第11話 運び屋アズライト

 夜闇の中、タイクウは運び屋の看板を眺めていた。事務所から漏れ出た僅かな灯りで、運び屋、藍銅鉱アズライトの文字がぼんやりと浮かび上がっている。


『彩雲に戻る……⁉︎』

 あの日、病室でヒダカにそれを告げた時、彼は見たことがないほど驚愕し動揺していた。

『そうだよ。もう一度、変身できれば、空を飛んでまた彩雲まで戻れる。何度かやってみたから、変身するのは大した問題じゃないよ』

『そんな事が聞きたいんじゃねぇ! 戻ってどうすんだよ⁉︎ 仇討ちでもしようってか、アア⁉︎』

 ベッドのマットに拳を叩きつけ、ヒダカが噛みつくように叫ぶ。


『地上に降りたがっている人たちを、運んであげるんだ』

 思っていたよりも、冷静な声が出た。ヒダカが絶句している。タイクウは決して俯かず、彼としっかり目を合わせた。

『お兄さんと話をしたんだ。僕の体はもう、人じゃなくなってるってこと。この体を研究すれば、アイツらに対抗する手段が見つかるかもしれないから、正直、協力してほしいと思ってるってこと』

 しかし、時雨からの提案は、それとは異なるものだった。


『でも、この力を使って、地上に降りたがっている人たちを運んでくれれば、それでも良いって言ってくれたんだ。定期的に診察は受けてほしいとは言われたけど、少なくともずっとモルモットみたいに監禁されることはないし、他の研究施設から狙われることがないようにちゃんと身柄は守ってくれるって』

『アイツ……んなこと、言ってたのかよ』

 怒らないで、とタイクウは怒りに震えるヒダカを宥める。

 時雨は彼の兄だ。良い人ではないかもしれないけれど、悪人ではないとタイクウは思うのだ。


『だからね。僕は彩雲に戻って、皆を助けたいんだ。お兄さんはああ言ってたけど、別に自分の身を守るためじゃない。僕の力で誰かを救えるなら、そうしたら、僕がこの姿になった意味もあるかもしれないだろ?』

 ヒダカがグッと押し黙る。どこか悔しげに奥歯を食い縛り、黙って下を向く。

 しばらく経って、彼が顔を上げた。


『俺もやる』

 え、と思わずタイクウは、聞き返すような声を上げる。ヒダカは声が裏返るほど強く叫んだ。

『いや、むしろ俺が戦う。テメェは後ろで引っ込んでろ! テメェの力なんか、絶対に借りねぇ! 俺のためだかなんだかしらねぇが――二度と、二度とテメェに、あんな後悔なんかさせてたまるかよ!!』

 それが、運び屋藍銅鉱アズライトの始まりだ。




「ただいまー、買い物ついでにご飯食べてきたよー」

 タイクウが声をかけながら事務所の扉を開けると、ヒダカが事務椅子ごとこちらを向いた。

「おー、ここが埋もれる前に、さっさと全部食っちまえ」

「あはは、いや、さすがに無理」

 身体が異形に変わってしまってから、タイクウはヤツらと同様に機械を主食とするようになっていた。他の物を食べられないことはないのだが、物によっては体に合わず、嘔吐して体調を崩してしまうこともある。その為、次第に避けるようになっていた。


 ヒダカは椅子の背もたれに沿うように全身を預け、缶ビール片手にすっかり寛いでいる。そしてタイクウの手元に視線をやると、露骨に顔を顰めた。

「オイ、またそれ買ってきたのかよ」

「だからぁ、これは僕のご褒美なんだってば。ヒダカも缶ビール買ってたじゃない」

 彼は買い物袋の中から、おなじみの『飛べ飛べウササギくん』シリーズが入った箱を取り出す。


「毎回買ってきてはダブって失敗して後悔ばっかしてっけど。結局、何がやりてぇの?」

 ヒダカが缶ビールを飲みながら、少々馬鹿にしたような眼差しを向けた。少しだけ間をあけて、タイクウは困ったように笑う。

「選んだ道が本当に正解だったのか。後悔せずにいられるのかどうか。すぐに分からないこと、ばっかりでしょ? だからこういう形ですぐに結果が分かるのは、なんだか安心するんだ。結果がどうであれ、ね」

 タイクウは束ねた自分の髪に触れる。願いを込めて伸ばしたこの髪は、今背中に届くほどになっていた。


 元の姿に戻れるように。それが無理でもせめて、異形と化したこの体に意味を見出せるように。この願いはある意味、表向き。

 真にタイクウが願うのは、ヒダカの胸にある後悔を断ち切ること。それができるかどうか、できると信じて選んだこの道が正しいのかどうか。


 タイクウはふと彼に想いを馳せる。御笠夕陽、今回の依頼人。彼は地上で望み通りの景色を見ることができたのだろうか。すっかり変貌を遂げた地で、後悔せずに生きていけるだろうか。

 ああ。やっぱり、分からないことだらけだ。

「ややこしいこと考えてんじゃねぇぞ。今はとにかく、やるだけだ」

「――そうだよね」

 ヒダカのあっけらかんとした言い方に、タイクウから苦笑が漏れる。少々乱暴だが、後ろや下を向きがちなタイクウを蹴り飛ばしてくれるのは、いつだって幼馴染みのヒダカなのだ。


「で、ソレ、開けんだろ?」

「うん! さて、今回はダブりませんように……」

 タイクウは自分の椅子に腰かけ、買ってきた箱を開封する。人形フィギュアは全部で八種類。今手元にあるのはその内の四種類。さすがにそろそろ持っていない人形フィギュアが出てきて欲しい。

 祈りを込めてビニール袋に包まれた人形を取り出し、違和感を覚える。ウササギくんなのに、羽もくちばしもついていない。


「こ、これはまさか……」

 慌てて箱の側面に描かれたイラストを確認する。黒く塗り潰されたシルエットの上に、クエスチョンマーク。これは、間違いない。

「これ、シークレットだぁ!!」

「ああ? なんだよ、それ」

「通常八種類のウササギくんフィギュアとは別に、言葉通り隠されたバージョンのフィギュアが存在するんだ! スゴイ、これが噂のシークレット『飛ばないウササギくん』……⁉︎」

「普通のウサギじゃね?」


 感極まって人形を掲げる相棒に、ヒダカは冷ややかな眼差しを向ける。羽もくちばしもついていない、見た目は要するに普通のウサギだが、そんなことはどうでも良い。

「たまにこういうのがあるのも、やめられないよね!」

 頬を紅潮させて同意を求めると、ヒダカは僅かに息を吐く。


「テメェはもう、そういうちっちぇことで一喜一憂しとけ」

「分かった!」

「同意すんな!」

 ヒダカの怒鳴り声も笑いとばし、タイクウはビニール袋から人形を取り出した。

 弾む気分でどこに飾ろうかと事務所を見回していると、ヒダカが買い物袋に目を向けて言った。


「あ? オイ、まだ何か残ってんぞ」

「ああ、そうだった。最近、最終的な二択で迷って後悔してるから、いっそ二箱買おうって事になったんだっけ」

 今のタイクウはご機嫌だ。何も考えず二箱目を開封する。出てきたのは先程引き当てたシークレット、『飛ばないウササギくん』であった。

「あ」

 それをしばし眺めて、タイクウは頭を抱えて崩れ落ちた。


「あー!! やっぱり一箱で止めとけば良かったぁ⁉」

「テメェは、いい加減にしろぉぉーっ!!」



第一章 完

 

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