第14話 健康診断と武器開発

 振動と共に、周囲からやっと雑音が消えた。彼が横たわっている検査台がゆっくりと動き、タイクウの視界に明るい照明が映る。眩しさに瞬きをしながら、彼は肘をつき検査台から上半身を起こす。

 固まった体をほぐすようにぐるぐると両腕を回していると、小柄な女性がこちらに近寄ってきた。ブカブカの白衣の裾をひるがえし、高く結い上げた黄金の髪の毛が、動きに合わせてピョコピョコと弾んでいる。


「タイクウさん、お疲れ様です」

「ありがとうございます」

 タイクウの言葉に、生物学者であり医者でもあるココ・ブロワは微笑んだ。小さな鼻に乗った眼鏡のレンズの向こうから、大粒のアクアマリンのような瞳が覗いている。見た目だけなら十代の少女のようにも見えるが、確かタイクウよりも年上だったはずだ。


「お疲れのところ、協力してくださってありがとうございます」

「いいえ、僕の体のことですから」

 今日、タイクウは定期健診のために地上へ下りてきていた。身体測定から始まって血液検査や血圧、心電図、視力検査や聴力検査、MRI検査なども含まれるので検査は一日がかりである。人間ドッグよりも検査項目が多いのは、タイクウの身体が未知のものである所以だろう。


 この検診は、人間と異なる身体になってしまったタイクウの研究、分析も兼ねているが、ここの医者や研究者はきちんとタイクウを人として扱ってくれている。それがタイクウにとっては、とても有難いことであった。


「そう言えば、タイクウさん。あなたは相変わらず、鉄や銅などの金属、炭素繊維やプラスチック――ようするに航空機などを構成していた機械が主食なのですね? 他の食べ物はどうですか? 食べられるものは増えましたか」

 ココは手に持ったタブレット端末に視線を落としながら、タイクウに問いかけた。


「いいえ。不思議なことに、一番食欲が湧くのは鉄とかプラスチックとか、そういったものです。野菜や果物、調理された料理やお菓子なんかは……こう、食べようと思えば食べられるのかもしれませんが、身体が拒絶反応を起こしてしまって。これは僕の食べるものじゃないっていう気持ちが働くって言うか」

「なるほど。その意識も変わってないというわけですね」

 相槌を打ち、ココはタブレット端末に何かを打ち込んでいる。問診の結果を記録しているのだろう。


「それにしても、本当に不思議ですねぇ。検査結果から見たタイクウさんの体は、健康的な成人男性そのもの。鉄、ましてや炭素繊維やプラスチックそのものだなんて、人間が摂取する食物であるわけがないのに。あなたの体は、ちゃんとそれらを栄養素として変換しているんですよねぇ。金属をエネルギーにする細菌はいますけど、それともまた仕組みが違うようですし」


 そのことは、タイクウ自身も不思議に思っていた。右腕の肌の色が変わって皮膚が硬くなったかなと思うこと以外、普段の身体の調子は変わらないのだ。むしろ健康で、以前よりも丈夫になったくらいである。


「前にも思ったのですけど、『を食べられる』だなんて、天空鬼スカイデーモンはその強靭な肉体も含め、生物として理想的とも言えるかもしれませんね」

「確かに、食べるものもそうですが、食事の回数自体も……。週に一度か二度ほどの食事と、水分補給さえしていれば十分身体は動くので。燃費がいいと言えるかもしれませんね」


 さすがに、人の姿のままでは機械を食べられないため、タイクウは夜に人の目を避けて変身し、事務所周辺のスクラップを食べてをしていた。

 食べるスクラップの量はそれなりに多いとは思うが、それでも事務所の周辺は一向に片付かないのだから、タイクウ一人で食べている量などたかが知れているだろう。

 それで維持される健康とは、本当にどういう仕組みなのだろうか。


「さて、一般的な検査はこのくらいにして。今日はの体の検査もするんですが、大丈夫です?」

「ええ。大丈夫です」

 タイクウが何でもない事のように笑うと、ココは少し硬い表情で薄く笑みを浮かべた。

 これからタイクウは場所を移動して、天空鬼へと姿を変える。その状態で再度いくつかの検査を行うのだ。

 普段自由にさせてもらっている分、たまには協力しなくては。深く考えないようにしているけれど、自分の体は貴重ななのだから。


「では、移動しますね。狭いので窮屈かもしれませんが」

「何度か受けている検査なので、大丈夫ですよ。心配しないでください」

 タイクウは立ち上がり、金属の壁で覆われた箱のような部屋を目指す。そこへ入り、モニター越しに大勢の人に見守られながら、タイクウは検査を受けるのである。

 変身時に襲い来る激痛を思ってか、タイクウの背骨の辺りに早くもピリッとした痛みが走った。




 刀のような武器を腰に固定し、ヒダカは肩を上げ下げして呼吸を整える。フルフェイスのヘルメットを着用すると、フェイスシールド越しに天井を見上げた。

 ヒダカがいるのは、縦長の箱のような空間である。高さは約六十から七十メートル。部屋のちょうど半分くらいの高さに広いガラス窓がついており、そこから数名の男女がヒダカを見下ろしていた。その中の一人、黄土色の髪を持つ男性が、ガラスに顔を近づける。


『準備は良いか?』

『おお、始めてくれ』

 ヒダカが頷くと、男性が片手を上げる。何か重い物が動くような音が響き、部屋の床が振動した。

 次の瞬間、ヒダカの体が宙に浮かび上がっていく。天井に触れるくらいの高さまで上昇すると、ヒダカの体は宙に浮かんだまま停止した。

 彼は腰の剣に手を添えると、居合い抜きのような構えを作る。


『――開始』

 男性の声が聞こえると同時に、ヒダカの体は糸が切れたように落下を始める。

 普段のダイブと同様の体勢をとると、ヒダカは風を切り裂くように武器を鞘から抜き去った。そのまま見えない敵を斬るように、左から右へ一閃。刀を両手で持ちかえると、上段の構えから真っ直ぐ刃を振り下ろす。

 そして、その勢いのまま前転のように体を一回転させると、左上から右下、右上から左下と続けざまに刀を振るった。


 床から数メートル手前で、再びヒダカの体は宙に浮かんだまま静止する。体勢を整えたあとで、ゆっくりとヒダカは床に足をつけた。

 溌剌とした男性の声が、スピーカーを通して部屋に響く。


『どうだったよ? ヒダカ』

『確かに、前よりも軽くなってんな。ただ、軽すぎて体重を武器に乗せにくいっつーか、一撃まで軽いつーか……。威力が出せねぇんじゃ、武器としては問題だな』

『そうか。まだ改良の余地がある、か。分かった、おつかれさん! 装備を外して出てきてくれ』


 ヒダカは頷くと、刀を鞘へ戻してヘルメットを取った。壁についているパネルに触れて自動ドアをくぐると、彼は部屋を出てすぐのところにあったエレベーターに乗り込む。


 タイクウが健康診断をしている間、ヒダカは武器開発を行う部署に顔を出していた。普段彼が使っている刀を改良したということで、専用の訓練場でテストをしていたのである。

 エレベーターから下りて入った部屋の中では、ヒダカよりも頭一つ分背の高い男が待ち構えていた。彼はヒダカを見つけると、気さくな様子で片手を上げる。


「おう、お疲れ」

 彼は、対天空鬼スカイデーモン用の武器開発部のリーダーを勤めている、レイジャー・ハーヴェイである。歳は三十代前半、浅黒い肌と筋骨粒々とした身体が特徴的な男だ。


「付き合わせて悪かったな。やっぱり俺がこっちで振り回すだけじゃ、分からないことも多いんでな」

 レイジャーは、自身の短く切られた髪の毛をくしゃりと撫でた。その腕は、研究開発職に似合わずプロレスラーのように太い。ヒダカはレイジャーの手からタオルを受け取って、それに顔を埋めた。


「そりゃそうだろうよ。『振り回す』って言ったって、アンタと俺じゃ身長も筋肉量も違う。いくら重力調整室があるって言っても、データだけじゃ分かんねぇこともあるだろ」

「まぁ、それはそうなんだがな。作った武器をすぐに試してみたくなるのは、俺のサガでもある」

 レイジャーは笑みと共に、アメジストのような瞳を得意気に細めた。

 そういえば、彼は元軍人だったと聞いている。やはり、体を動かしていた方が良いのだろうか。


「とにかく、ヒダカがちょうど良いところに来てくれて助かったぜ。この後、さらに詳しい使用感を聞かせてくれ。時間はまだ大丈夫か?」

「あー、アイツ……タイクウが健康診断中だ。今日は泊まりになるだろうから問題ねぇよ」

 ヒダカがタオルを首にかけながら言うと、突然、レイジャーがカッと両目を見開いた。


「健康診断ってことは――あの野郎、俺のハニーと二人っきりってことじゃねぇか!? なってこった! くそ羨ましいやつめ! 俺だってハニーに健康診断してもらいてぇよ、ちくしょう! あー、一度でいいから俺と変われ!?」

「あんな色気のねぇところで二人っきりが羨ましいか?」

「はあ!? 何言ってんだ!? どこだろうと、彼女がいるだけでそこはサンクチュアリでスイートなパラダイスだろうがっ!?」

「いや、全然分かんねぇ」


 組織内でも有名なのだが、レイジャーは生物学者兼医者のココ・ブロワにご執心らしい。仕事の合間を縫って、ことあるごとにアプローチをしているそうだ。ヒダカが把握している限りでは、特にその想いが報われた様子はない。

「なんつーか、重症だな」

 歯を食い縛り、拳を震えるほど握りしめているレイジャーに、ヒダカは冷めた眼差しを向けた。

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