第10話 後悔しているのは
『おい、タイクウ! 面倒くせぇアイツらを倒せるかもって聞いたか? それに、地上に帰れるかもしれねぇぞ!?』
あの時、降下作戦にタイクウを誘ったのは、ヒダカだった。
遥か昔から存在していながら、その浮かぶ技術も成り立ちも不可思議な天空都市。その仕組みを解明し、使われている技術を物に出来れば人類にとって大きな進歩になる。そう言われ、かつては多くの科学者や研究者たちが集っていた最先端の都市は見る影もない。
ところが周りの人々は次第に、資源の限られた不自由な生活に慣れていく。地上に帰れなくても仕方がない、諦めるべきだという空気が、都市全体に広がっていた。ヒダカにとっては、そのことすら不満だった。
彩雲から脱出できる上に、武器を持ち異形と戦うことができる。その非日常感も含めて、ヒダカにとっては願ってもみないチャンスだったのである。
それにタイクウは、地上に優しい両親がいる。タイクウのことだけでなく、ヒダカのことも心配してくれる、とてもいい人たちだ。両親との仲が冷め切っている自分は決してそう思わないが、タイクウは親の下に帰りたいはずだ。
強く勧誘したのはヒダカだが、最終的にタイクウが了承したのは、少なからず彼も現状に不安を抱いていたからだろう。
果たして彩雲政府により志願者は集められ、一年間の厳しい訓練を経て作戦は決行された。
厳選された三十四名の志願者達は、希望を胸に地上へ向かってダイブしていく。当時二十歳で最年少メンバーだったヒダカたちも、意気揚々と空へ舞った。
その一分後。希望は絶望に変わった。
高度四千メートル地点。天空鬼の群れと遭遇した志願者達は、その暴力的な力に命を散らしていった。通信機越しに聞こえるのは断末魔の叫びと、何かを失いぼとぼとと落下していく人ばかり。
「この野郎!」
目の前で見知った人が、次々に命を散らしていく。怒りで真っ赤になった視界で、ヒダカはわざと異形に突っ込むように落下速度を上げた。
怒りと憎しみで歯を食い縛り、がむしゃらに武器を振り回す。隙だらけの刃は、硬い皮膚に傷一つつけることができず、気づいた時には、目の前に誰かの血が滴る牙が迫っていた。
『ヒダカ!!』
聞き慣れた声の後、ヒダカの体に何かがぶつかる。下へと追いやられた彼の視界に、トマトを叩きつけたような赤い液体が飛び散った。
体勢を整えて、上空を見上げる。幼馴染の肩口に、異形が食らいついていた。
「たい、くう……?」
突如、天空鬼が大きく口を開いた。腕から青い、明らかに人ではない滴を零しながら。左手に青く染まったナイフを握って、何かが欠けたタイクウの体がぐらりと傾く。大きく仰け反ってヒダカの横を通り過ぎ、下へと落ちていく。
『――――!!』
喉が裂け、言葉にならないほど強く叫び、ヒダカは腕を伸ばす。速く速くと、限界まで落下速度を上げる。夢中でしがみつくようにして掴んだその体は、人形のように力を失くしていた。
グローブ越しでも伝わる、凍えるように冷えた体、右肩から大量に流れ続ける赤い液体。最悪の考えが、浮かんでくる。
無防備なヒダカを狙い、上空から敵が迫ってきていた。それに気がつきながらも、ヒダカは動くことができない。
自分を、庇ったせいで。それは裁きを待つ、罪人のような気持ちだった。
『だ、めだ……』
その時、微かな声が、ヒダカの耳に届いた。腕の中で、タイクウの体が大きく脈を打つ。それ自体が心臓そのもののように、力強く、何度も。
時が止まったような、永遠にも感じる時の中で、ヒダカは大きく目を見開いた。
失ったタイクウの右腕が、逆再生のように修復していく。いや、腕だけではない。人間には明らかに存在しない異物までもが、彼の体に作られていく。背中の一部が瘤のように盛り上がり、皮膚を突き破って。生えてきたのは、天空鬼の持つ悪魔のような両翼。
やんわりとヒダカを押し退けた腕は、鋼のような色をしていた。翼を動かし、幼馴染だったものが天空鬼に向かって飛び上がる。
それが、タイクウが人でなくなった瞬間だった。
薄暗い病院の廊下に、固い靴底が奏でる足音が響く。顔を上げると、記憶より幾分か歳を重ねた兄の姿が見える。眼鏡のレンズ越しに、相変わらず冷えた瞳が自分を見下ろしていた。
「久しぶりだな」
その声には、特に何の感情もこもってはいない。
「……テメェがあんな所にいるとはな」
「こちらも『彩雲』にいると思っていた弟と、こんな形で再会するとは思わなかったがな。全く、地上と連携すらまともにとれない状況で、彩雲政府も無茶なことをしたものだ」
あの後、天空鬼を全て撃墜したタイクウは、元の人型に戻り意識を失った。ヒダカはなんとか二人分の体重を支え、パラシュートで地上へ降り立ったのである。
彼を取り囲んだ集団の中に、数年ぶりに会う実の兄がいたのは予想外であった。
「お前の友人、『
何があった。そう告げられて肩が大きく跳ねる。
唇を震わせヒダカが黙り込んでいると、時雨がため息混じりに言った。
「今は、良い。もう目覚めているぞ」
その言葉で全てが吹き飛び、ヒダカは病室へと駆け込んだ。
「あ、ヒダカ」
ベッドに上半身を起こしヒダカを迎えたタイクウは、一見何事もなかったように見えた。しかし、右肩からその先端にかけて、グルグルと巻かれた包帯がヒダカに現実を突きつける。
タイクウは自分の右腕に視線を落とし、顔を歪ませた。
「あー、これ? うん。もう、人間のものじゃないんだって。詳しい検査が出てからになるけど、多分、体の方にも何かしらの影響は出てくるだろうって」
ヒダカは息を呑み、口を閉ざした。
何を、何と言えばいいのか。分からない。
病室の入り口で黙り込んでいると、タイクウがひとり言のように呟いた。
「僕が、もっと強かったらなぁ」
声を震わせて、苦しげに眉を寄せながら。タイクウは微かに、その言葉を漏らした。
「そうしたら、ヒダカにそんな顔させずにすんだのに」
ヒダカがあの時抱いた感情を、どう表せば良いだろう。
体に流れる血が、全て沸騰したように熱くなった。世界は色を失くし、喉が締まって呼吸が止まる。怒りとも悲しみとも言えない激情に駆られ、全身がガクガクと震える。
気づけばヒダカは、病室を飛び出していた。
走って走って、たどり着いたのは人気のない非常階段の踊り場。壁に背を預け、彼は肩で息をした。突然足に力が入らなくなり、その場にずるずると座り込む。耳元で、心臓の音が激しく鳴り響いていた。
何故、自分を庇った。
そのまま見捨ててくれれば、自業自得で済んだのだ。タイクウは望み通り、地上で平和に生きられたかもしれないのに。
何故、そんなことを悔いた。
いつもいつも、ありとあらゆることで後悔し続けていたくせに。いっそ、思い切り責めて欲しかった。タイクウらしい言い方で。
こんなことになるなら、
惨めで、悔しくて、情けなくて。この場で自分の喉をかき切ってしまいたい。胸を切り裂いて、この心臓を、思いきり握りつぶしてしまいたい。
戦慄く両手で、髪を鷲掴んで引きちぎった。その自傷行為とすら呼べない何かも、
胸の奥から絞り出すようにして、ヒダカは叫び喉を震わせた。
「なんで、だよ……⁉ もう『人』じゃねぇって言われてんだぞ⁉ もう、二度と戻らねぇかもしれねぇだろ⁉ そんなんで、おれに気でも遣ってんのかよ⁉︎ どうでも良いだろうが、おれのことなんか! そんな、そんな風に後悔なんて、してんじゃねぇよ……っ!!」
本当は分かっていた。タイクウは決して、他人を責めるようなことはしないということ。ヒダカを見殺しにすれば、それこそ甘いタイクウは、一生後悔し続けることになるということを。
分かっていたのだ。ただ、どうしても、結果的にこんな事態を招いた自分の弱さが許せないだけ。
ヒダカはどうにもできない感情を胸に、声を圧し殺して、ただ泣いた。泣くことしか、できなかった。
あんな想いは二度と御免だ。
ヒダカは優しい目をした異形へと視線を向ける。あれからおよそ三年。タイクウは一度も、人でなくなったことを後悔しているとは言わなかった。体がそっくり怪物のものに変わるのだ。平気なわけがない。
変身する時は、いつも何かに堪えるような表情をしているし、人の姿に戻った後は不自然なほど長時間眠り続けている。必死で気づかせないようにしているけれど、心身の負担は計り知れないはずだ。
いつも細かい事で、ため息ばかりついている癖に。
『本当に、バカだよなぁ』
『え、何か言ったー?』
タイクウが首だけをひねって、こちらを振り向こうとしている。小さい呟きは、風の音でかき消されたようだ。
ヒダカは大きくため息を吐いて、迫ってきた天空都市『彩雲』を睨みつける。
『お前の力なんて、今は帰りの足代わりで十分だ』
いずれは必ず。タイクウの力など、全く必要としなくてもいいように。
その言葉は、ヒダカの決意の証だった。
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