうどうでもいい! タイクウ、これからどーすんだ。今日は一泊する予定だろ?」
「うん、そうだね。ちょっと町に用事を済ませに行ってから休憩を挟んで、明日の早朝にでも彩雲に戻ろうか」
「了解。じゃあ、俺もそれまで好きにやってるわ。じゃあな、レイジャー。新しい武器、期待してるからな」
「おう、任せておけ」
レイジャーに声をかけたヒダカは、タイクウがいる方へ近づいてくる。すれ違う寸前、ヒダカは何故か足を止め、タイクウの顔を見つめた。
「今回も、実家には顔出さねぇのか?」
「――出さないよ。だってほら、僕もいい加減親離れしないとね」
彩雲と地上を行き来できるようになったとは言え、両親には一度も会っていない。ビデオ通話で何度か連絡をとったことはあるが、自分の体の変化や仕事について明かしたことはなかった。
きっと息子は彩雲で楽しくのんびりと生活しているはずだと、両親にはそう思っていてほしいのだ。
タイクウは微笑むと、ヒダカの肩に軽く手を置いた。やがてヒダカは、諦めたような息を吐く。
「帰る時間までは、しっかり休んどけ。帰りもどうせ戦闘だ。面倒かけさせんなよ」
「大丈夫、ちゃんと休むよ。また明日ね、ヒダカ」
タイクウはにっこりと笑って見せる。僅かに体の力を抜くと、ヒダカはタイクウに背を向け歩き出した。
「レイジャーさん、いつもありがとうございます。今度、僕の装備の方もお願いしますね」
「おう、あっちの姿の時に不都合がないかどうかも、また、教えてくれよ」
「はい!」
気さくに片手を上げるレイジャーに、とタイクウは明るく返事をした。
冷えた空気が、唯一剥き出しの顔を撫でる。まだ空は暗く、町のネオンが星のようにキラキラと輝いて見えた。
時雨の所有するビルの屋上で、ヒダカとタイクウは深い藍色の空を見上げる。町の明かりに照らされて、白っぽく光っていた。
「さっさと帰るぞ。明るくなったら面倒だ」
「だね」
ヒダカの言葉に、タイクウは両目を閉じる。大きく深呼吸をして、あの時失ったはずの右腕に意識を向けた。
やがて、右手の指先からどろりと熱いものが流れてくる。血管を通って、身を焦がすような熱は全身に広がっていく。そしてブチブチと何かが切れるような、体を内側から裂かれるような激痛が、彼の体を襲った。
後ろのヒダカに決して気づかれないようにと、タイクウは奥歯を噛みしめ痛みに耐える。やがて肩で大きく息を吐きながら、タイクウは両目を開く。目に映る町の景色は、昼間のように鮮明になっていた。
『さて、行こうか。ふふ、ヒダカが開発部に要望出してくれたおかげで、今回はスーツが破れなくて良かったー!』
タイクウは機嫌よさげに声を出して笑う。
今回から、タイクウのスーツは行き帰りで別のものに変わっていた。地上から天空都市へ戻る際のスーツは、体格が変化しても問題のないよう伸縮性のある素材に変化し、さらに翼の生える位置には穴もあいている。
『ヒダカ、今日はいつもよりも身軽だね』
タイクウは薄いリュックを背負ったヒダカを、意外そうに眺めた。普段の彼はもっと、物々しい装いをしている。
「今日は桜からのおつかいもねぇからな。私用の荷物だけだ。そういうお前は、結構な大荷物だな」
『いや、翼くんへのお土産、何が良いか考えてたらつい』
タイクウは笑いながらごつごつした頭の皮膚を撫でる。彼の胸の辺りには、タンデムジャンプの時のように、大きなリュックサックがくっついていた。
タイクウの言葉を聞いて、ヒダカが怪訝そうに眉をひそめる。
「翼って……空を飛びたいって言ってたアイツか?」
『そうだよ。空を飛びたいなんて、ちっちゃい頃のヒダカみたいなこと言ってたから、つい応援したくなっちゃって。今後どうなるか分からないけど、素敵な夢だから諦めてほしくないなと思って』
タイクウは、どこか楽しげに自分のリュックサックに視線を落とした。
『本当はあの絵本が買えたら良かったんだけど、古いものだし本屋さんでは見つからなくてね。取り寄せしてもらってもいつ受け取れるか分からないし、残念だけど諦めちゃった。――あ、待てよ。お古でも良ければ、僕が持っているのをあげれば良かったのかも。あー、あの時先に聞いておけば良かったなぁ』
「ったく、お節介もほどほどにしろ。おら、とっとと行くぞ」
呆れた眼差しで首を振り、ヒダカはヘルメットをかぶって準備を始めた。タイクウは丸太のような腕をぐるぐると回し、調子を確かめる。変身するときの激痛が嘘のように、痛みも違和感もなく快調に体が動く。背中の蝙蝠のような両翼も動かしてみたが、こちらも問題なさそうだ。
そこでふと、タイクウは思う。天空鬼に姿を変えることで、タイクウは自らの力だけで空を飛ぶことができるようになった。翼や幼いヒダカが憧れていたのは決してこんな形ではないだろうけど、空を飛ぶ快感を知っているのは自分だけ。この体の特権、と言えば、そうだ。
『この体も悪いことばかりじゃないんだけど……羨ましがられるような状況でもないよねー』
『準備完了だ。――あぁ、どうした?』
『ごめん、なんでもないよ』
タイクウは首を横に振ると、膝をついて大きくなった体を屈めた。
タイクウが着用しているスーツには、背中側にいくつか金具がついている。そしてヒダカも、まるで高所作業員のハーネスのような装備を身につけていた。ヒダカはハーネスのフックをタイクウの金具に引っかけ、自分の体とタイクウの体を繋ぐ。落下を防ぐためだ。
『それじゃあ、飛ぶよ』
『おお』
ヒダカの返事を聞いたタイクウは、大きく翼を広げて薄闇の空に向かって飛び立った。
翼を動かす度に、タイクウの体は大きく風を切っていく。体をほぼ垂直に立て、彼は真っ直ぐ上空へと突き進んでいった。
あっという間に地上は遠ざかり、町の明かりは白く輝く星屑となっていく。強風が硬質化した頬にぶつかりながら、下へと流れていった。次第に外気は冷たくなってくるが、それすら今の体には心地いい。むしろ、地上が少し熱すぎるくらいである。今年は特にそう感じる。
ふと、肌に電気のような信号が流れて、タイクウは背中の相棒に声をかけた。
『ヒダカ。あと数分で天空鬼の棲息ポイントだよ。準備して』
『おお、少しスピードも落とせ』
タイクウは返事をすると、なるべく地面と平行になるように体の角度を変えて飛行速度を落とした。
背中の上で、ヒダカがタイクウと自分を固定するハーネスを外していく。ガチャガチャと金属同士のぶつかる音が止むと、ヒダカが強く声を張った。
『来たぞ! まずは、一発ぶちかます!』
『分かった』
紺色一色だった空に現れた黒い塊。高度約三千から四千メートル付近。黒い塊は、上空で待ち構える天空鬼の群れである。あの群れを突破しなければ、タイクウたちは天空都市へ帰ることができない。
戦闘は必須だった。
『帰りは帰りで面倒だよなぁ。速攻でどかしてやるよっ‼』
威勢の良い声と共に、ヒダカが光線銃の引き金を引いた。
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