第二章

第12話 意外な依頼人

 吸い込まれそうな青空が、天高く広がっている。クレヨンや絵の具で色付けされているわけでもないのに、どうしてここまで鮮やかな色をしているのだろう。このまま目を凝らしていると、遥か上空に浮かぶ天空都市の姿までもが透けて見えそうだ。


 風が公園の芝生の間を吹き向けて、寝転がったタイクウの頬をサワサワとくすぐる。青い草と土の香りを吸い込んで、幼いタイクウはくすぐったそうに笑った。


「いいなぁ、こんな青い空を飛べたら、きっとすごく気持ちがいいんだろうなぁ」

 すると、タイクウの隣に腰を下ろしていた幼いヒダカが、黒檀色こくたんいろの瞳を輝かせた。

「そうだ、聞いたか、大空タイクウ⁉ 彩雲が浮かんでいる仕組みの……『はんじゅーりょくそうち』? だかなんとかの研究が進めば、人でも自由に空を飛べるようになるかもしれないんだってよ」

「え、ほんとうに――!?」

 タイクウは思わず上半身を起こした。頬を染め、画面越しのヒーローに向けるような眼差しを空に向ける。

 背中に生えた翼で空を飛ぶ自分を想像し、ため息を零した。


「すごいね! 本当に空が飛べるなら、すっごく楽しくて、すっごく気持ちがいいだろうなぁ!」

 タイクウが感嘆の声を上げると、小さな犬歯を見せながらヒダカが得意げに笑った。

「だから俺、中学からはぜったい彩雲さいうんの学校に通うぞ! 最先端の研究を勉強して、それでいつか空を飛んでやる!」

 彩雲の中学、とタイクウは小さくヒダカの言葉を繰り返す。


 どうやらヒダカは、彩雲の中高一貫校へ進学するつもりのようだ。彩雲が有する最先端の技術や研究を、より近いところで学べる人気の学校である。そこには学生寮もあり、ヒダカは通学などのメリットを考え入学と共に寮へ入るのだと言う。

 普段から家族のことは嫌いで苦手だと言っているヒダカのことだから、寮生活は都合が良かったのだろう。


 でもそれなら、僕はどうしよう。せっかく仲良くなったのに、日高ヒダカと離れてしまうのだろうか。さっきまでのワクワクが不安や寂しさでかき消されてしまい、タイクウは沈んだ表情で下を向く。


「え、そうか。そうなんだ……いたっ!?」

 思い切り肩を叩かれ、タイクウは悲鳴を上げる。見るとヒダカがウンザリしたような表情で、自分を軽く睨みつけていた。

「またなんかウジウジしてんのか? 言っただろうが、『やらないでいるより、やってから後悔しろ』って! ……だからその大空タイクウは、どうすんだよ?」

 力強い風がさっと二人の間を吹きぬけて、タイクウの短い亜麻色の髪を揺らす。

 目を大きく見開いていた自分タイクウは、やがて表情を輝かせて――。



「ふわ!?」

 奇声を上げてが覚醒すると、鉄色をした低い天井が目に飛び込んできた。ぼんやりとしながら、彼は視線を動かして周囲を見回す。

 洋服掛けと本棚が二つずつ、今自分が寝ているベッドと最低限の家具が置かれた狭い部屋だ。小さな本棚には本や雑誌やボードゲームの箱が押し込まれ、入りきらなかったものは床や本棚の上に積み上げられている。部屋の中央に置かれたローテーブルには集めた食玩のフィギュアが隊列を組み、壁には普段着ているコーチジャケットと、橙色のパーカーが吊るされていた。


 そうだ。ここは運び屋『藍銅鉱アズライト』の事務所兼自宅の、プレハブ小屋の中である。

 プレハブ小屋と言っても事務所として使っているスペースに加え、簡易キッチンやトイレ、シャワールーム、狭いながらも二人分の自室まで確保できるのだからかなりの広さがある。プレハブ住宅と言った方が適切だろうか。


 さっきまでの光景は夢だったらしい。不思議なことに、十年程前実際にヒダカと交わしたやりとりそのものだった。

 また、懐かしい思い出を夢に見たものだ。


 タイクウは欠伸をかみ殺しながら、上半身を起こす。ベッドの脇の目覚まし時計を見ると、正午もとっくに過ぎ去っていた。オフだとは言え、いい加減起きなければ。

 タイクウはベッドから出ると、寝間着代わりのジャージをのろのろと脱ぎ始めた。





「おはよぉー」

 着替えをして事務所の方へ顔を出すと、事務机にだらりと背を預けていた相棒が回転椅子ごと振り返った。タンクトップで下半身はジャージ、肩にタオルをかけて普段は後ろに流している前髪も今は下りている。シャワーを浴びた後と言うことは、日課のトレーニングをこなした後なのだろう。

 ヒダカは不機嫌そうに眉を顰め、タイクウに睨むような視線を送ってきた。


「随分とのんびり眠ってやがったな。もう昼飯の時間もとっくに過ぎてんぞ」

「あはは。まぁ、今日は仕事もないんだから許してよ」

 タイクウは笑って誤魔化して、キッチンのシンクの上にあったマグカップを手に取る。蛇口をひねって出てきた水を受け止めると、そのまま喉に流し込んだ。

 寝起きの体に冷たい水が染みて、タイクウはふわと息を吐く。


「今日は、つーか、今日だけどな。仕事がねぇのは」

 ヒダカはうんざりした様子で、手に持った炭酸水をちびちびと口に運んでいる。

「えっと、前回の夕陽さんの仕事が終わって、どれくらい経ったっけ?」

「一週間と五日」

 あー、と納得するような呆れたような声を上げ、タイクウは再び水を口に含んだ。


 仕事の都合上、一週間や二週間ほど暇になるというのもよくあることだ。しかし、何度経験しても、何もやることがないというのは辛いものである。

 タイクウは水を飲み干すと、ちらりと壁にある時計を見上げた。


「ヒダカ、お昼ご飯はこれから? まだだったら、ご飯のついでに桜さんのところにでも行ってみる?」

 前の依頼人と出会ったのも、二人の幼馴染みである桜の店である。彼女の店に行けば、また何か仕事が見つかるかもしれない。


 タイクウたちの仕事は、彩雲の政府に正式に認められているわけではない。かといって、禁止されているわけでもなく、見てみぬふりをされている、いわゆる「黙認」という状況だった。

 公的に認められてはいないため派手に広告を出す訳にもいかず、どうしても仕事の宛は口コミや噂に頼ることになるのだ。

 そういう面でも、桜の店は貴重な場所なのである。


「あーそうするかぁ。またなんかあるかもだしな」

 タイクウの提案に、ヒダカは椅子から立ち上がった。歩き出した方向からして、自室で着替えてくるのだろう。


 タイクウはコップをシンクに置くと、ヒダカの机の向かいにある事務机に腰かける。その机の上も、タイクウが集めた食玩で埋め尽くされていた。この前手に入れた『飛べないウササギくん』が二体、ちょこんと中央に鎮座している。

 思わず笑みを浮かべていると、突然事務所の扉がガタガタと音を立てた。その独特なリズムは風や振動によるものではなく、明らかに人の手によるものだろう。


「お客さんかな?」

「なんだ、誰か来たのか」

 なかなか激しい音に、ヒダカも事務所の方へ引き返してきた。タイクウは「はーい」と返事をしながら駆け寄って、玄関の引き戸を開く。

 誰もいない、と思ったのは一瞬で、タイクウはすぐに視線を下げた。


「君……」

 大きなリュックを背負い、気の強そうな眼差しでタイクウを見上げているのは、十歳前後の少年だった。大きな黒い瞳とふわふわの髪の毛は、どこか黒いトイプードルを思わせる。


「えっと、どうしたの? この辺りはスクラップだらけで危ないから、入ってきちゃダメだよ」

 タイクウは膝を折ってしゃがむと、少年と目線を合わせる。にこやかに話しかけたにも関わらず、少年はキッとタイクウを睨みつけてきた。


「子ども扱いしてんじゃねぇ! ここ、運び屋の事務所なんだろ? おれは依頼人だぞ」

「え、え?」

 それこそ子犬が吠えるように、少年は高めの声でキャンキャンと叫んでいる。目を丸くしているタイクウに、少年が勢いよく人差し指を突き付けた。

「とっととおれを、地上へ連れていけぇぇぇっ!」


 呆気にとられたタイクウの背後で、地を這うような低い声が響いた。

「ああ? 無理に決まってんだろ」

「ぴゃぁ!」

 ヒダカの声と眼光をまともに浴びてしまった少年が、恐怖で文字通り飛び上がった。

「ヒーダーカ。ダメだよ、ヒダカの見た目って怖いんだから! 口調も視線も、もっと優しく柔らかく!」

「あー、生意気なこと言いやがったから、反射でつい」


 ばつが悪そうにしているヒダカを見て、タイクウは苦笑いを浮かべた。

「だからって、初対面の小さい子を泣かすのは――ああ! ごめんね、このお兄さん、見た目ほどは怖くないからねー」

 涙を滲ませている少年を、タイクウは必死で宥めたのだった。

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