第9話 帰り道

 天空都市にはない自動ドアをくぐり、二人は薄暗い部屋へと入った。

 正面には巨大なモニターが三台と、ズラリと並んだデスクにそれぞれ設置された小型モニターが複数。部屋にいる者たちは、タイクウたちを気にした素振りもなく、デスク上のキーボードを忙しなく操作している。管制室もしくは司令室と言った所だろうか。


 部屋の奥に立っていた、ダークグレーのスーツをまとう男性がこちらを振り返った。眼鏡の奥にある瞳が一瞬だけタイクウをなぞり、すぐに隣のヒダカへと移動して止まる。

「戻ったか」

 彼は淡々と声を発しながら、こちらへ悠然と近づいてきた。

「はい、ありがとうございます。時雨しぐれさん」

 時雨はタイクウへ視線を戻し頷くと、黒檀色こくたんいろの瞳で再びヒダカを見つめた。


「今回の装備に問題はないか?」

「相変わらずだな、テメェはよぉ」

 ヒダカにしては珍しく、少し視線を逸らせて弱々しく舌打ちをする。その仕草をどう思ったのか、時雨は眉を顰めて眼鏡のズレを直した。

 この二人の雰囲気は真逆。しかし、睨むような表情がとてもよく似ている。

「ヒダカ。それは、久しぶりに会ったお兄さんに対する態度じゃないと思うよ」

「うるせぇ……」

 拗ねたような態度のヒダカは、なんだか子どもっぽくなる。タイクウは微笑ましく思い、つい声を漏らして笑ってしまう。


 ヒダカの実の兄、松風まつかぜ時雨しぐれは、天空鬼スカイデーモンへの対抗手段を探る民間組織『天空鬼及び彩雲に関する特別対策本部』のリーダーだ。そして運び屋、藍銅鉱アズライトのスポンサーでもある。天空鬼に対抗する武器や装備の提供、地上へ降りてきた依頼人のアフターケアなど、その活動は多岐にわたる。

 名家の跡取りとして自身も多くの事業を担いながらの活動であるはずだが、この人の一日は本当に二十四時間なのだろうか。

「テメェの部下の汗と涙の結晶だがな。問題ねぇと言いてぇトコだが、まだまだ足りねぇな」

「だろうな」

 時雨は当然のように、その言葉を受け止めた。そして脇に挟んでいたタブレット端末を二つ、それぞれタイクウとヒダカに手渡す。


「また今回の天空鬼に関する報告と、装備の問題点と要望をまとめておけ。お前たちのデータが、今後国民の役に立つ。現状実害がないからと言って、国もまともな対策を講じようとしない。頼りになどできないからな」

「国民、ねぇ……」

 ヒダカが上目遣いで時雨を見上げ、苦々しい口調で言う。


「テメェが本当に助けたいのは、淡海桜初恋の女だけだろ? 大事な女が絶対安全に地上へ降りられるように、俺らや依頼人で実験してるようなモンじゃねぇか。『彩雲の希望』の名が聞いて呆れるな」

「……なんとでも言え」

 時雨は目を伏せ、ため息混じりに淡々と告げた。機嫌が悪そうに、ヒダカが頭を激しくかく。

「やっぱり、テメェは嫌いだ」

「まあまあ。時雨さん、今回も僕たちの依頼人のこと、よろしくお願いします」

 時雨が頷いたのを見て、タイクウはヒダカの背を押して部屋を出て行った。





 午前二時。松風時雨の所有する高層ビルの屋上で、タイクウとヒダカは空を見上げていた。

 深夜でも賑やかなネオンの明るさで、空の星たちはすっかりその輝きを潜めている。その明るい夜空の先に、天空都市『彩雲』は浮かんでいるのだ。

「もう少し、眠ってねぇで良いのか? 途中で油断して墜落はゴメンだぞ」

「あー、昼間のは短時間だったからね。もう平気」

 タイクウは右腕を肩からグルグルと回してみせる。


「なら、暗い内にさっさと帰るぞ」

「そうだね。桜さんに頼まれてた物も買ったし」

 行きよりも増えた荷物を抱え直し、ヒダカはヘルメットを被る。対するタイクウは行きよりも身軽な格好だ。黒のボディスーツのみで、何故かヘルメットも被っていなかった。

「じゃあ、準備するね」

 タイクウは右手のグローブを外す。露わになったその右手の皮膚は、鋼色をしていた。


 彼は右手に意識を集中させ、目を閉じる。もう願うだけで容易に変わることができた。あの時と同じように、右腕の方からどろりと熱いものが流れ、全身に広がっていく。そして再び襲ってくる、身を引き裂かれるような激痛。目の前のヒダカに気取られぬよう、タイクウは呼吸を止めて目をキツく閉じた。

 やがて痛みが少し引いた頃を見計らい、彼は目を開く。

 タイクウの姿は、姿変容へんようしていた。


『よし。帰ろうか』

 普段よりも少し雑音の混じったタイクウの声が響く。少しだけボディスーツに違和感を覚え、彼は思わずボヤいた。

『んー、でもやっぱり羽の所に穴が空いちゃった……。時雨さんにスーツの改善要望、出せば良かったかなぁ』

『どーでも良いこと言ってんなよ』

 昼間のようにクリアになった視界で、ヒダカの呆れ顔が見えた。


 異形と同様の翼を羽ばたかせ、タイクウはどんどん上昇していく。背負ったヒダカと荷の重さも何のそのだ。急激な気温や気圧の変化も、今の身体には全く苦にならない。

『やっぱり、思うんだけどさー』

『ああ⁉ 何だよ?』

 風に紛れて呟くと、ヘルメット越しにヒダカの声が聞こえる。


『行きも僕がこの状態で戦えば、もう少し楽に、安全に地上へ行けるんじゃないのかなぁ?』

『はぁ? 馬鹿か、テメェ! この状態がどれだけ異常だと思ってんだよ⁉ どんなことが起こるか分からねぇのに、ホイホイ変身できるか! 使って良いのは非常事態と――現状手段のない帰り道だけだ』

 それに、とタイクウの無駄に良くなった耳が、ヒダカの僅かに震えた声を拾う。

『お前の力なんて、今は帰りの足代わりで十分なんだよ』


 タイクウは意外にも、自分がこの姿に変わってしまったことを後悔してはいなかった。これは自らにとって最善を選び取った結果、起こってしまったことだから。彼にとっては珍しく、仕方がないと割り切れることだったのだ。

 しかし唯一、この結果で悔やむことがあるとすれば。

『来やがったか。もう一仕事だな』

 彼は謝罪など死んでも望まないだろうから、これはあくまで自己満足。

『ごめんね。ヒダカ』

 ヒダカが天空鬼の群れに気を取られている内に、タイクウはこっそり呟いたのだった。



 三年前。地上と満足な通信もできなかった混乱期の中、彩雲の政府が現状打破の為に計画した『武装降下作戦』。現在の藍銅鉱アズライトが行っているように、それは彩雲から地上へその身一つでダイブし、天空鬼と戦いながら地上を目指す作戦だ。

 志願者は三十四名。表向きの発表では生存者なしとされていた。

 地上への想いと少しの傲慢から志願したタイクウとヒダカは、その作戦唯一の生き残り。

 それはタイクウが人でなくなり、それぞれの胸に大きな後悔をのこしてしまった日だ。

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